油川入城 第三話
大浦為信が浪岡と油川を手中に収めたことにより、六羽川合戦以降の混乱後に敷かれた天正七年体制は崩壊を迎えた。これまで浪岡には新たなる御所号として浪岡北畠氏遠縁の山崎政顕を据え、実際の統治を行う代官としての白取伊右衛門。下には三奉行として久慈信勝、浅瀬石の千徳政氏、三戸より派遣された東重康が支えるという体制が六年続いた。しかし再び為信が決起したことにより山崎氏は再び農民に戻り、白取氏は為信の家臣に成り下がった。久慈信勝は周知のとおり。浅瀬石千徳は為信正室のお家柄なので以前のように戻り、残るは東氏……。
事前の調略にて東重康は浪岡より油川へ移っており、奥瀬と大浦との婚儀の支度を手伝っていた。ただし油川城主である奥瀬善九郎は城より逃亡し、重康のみ取り残される形となってしまった。こうなると彼は孤独無縁なので急ぎ油川より退散し、堤氏の治める横内城へ入る。蓬田城や高田城、堤館らの南部側勢力に急ぎ書状を送り、三戸には津軽への直接的侵攻を要請。さらには派閥こそ違えど、奥瀬と個人的に仲が良い平内の七戸隼人にも救援を求めた。果ては油川にくすぶる不満を抱く将兵らにも……手を伸ばす。
まったくもって、油川に入った大浦軍は安心できぬ。そのことは為信も重々承知していた。まず手を打つべきは妙誓尼の扱いである。彼女は奥瀬善九郎の妹であり、これまで民に対して行ってきた実績は計り知れず。彼女の一声で油川の町衆が蜂起しかねない。
本来であれば抗えぬと諦めさせるために、一定の軍事行動を見せておくつもりだった。だが何らかの経緯により、油川は浪岡同様に開城へ至ってしまった。戦わずして落ちるのは素晴らしいことなのだろうが、町衆への威圧にはならぬ。……このことには明行寺全体で関わっていた疑いがあるし、となると老僧の頼英も油断できぬ。もう一つの寺である浄満寺は奥瀬の菩提であるので、今回の事によろしく思っているはずがない。




