第9話:深淵の賢者と、猿が育てた双璧
これまでの壮大な設定と痛快な成り上がり展開を引き継ぎ、第9話を執筆いたしました。
今回は、巨大帝国を飲み込んだ尾張(大日本)の「内政の完成」と、猿(秀吉)が育て上げた次世代の猛将たち(清正・正則に相当)、そして地下深くで幽閉されていた「最も危険な天才軍師(黒田官兵衛に相当)」との邂逅を描きます。史実の家臣団の因縁がファンタジー世界で交錯する、ボリューム満点のエピソードをお楽しみください。
# 第9話:深淵の賢者と、猿が育てた双璧
ルミナ神聖帝国が、織田信長の前に瓦解してから一月。
かつて神の威光を笠に着てそびえ立っていた白亜の帝都は、その姿を劇的に変貌させていた。
広場を占拠していた巨大な神像は次々と引き倒され、代わりに五郎左の指導による巨大な溶鉱炉と魔力火縄銃の大量生産ラインが建設されている。大聖堂は解体され、サカイウスから招き入れた商人たちが絶え間なく物資を運び込む「大交易拠点」へと作り変えられていた。
かつての玉座の間――今は信長の執務室となった大広間には、小気味よい羽ペンの音が響いていた。
「――旧帝国領の農地改革案、および奴隷解放に伴う労働力の再配置計画、完了いたしました。魔力螺旋陣を利用した灌漑システムを導入すれば、来春の収穫量は旧帝国の二・五倍に達します」
無表情なまま、しかし滑らかな口調で報告を読み上げるのは、文官トップのハーフエルフ、佐吉である。
「見事な計算だ、佐吉殿。だが、急激な奴隷解放は旧貴族層の反乱を招く。私のほうで、彼らの既得権益を段階的に剥奪しつつ、新たな『商会』の利権にすり替える法案を作成した。これと併せて施行すれば、血を流さずに反乱分子の牙を抜ける」
優雅に微笑みながら完璧な修正案を提示するのは、新参の天才軍師・金柑ことルーギス(ハイエルフ)だ。
冷徹な「理」を追求する佐吉の計算力と、人間の心理や政治の機微までを完璧に「設計」する金柑の統治能力。
性質の違う二つの天才頭脳が、信長という絶対的な君主の下で一切の無駄なく噛み合い、巨大な帝国領土を凄まじい速度で「尾張(大日本)」のシステムへと最適化させていた。
「フハハ、頼もしいことだ。お前たち二人がいれば、俺はただ玉座でふんぞり返っているだけで天下が手に入りそうだな」
信長は玉座で足を組み、極上のワインを傾けながら上機嫌に笑った。
有能な部下に全権を委ね、最高のパフォーマンスを発揮させる。これぞ上に立つ者の醍醐味である。
「――お、御館様ァ! あっしらだって負けちゃいませンぜ!」
そこへ、バンッと無作法に扉を開け放ち、猿の獣人・猿が転がり込んできた。その後ろには、筋骨隆々の若い亜人が二名、ギラギラとした闘気を放ちながら控えている。
「騒々しいぞ、猿。……その後ろの二匹はなんだ?」
信長が目を細めると、猿は得意満面に胸を張った。
「へへっ! あっしが魔の森の最前線で拾って、直々に鍛え上げた『とっておきの牙』でさぁ! 次なる東の獣人連邦との戦、あっしの部隊にも先陣を任せていただきたく!」
「オレは虎獣人のキール! 猿のオヤジ……いや、トックス様には拾われた大恩がある! 御館様の敵は、オレの十文字槍で残らず串刺しにしてやるぜ!」
黄色と黒の縞模様の毛並みを持つ虎の獣人が、身の丈を越える巨大な十文字槍を床に突き立てて咆えた。
「オレはドワーフのフリントだ! 細けぇ計算は苦手だが、この大斧で敵の陣形をカチ割るのだけは誰にも負けねぇ! 酒と暴れる場所さえくれりゃ、どこまでも突っ込んでやらぁ!」
赤ら顔で酒の匂いを漂わせたドワーフの重戦士が、ニカッと笑って斧を担ぐ。
「ほう」
信長はニヤリと笑った。理屈よりも感情で動き、圧倒的な武を誇る荒削りな若者たち。
(……秀吉に育てられた子飼いの猛将。虎之助(加藤清正)と市松(福島正則)か。猿め、いっちょ前に己の派閥を創り始めたというわけだ)
しかし、その暑苦しい空気に、ピシャリと冷や水を浴びせる声があった。
「猿殿。彼らの熱意は結構ですが、軍規違反です。現在、大広間への武器の持ち込みは法度で禁じられています。ただちに武装を解除し、罰則として減給処分を受け入れなさい」
佐吉が、冷ややかな目で算盤を弾きながら言い放った。
「なんだとテメェ、エルフもどき!」
キール(虎獣人)が即座に牙を剥いた。「オレたちは前線で血水すすって戦うために鍛えてきたんだ! 安全な場所で数字遊びしてるだけのモヤシが、偉そうにオヤジ(猿)の顔に泥塗ってんじゃねぇぞ!」
「そうだそうだ! 大体テメェの決めた陣中法度は窮屈すぎるんだよ!」
フリント(ドワーフ)も同調して怒鳴る。
「……感情論でルールを破れば、軍の統制が崩れます。あなた方のような野蛮な者がいるから、兵站の計算に無駄が生じるのです。知能がないなら、せめて規律くらい守りなさい」
佐吉は一切表情を変えず、淡々と正論で切り捨てる。
「テメェ……ぶっ殺す!!」
キールが十文字槍を構えかけた瞬間、
「――そこまでだ、小童ども」
信長から放たれた、肌を刺すような絶対的な覇気が、大広間の空気を氷点下にまで凍りつかせた。
キールとフリントは、本能的な恐怖に全身の毛を逆立て、反射的に床に両膝をついた。
「佐吉の言うことは正しい。だが、キール、フリント。お前たちのその有り余る凶暴さも、俺の軍には必要だ」
信長は立ち上がり、虎とドワーフの若者を見下ろした。
「お前たちにはそれぞれ『虎』『市松』の名をくれてやる。猿の手足となり、東の戦線で存分に暴れてこい。佐吉の作った法度が気に入らぬなら、佐吉が文句も言えぬほどの圧倒的な『武功』で黙らせてみせろ」
「「は、ははッ……!!」」
虎と市松は、信長の底知れぬ器の大きさに圧倒され、深く頭を垂れた。
(フフ。清正と三成の対立か……。放置すれば豊臣家を滅ぼした火種だが、俺が上に立っている限り、それは互いを高め合う最高の着火剤よ)
信長は心中で愉快そうに笑った。
* * *
その夜。
信長は、蘭丸と猿だけを伴い、旧帝都の地下深くに存在する「最下層牢獄」へと足を運んでいた。
そこは、帝国の狂信的な教皇が、自身の意に沿わない危険思想の持ち主を光の届かぬ闇へと幽閉していた場所である。
「御館様、足元にお気をつけくだせぇ。ひでぇ匂いだ……」
松明を掲げる猿が鼻をつまむ。
「八咫烏の報告によれば、この最下層に『特別な囚人』がいるとのことでしたね」
蘭丸が周囲を警戒しながら言う。
「ああ。金柑からの情報だ。かつて帝国の軍師だったが、その知謀があまりにも冷徹で底知れず、教皇すらも恐怖して地下牢へ繋いだという『魔族の賢者』がいるらしい」
最奥の、重厚な魔法封印が施された鉄格子。
信長が指先から魔力弾を放ち、あっさりと鍵を吹き飛ばすと、中から淀んだ空気が流れ出してきた。
壁に鎖で繋がれていたのは、ボロ布を纏った一人の男だった。
肌は青白く、片目は潰れ、足の骨は不自然な方向に曲がっている。凄惨な拷問を受けた痕跡が全身に刻まれていたが、残された隻眼だけは、闇の中でギラギラと底知れぬ知性の光を放っていた。
「……ほう。結界の波長が消えたと思えば。ようやく、無能な教皇の首を刎ねる者が現れましたか」
男は、鎖に繋がれたまま、嗄れた声で笑った。
「貴様が魔族の賢者か。名はなんという」
「クロード。……ただの、没落した魔族の生き残りですよ」
クロードと呼ばれた男は、信長の姿を下から上へとねめ回すように見つめた。
「なるほど、十五の子供の皮を被った化け物だ。魔力螺旋の理論、サカイウスの経済封鎖、そして絶対防壁の逆位相破壊……。地下にいながら、マナの乱れとネズミの動きだけで、地上の戦局は把握しておりました。見事な盤面でしたよ、新しき王よ」
「……この男、地下に幽閉されながら地上の戦況を完全に読んでいたというのか?」
蘭丸が剣の柄に手をかけ、戦慄する。
「クロードよ。俺の元で働く気はあるか?」
信長が単刀直入に問うと、クロードは喉の奥でクックッと笑った。
「私は、勝つためならば味方の兵を肉の盾にすることも、街一つを疫病で沈めることも平気で提案する男です。教皇はそれに怯え、私をここに繋いだ。……私を野に放てば、いずれあなたの寝首を掻くほどの毒になりますよ?」
それは、己の底知れぬ知謀に対する絶対的な自信と、試すような挑発だった。
しかし、信長は――。
「フハハハハハハ!! 面白い! 味方の犠牲すら計算に組み込む冷徹さ、そして俺の寝首を掻けるとうそぶくその野心! まさに劇薬! 俺が求めていた『もう一人の軍師』だ!」
信長は、クロードを戒めていた鎖を剣で断ち切った。
かつて秀吉の参謀として天下取りを演出しながらも、そのあまりの賢さに秀吉自身から「次に天下を狙う男」と恐れられた天才軍師の姿が、信長の脳裏に重なる。
「クロード。今日から貴様の名は『官兵衛』だ! その足を引きずりながらでも構わん。俺の影の参謀として、世界を盤面に並べてみせろ!」
「……官兵衛。悪くない響きだ」
クロード――官兵衛は、曲がった足を引きずりながら立ち上がり、信長に向かって歪な、しかし最上級の臣従の礼をとった。
「この官兵衛の知謀、御館様の覇業のために、骨の髄まで絞り出しましょう……」
冷徹な官兵衛という劇薬を手に入れた信長。
地上に戻ると、軍議の間に急使が飛び込んできた。
「ご報告いたします! 東の『獣人連邦カイザー』が国境線に向けて進軍を開始! その数、およそ三万! 先陣を切るのは、最強と謳われる『魔獣騎馬軍団』です!」
東の覇者、力こそ正義を掲げる巨大な獣の軍勢。
それはかつて信長を最も苦しめた、甲斐の虎・武田軍の「赤備え」を彷彿とさせる最強の騎馬隊であった。
「来たか……。魔法技術の頂点を極めた俺たちの『筒』と、圧倒的な身体能力を誇る『魔獣の突撃』。どちらがこの世界の覇者に相応しいか、決めようではないか」
信長の目に、抑えきれない戦意の炎が燃え上がる。
新世代の猛将たち、そして二人の天才軍師を従えた第六天魔王は、次なる大戦場――東の荒野へとその刃を向けるのであった。




