写真に写る二人
それから九時間後の午後三時、チャイムと同時に玄関の扉が開いた。
「稜、来たぞー。大丈夫かー」
入って早々、床に伏している稜を見つけ駆け寄り、それを見て呆れ顔でソファの上に乗せる。
「生きてるー?まさか死んでないよなー?」
「勝手に…殺さないで……ギリギリ生きてる…」
掠れた声で生存報告をする。先程までずっと押し寄せていた吐き気も、颯真が来るなりピタリと止んだ。真に不思議なものだ。
「それは良かった。何買えばいいか分からなかったから、取り敢えずヨーグルトと薬買ってきた。これは腹痛、これは胃薬、結構いらないものもあったな」
「頭痛と…目眩と…吐き気の薬…ある…?」
ゴソゴソと薬局の袋を漁る颯真。三つの薬の箱と一緒に出てきたのはスマホを縦に並べて二個分ほどの長さのレシートだった。なんと驚きの四桁円。四捨五入すれば10000円になる値段。
「え…何…買ったの?薬で…そんなかかる…?」
「薬だよ。高かった。正直舐めてたわ。たかが薬と思ってレジ持ってったら意外としたんだよ」
苦い顔をしながらレシートを丸める。見たくないと言わんばかりにこれでもかというほど小さく丸めて潰し、ゴミ箱へ投げる。
「ごめん……お金出すよ――」
「いいんだよ。まぁ、稜が苦しんでそうだったからな。中学から一緒だったのに頼られること全然なかったから。これくらいはさせてくれよ」
稜の言葉に被せるように言い放つ。それは確かな優しさと、僅かながら懇願の意を纏っていた。
「ところでお薬飲めますか?随分とお疲れのようですが。あーんして差し上げましょうか?」
女の体になった稜を誂う。稜が嫌がってくるのを予想しているのだろう。しかし、疲れているのも事実。気力もないのも事実。別に嫌というわけではないのも事実。故に、結果は必然とこうなる。
「お願い…します……頭痛で今…動けなくて……」
「まじかよ。全力で拒絶する女稜が見たかったんだけどな。俺は構わないが、ほんとにいいのか?」
少し嘘をついてしまったが、全く持って事実と異なるというわけでもない。
「別に…嫌じゃないから……多分……男のまま…だったら…全力で…拒絶してた…かも……」
「分かった、もう喋んな。その度に息使い果たしてたら体力が回復しねぇだろ。スプーン、キッチンにある?」
その問いに顔を縦に振る。そのままソファの上で仰向けになる。天井を見ながら頭を働かせる。
彼は何故ここまで自分に構ってくれるのだろうか。彼は先輩からも人気だったから、今日も遊びに誘われていたのだろうか。もしかしたら同級生から遊びに誘われていたのだろうか。その誘いを断って自分の所に、薬も買って来てくれたのだろうか。もし、そうなのだとしたら、彼に感謝の念が絶えない。そんなことを考える時点で、自惚れが過ぎるのかもしれない。だが、事実、彼はこうしてきてくれた。
そう考えるうちに、自分の中で彼に対して、複雑で新たな感情が、自分でもわからないほど濃く靄に覆われた感情が生まれたと感じた。けれどそれは靄によって何なのかが分からない。
「起こすぞー」
その声で我に返る。背中の下に手が差し込まれ、持ち上げられる。視点が高くなり、中腰姿勢の颯真と顔の高さが同じになる。
「口開けろー」
言われるがまま指示に従う。口の中に甘く冷たい感覚が広がる。驚きに味わう間もなく飲み込む。
「ねぇ!これヨーグルト!薬は!?」
「一緒に口の中に入るんだから問題ねぇだろ」
「問題大有りだよ!!!」
思わず声を張り上げてしまった。
「それだけ叫べるんだ。回復したようだな。こっからは自分で食ってくれ」
顔を背けながらそう言う。本当は嫌だったのだろうか。
「分かった…ごめん……無理やり押し付けちゃって…」
「いや、稜が悪いって言いたいんじゃなくて…俺が耐えきれなかっただけで……」
「え?耐えきれなかっただけって何に?そんな嫌だった…?なら断ってくれればよかったのに」
最後の零すような呟きを拾い、申し訳ないという気持ちに加速がかかる。
「…もういいや。そんなか何が入ってると思う?」
「え?薬じゃないの?」
「薬は薬でも少し高い薬。結構レアな薬で、でも名前は有名」
「……惚れ薬とか?」
稜は、至極ふざけたつもりでそういった。だが、それはそう受け取られなかった。彼はそれを真面目な回答として受け取った。
「そう。一般に言う惚れ薬。よく分かったね」
その返しに稜は硬直する。嘘だろう、と、颯真の口から聞こえた言葉を否定しながら。
「…………」
かつてここまで稜が頭をフル回転させ、思考を巡らせたことがあっただろうか。否。それほど惚れ薬という単語に動揺しきってしまっていた。
「……嘘…でしょ…?」
それは颯真に向けて放たれた言葉ではなかった。が、意図を読み間違え、颯真が答える。
「嘘じゃない、正真正銘本当の惚れ薬だ。そこに嘘偽りはない」
いつになく真剣な眼差しで言った。
「という茶番は置いといて、」
急に戯けたように、眼の前にある箱を横にずらすように、虚空で手を動かす仕草をして、再び向き合う。
「稜、さっきまでの惚れ薬の件、ほんとは入ってないから。実際はちゃんとした薬入ってるから」
「なんだ、嘘か…びっくりした……」
事実に安堵する気持ちと、騙したことに対する怒りが複雑に入り交ざり、なんとも言えない感情が稜の中に渦巻く。
「こっからは真剣な話。いい?食べ終わってからって言うならそれまで待つけど」
「いや、大丈夫。食べながらでいいなら話聞くよ」
そう言いながらも手に持ったヨーグルトを机に置いて、姿勢を正して颯真の前に座り直す。
「その、体が女になったのは今より前から?それとも今日から?」
「え?いや、今日からだけど…なんで?」
「そうか、今日からか…いや考えれば当たり前か…違う、言いたいのはこれじゃなくて」
頭を横に振ってその話題を振り払うようにしてから覚悟を決めるように頬を両手で叩き、口を開く。
「稜にさ、男の体の時から好意があってさ…最初は気の所為だって思ってたけど、どんどん大きくなっていくから俺、同性愛なのかもしれない、って思ったんだよ」
「えっと……」
「でも、今日稜に会って伝えてから転校しようと思ったらさ、女になってるし…もしかして俺のこの気持ちってこれが原因であんなに悩んでたのかなってさ」
「ちょっと待って」
「今日女になってた稜に会ってつい話しちゃったけど、最初は言うつもりはなかったんだ。まぁここまで言ったから、もう言い切るぞ。稜、俺は稜のことが―――」
「待ってって!!!」
止まらない颯真へ静止の言葉を叫ぶ。
「好き」
それでも言い切った颯真をあっ、と言わんばかりの表情で睨み、そっぽを向く。耳は赤くなり、頬は紅潮していた。
「あぁもう!!!颯真ッ!!!」
その様子を見れば、激しく照れているとしか見るしかできない。
「女の姿になっていたからこうして言うことができたけど―――」
「……?」
言い終える前に稜が振り返り今度は激しく凄む。理解したように何度か頷き、軽蔑の目で睨む。
「あぁ、そういう……女の体になったから、女の稜に告白するんだ」
「なっ!?違う、そうじゃなくて!」
否定するも虚しく、稜は立ち上がり颯真に背を向ける。
「帰って。あんたみたいな外見で判断する奴嫌い」
「違っ」「帰って!」
被せて言い放つ。声色には、相応しくないほど大きすぎる怒りが、感じられた。
颯真は稜に手を伸ばすが払われ、虚しく空中に差し出した手だけが残された。やがてその手も、肩を基点にだらりとぶら下がる。
稜は駆け足で階段を上がり、勢いよく扉を閉める。その衝撃によって、一階の立てかけられた写真が落ちた。
それに目もくれず、颯真は荷物をまとめて足早に立ち去った。一枚の紙を机の上に置いて。
―――写真には二人でカメラに向かってピースをする颯真と一人の少女が写っていた―――
少しばかり長いですが、許してください




