第49話 海水浴
翌日は皆で海水浴に行こうと決めていた。特にエルラが前日から楽しみだとはしゃいでいたのを皆が微笑ましく見守っていた。
「下に水着を着れば、着替えが楽で良いわね」
エルラの発案でドレスの下に水着を着ることになった。恐らく断りそうだが一応彼も誘っておく。
「ネフィシーさまも海に行きますか?」
「良い。遠慮しておく」
彼は驚くほど一瞬の迷いもなく答えた。そのまま立ち上がり、魔導書を手に取る。
「魔導書を読み漁りたい。ここにしかない貴重なものが多いんだ」
ヴィティの私物だろうものをまるで自分の物のように扱っている。ここにしかないのなら仕方ない。それは塔でもできるよね? という反論ができない。
「まあ。そうおっしゃるのなら。エルラさまのご厚意であなたの水着もございますが」
そう言ってネフィシーに差し出す。一瞬目を丸くした後「後で代金を返却しよう」と言って、視線は魔導書へと移る。
アリエッタの誘いならいつも臆病ながらに肯定するのに。まだ水着はハードルが高いか。踵を返そうとしたが。
「ちょっと。ネフィシーが行かないなんてありえないわ」
エルラが慌ててこちらへ近づく。
「彼はどうやら海より魔導書だそうです。魔術が好きな気持ちは大事にしなくては」
本当はアリエッタも魔導書を読む側に回りたいのは秘密だ。だが、こういう何気ない知り合いとの付き合いは大事だと知っている。
「そんなのは砂浜で読めばいいじゃない。一緒に来……。いえ。あなたが居た方が我々の楽しさは倍増するわ」
「俺ひとりでそんなに場が盛り上がるとは思えないな」
虚しい否定によって掻き消される。ネフィシーが視線を落とそうとした瞬間、横から手が伸びてきて魔導書が取り上げられる。
「駄目だよ。ネフィシーくん。君はアリエッタにせっかくできた友達なんでしょ? 友達との付き合いは大切にしなきゃ」
アリエッタの父ヴィティまでこちらの見方につく。だが父の言い方にはかなり齟齬がある。
「お父さま。私はネフィシーさまとは友達ではございませんよ。ただの知り合いです。それはエルラさまもアメリアも同様です」
ここだけは否定しておかなければならない。遠くでアメリアは「ええ、友達じゃないの?」とひとりごとを呟いている。一方通行の感情ようで申し訳ない。
「そうかい? 知り合いだとしても付き合いは大事だ。君はアリエッタによくしてもらっているんだろう?」
「ま、まあ。世話になっている」
世話になった覚えはないが。ここ最近で一番会っている相手とは言っておこう。
「ひとりでいるより、皆と一緒にいる方が楽しいんだよ」
「それはそう思う」
意外なことに口から出たのは肯定の言葉だ。彼は引きこもりなくせに人との繋がりは求めている稀有なタイプなのだ。
「だから行っておいで」
「……」
ネフィシーは黙ったまま頷いた。エルラは親指を立て、アメリアはぴょんぴょん跳ねる。アリエッタはほんの少しだけ口角が上がった気がして、慌てて掻き消す。こんなところネフィシーに見られる訳にはいかない。
そうしてアリエッタたち四人は砂浜へ向かった。この街で一番広い海辺へと向かう。さらさらした綺麗な砂だった。
「近くで見ると、海の色って綺麗ね」
「本当だね。早く入りたい」
エルラとアメリアはようやく目にした海をみて、瞳を輝かせる。アクアマリンを思わせる綺麗な海面がゆっくりと波打っている。光の加減によって青にも緑にも見える景色は目を奪われる物だった。
「俺はパラソルを立てておくから、皆は先に入ってきて良い」
「ええ。では遠慮なく」
「よろしく」
エルラとアメリアは素直に海の方へ駆けて行った。途中で躓いたのかアメリアが盛大に転げた。砂浜は走ると危険なのだ。
エルラの差し出した手によって立ち上がった後は大人しく歩いていた。
「アリエッタは行かないのか?」
アリエッタは無言でネフィシーの方についていた。パラソルを立てるのを手伝うことにする。
「ええ。だって私まで行ったら絶対ネフィシーさまはずっと砂浜にいるでしょう?」
「……」
無言だった。図星なのだろう。アリエッタは水着に着替えたが、ネフィシーはまだいつものローブを羽織ったままなのだ。一向に脱ぐ気配が感じられない。外す気はないだろうが黒い手袋もはめたままだし。
「あまり水は得意ではない」
「水が、ではなく水着がでしょう。露出が少ないものを選びましたのに」
「そういう問題ではない」
ふと海辺の方に目をやればふたりの悲鳴がこちらまで聞こえてくる。
「ちょっとアメリア。水飛沫も大概にしなさいよ!」
「先に吹きかけたのはそっちでしょ。あたしのはお返し」
文句の言い合いにしか聞こえないが楽しそうだ。口では怒っているようだが、表情はにこやかなのだろう。
「まああなたがそれで満足するならそれで良いんじゃないですか。私はあちらへ向かいますので」
水辺の方を指さして足を動かす。だが数歩、歩けば隣に足跡が増えた。ネフィシーは黙って隣を歩き出す。
「そうやって私が行くから行くみたいにやって。良いですか。私はネフィシーさまのきっかけにはなっていない。履き違えないでください」
「アリエッタと一緒なら。海にも入れそうだ」
アリエッタの歩幅に合わせて隣を維持しつつ歩いている。ぶかぶかのローブ羽織ったまま、黒い手袋もはめたままだ。外す気配は感じられない。
「ローブ、脱がないのですか」
「まだ隠していたい」
無意識なのだろうか、手の甲をさすっている。今のネフィシーは顔と首元以外、すべて布で隠れている。真夏の暑い日には、似合わない服装だ。暑くないのだろうか。
「ふたりともー! 待っていたわ!」
水に浸かったエルラが手を大きく振ってきた。とても令嬢がやる仕草には見えない。アリエッタは小さく手を振りかえしておく。
水が近くなったところでアリエッタはサンダルを脱ぐ。砂のさらさらした感触が足に伝わってくる。
「あ、あつっ」
太陽の光を直接浴びているせいか熱砂となっていた。
「早くおいでよ。水は冷たくて気持ちが良いわ」
手招きに乗じて海の中へ入ろうとするが、相変わらずというかネフィシーは固まっていた。
「入らないのですか?」
「あ、ああ」
ネフィシーは革製のブーツに手をかける。季節外れ感がすごい。ブーツの下には靴下まで履いていた。
ここは海だ、水なのに。どれだけ完全防備なのだ。
彼はローブの裾を持ち上げて、足先だけを濡らす。日に焼けていない白雪のような肌が照らされていた。
「ネフィシーさま」
「な、なんだ……って。おい」
ローブ姿だろうとお構いなしだ。アリエッタはちょっとした悪戯として水飛沫を吹きかけた。彼のローブは濡れてしまう。
「あら。良いの? ならわたしもかけちゃうわ。それ!」
「水濡らしの占星術師も誕生〜!」
エルラもアメリアも便乗してきた。おかげでずぶ濡れになってしまう。袖から水が滴り落ちる。ネフィシーは時折文句を言っている。だが、彼の顔はほんの少しの笑みを浮かべていた。




