第一章 白銀の妖精
――その出逢いを、竜はまだ"黎明"と知らない。
二つの広大な大陸と、果てなき海が広がる世界――ヨルヴァスティア。
そのとある街の酒場に一人の男が姿を現した。黒曜の髪に真紅の瞳。腰には使い込まれた一振りの剣を吊るし、装飾を施した黒の外装。歩みに合わせてその裾が大きく靡けば、隙間からすらりと伸びた真紅の鱗に覆われた尾が覗く。
男は店内を一瞥すると、迷う事無くカウンターへ向かった。
「――酒」
「あいよ」
決して愛想が良いとは言えない店主から、樽を模した木製のジョッキを受け取る。男はそれを傾け、喉を鳴らして一気に胃へと流し込んだ。じんわりと腹の奥へ広がっていく酒精の熱を感じながら、口元を手の甲で拭う。
「……兄ちゃん、竜族か?」
不意に店主が尋ねた。その視線は男の頭部から伸びる角に向けられていた。
「だったらなんだよ」
「いや、この辺じゃ珍しいなと思っただけだ」
「あっそ」
男はそれっきり興味を失ったように、再びジョッキへ口を付けた。
男の恰好からして、旅人だろう。ヨルヴァスティアにおいて、旅人はさして珍しい存在ではない。
街から街へと渡り歩く商人。故郷や大切な人を探して旅立った者。己の知的探求心に背中を押され、まだ見ぬ世界へ足を踏み出した者。あるいは――ただ力を求め、剣を取った者。
理由は違えど、世界を渡り歩く者は多い。
そして彼らが旅路で出会う者たちもまた、実に様々だった。この世界には数多くの種族が生きている。
最も広く各地に暮らす人間族を始め、妖精族、亜人族、巨人族、魚人族、吸血族――そして、
竜族。それらはこの世界に存在する種族のほんの一部に過ぎない。
当然、目の前で酒を呷る男もまた、その一つだった。店主はグラスを磨きながら、ふと考える。――この男は、何を求めて旅をしているのだろう。
それは店主の密やかな楽しみの一つだった。詮索するつもりはない。見慣れる客が訪れれば大抵は旅人だ。どこから来て、何を求め、どこへ向かうのか。本人には聞かずとも、好きに想像するぐらい構わないだろう。
――グラスが一つ綺麗になる度、名も知らぬ旅人の物語が一つ紡がれていく。
「おっさん、肉あるか」
「今品切れ中」
「なんか食えるもんねぇのかよ」
「マンドラニンジンならある」
「いらね」
「好き嫌いすんなよ」
「うっせぇ。人参食いに酒場来たんじゃねぇよ」
「マンドラニンジンだ」
「どっちでもいいわ」
――訂正。この人参嫌いの旅人は碌なもんを食っていない可能性がある。
「はぁ…………」
店主は大きな溜息を付くと、磨いていたグラスを置き「ちょっと待ってろ」と返事も待たずに厨房へと引っ込んでいった。
「……なんだよ」
怪訝そうにその背中を見送る男の尻尾が、香ばしい匂いにピクリと動いたのは、その数分後の事だった。
それから暫くして。
「――なぁあんた、腕が立ちそうだな?」
不意に掛けられた声に、男は顔を上げた。先ほどまで空腹を訴えていた腹はすっかり満たされ、空になった皿がカウンターの端へ寄せられている。
「……あ?」
視線を向ければ、いつの間にか隣に見知らぬ男が立っていた。身なりからして商人か。
「いやなに、少しばかり仕事を引き受けちゃくれないか? 勿論タダとは言わん。……金は弾むぞ」
怪しい商人は小声で持ちかけて来た。こういう時は大体ロクな話じゃないのは分かってる。こちらが聞く気もないのに、商人は構わず話し続けた。
「ある品を運ぶ事になっていてな。腕の立つ護衛を探してる」
「……品?」
「ああ。ちょいとばかり――上物でな。取引が終わるまででいい。どうだ、悪い話じゃないだろう?」
「…………。いくらだ」
商人は怪しく笑うと「報酬は六十セルだ」と言った。
――六十セル。その金額を聞いて、完全に聞く気が失せた。
「安い。他を当たれ」
カウンターに金を置き、立ち去ろうとした――その時。
「ま、待て待て……! 六十セルだぞ⁉」
「だから?」
「――――」
「安いつってんだよ。失せろ」
やけにしつこい男が、今度は腕に縋り付いてきた。
「ちょちょちょちょ、ま、待て! いくらならやる⁉」
「やらねぇ」
「話しが違うだろ⁉」
「何も約束してねぇだろ」
何言ってんだこいつは。そろそろぶっ飛ばしても文句言われねぇよな――なんて考え始めていた所で、商人は若干涙目になりながら、身体を揺さぶってくる。
「じゃ、じゃあ一クローネ!」
「やだ」
「……二クローネ!」
「他を当たれって」
「~~~~ッ! さ、三クローネ! 三クローネでどうだ‼」
「…………」
商人がごくりと唾を飲む。……はぁ~~、めんどくせぇ。なんて答えてやるか少し考え――
「……最初からそれぐらい出せよ」
「テメェ……‼」
安売りしてねぇんだよ。こっちは。話しもまとまった所で、怪しい男に手を差し出した。
「じゃ、前 払 い 」
「~~~~~~‼」
その後、男から散々恨み言を吐かれたが、耳糞が詰まっていたので聞いていなかった。
◆
「……で、お前名前は」
前を歩く男が、半ばヤケクソ気味に聞いてきた。教える必要なんてあるのか、とは思ったが十分な金も巻き上げたし良いだろう。
「ラルク」
「そうか。じゃあラルク、お前には数日品物の面倒を頼みたい」
品物の面倒。……って事は、生き物か。分かってはいたが気が滅入る。男の後を付いていけばその予感は見事に的中した。そこにあったのは、まるで見世物小屋を彷彿とさせるいくつもの荷車――移動式の奴隷商だった。ロクな話しじゃないと思ったが、本当にロクでもなかった。
檻の中にいるのは珍獣でも芸を仕込まれた動物でもない。人だ。種族は多数。疲れ切った者、怯えている者、諦めている者、怒り狂った者――。世界中に奴隷なんて沢山いる。今日ここに居る奴隷たちを助けた所で何になる? 心底胸糞悪いが、俺には関係ない話しだ。
「……奴隷商かよ」
「なんだ、嫌いか?」
「好きな奴いんの? ……ま、仕事は仕事だ。三クローネ分は働いてやるよ」
そう吐き捨てて、檻から目を逸らした。
「けどな、お前に任せたいのはこいつらじゃない」
「……あ?」
男は見世物小屋を通り過ぎて、そのさらに奥へ歩いていく。そこには他の奴隷とは明らかに扱いの違う荷車があった。
「言ったろ? ″上物”だって」
檻に掛けられた布を剥ぎ取ると、姿を現したのは――
「白銀の妖精。こいつは良い値が付いた」
「――――」
白い髪にアイスブルーの瞳。尖った耳に、クリスタルの様に煌めく翅を持った女だった。
第一章 白銀の妖精 完




