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「愛することはない」婚約者は、妹に譲ります  作者: 星舟能空


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30/30

第30話 今日、何が食べたい?

 一年後の誕生日、私は朝寝坊をした。


 窓を開けると、青薔薇館の庭は薄い春霧に包まれていた。庭師が育てた青い花が小径の両側に咲き、露を載せている。


 時計は八時を回っていた。


 昔なら、心臓が止まりそうになっただろう。妹の髪を結い、朝食の席を整え、父の手紙を確認する時間を過ぎている。寝坊した姉に、誕生日を祝われる資格などないと言われる前に、階段を駆け下りたはずだ。


 今は、隣の枕が空いていることだけが気になった。


 寝台から下りようとすると、扉が開いた。


「起きたのか」


 アレクシスが盆を持って入ってくる。公爵が朝食を運ぶ必要はないのに、年に何度か本人がやりたがる。


 盆の上には、苦い紅茶と焼きたてのパン、辛い香辛料を混ぜた卵料理があった。


「お誕生日おめでとう、エレノア」


「ありがとうございます。先に起こしてくださってもよかったのに」


「誕生日の予定表に、朝寝坊と書いてあった」


 寝台脇の卓上に、私の字で作った予定表がある。


 朝寝坊。


 寝室で朝食。


 昼前に庭を歩く。


 午後はカミーユと菓子を作る。失敗しても料理人へ任せない。


 夕食は好きな人だけ。


 どれも私が決めた。


「公爵様が寝台へ食べ物を運ぶなんて、使用人が困りませんか」


「料理長は、卵へ香辛料を入れすぎるなと困っていた」


 一口食べると、舌がしびれた。


「入れすぎです」


「やはり?」


「でも、好きです」


 アレクシスは自分でも味見をし、ひどく渋い顔をした。


 私は笑った。


 以前、市で辛い焼き菓子を食べた時も、彼は同じ顔をした。それから何度食べても好きにはならないのに、私が選ぶと一口だけ付き合う。


「無理をなさらなくても」


「君が好きなものを、少し知りたい」


「全部同じに好きになる必要はありません」


「それは助かる」


 二人でパンをちぎった。


 食事の途中、私は一切れを無意識に布へ包みかけた。手を止める。


 食べ物がなくならないと知って一年になる。それでも疲れた朝には、古い癖が戻る。


 アレクシスは包みかけたパンを見たが、取り上げなかった。


「保存箱へ入れる?」


「いいえ。今、食べます」


「分かった」


 治ったふりをしなくてよいことも、この家で覚えた。


 昼前、庭へ下りると、カミーユがすでに来ていた。青い外套の下から、包みをいくつも抱えている。


「贈り物は一つだけと、お願いしたはずですが」


「一つよ。箱が分かれているだけ」


「去年も同じことを言いました」


「去年は箱が五つ。今年は三つ。私も成長したでしょう」


 彼女の言葉が少し詰まり、私たちは待った。カミーユは急がず最後まで言い、得意そうに笑った。


 箱の中身は、高価な宝石ではなかった。青い刺繍糸、苦い茶葉、三人で読んで笑った冒険小説の続編。


「全部、私の好きなものです」


「当然でしょう。あなたの誕生日だもの」


 当然。


 その言葉は昔、私から何かを取る時に使われた。


 今は、私へ返す時に使われている。


 午後の菓子作りでは、砂糖を焦がした。カミーユが笑い、私も笑い、料理人は本当に手を出さずに待ってくれた。二度目は青い花の形が少しいびつになったが、食べられるものができた。


 夕食の客は、カミーユと母方の法律家、青薔薇館で私を迎えてくれた使用人たちだけだった。


 長い食卓の上座は使わなかった。アレクシスと並び、皆の顔が見える場所へ座る。


 料理の最後に、青い砂糖花を載せた小さなケーキが運ばれた。


 中央には二十四本の蝋燭が立っていた。


 去年は、フローラが私の蝋燭を吹き消した。私はその横で拍手し、自分の願いを考える間もなかった。


 「願い事をして」


 カミーユに促され、私は目を閉じた。


 皆が幸せになりますように、と願いかける。それは美しいけれど、その中へ自分を入れ忘れる願いだった。


 私は、来年もこの人たちと食卓を囲みたい、と願った。自分も同じ卓にいる未来を選び、二十四本を自分の息で吹き消した。


 拍手の中で目を開ける。誰も、別の人へ願いを譲れとは言わなかった。


 ナイフを渡され、私は一瞬、手を止めた。


 ベルフォール家では、誕生日の者が最初の一切れを「最も大切な人」へ渡す習慣があった。私の誕生日には、父がフローラを指名した。妹は小さいから、姉からの愛を目に見える形で示してやりなさい、と。


 私はいつも、一番大きくて花の多い部分を妹の皿へ置いた。


 「どうした?」


 アレクシスが尋ねる。


 「最初の一切れを、誰へ渡そうかと思って」


 「君のケーキだ。君が最初に食べてもいい」


 カミーユが当然のように言った。


 私は中央の青い花が載った部分を、自分の皿へ取った。


 誰も驚かなかった。欲張りだとも、姉らしくないとも言わなかった。


 次の一切れをアレクシスへ渡す。


 「辛くないだろうな」


 「砂糖菓子ですから」


 「君が選んだ菓子には警戒している」


 カミーユが笑い、私も笑った。


 自分の分を先に取ってから誰かへ分けることは、何もかも差し出すこととは違う。私の皿が空にならないと知っているから、渡すことも嬉しかった。


 今日は金庫を自分で開け、青石の首飾りを取り出して首へかけた。


 婚約解消の翌日、法律家から渡されて以来、青薔薇館の金庫へしまっていた。審理の日にも証拠として持ち出さず、着けるまで一年かかった。母の記憶と、妹に奪われかけた記憶が一緒に胸へ載るのが怖かったから。


 だから今、母の青を自分の胸へ載せている。


「似合っている」


 アレクシスが言う。


「母にも、そう言ってほしかったです」


「きっと言う」


「分かりません。でも、私は好きです」


 それで十分だった。


 夕食の終わり、アレクシスが小さな包みを渡した。


 中には、銀の鍵が二本入っている。


「青薔薇館の新しい書庫と、私の西部の家の鍵だ。どちらも君の名前で登録した」


「二本も?」


「一つに決める必要はない。君がここを家にしたい日も、西部へ行きたい日もあるだろう」


 家を選ぶことと、夫を選ぶことが、どちらかを失う契約になっていない。


 私は鍵を握った。


「私からも、お願いがあります」


「聞こう」


「毎年、誕生日に何が欲しいか聞いてください。答えが去年と同じでも、聞いてほしいのです」


「誕生日だけでいいのか」


「では、時々」


「毎日は?」


「多すぎます」


 笑い声が食卓に広がった。


 夜、客を見送ったあと、二人で庭を歩いた。青い花は月明かりの下では銀色に見える。


「子どものことを、急いで決めなくてもいい」


 アレクシスが言った。


 親族から、後継者を望む声がないわけではない。けれど彼は、その声を私の義務に変えなかった。


「欲しいかどうか、今はまだ分かりません」


「分かった時に話そう。欲しくないと分かっても、同じように話そう」


「はい」


 未来まで、先に譲らなくてよい。


 館へ戻る前、彼が尋ねた。


「明日は、何が食べたい?」


 迷わなかった。


「今日より少しだけ辛くない煮込みを。それから、青い花の砂糖菓子を残しておいてください」


「一緒に食べる?」


「ええ。あなたと食べたいです」


 愛されたから、私に価値が生まれたのではない。


 役に立たなくても、何かを差し出さなくても、私はここにいてよかった。欲しいと口にしてよかった。愛する人と、明日を選んでよかった。


 この人と幸せになる人生だけは、もう誰にも譲らない。


お読みいただきありがとうございます。

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