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カイン・ジェームズ ― ロンドン探偵 ―  作者: 森野 乃子
川から見つかった遺体
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第2話(終)

「ジェームズさん……それは、つまり……どういうことでしょうか……」


 マクベス警部は明らかに動揺していた。

 しかしジェームズは非常に上機嫌で、椅子に座りなおすと丁寧な口調で話し出す。


「つまりは、これが安っぽいトリックを用いられて起こったスミス殺人事件であるということです」

「ですが、ハドソンさんの服からは財布が……それにこの服は確かにハドソンさんの物だと言ったじゃないですか」

「ええ、ですがその服の“中身”が違う。いいですか、マクベス警部。まずあなたは根本から間違っている」


 ジェームズがハッキリとそう言えば、マクベス警部は明らかに不愉快そうな顔をした。


「まず遺体の顔を焼く必要がスミスには全くありませんでした。遺体の処理をしたいのなら、ただ川に放り込めばいいのですから。遺体がハドソンであることを隠してもスミスには何の徳もありません。せいぜい身元確認が遅れるくらいですが、目撃者がいるのですからどのみち隠しても意味は無い。ではなぜ犯人は遺体の顔を焼いたのか? それは遺体がハドソンではなくスミスだと知られては困る理由があったからだ」

「困ることとは?」

「自分が犯人だとすぐに分かってしまうからですよ」

「そこがわからない……一体何故あの遺体がスミスだと思われたのですか?」


 マクベス警部は大きなため息をついた。


「スミスはよくワインバーグとつるんでいると言いましたな。それに今回は目撃情報もある。二人は自分たちがいかに目立つかをよく知っていた。そして今回は喧嘩だ。夜遅いとは言え、大声で叫べば目立たないわけがありません。誰かがこの喧嘩で死んだとしたらどうなるか――……」


 ジェームズはクルクルと指を回しながら、薄っすら笑みを浮かべている。


「全く面識の無い無害そうな紳士と、悪い噂のある自分。どちらが不利か、彼には良くわかっていたはずだ」

「まあ、そうでしょうな。ですが、なぜスミスは死んだのですか?」

「この喧嘩が、最初はワインバーグとスミスの問題だったからです」

「何故わかるのですか!」


 マクベス警部はいまだ不満げな顔でそう言い、丁度メイスン夫人が持ってきた紅茶を丁寧に受け取るとそれに口をつけた。


「答えは簡単だが、順を追って説明した方がわかりやすいでしょう。さて、ようやく娑婆に出られた強欲で自分勝手で狡猾な男が、再び豚箱に入りたいと思うでしょうか? 答えは否。だからワインバーグはスミスを殺してしまったと気づいたときに、工作をすることにしたのです。死んだのは全く面識の無い無害そうな紳士にして、そしてそれを殺したのがスミスだということにしようと。そうすれば、自分への疑いの目は半減する」

「……なるほど。ですが先ほども言ったようにスミスを殺した理由がわかりません」

「人を殺すのに理由が必要な者もいますが、今回に限って言えば突発的なものでしょう。何故わかるかと言えば、計画性が全く無いからです。実にお粗末な殺人だ。理由もお粗末なものでしょう。さてここで重要なのは、ハドソンが二人目の目撃者であるということです。そして正義感の強いハドソンは、喧嘩をしている二人を見つけて彼らをとめにいった。まあ、単にむしゃくしゃしていたので首を突っ込んだとも言えます」

「むしゃくしゃ……?」


 マクベス警部は“むしゃくしゃ”について非常に気になったような声をあげる。彼の中で色々な想像が膨らんでいくが、アイリはハドソンがむしゃくしゃしていた理由というのが良くわかったので思わず半目になった。そしてアイリは自分の精神が思ったよりも回復して安心しているのに気づき、ジェームズが生きていると言えば生きているに違いないと考え始めているのに驚いた。


「まあ、むしゃくしゃは今回の事件には全く関係ないと誓って言えますが、首を突っ込んだハドソンは、目の前で男が――スミスが動かなくなったのを見て医者と警察を呼ぼうとした、しかしワインバーグからしたらそれは大変なおせっかいだ。だから彼はとっさに、ハドソンが死んだことにしてスミスに罪を着せる策を思いついたのです」


 マクベス警部はこの頃になると、前のめりになってジェームズの話しを聞いていた。


「そしてハドソンを気絶させて衣装を変え、スミスの顔を焼いて川へ捨てた。先ほどボタンが掛け違えられていたと言いましたな? 仮に喧嘩で服が脱げたとして、相手に襲われている時に呑気にボタンをかけるでしょうか?」

「……では、ハドソンさんはどこへ?」

「ワインバーグの自宅でしょうな」

「自宅! なぜです? 殺すか捨てた方がいいじゃないですか! ――おっと、失礼」


 マクベス警部が失言に気まずげな顔をすると、ジェームズはわずかに笑って話を続けた。


「捨てたら、ハドソンが意識を取り戻したときに警察に駆け込まれる。それに殺しても死体が見つかれば自分が疑われる。だから家に連れ帰ったのです。つまり、まだワインバーグがハドソンの上手い処理方法を見つけていなければ、ハドソンは生きていると言えるでしょう」


 マクベス警部はまたも驚いたような顔をして、両手を挙げながら大げさなジェスチャーをする。その動きを見て、ジェームズは非常に満足げに口角を上げた。


「さらに言えば、ハドソンは馬鹿ではない。彼はきっと大事になる前に自分で家を出たはずだ。私の考えが間違いでなければ、ワインバーグの家のガラス窓がどこか一箇所だけ割れているでしょう。そこからハドソンの匂いをたどればすぐに見つかりますよ」

「臭いを?」

「犬で探せばいい。丁度私が良い犬を知っていますから、これは私がします。あなたはお仲間とワインバーグをおさえて下さい。彼がハドソンの見事な逃亡に気づけば、どんな行動を取るかわかりませんからね。今は何時だ? ああ、昼前か。さあ、行動は早い方がいい! これは早ければ早いほど、ワインバーグを捕まえられる事件ですよ」

「し、しかし……その遺体が本当にハドソンさんじゃない証拠はあるでしょうか? あなたの推理が全て間違っている可能性だってある」

「ではお尋ねしますが、その遺体の腰に銃創はありましたかな?」


 マクベス警部はサッと視線をそらして記憶をたどる。そして答えが出る瞬間、ジェームズが口を開いた。


「もしその左腰に銃創がなければ、その遺体は確実にハドソンのものではありません。あれは先の戦争で腰に銃創が残ってしまっているんだ」


 それだけ言うと、ジェームズは勢いよく立ち上がってコートを取った。


「アイリーン、後は頼んだ。私は優秀な犬と宝探しに行くとしよう。私が間違えていないとしたら、ハドソン君は今頃子供のように迷子になっているはずだからな。何せやつは酷い方向音痴だ。ああ、それから朝食と昼食を食べ逃すはずだから、何かつまめるものを用意しておいてやってくれ」


 そう言いながらジェームズがご機嫌で出て行くのを、マクベス警部とアイリは呆然としながら見送った。

 そしてその姿が完全に消えてドアがバタンと閉まると、マクベス警部は慌てたように防寒具を引っつかみ、アイリに別れの挨拶をしてドタドタと部屋を出て行くのであった。




* * * * * *




「やあ、ゴードン。一つ聞きたいのだが、君の犬はまだ生きてるか?」


 ジェームズは、ベーカー街を抜けた先、寂れた道にあるあばら家に来ていた。その扉をノックして出てきたのは、しわくちゃの老人だ。

 老人はジェームズの言葉を聞くと何度か頷いて、心得たとばかりに家の中へと入っていった。やがて一匹のボロ雑巾のような狩猟犬を引っ張ってくると、ジェームズの手に手綱を渡す。それと引き換えに、ジェームズは老人の手にお金を押し付けた。


「ありがとう、ゴードン。君の名犬をしばらくお借りする」


 ジェームズは犬を抱えると辻馬車を見つけて乗り込んだ。そして迷わず行き先を告げると、機嫌良さそうに景色を眺め始める。

 ワインバーグがどこに住んでいるのかなんていうのは聞きもしなかったが、ジェームズには、ほぼはっきりと居場所がわかっていた。マクベス警部が差し出した警察手帳から彼の管轄を大体割り出したのだ。

 そしてジェームズがその地域で殺人のあった橋を見つけるのは、難しいことではなかった。


「私はきっとハドソンが――」


 犬に話しかけ、ジェームズの言葉が止まる。

 その顔は苦虫をかんだようにしかめられており、ジェームズは小さくため息をついた。


「よく考えたら、ハドソンは子供じゃないのだから警察に道を聞くことくらいできるだろう。いや、子供でもできる。なのに私はこうしてやつを迎えに行こうとしているわけだ」


 ジェームズは自分が酷くこっけいなことをしているのではないかと思い始めた。

 そして大人しく家に帰ってハドソンの帰りを待とうかと思い、御者に声をかけようと口を開いた。しかし、すぐにその口を閉じると、ジェームズは一度目を閉じて大きく息を吸い込み、椅子に深く腰掛けて前をしっかりと見据えた。




* * * * * *




「さあ、探せ。これがハドソンの靴下だ」


 結果から言えば、橋はジェームズが思ったよりもだいぶ早く見つかった。なぜなら御者が橋を通りかかったときに、聞いてもいないゴシップ話を提供してきたからだ。そして実際に橋につけば、そこにはまだ野次馬が何人かいた。道はところどころ血がついており、それが引きずられたような跡も未だに残っている。そしてその中の一つは、橋の向こう側へと線を描いていた。

 ジェームズは御者に大目の金額を支払い、犬をおろして靴下の臭いをかがせる。すると犬はすぐに走り出し、ジェームズは嬉々としてその後を追いかけた。


「思った通り、一直線だな。雨が降らなくてよかった。雨が降っていたら、いくらハドソンの靴下の臭いが強烈だったとしても追いかけることは難しかっただろう」


 一人ブツブツとつぶやきながら、ジェームズは犬の後を追う。

 そして犬は街を寂れた方に歩いていくと、一軒の家の前で止まった。その家の周りをグルグルと回り、時折困ったような視線をジェームズに向ける。


「ここなんだな?」


 静かな声で犬にそう話しかけ、ジェームズはサッと家の窓を確認した。すると、思ったとおり窓の一つが綺麗に割られていた。中にワインバーグがいるかどうかはわからなかったが、ハドソンが逃げたことが分かったジェームズは満足げに口角を上げる。


「よし、私が助けてやろう。ここで待ちなさい。足跡がだいたいどちらに向かったのかわかれば、君はもう少し追いかけやすくなるんじゃないか?」


 そう言いながら窓のすぐ下まで行くと、ジェームズは姿勢を低くして足元を見つめ始めた。


「橋のところには結構な量の血溜まりがあった。あれはハドソンの足にもついているはずだ。だとするとここらにその痕跡が……ああ、素晴らしいな! おいで。ここにハドソン君の置き土産がある」


 そう言って指をさしたのは、小さな矢印だった。それは街の方向へと伸びている。先ほど来た場所とは違う方向だ。足で描かれたような矢印は、小さいがハッキリとしていた。

 ジェームズがそれを犬にかがせると、犬は耳をピンと立てて前を見据えながら一直線に走り出した。




* * * * * *




「やあ、そんな立派な服を持っていたとは知らなかった」


 犬が走り出してしばらく。

 街のはずれにある岩の上で、疲れきった表情のハドソンが座っているのを見つけたジェームズは、ゆっくり近づくとおどけたようにそう言った。ハドソンの着ている服はサイズこそあっているものの、到底ハドソンが好んで着るような服装ではなかった。


「…………」

「それに随分と男前な顔だ」


 ハドソンの顔は怪我で腫れている。まだわずかに血がにじんでいるところもあり、これから腫れるであろうことは一目瞭然であった。


「ところで君は喧嘩を買ったようだな。命を軽々しく扱うなと言ったのを忘れたのか?」


 ハドソンは何も言わない。何も言わず、ただジッとジェームズをにらみつけていた。しかし、やがて口を開いて一気にまくし立てる。


「何故ここに来た? 何をしに来た? 説教をしにか? だとしたら、それは“余計なこと”だ」


 聞き覚えのある単語に、思わずジェームズは顔をしかめた。

 ところで、ジェームズは非常に謝罪が苦手だった。本当はこんなジョークを言うつもりはなかったものの、どう接したらいいのかわからず、結局はハドソンを怒らせている。

 そしてそんなジェームズの性格をよく理解していたハドソンは大きなため息をつき、ゆっくり立ち上がった。そして拳を作り、何度か開いて握ってを繰り返す。


「いいか、絶対に避けるなよ」


 ジェームズが返答を返す前に、ハドソンはジェームズの頬へ拳を埋めた。少しだけよろけたジェームズは少しだけ頬をするとなんでもない顔でハドソンを見つめる。ハドソンにはジェームズが“言葉通り避けなかった”のを知り、忌々しそうな顔をしながら小さく「腹の立つやつめ」と罵った。するとジェームズの口角がわずかに上がり、それに気づいたハドソンも苦笑したのだった。


「家でアイリーンが君の腹を満たすものを用意している。それを食べながら、ハドソンの大冒険を聞かせてくれ」

「それは交換条件としてジェームズの大冒険も聞かせてもらえるんだろな?」

「君が聞きたいと思えば」

「ぜひ聞かせてくれ」


 二人と一匹はゆっくりと街の中央へ向かって歩いていく。

 その後姿はやけに清々しく、まるでただ犬の散歩に来ている紳士のように見えた。

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