第1話 なおき賞なら入選するのに、だろうでは零ポイントだった
僕は、傑作を書いた。
文字数にして、二百字。
たった二百字。
けれど、その二百字の中に、祖父の死と、雨の日の記憶と、少年時代の喪失と、人生における取り返しのつかなさを詰め込んだ。
無駄な説明は削った。
泣かせる台詞も入れなかった。
最後の一文は、特に良かったと思う。
――僕は濡れながら、初めて祖父を失ったのだと思った。
書き終えた瞬間、僕は椅子の背にもたれた。
これは、いける。
少なくとも、文芸誌の新人賞なら一次は通る。
いや、短編部門があれば、なおき賞だって狙えるかもしれない。
そう思った僕は、すぐに小説投稿サイト『小説家にだろう』へ投稿した。
タイトルは『雨傘』。
我ながら、渋い。
象徴性がある。
読者の想像力に委ねる余白がある。
投稿ボタンを押したあと、僕はしばらく画面を見つめていた。
五分。
十分。
三十分。
一時間。
PV、ゼロ。
評価、ゼロ。
ブックマーク、ゼロ。
感想、もちろんゼロ。
「……サーバー、落ちてるのか?」
僕は更新ボタンを押した。
ゼロ。
もう一度押した。
ゼロ。
念のため、スマホでも確認した。
ゼロ。
僕の傑作は、インターネット上に存在しているのに、この世の誰にも見つかっていなかった。
存在しているのに、存在していない。
これは、もはや文学ではないか。
などと自分を慰めかけたところで、僕はひとりの人物を思い出した。
同じ高校の文芸部の先輩。
雨宮カナタ先輩。
小説家にだろうで、累計ランキング一位を獲得した男である。
書籍化。
コミカライズ。
アニメ化企画進行中。
文化祭では普通に焼きそばを焼いていたくせに、ネット上では「だろうの王」と呼ばれている。
僕は翌日の放課後、文芸部室の扉を開けた。
「先輩。僕の小説を読んでください」
雨宮先輩は、部室の隅でカップ焼きそばを食べていた。
累計一位作家とは思えない姿だった。
机の上には、エナジードリンクと、菓子パンと、赤ペンが置かれている。
「いいよ。何文字?」
「二百字です」
「短いな」
「短い中に、人生を込めました」
「危険な発言だな」
先輩は割り箸を置き、僕のスマホを受け取った。
画面に表示された『雨傘』を見た瞬間、先輩の眉が動いた。
「まずタイトルがダメ」
「まだ本文を読んでないじゃないですか」
「読む前にダメなものは、読まれる前に死ぬ」
「死ぬ?」
「死ぬ。だろうでは、タイトルで死ぬ」
先輩は真顔だった。
「『雨傘』って何?」
「祖父の遺品であり、記憶の象徴です」
「違う。読者から見れば、ただの雨具だ」
「ただの雨具……」
「傘屋でも読まんぞ」
ひどい。
僕の象徴が、傘屋にも見捨てられた。
先輩は本文を読み始めた。
読み終えるまで、十秒もかからなかった。
そして、深く息を吐いた。
「文章は上手い」
「本当ですか」
「ああ。普通に上手い。余韻もある。無駄もない。最後の一文も悪くない」
僕は胸をなで下ろした。
やはり、分かる人には分かるのだ。
「でも、だろうでは読まれない」
「なぜですか」
「読む理由がないから」
僕は固まった。
「読む理由ならあります。これは、祖父の死と記憶を描いた――」
「それは読んだ後に分かる理由だ」
先輩は赤ペンを持った。
「だろうで大事なのは、読む前に分かる理由だ」
「読む前に……」
「そう。読者は忙しい。疲れてる。スマホで流してる。タイトル一覧を親指でスクロールしてる。そこで『雨傘』が出てきても、誰も止まらん」
「でも、短くて美しいタイトルの方が文学的では」
「なおき賞ならな」
先輩は、そこで僕を見た。
「なおき賞の選考委員は、読む仕事をしている。だろう読者は、読まない自由を持っている」
その言葉は、なかなか刺さった。
読む仕事。
読まない自由。
僕の二百字は、読まれる前提で書かれていた。
でも投稿サイトでは、まず読まれなければ始まらない。
「じゃあ、どうすればいいんですか」
「まずタイトルを変える」
「たとえば?」
先輩は少し考え、僕のスマホに文字を打ち込んだ。
そして画面をこちらに向ける。
『祖父の形見の壊れた傘を差したら、雨粒ごとに昔の記憶が蘇るんだが、駅前で折れた瞬間、俺は本当の別れを知った』
「長い!」
「まだ短い」
「これで短いんですか!?」
「主人公の年齢が分からん。祖父との関係性も弱い。あと傘に特殊能力があるかどうかが曖昧だ」
「特殊能力はありません」
「弱い」
「傘に特殊能力は要らないでしょう!」
「だろうでは、あって困るものではない」
僕は頭を抱えた。
僕の祖父の傘が、急にチートアイテム扱いされている。
「でも、そんなタイトルにしたら、余韻がなくなります」
「余韻は本文で出せ」
「タイトルで出してはいけないんですか」
「タイトルは看板だ。墓石じゃない」
先輩の言葉はいちいち乱暴なのに、妙に分かりやすかった。
「次。冒頭」
「冒頭ですか」
「一行目が弱い」
「雨の日、祖父の遺した傘を差して歩いた、ですよ」
「悪くない。でも、だろうでは遅い」
「これで遅いんですか?」
「遅い。読者は一行目で、誰が、どう困っていて、何が始まるのかを知りたい」
「でも、文学は余白が」
「余白で読者を試すな」
先輩は赤ペンで机を軽く叩いた。
「読者は敵じゃない。試験官でもない。お前の作品を読みに来てくれるかもしれない人だ。最初に迷子にするな」
僕は黙った。
ダメ出しの嵐なのに、不思議と腹は立たなかった。
先輩は僕の小説を馬鹿にしているわけではなかった。
むしろ、ちゃんと読んでいた。
読んだ上で、投稿サイトでは届かないと言っている。
「じゃあ、僕の小説はダメなんですか」
「違う」
先輩は即答した。
「お前の小説は、たぶん良い。なおき賞なら入選するかもしれない」
「なら――」
「でも、だろうでは零ポイントだ」
きっぱり言われた。
ひどい。
でも、事実だった。
「文学賞は、作品が机の上に置かれる。だろうでは、作品が雑踏の中に立たされる。声を出さないと、誰にも気づかれない」
「声……」
「そうだ。叫べとは言わん。でも、何の話かは言え」
先輩は僕のスマホを返した。
「お前が書いたのは、きれいな小説だ」
「はい」
「でも、だろうで必要なのは、読者に入口を作ることだ」
「入口」
「タイトル、あらすじ、冒頭三行。そこまでが玄関だ。本文は家の中だ。どれだけ立派な家でも、玄関が壁だったら誰も入れない」
僕は、自分の作品ページを見た。
タイトル『雨傘』。
あらすじ、未記入。
本文、二百字。
確かに、玄関どころか、表札すらなかった。
「先輩」
「何?」
「僕、直します」
「よし」
「でも、傘に特殊能力はつけません」
「そこは好みだな」
「祖父も転生しません」
「惜しいな」
「惜しくありません」
先輩は笑った。
僕はスマホを握りしめる。
なおき賞なら入選するかもしれない僕の二百字小説。
でも、だろうでは零ポイントだった。
ならば、まずは読まれる形にするしかない。
文学を捨てるのではない。
文学まで、読者を連れていく。
そのための入口を作るのだ。
僕はタイトル欄を開いた。
そして、震える指で最初の一文字を打った。
――祖父の形見の傘が折れた日、僕はようやく別れを知った。
先輩が横から覗き込む。
「悪くない。だが、まだ地味だ」
「先輩」
「何?」
「少し黙ってください」
「それも大事だ。作者の意地は、最後に残せ」
僕は少しだけ笑った。
PVゼロの画面が、昨日よりは怖くなかった。




