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やっぱり、三人で暮らしてて良かった。そう、思う……
三人で軽く食事をして帰ったら、ファックスから間取り図が何枚も出ている。宮部さんが留守電に送ってくれたらしい。自分たちが見ておく、疲れただろうからチカは早く寝ろと、部屋に押し込まれた。確かに、色んなことがあって、少し疲れた。
前に、カオルやユキに言ったけど、自分の父親だって人に対して、恨みがましい気持ちは持っていない。何しろ、知らないに等しいんだから。俺がひねくれなかったのは、母親が俺をめちゃくちゃ大切にしてくれてるのがわかってたからだ。母親と二人で、贅沢はできないにしても、不幸だと思ったことはなかった。ただ本当に、今はみんなそうだけど、就職口がなくって……、母親にこれ以上負担をかけたくなかったから、宮部さんのことを思い出したんだ。実際に知り合いだなんてことも知らなかったし、母親も何も言わなかった。頼ったことさえ、後で怒られた。宮部さんが挨拶に来て、頼んでくれたから何とかその場はおさまったけど、その他の話はほとんどしなかったから、単に、あのジイさんの秘書だった人だとだけ、ずっと思っていた。
ベッドに入って、目を閉じたら、宮部さんや白石さん……、黒川さんっていった方がいいのかな……の話を思い出す。たった一度、保育園のときに会ったきりの、あのおじいさん……、どんな風に話しかけてきたんだっけ。そうだ、笑ってはいなかったけど、怖くはなかった。喜んでくれてたのなら、もっと話をしてやればよかった。小さな子供のときから、お年寄りとは仲良く話ができたのに。あの人とは、もう、会えないのに……。
そう思ったら悲しくなって、何だかわかんないけど、叫んでしまった……と思ったら、目が覚めた。……夢か。起きた勢いで、そのまま部屋を出る。もうリビングは真っ暗で、二人も眠った後のようだ。何を感傷的になってるんだろう。バカらしい。やっと我に返って、ドア脇にへたり込む。
「チカ……、チカ?」
向こうのドアが開いて、誰か出てきたと思ったら、いきなり抱きしめられた。力強い腕に、裸の厚い胸板。カオルだろう。今、自分を取り戻したばっかりなのに、俺はそこにすがりついてしまう。
「うなされてたのか? 叫び声がしたから、」
「……うん。あのジイさんに会ったときのことを思い出して……、俺と話をして喜んでたって、宮部さんに聞いたからさ……もっと、たくさん話をしてやればよかった。何でできなかったんだろう、って。たった一度しか、会えなかったのにさ。俺って、あんなガキのころから、グズだったのかな」
「黙れバカ野郎。詰まんねえこと言うな。保育園のガキが、そんなに世間ずれした知恵が回るものか。相手は喜んでたんだろ? チカはいい対応したんだよ」
「そう……かな……」
呟いたら、うっかり涙が出た。いい年した男が何だよ、って思うんだけど、仕方ない。胸にくっついてるんだから、カオルもすぐに気づいたんだろう。前みたいに、指先で拭ってくれる。
「悪い」
謝るなら、こっちだろうに。なぜかカオルが謝ってきた、と思ったら……、いきなり、キスされた。驚いたが、逃げるに逃げられないし、実際どうでもよくて、大人しくしてた。
「本当に、最低だよ。気弱になってる時に……。今ならチカは、逆らわないって分かってるのに」
ユキの声に、カオルが焦って、また謝る。
「うん、悪かった。でも、チカが泣きごと言うのは耐えられなくて。黙らせようと思って……」
「ぼくでさえ、今の場合は、髪を撫でる程度で堪えるけどな」
ユキに苛められて閉口してるカオルが面白くて、俺はやっと笑えた。
「俺のことで、喧嘩すんなよ。あと……、邪魔して、悪かった」
「……何の?」
そのころにはもう、目も暗闇に慣れていたし、開いたドアの奥の、カーテンの僅かな隙間から、星明りが漏れているくらいは感じ取れていた。開いているドアは、一つだけだったし、二人が同じ部屋から出てきたのは、俺にだって分かる。それに、上半身だけ……みたいだけど、裸のカオルも、普段は見慣れない。
「大丈夫、もう眠れると思う。えっと……、つ、続きをどうぞ」
「ふ、ふざけんな」
俺もそうだが、カオルもつっかえる。
「似合ってないよ、チカ。それにもし、続きというのなら……、チカも参加しなきゃ。ねえ?」
「え、遠慮する……」
「ふふっ。初心なチカの方が可愛い。もううなされないように、僕のベッドで一緒に眠ろう」
「えーっ! ユキは昨日、チカと一緒に寝たじゃないか。今夜はおれだ」
「カオルは抑制が効かないじゃない。危なくって」
危ないとか言ったら、ユキの方がずっと危ない。俺はそうっとカオルの腕から逃げ出し、立ち上がった。
「ちゃんと一人で寝れるよ、おやすみ。ありがとうな。二人と一緒にいられて、ほんと、感謝してる」
「起きてて寝言ほざいてんじゃねえよ。水くせえな」
カオルには怒られ、ユキには突っこまれる。
「じゃあ、おやすみのキスとありがとうのキスをしてよ。もちろん、僕たちからもお返しはするから。その後で、よく眠れるように、少し身体を解してあげるからね?」
「……そんなことされたら俺、もう人の側に帰ってこれなくなる気がする」
「なあユキ、早く引っ越しして、チカと一緒に寝られるようにしようぜ」
「今なら、僕とカオルが一日おきに、チカを抱いて眠ればいいけど……、どうせなら、三人で眠れるくらいの部屋が欲しいよね」
「選択肢は、他にないのか……?」
とにかく。一人で寝ると言い張った俺を、ユキとカオルは仕方なさそうに見送る。毎晩こんな風に迫られたら、そのうち根負けしそうで恐ろしい。
翌日は叩き起こされて、三人で朝食をとる羽目になった。朝食っていうか、ユキが買い置きしてるゼリー状のドリンクだ。まあ、こういうのなら喉も通る。
で……、ドアのとこで色々ドタバタして……、会社に行った。昨日心配してくれてた、って話だったけど、おっさんたちの態度に変わりはない。ひとの顔を見たとたんに、昨日いなかったから頼めなかった、とか言って、コピーとか買いものとか言いつける。まあ、それで時間が過ぎればどうでもいいんで、俺は言われたことだけやって、昼には買ってきた弁当をパートのオバちゃんと一緒に食って、午後もまた、似たような作業をしてた。
「頑張ってるかね」
頭の上から声をかけられ、見たら、白石社長だった。オバちゃんはまた飛び上がって挨拶をして、多分、お茶を淹れに行ってしまった。
「これを」
間取り図面みたいなのを何枚も寄越す。
「そこにあるものに、紛らせて置けばいい。どこでも、好きなところにしなさい」
早口で言ってきたけど、俺が机の上に散らかしてたのも、宮部さんがくれた引っ越し先候補の図面だ。こういう会社だから目立たないってば目立たないが、それにまた追加されたって訳。何かもう見るからに、広くて高そうな部屋ばかりだ。
「同期の者より、お母さんを呼んで一緒に暮らしたらどうかね。もちろん、費用などは、」
優しい言い方だったが、俺は顔を上げて首を振った。
「俺には、身の丈に合った暮らしがいいんです。母親も、今、何が嬉しいって、俺に仕送りしなくてよくなったってことが一番だって言ってました。会社の寮に入れてもらっただけで、十分です」
別に、引っ越しもしなくていいくらい。下手に越したら、あの二人の間で寝なくちゃならないかもしれない。それが危険なことだっていう事実は、この人や宮部さんには言えないけど。
「そう、か」
ちょうど戻ってきたオバちゃんのお盆からお茶を自分で取って、白石社長はごくっと一口飲んだ。
「ご馳走様。手を止めさせて、済まなかったね。では、」
「白石君じゃないか」
窓際のおっさんたちが、今頃気付く。案外、座ったまま昼寝してたのかもしれない。
「ちょうどいい。君も参加したまえ」
「何事ですか」
もうすぐ、三時だった。おっさんたちは無理やり社長もあみだくじに参加させ、俺は今までより一つ多く、自販機の紙パック飲料を買いに行かされた……。
(了)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。ギャグ的なBL関係と人情話を無理にくっつけております。くすっと笑っていただけましたら幸いです。