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津軽藩起始 油川編 (1581-1585)  作者: かんから
第八章 奥瀬善九郎、田名部へ去る 天正十三年(1585)三月二日未明
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油川入城 第三話

 大浦為信が浪岡と油川を手中に収めたことにより、六羽川(ろくわがわ)合戦以降の混乱後に敷かれた天正七年体制は崩壊を迎えた。これまで浪岡には新たなる御所号として浪岡北畠氏遠縁の山崎(やまざき)政顕(まさあき)を据え、実際の統治を行う代官としての白取(しらとり)伊右衛門(いえもん)。下には三奉行として久慈信勝、浅瀬石の千徳政氏、三戸より派遣された(ひがし)重康(しげやす)が支えるという体制が六年続いた。しかし再び為信が決起したことにより山崎氏は再び農民に戻り、白取氏は為信の家臣に成り下がった。久慈信勝は周知のとおり。浅瀬石(あさせいし)千徳は為信正室のお家柄なので以前のように戻り、残るは東氏……。


 事前の調略にて東重康は浪岡より油川へ移っており、奥瀬と大浦との婚儀の支度を手伝っていた。ただし油川城主である奥瀬善九郎は城より逃亡し、重康のみ取り残される形となってしまった。こうなると彼は孤独無縁なので急ぎ油川より退散し、堤氏の治める横内城へ入る。蓬田(よもぎだ)城や高田城、(つつみ)館らの南部側勢力に急ぎ書状を送り、三戸(さんのへ)には津軽への直接的侵攻を要請。さらには派閥こそ違えど、奥瀬と個人的に仲が良い平内の七戸(しちのへ)隼人(はやと)にも救援を求めた。果ては油川にくすぶる不満を抱く将兵らにも……手を伸ばす。

 

 まったくもって、油川に入った大浦軍は安心できぬ。そのことは為信も重々承知していた。まず手を打つべきは妙誓(みょうせい)尼の扱いである。彼女は奥瀬善九郎の妹であり、これまで民に対して行ってきた実績は計り知れず。彼女の一声で油川の町衆が蜂起しかねない。


 本来であれば抗えぬと諦めさせるために、一定の軍事行動を見せておくつもりだった。だが何らかの経緯により、油川は浪岡同様に開城へ至ってしまった。戦わずして落ちるのは素晴らしいことなのだろうが、町衆への威圧にはならぬ。……このことには明行寺(みょうこうじ)全体で関わっていた疑いがあるし、となると老僧の頼英(らいえい)も油断できぬ。もう一つの寺である浄満寺(じょうまんじ)は奥瀬の菩提であるので、今回の事によろしく思っているはずがない。


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