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対峙(2)

ちょこっと暴力シーンがあります。

「やめて、やめなさい東吾。東吾っ!!」


 振り上げられた東吾の腕を掴んだが、簡単に振り解かれ、突き飛ばされてしまった。あまりの力強さに、あたしは目を瞠り東吾を見た。目が吊り上がり、頬が紅潮していて、東吾が興奮しているのが分かる。あたしの声も、届いてないみたいだ。


 こんな東吾を、あたしは今まで一度も見たことがない。

 こんな東吾をあたしは知らない。


 遠藤君は一方的に殴られている状況で、どうしてか抵抗らしい抵抗をしていなかった。何か考えがあってのことなのか、それとも本当に抵抗できないのか、いまのあたしにはどっちなのか分からない。

 ただ一つ分かっていることは、今あたしがするべき事は何かということだ。

 東吾を止める――それがあたしのすることで、だからもう一度、東吾の腕を掴んだけれど、それを東吾は構わずあたしごと腕を振り下ろした。

 引き摺られるように、あたしの体も前のめりになって床に突っ伏す。その横で、ガッ、ガッ、と鈍い音が何度もした。


 遠藤君は痛みを堪えているようで、綺麗な彼の顔は酷く歪んでいる。唇の端が切れていて、そこから血が滲んでいた。


「なんで? なんで殴られっぱなしなのよ? 少しは抵抗しなさいよ。ねぇ、遠藤君! 遠藤君!!」


 よろめきながら状態を起こし、ゆっくりと立ち上がると、あたしは東吾の腕に飛びついた。けれど易々と突き飛ばされてしまった。


「やめて……やめてよ東吾……もうやめて……やめてったら……やめてよ東吾っ!!」


 ぼろぼろと涙が零れ落ちる。どうする事もできなくて、それがとても悔しくて、優しい東吾が別人みたいになってしまって悲しくて、遠藤君に暴力を振るっている姿が怖くて、その原因を作ったのがあたしなのは間違いなくて、そんな自分自身があたしは許せなかった。


「ったく、いい加減にしろ、クソガキ共がっ!!」


 誰の声だと思うような低く、ドスの効いた声がリビングに響いた。あまりの迫力に、あたしの涙がピタリと止まる。


「莉奈が泣いているのが分からないのか? お前らバカだろう」


 それまで一言も口を挟まなかったかおるんは、そう言って二人の傍へとくると、東吾の襟元を掴んで引き剥がすように遠藤君から退かし、後ろへ放るように突き飛ばすと倒れたままの彼の腕を掴んで起き上がらせた。

 唇端から流れる血を、自分のハンカチで拭ってあげていて、そんな様子をあたしは黙って見ていた。体が動かず、立つことすらできないのだ。


「え、んどう君……」


 ようやく搾り出した声は、情けないほど震えていた。


「だ、大丈夫だよ松尾さん」


 かおるんの手を借りて立ち上がった遠藤君は、いまだ床に座っているあたしの前まで来ると、ゆっくりと片膝を付いて座った。


「大丈夫だから泣かないで。きみに泣かれると、俺は辛い」

「ごめ、ごめんね。弟がこんな」


 つっかえつっかえ話すあたしに、遠藤君は優しく微笑む。どうしてそんな風に笑えるのか不思議だ。

 多分、逆上した東吾が、理由も聞かず彼に殴りかかったのだろう。そして抵抗らしい抵抗もせず、遠藤君は東吾に殴られたのだろう。

 あたしの弟だから、だから遠藤君は殴り返さなかったのかもしれない。


 そっと頬に手が当てられ、あたしの顔を遠藤君が見つめる。あまりにも真剣なその表情に、ドキリと心臓が跳ねた。この時になってあたしは、ようやくその事に気がついた。

 ううん。違う。もっと前から、本当は分かっていた。でも、それを認めるのが怖くて、あたしはあたしのそれに気づかないふりをしてきた。あたしは、あたしの気持ちから、ずっと逃げていたのだ。


「泣かないで……」


 労わるような、慰めるような、そんな柔らかなキスが頬に落とされる。優しい力で引き寄せられて、あたしは遠藤君の腕の中にすっぽりと納まってしまった。


「ごめんね。今日は外で食べるって約束したのに……行けなくなっちゃったね」


 のんびりとしたその声音に、張りつめていたものがふにゃんと緩んでしまった。


「バカ、そんなのまた今度でいいのよ」

「うん。そうだね」


 背中に回された腕に、心なしか力が入ったような気がした。そっと彼の胸を押せば、ゆるりと腕が解かれる。あたしは顔を上げ遠藤君の顔を見た。


「イイオトコが台無しだね。冷やさないと、ものすごく腫れちゃいそうだよ」

「そぉ~よぉ~。んもう、早く冷やさないと、大変な事になっちゃうんだから。ほら、保冷剤当てておきなさい。ないならアタシんとこから持ってきてあげるわよ」

「あ、大丈夫だよかおるん。それくらいウチにもあるから」

「そう? ならいいけど」


 にっこりと笑ったかおるんだったけど、すぐにその笑みを消した。


「さーてと。そこのバカ弟、あんたはアタシと来なさい。少しオネーサンとお話しましょうね。アンタに、大切な話があるのよアタシ」


 ボキボキと指の関節を鳴らし、怯え嫌がる東吾を、かおるんは引き摺るようにして連れて出て行った。きっと東吾にお灸をすえてくれるのだろう。あたしは立ち上がるとキッチンへと行って、保冷剤を冷凍庫から取り出した。それをガーゼのハンカチで包む。


「ほら、ちゃんと冷やして」

「ん。ありがとう」


 受け取ったそれを、左頬(東吾は右利きだから、こちらばかり殴られた)に宛がう。あたしはそんな彼の手に、そろりと手を重ねた。


「松尾さん?」

「あのね」

「ん?」

「東吾とあたし……本当に姉弟(きょうだい)なの。腹違いってやつ。東吾はそれ知らなくて、だからあたしを姉じゃなくて、異性として見るようになっちゃって、恐くて、だからあたし家を出たんだ」

「……そう、だったんだ」

「うん」


 いつか真実を、東吾に話さなくてはいけない。けれどもしかしたら、それは今なのかもしれない。

 でも今の東吾には、何を言っても通じないだろう。だからもう少しだけ時間を置いて、あたしの口から直接東吾に話してあげよう。あたし達は、本当の姉弟(きょうだい)なんだよ――って。


「ねぇ」

「なあに?」

「あたしね、遠藤君が好きだよ」

「へ?」


 突然の告白に驚いたのか、目を大きく瞠ってあたしを見る彼に、あたしは無言で顔を近づけると静かに重ねるだけのキスをした。唇が切れていたから、錆びた鉄のような味がしたけど、それは不快ではなかった。顔を離すと、遠藤君は目をまんまるくしてあたしを見たままで、だからもう一度自分から唇を重ねた。


「松尾さん……」


 ぽとり――と、保冷剤が床に落ちる。それを拾おうと手を伸ばしたあたしは、結局拾うことができなかった。何故なら、ぐるりと視界が反転したからだ。

 今、遠藤君の顔の向こうに白い天井が見える。押し倒されたことに気がついたのは、彼の嬉しそうな顔が下りてきて、あたしの頬をつるりと撫でた時だ。その後、啄ばむようなキスが何度も何度も降ってきた。


「好きだよ……莉奈。きみが好きだ」


 耳元で喘ぐような声音でそう囁かれ、あたしの中の何かが歓喜する。


「ね、いい?」


 何がいいのか……あたしを見る彼の熱っぽい目で、それが何であるのかは、言われなくとも理解することができた。だけど声にだして「いいよ」って言うのが恥ずかしくて……あたしは返事の代わりに、彼の首に両腕を回して抱き寄せた。







 何度目かの波をやり過ごし、震える声で彼の名前を呼ぶ。


 目尻に溜まった涙を唇と舌で拭い、優しい笑みを浮かべながら、我慢しないでと意地悪なことを言われた。


 ゆりかごの中の赤ちゃんみたいに、あたしは侑の腕の中で優しく揺られ、緩やかだけれど大きな波に飲み込まれていった。


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