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兄と弟(1)※

 約束の時間より五分ほど早く店に着いた晃であったが、相手が既に来ていると教えられて少し驚いた。正直、遅れてくるだろうと思っていたからだ。

 何故そう思っていたのかというと、彼の知っている女性達に原因がある。彼女達の多くが、男を待たせるのは当たり前と考えているようで、約束した時間の十五分以内にくればマシ(・・)だったからだ。

 だから彼女――倉科翁の孫娘である松尾 莉奈も、そうなのだろうと思っていた。

 彼女も他の女達と一緒だろう――と、そう勝手に思いこみ、そう勝手に決めつけていたのだ。


 莉奈とは晃の父の知人である泉田氏の、一人娘の婚約パーティーで一度会っただけだ。その時彼女にもった印象はと言えば、“どこか挑戦的な感じ”であった。行く前から話を聞いていたので、晃はあの場で彼女に自分が紹介されるのを知っていたが、どうやら向こうはそうではなかったらしく……彼女が何も知らされずに、あの場に来たことは、自分達を見て僅かに目を瞠ったことで判断できた。そのうえ彼女は異母弟――侑と同じ高校で、自分と侑は関係があるのかと、何の躊躇いもなく訊いてきたのだ。


 まさかそんな事を訊いてくるとは思っていなかったので、おもわず「知らない」と言ってしまったが、彼女はそれを素直に受け取っていない感じがした。嘘だと、気がついているようだった。

 だからこそ晃は、彼女と話しをしたいと思ったのだ。上手く丸め込めば、家を出たまま帰ってこない侑を、彼女が説得して連れ戻してくれるかもしれないと、自分にとって都合の良い希望を微かにもって、晃は倉科翁に連絡をとった。お孫さんともう一度会って、話がしたいのですが――と。


 断わられるかもしれないと思っていた。だが、倉科翁から「時間と場所」を訊かれ、そこまで考えていなかった晃は焦った。ちょうど読んでいた雑誌の記事が目に留まり、咄嗟に載っていたイタリアンレストランの名前を告げた。予約はまだしていないので、日時は後ほど連絡致しますと付け加えて……。だが晃は、倉科翁から「莉奈はアルバイトをしている」と言われ、バイトのある日だとそれを理由に断わられる。こちらで休みの日を調べておくから、それを聞いてから予約をするように――と指示された。


 秘書の女性から連絡がきたのは、倉科翁と話した翌日の夕方だった。すぐに店に電話をしたが、人気店であるが故に、予約は無理かもしれないという思いはあった。けれど幸いな事に、彼女に教えてもらった日にちのうち、晃が電話する少し前に予約にキャンセルがでた。それが今日だった。


 フロア責任者である給仕長(カーポ・カメリエーレ)に案内された席は、パテーションで左右を仕切られており、手前に大きめの観葉植物が置かれている。これによって、他の客の目を気にする必要がないので、商談などで使われる事も少なくなかった。個室はないが、客席の一部をこうする事により、個室のような空間を生み出しているのだ。


「失礼致します。お連れ様がお見えになられました」


 彼のその声に、相手がイスから立ち上がる音がした。観葉植物のせいで姿が見えない。だが、一歩横に出てこちらを向いたその人が、待ち合わせた相手ではないことに晃は息を飲んだ。


「ゆ、う……」


 呟いた声は、僅かに震えていたような気がする。が、侑にはどうでもいい事だった。


「久しぶりですね、晃兄さん」


 あ、でも、そんなに久しぶりでもないか――と、侑は片方の口端を皮肉気にクイっと上げた。


「何でお前が……」


 探るように自分を見る晃に、侑は軽く肩を竦めると、立ち話もなんですから座りましょうと言って、さっさとイスに座ってしまった。ムッとしつつも、確かにその通りなので、晃は向かい側のイスに座った。すぐに男性給仕(カメリエーレ)がやってきて、テーブルの上に氷水の入ったデキャンタとグラスを置く。


 料理は予め注文してあったので、コース料理が前菜からデザートまで順番に運ばれてくる。だから今決めるのは飲み物だけで、晃はソムリエから渡されたメニューリストから白ワインをグラスで頼んだ。あまりアルコール類を飲む方ではない。グラスで一~二杯も飲めば充分だった。侑はまだ未成年なので、ソフトドリンクからウーロン茶を選んだ。


「侑、どうしてお前がここにいるんだ」


 低く、押し殺したような晃の声音に、侑は少しだけ首を傾けると、淡々とした声音で言葉を返した。


「その事でしたら、食事が終わってからにしましょう。折角の料理が不味くなる。そんなの兄さんだって嫌でしょう?」

「……」


 確かにそうだ。晃は黙って軽く頷くと、目の前で無表情で座っている侑を見た。こんな事になると知っていたら、コース料理なんか頼まなかったのに――と、内心で毒づきながら。




 男二人の食事は始終無言のまま終わり、テーブルの上の食器やカトラリーが下げられると、二人の前には上品な大きさのカップに入ったコーヒーが置かれた。もちろんそれを、二人はそのまま何もいれずに飲む。カチャリと小さな音をたて、侑はソーサーにカップを置くと、フッと息を吐いてイスの背もたれに背中を付けた。そして視線をカップから、顔を顰めて自分を見る兄へとゆるりと移す。


「まずは兄さんの疑問に答えますよ。どうして俺がここにいたのか……でしたよね? 答えは簡単ですよ。彼女が……莉奈が動けないからです」

「動けない?」

「ええ」


 そうなんです――と、意味ありげな笑みを口もとに浮かべ、侑は晃の反応を見る。だが、言葉の意味が理解できなかったようで、晃は左右に小さく首をかしげた。仕方がないなと、侑は彼女が何故動けないのかを教えた。


「兄さんと食事をするなんて言うから、頭にきて抱き潰してしまいました。多分、もう目を覚ましたかと思いますけど……帰ったらきっと怒られるなぁ俺。お土産買って帰らなくちゃ」


 ここのケーキがいいかな?――と、楽しげに笑う弟の姿に、晃はポカンと口を開ける。確か家を出て行く際、侑は自分が同性愛者(ゲイ)であると言い切ったのだ。それなのに、異性である彼女を抱き潰した――とは………。


「侑、お前……お前本当は……」


 その先の言葉を飲み込む晃に、侑はにっこり笑って「彼女は俺の特別(・・)なんですよ」と言った。他の女性はダメだけど、莉奈だけは大丈夫なのだ――と。


 どうして彼女だけ大丈夫なのか、侑自身まだその理由はわからない。でも、それでも良いと思っている。この先も、莉奈と一緒にいたいと思うし、それはきっと彼女も同じ気持ちだろうから。まだそこまで話した事はない。

 けれど、きっと……否、絶対にそうだと、言い切れる自信が侑にはあった。

 だが、そうなるためにはまず、目の前の問題を片付けなくてはならない。


「兄さん、貴方が俺に全てを押し付けようとしたのは、一緒になりたい相手がいるからではありませんか? その女性(ひと)が父さんの望むような相手じゃないから、俺に全てを押し付けて逃げようとした……。どこか違っていますか?」


 すっと目を細め、侑は晃をまっすぐに見る。嘘は要らない――と。晃は顔を歪め、弟の責めるような視線を受け止めた。

 暫しの間、睨み合いのようなものが続いた。こうなったら先に目を逸らした方が負けだ。が、先に折れたのは……晃だった。


「ああ、そうだ。そうだよ」


 観念したようにそう言うと、彼は大きく息を吐き出した。お前の言うとおりだよ――と。それを聞き、侑はようやく刺すような視線を和らげた。心持ち、両の口端が上がっているような気がするのは……晃の見間違いじゃないだろう。


 カップに残っていたコーヒーを飲むと、覚悟を決めたのか……晃は再び大きく、深く、息を吐いた。



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