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13 絶妙な焼き加減×卵焼き≠天は二物を与えず

 *



 さて、まずは状況を振り返ってみることにした。

 学校の行き帰り、これは辛うじて週四を約束させたものの冷静に考えればほぼ毎日と変わらない。

 それ以前に約束している放課後の約束、こちらが週三。詰まるところ、どちらかを理由に毎日顔を合わせることになるのは想像に難くない。

 それに加えて、朝の時点でさらりと昼食のスケジュールを押さえられている。

 詰まるところ、リバーシの四つ角を既に取られて『詰み』に入っているような心境だ。

 要するに、授業中以外に一人で過ごせる時間が途轍もなく限られているということ。

 そうか、これがヤンデレ(仮)の束縛愛というやつか……。遅ればせながら、そこに思い至った現国の授業中。

 ややご年配の、気を抜けばついつい眠気を誘われるテノールボイスを片耳で聞き取りつつ。

 もう一方で、考え事に耽る。

 やや離れた席同士。この距離感が現時点では最後の心の砦といっても過言でないことを、誰よりも自分自身が自覚している。

 だからこそ、授業は至福といってよい。

 次の中間テストは、おそらくこれまで以上に良い点数が取れる予感がする。雑念――『彼』に纏わる悲喜こもごもからの逃避手段として、勉学にこれまで以上に身が入るのも当然の帰結だ。

 父との絆が意図せずして深まった点に加えて、この部分だけは『彼』と付き合うことで得られた数少ないプラス面と言えよう。

 マイナス面? 数え始めたらキリがない為、端から数えようという気にすらならないな。

 友人としての付き合い以上に、いわゆる恋人の付き合いというのは……まぁ、あれだ。逃げ場がない感じがして精神疲労が半端ないのだ。

 身をもって知る。それが人生においてとても貴重だということは重々承知の上で、それでもと言いたくなる苦悩が其処には存在していた。


 ――とまぁ、そんなようなことをもっと柔らかく簡潔に纏めれば一言で済んでしまう。


「しんどい」

「……お疲れさま遊ちゃん。良かったらこれでも食べて。元気を出してね」

「ありがとう、日高さん」


 差し出された数種類の飴の中から、甘めのものを三つほど頂いて口の中で転がした。

 甘味は脳に癒しをくれる。至福だ。

 三時限目の体育の終わり、更衣室で心配そうに声を掛けてくれたのは日高さんだった。数少ない『彼』無しの時間帯はクラスメート達との接点の場でもある。


「おや、橙子ってば早速餌付けに勤しんでるの?」

「煩いわよ、真由子。限られた遊ちゃんとの一時を邪魔しないで頂戴」

「……おお怖っ! 心配しなくとも邪魔なんてしないよ。それにしても……成程ねぇ」


 つま先から頭の天辺まで、ざっと観察されている気配に飴玉を転がしながらも首を傾げた。

 すると表情を読み取ってか、苦笑混じりに真由子こと、羽田(はた)真由子(まゆこ)さんは補足してくれる。


「遊里ちゃんは、橙子みたいな奇麗系女子からすると理想の形でもあるんだよね。小柄で、どちらかと言えば色白。髪の色素もやや薄めでふわふわ。加えて一番が――抱きしめた時に丁度腕の中にフィットする点が橙子の好みど真ん中。天羽君といい、橙子といい、ちょっと癖のある面々に好まれる要素があるってことなのかな?」

「……まぁ、確かに最近はむやみやたらと抱き着かれているが」


 当人からすれば、面倒臭い以外の何物でもない。勿論、日高さんは別だ。彼女がノーマルで無いというならそれはそれで問題ではあるが、そんな心配は端からしていない。

 自分が頭を悩ませているのは、やたらと密着したがる害虫の方だ。


「少し猫毛なのかな? でも指通りは良いよね?」

「……多分、弟が毎朝丹念に梳かしてくれるからだ」

「まぁ! 遊ちゃんには姉想いな弟さんがいるのね。私は上に兄と姉が一人ずつだから、何だか微笑ましいわ」

「……まぁ、程々には。でも弟は今朝方、さっそく彼の配下に下ったよ……」

「「……そう……」」


 同情に満ちた眼差しに、予想の範囲内だからと笑って返す。

 最後に残しておいた飴玉を頬張りつつ、この後に待ち受けるお昼休みの苦行を思い出して「……あぁ、逃避したい」と心の中で呟いていた。

 途中、呪文かと自分で突っ込みたくなるほどに、ひたすらに。



 高校の中庭は、おそらく近隣の他校に比べてもこだわりを持って手入れされているのは一見しただけでも分かる。

 四季を通じて花が咲き乱れるように、工夫されているのだろう。今は割き初めのチューリップが束になって視界の端に揺れている。


「遊里? 何だか疲れてるね」

「誰のせいだと思ってるんだ」

「ふふ、不機嫌な顔も可愛いなぁ。はい、あげるよ。頑張った遊里にご褒美」


 ぽん、とお弁当箱に足された卵焼き。焦げ目一つない見事な焼き具合に、うむと頷く。

 何を隠そう、卵焼きは自分の好物である。あげると言われて断る道理はない。

 黙々と口に運び、甘みと塩気のバランスに悶絶する。美味い。今まで食べてきた卵焼きの中でもトップクラスの美味さだ。


「……天羽君のお母さまは料理上手だな」

「ん? 違うよ。あのひと、掃除以外の家事は基本出来ない人だから」

「……お惣菜?」

「遊里の中にはそのいずれかの選択肢しかないの? 言って無かった? こう見えても料理は結構得意なんだよ」


 高校生になり、まず間違いなく一番の驚きの事実を明かされて暫し呆けた。

 つまりあれだな、と徐々に理解が追い付いてくる。

 美形に加えて料理上手とか出来過ぎだ。天は二物を与えずというのは根本から間違った解釈であったらしい、と。


「……つまり、この卵焼きは」

「手作り。まぁ、そもそもお弁当以前に朝食と帰宅してからは母さんの分の夕飯も僕が作るんだけどね」


 事もなげに返して、レタスを食む横顔が無駄に美しい。


「天羽君、我が家に嫁入りしないか?」

「婿入りなら喜んでするけど?」


 それはコンマ一秒の切り返しだった。直前までレタスをもしゃもしゃしていたとは到底思えぬほどの反応速度に、二個目の卵焼きを頬張りながら思う。

 この流れもまた、計略の内かと。


「それは別枠だ。今は募集してない」

「今後も募集は必要ないよ。だってもう、枠は埋まっているからね。次のお昼は遊里が二番目に好きな味噌汁を持参するかなぁ……。確か香野家は白味噌と赤味噌の半々だったよね?」

「婿入りは冗談では済まなそうだから、そもそも打診しないぞ。あと我が家の味噌汁事情をどこから仕入れたのか、非常に気になるんだが」

「ふふ、教えてほしい?」

「代価無しならな」


 ぽんぽんと言い交わす二人の内、一方はこの時点で気付いている。

 蔓薔薇の茂みに二人、イチイの樹の影に三人、そしてレンガの花壇の陰に隠れるようにして身を潜ませる五人――全部合わせて十人ものクラスメートたちが密かに『彼ら』の様子を窺っていることを。

 知った上で『彼』は口元に笑みを隠さない。

 その寛容さは、ひとえに愛する少女を傍らに独占しているからこそ。そうでなければ、煩わしさから当に背を向けて中庭を後にしているところだ。


「……今はまだ、見逃してあげるよ」

「ん? いきなり何だ。脈絡がないぞ」

「遊里は気にしなくていいよ。別件だからね」

「……全くもって訳が分からないな」


 首を傾げ、それでも卵焼きを頬張ることを止めない彼女。

 その柔らかな髪を梳きながら、ふわりと笑う。大抵の女はこれで頬を染めるのにね。肝心の遊里は「その意味深な笑みが怖い」と零しつつ、軽く身震いすらしてみせる。

 これをどうしたら、自ら手放そうと思えるだろう。

 愛しくて、一緒にいて安らげる唯一。言葉を交わすだけで、目を合わせるだけでこの胸を満たす充足感。

 これが恋でないのなら、何をそう呼べるだろう。

 ――自覚したのは、もう随分と昔の話だ。


「雉も鳴かずば撃たれまい、かな」

「……天羽君? 今度はいったい、何の話を始めたんだ?」

「遊里は妙なところで抜けているから、最終的にはどう足掻こうとこの腕の中に納まる手筈になっているんだよ、と言いたいだけの話」

「……それは、出来ればあまり掘り下げたくない話だな」


 もぐもぐもぐと子リスのように食事の手を休めない遊里。その肩に額を預けながら、囁く。


「そう遠くない内に、遊里の全部を貰うからね」

「――本気、なんだな?」

「本気も本気」

「……そうか」


 不自然に途切れた言葉に、ふと顔を上げたところで小さな溜息に出会う。

 お弁当箱を包み終え、一息ついた横顔が一瞬だけ遠くを見つめる。瞬きを三度して、返された一言。


「結貴、貴方は本当に面倒臭い」


 その返答に、言われた当人としては苦笑を返す他ない。


「うん、とうに自覚してるよ」


 日差しの中で、互いに手向け合う想いに差異があることなど初めから分かっていた。

 それでも諦められないと自覚した以上、どうあっても手放すことなど出来る筈がない。躊躇いは捨て、ただ真っ直ぐに想いを手向け続ける。

 それ以外に、彼女を繋ぎ止める術を知らないからだ。


「例え、遊里が本気で泣いて嫌がっても……残念だけど、諦めてはあげられない」

「だろうなぁ……」


 ベンチから立ち上がり、揺れる花びらに視線を落としながら「それにしても凄い数のチューリップだ……」と呟く彼女。その視線を占有したくて、堪らない。

 その瞳に映される『特別』にずっとなりたくて仕方がないのだ。


「遊里は、僕のことが嫌い?」

「……残念ながらな」

「うん……まぁ、仕方もないか。それだけのことを、僕はしてきたつもりだから」

「――違う。貴方の傍にいるのを、嫌いと思えないから困っているんだ」


 それは強風が吹けば、かき消えてしまいそうなほどの答え。

 その瞬間、冗談でも何でもなく呼吸が止まった。

 自分の吐息さえ、邪魔だと思う。

 ただ一言も聞き漏らしたくないと思った。

 振り返って、ぽつりぽつりと言葉にして紡ぐ遊里の頬は薄らと紅いようにも見える。

 それが果たして、妄想の産物か。それとも――


「困った話、天羽君と話をするのは楽しいんだ。手を繋ぐのも無理やりじゃないなら、心地いい。キスは……ノーコメントだ。正直あれは、少し苦手だ。いや、少しどころでなく苦手な部類に入る。でもそれを差し引いても……こうして天羽君と再び話せるようになって、嬉しい。それは本心だ」

「……遊里」

「正直、恋人という関係性については一言も二言も言いたいところだが……傍にいるために必要と言われれば仕方もない。例え茨の道を歩くことになっても、友人を失うこととは比べようがないだろう」

「……遊里」

「……譫言(うわごと)か。言いたいことがあるなら今の内だぞ。ちなみに言葉は繰り返さないからな」

「今夜、夜這いするね」

「やめろ」


 その頬を両手で包み、横に引き延ばす。柔らかさと温かさ。

 夢でないことが分かっただけで、ただ笑み零れて仕方がない。


「冗談だよ」

「なら真顔で言うな」


 頬を寄せ合い、囁き合うその光景は傍から見れば『恋人同士のそれ』に見えることだろう。

 けれども、その実は微妙にズレている。

 その絶妙なズレによって関係性を保っている彼ら。それを互いに知ればこそ、ようやくここに至って『和解』に漕ぎ付けられたといっていい。


「そろそろ教室へ戻るぞ」

「……ん、了解。最近の遊里は教室が好きだよね」

「殊、校内に限っていえば唯一の安全地帯だからな」

「……なるほどね。うん。遊里が心穏やかに僕の傍にいられるように、これからは定期的に害虫駆除をしていくね」

「定期的に湧くと分かっているんだ。心がけるのはいいが、それこそエンドレスだろう?」

「大丈夫、根こそぎ折るから」

「そんな不安を覚える大丈夫があるか」


 絡める指に、振り払う様子はまるでない。

 それが嬉しくて自然と零れる微笑みに、ふと気づいた様子で見上げてくる遊里が微かに苦笑する。


「随分とまた締まりのない顔だ」

「君の所為だよ」


 言い合いながら教室へ戻っていく『彼ら』の背を、中庭のそこかしこから昼休み中見守っていたクラスメートたち――彼らは一様に息を吐き、感想を零した。


「「「「「甘い卵焼きが食べたい……」」」」」


 そして、ぐぅ、と全員の腹時計が一致した。


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