虐殺 第一話 +横内旧城絵図
三月三日の昼に入り、浄満寺への絶え間ない弓矢による攻撃は一段落を見た。寺を囲む壁の後ろで備える者はおらず、皆々仏殿や庫裏の中へ身を潜めているようだ。昨晩、隣の明行寺を攻めた勢いはどこへやら。きっと体を震え上がらせ、怯えているに違いない……。
そう思い、大浦軍は再び寺に使いを送った。すると怯えるどころか、誰もが恨みをもって使者を睨みつける。境内には無数に散らばる折れた矢と……建物の方に前のめりに果てている死人の群れ。反撃できぬほどの間隙を与えず、大浦軍は絶え間なく矢を浴びせた。使者からすれば “お主らが降伏せぬからだろう” とも思えるが、籠る側からすればそうはいかぬ。心を汲むことをせずに、さも一方的に攻め立てる……許すはずがない。
そして籠る者らが使者に伝えたのは、 “大浦には与しない” との答えだった。おそらく奥瀬残党と町衆併せ七百名ほどいた人は今や五百人ほどになっているものの、それでも強固にも……じょっぱりの性を出し、降伏することは無いと意地を見せつけたのだ。我らが領主は奥瀬善九郎のみ。卑怯な手を使う大浦為信に従う気はないと。
“……もうよい”
油川城の本陣より浄満寺の門前に姿を表したのは為信本人。その髭面を見れば、誰もが彼だとわかる。脇から事態を見守る町衆も含め……固唾をのんで見守る。
「兼平。南部が津軽に対し直接攻撃をかけてくるというのは真か。」
兼平は……少し戸惑いつつも、主君に答える。
「はい。横内に潜めている者から伝わるところには、すでに南部氏は津軽への侵攻を決断。その機会に合わせ、蓬田の相馬や高田と横内も合力し、油川と中心とする外ヶ浜一帯の鎮圧を目指すとの報あり。」
「大将は誰か。」
「浪岡三奉行の一人でした東重康の父、東政勝になるものかと。田舎館千徳氏とも血縁がある人物でございます。」
ならばここで手をこまねいてはいられぬ。ここで始末してしまわねば、もっとややこしい事態を迎える。油川には申し訳ないが……大浦軍の大将として、私は決断を下す。
「ただ今より、浄満寺を攻め落とす。皆々抜かりなきよう、申し付ける。」
為信は淡々と申し渡した。このような鬼の決断を、感情を無きにして非情さを見せつける。奥瀬残党だけでなく、町衆も籠るこの寺に、容赦なく ”死” を与える。もちろん周りで見守る籠らぬ町衆にも、親類縁者はおろう。だがこのように導いたのは他ならぬお主らだ。お主らの行動によって、今の事態がある。……今後一切逆らう気が失せるぐらいに、彼らの目に焼き付けさせるのだ。
横内旧城絵図
https://18782.mitemin.net/i410966/
2018/02/15 挿絵に関して
出典元:特集 津軽古城址
http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/castle.html
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