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「 ああ、もしかしてヤりたくなった? 私は今そんな気分じゃないんだけどねぇ。 別にヤッてもいいよ 」
「 ……お前の本性は凄まじいな。 そんな事を思ってエドワードに出て行って貰った訳ではない 」
「 真面目だねアンタ。 本気でそんな事を言ったわけじゃないわよ 」
離せともがくと、力なく私にされるがままに引き剥がされた蛇男は私を真っ直ぐに見据えて、私の手に大きな手を重ねてくる。
「 あの腹の火傷は、どうしたんだ 」
何故、今それを聞いて来るんだろう。 どうしてそんな真剣な目で聞いて来るんだろうか。
「 蛇男、アンタに関係ないでしょ 」
「 へび……そうか、私はお前にそう思われていたのか 」
思わず口が滑ったけれど、何故か蛇男の表情は少しだけ和らいだ。 怒ると思ったのに、逆だった。
「 アンタに関係ないでしょう? 」
「 あぁ、お前からすればそうかもしれんが……私はそれを知りたい 」
逸らせばいいのに、どうしてか少しもその蛇の目から目が離せない。 それだけ、蛇男が真っ直ぐに私を見ているからだろうか。 私はドレス越しにあの火傷の上を触って笑う。 悲しそうに眉を下げる蛇男の瞳に、気味悪い嘲笑の私が写っている。
「 コレは、親から貰った憎しみの証よ 」
『 目障りなんだよ! 死ね! 』
『 っ、お前なんか生まなけりゃ… 』
ヒステリックを起こした母親のそんな絶叫が脳裏に浮かんでくる。 あの人は、最後までそうやって私を見ては泣いて罵倒して私を殴り続けて。
ーー沸騰したヤカンを投げて来た。
「 なぁ、私は今のお前の方が、化けの皮を被ったお前より良いと思う 」
「 変な男だね、アンタって 」
同情するわけでもなく淡々と私の言葉に返事せずに、そう言ってくる蛇男のその態度に少しだけ安心してしまったのは、どうしてだろう。
「 お前は、優しい子だ 」
何で、そんな風に言ってくれるんだろう。 私はもう醜く捻くれ捲った惨めな女なのに『優しい子』その言い方は少しだけズルイと思った。
「 もう此処を出ろ。そして、私の屋敷に……ヘルクヴィスト家の屋敷に来い 」
「 はっ、何? 偉そうに…… 」
そのまま次の言葉が出てこなかった。 何を言いたいのか自分でもよく分からなかったから。 そんな時、控えめなノックの音が聞こえると、蛇男は立ち上がって扉を開ける。 多分、執事の人だったけど少し話した後に何かが揺れる音と、蛇男の靴音が近づいて来た。
「 私の家の使者に頼んで持って来て貰ったんだが…お前が喜ぶかと 」
「 ……っ、 」
ーーその手には美しい赤と白の束。
辞めてよ、辞めてよ。
そんな私の気持ちなんて知らない蛇男はしゃがみ込んで、私にその束を差し出してくる。 ああ、花が私を罵倒している……お前が、何故と。
「 ……っ、辞めてよっ‼︎‼︎ 」
叫んで寝台の奥まで後退りした私の豹変ぶりに蛇男は驚いて、私をなだめようとしたのか、その花を持ったまま私に近づいて来た。
ーー私はその花束を力の限り叩いて、弾き飛ばす。
「 ど、うしたんだ 」
可哀想な花たちは惨めに床や寝台の上に散らばって、原型を残さずバラバラに散ってしまった。
「 ……なの、 大っ嫌いなのよ‼︎‼︎ 」
ああ、花が私の周りに散らばってるのが恐ろしい。 私は気が狂った様にその花弁を必死に手で床に落とす。
そんな私の状況を見た蛇男が慌てた様に私を抱き寄せた。
「 っ、悪かった。 落ち着け 」
「 辞めてよ! 離してよ! 嫌、いや 」
暴れる度に蛇男が私を強く抱き締めるから、苦しくて視線の先が歪んで来た……違う、苦しくて? 何が苦しいんだろう。 もう、疲れてしまった。
ーー本当の涙なんて何時ぶりだろう。
「 大っ嫌いなの! この世で一番嫌いな花なのよ、見たくもない! 」
「 ……そうか、悪かった 」
「 どうせ私は相応しくないのよ!分かってるわよ! もう辞めてよっ 」
もがきながらも、涙が出て来た自分が悔しくて乱暴にその瞼を擦ろうとした。 すると、その手を強く蛇男が掴んで来た。
「 我慢するな、泣けば良い 」
「 ……っ、嫌よ! 私は泣かないの! 笑ってなきゃ誰も側に居てくれなくなるのよ! アンタには分からないよ! 」
頬に、暖かな何かが触れた。
ああ蛇男の大きな手だった。
「 私は此処に……お前の側に居る 」
蛇男の手に、私の雫が滴り落ちて行ってるのが何となく分かった。その瞳と視線が合わさると、何故か力が抜けて、そのまま私は暴れるのを辞めてしまった。
「 アンタ…本当に頭が沸いたのね、どうして私の事いちいち気に掛ける? 前のアンタはそんなんじゃ無かった 」
「 ああ、自分でもよく分からん。 ただ、お前が心配だ 」
「 ……教えてあげる。 そういうのを同情って言うのよ 」
「 下らんことを言うな、同情では無い 」
じゃあ、何だっていうのさ。
どうしてそんな優しい仕草で私の頬を包むの? 辞めて、私こんな事してもらったの産まれて初めてなんだって……誰にも、して貰ったこと無かったんだって。
「 私の名はラファエルだ 」
「 知ってるよそんなん 」
頬を包む蛇男が、私の髪をゆっくりと耳にかけて私を上から見下ろす。
「 お前の名は、何だ 」
「 アンタは本当にあのお馬鹿さんにしか興味が無かったのね、私はポチよ! 」
そう答えると、少しだけ顔を潜めて溜息をつく蛇男がギロっと私を見つめて来る。
「 違う、本当の名前は何だ 」
ーー本当の名前? そんなもの、私に。
「 ポチだと言ってるのが分からないのかしら? 」
「 お前の顔を見れば分かる……それは、偽りの名前だろう 」
真っ直ぐなその瞳が、窓から漏れる月の光にキラキラ反射してる。
「 私はまた知らずにお前を傷付けてしまった。 だから教えて欲しい、お前の過ごして来た環境の事も、嫌いなものも、好きなものも、本当のお前の名前も 」
そう言って、両頬に手を添えた蛇男は私の顔をゆっくりと持ち上げて真剣な顔で私を射抜く。 チラッと視界の端に赤と白の残骸が写って私は自称気味た表情であざ笑う。
「 ねぇ、最初に貰った花、忌まわしくてその日の夜に燃やしたのよ 」
「 ……そうだったか 」
「 ただ、花を貰ったのは生まれて初めてだったわ 」
「 ……そうか 」
今頃あの天使は、私に冷たい態度を取られて周りの人に慰めて貰っているのだろうか。 ねぇ、カミーリィヤ? ……私達は同じだけど同じじゃないわね。 出発点は同じ筈だったのに。
「 教えてくれるか? 私に、お前の本当の名前を 」
「 私は、なれなかった……あんな、風に 」
天井に顔を向けた私の、消えそうなその声を蛇男が顔を近づけて必死に拾おうとする。
ーーねぇ、カミーリィヤ。
私にはその名前に相応しい人生は訪れなかったわ。 ただの、一度も。
「 私の世界では、あの花はカミーリィヤと呼ばれてると言ったわよね 」
「 あぁ、そうだったな 」
「 それはね、西洋と言う場所で呼ばれてる名称なの…私の国では違うのよ。 もうひとつ、呼び名があるの 」
ねぇ、カミーリィヤ。
どうやったら私はこの名前に相応しい女になれたんだろうね。
「 なんと呼ばれているんだ 」
ああ、蛇男は酷く優しい低い声で私を促してくれるのに私は天井から力なく視線を移して儚い夜空を窓越しから見つめる。
「 つばき 」
ーーねぇ、私はどうして貴女みたいな女の子になれなかったんだろう。
「 椿…と、そう呼ばれているの 」
蛇男の手には今だに私の涙が滴り落ちているのに、それを気にせず蛇男は時々私を宥める様に私の目尻を優しく拭う。
「 ……お前の、本当の名は 」
窓を見ていた私の頬を持って自身に向かせて、顔を覗き込むその瞳は何故だか落ち着く。 いつからこいつのこの目が落ち着くようになったんだろう。
「 ……つばき 」
消えそうなその声に、私のこれまでの態度の理由を気付いたのか蛇男はそれを聞いて少しだけ目を見開く。
「 小鳥遊 椿 ……それが、私の名前 」
ーーねぇ、同じ花の名前を貰ったのにどうしてこうも私と天使は相容れないんだろうね。




