第5話:黄金の都市サカイウスと、血を流さぬ経済戦争
これまでのプロットと設定を引き継ぎ、武力ではなく「圧倒的な経済力と情報戦」で大都市を飲み込む、信長の冷徹で痛快な手腕を描く第5話を執筆いたしました。
「八咫烏」による暗躍と、現代的なインフラ支配の概念をファンタジー世界に持ち込む信長の恐るべき交渉術を、詳細な描写でお楽しみください。
# 第5話:黄金の都市サカイウスと、血を流さぬ経済戦争
大陸の南部に位置する自由都市国家『サカイウス』。
この世界における経済と物流の中心地であり、「金貨で買えぬものはない」と豪語される欲望の都である。
空を突くような白亜の時計塔、魔石の灯りが不夜城のように輝く歓楽街、そして他国の貴族や商人たちが血眼になって取引を行う巨大な大市場。一見すれば華やかで豊かなこの街の地下には、底なしの腐敗と陰謀が渦巻いていた。
そのサカイウスを牛耳る『七大商会』の筆頭、ゼノ商会の会頭ゼノは、ふくよかな腹を揺らしながら、最高級のワインを傾けていた。
「北の辺境、アッシュフィールドの領主が代わったそうだな。なんでも、十五の小僧だとか」
「はい、ゼノ様。自らを『尾張』と名乗り、魔の森から良質な木材や魔石を大量に発掘しているとの噂です」
秘書の報告に、ゼノは豚のように鼻を鳴らして笑った。
「田舎者の小僧が、運良く魔の森の浅瀬で小銭を拾ったというわけだ。ならば、その小銭を我々が『管理』してやらねばなるまい。法外な税と中抜きで、骨の髄までしゃぶり尽くしてやれ」
ゼノにとって、武力しか持たない田舎領主など、赤子から飴玉を奪うようなものだった。
だが、彼は気づいていなかった。その部屋の天井の梁の陰に、闇そのもののように同化し、彼らの会話と金庫の暗証番号をすべて聞き取っている『影』がいることに。
* * *
同じ頃、サカイウスの裏路地にある薄暗い廃屋。
そこに集結していたのは、森蘭丸率いる尾張の諜報機関『八咫烏』の面々だった。
「頭目。ゼノ商会の裏帳簿、およびルミナ神聖帝国の過激派と結託した非合法な奴隷売買の証拠……すべて揃いました」
蝙蝠の獣人が、音もなく蘭丸の前に分厚い束を差し出す。
さらに、ドッペルゲンガーの男がゼノ商会の護衛の姿から元の不定形な姿に戻りながら報告する。
「ゼノの私兵団の配置と交代時間も完全に把握。いつでも暗殺可能です」
「ご苦労」
蘭丸は裏帳簿をパラパラと捲り、氷のように冷たい瞳で笑った。
「だが、暗殺は最終手段だ。御館様は『街の機能と富を無傷で手に入れよ』と仰せだ。ゼノには、自身の愚かさを理解した上で、自ら御館様の靴を舐めさせねばならない」
蘭丸は剣の柄に手をかけ、影たちを見回した。
「これより、御館様御自らゼノ商会に乗り込まれる。我らは裏から『盤面』を完成させるぞ。御館様の商売の邪魔になる障害は、一匹残らず刈り取れ」
* * *
翌日の昼下がり。
ゼノ商会の豪奢な応接室に、織田信長は足を踏み入れた。供に連れているのは、商人に扮した猿ただ一人である。
「やあやあ! これは新進気鋭の尾張の領主様。サカイウスへようこそ!」
ゼノは両手を広げ、表面上は歓迎の意を示した。だが、その目は完全に信長を見下していた。(なんだ、このひ弱そうなガキと、薄汚い猿の獣人は。全く脅威ではないな)と。
「挨拶は不要だ、ゼノ。今日は貴様に『儲け話』を持ってきてやった」
信長は勧められたソファに座ることもなく、尊大に言い放った。
その態度にゼノはピクッと眉を動かしたが、すぐに愛想笑いを浮かべる。
「儲け話、ですかな? 魔の森の素材なら、我が商会が『適正価格』で買い取って差し上げますぞ。辺境の相場はご存知ないでしょうから、私がお教えしましょう」
「小銭の話などしていない。猿、アレを出せ」
「へへいっ!」
猿が恭しく木箱を机に置き、蓋を開けた。
中に入っていたのは、黒鉄とミスリルで精巧に作られた、手のひらサイズの奇妙な「金属の箱」だった。表面には佐吉が設計し、五郎左が刻み込んだ複雑な魔法陣が青白く脈打っている。
「なんだ、これは? 魔導具のようだが……」
「『魔導通信機』だ」
信長は金属の箱を手に取り、つまみを回した。すると、箱の中からノイズ混じりの声が響き始めた。
『……あー、聞こえますか、御館様。こちら尾張本陣の佐吉です。現在のサカイウスとの距離、およそ三百キロ。マナの波長、安定しています』
「な、なんだと……ッ!?」
ゼノが持っていたワイングラスが、床に落ちて粉々に砕け散った。
この世界にも通信魔法は存在するが、それは大魔導士が巨大な水晶を使い、莫大な魔力を消費してようやく数キロ先と会話できる程度の代物だ。三百キロ離れた場所と、こんな小さな箱で会話するなど、常識外れにもほどがある。
「この箱一つで、国境を越えて情報が手に入る。他国の相場、戦争の兆し、天候の変化。商人である貴様なら、これがどれほどの価値を持つか理解できるだろう?」
信長の悪魔的な笑みに、ゼノの全身から滝のような汗が噴き出した。
(こ、これが商人の手に渡れば……いや、私が独占すれば、大陸中の富をコントロールできる! 情報こそが金だ!)
ゼノの目に、隠しきれない強烈な強欲の炎が灯った。
「す、素晴らしい! ぜひ我が商会で独占販売を……いや、その技術ごと買い取らせていただきたい! 金ならいくらでも出しましょう!」
「技術を売る気はない。だが、貴様に『独占利用の権利』を与えてやってもいい」
「ほ、本当ですか!」
「ああ。条件は三つだ」
信長は指を三本立てた。
「一つ。この魔導通信機を使用するためのエネルギー源となる高純度の『規格魔石』は、尾張からのみ購入すること」
「……ふむ。魔石の供給を握られるのは癪だが、この利益に比べれば安いものだ」
「二つ。魔導通信機の利用料と魔石の代金は、すべてこの『永楽銭』で支払うこと」
信長が机の上に放り投げたのは、真ん中に四角い穴の空いた、見たこともない硬貨だった。
「な、なんだこの金は……。サカイウスの法定通貨は金貨だぞ!」
「俺が創った金だ。偽造不可能なドワーフの特殊合金でできている。尾張との取引は今後、この永楽銭でしか行わん。金貨をこの永楽銭に両替して使え。もちろん、両替の手数料は俺が決める」
「ば、馬鹿な! それではサカイウスの経済の根幹を、尾張に握られることになるではないか!」
ゼノは激昂して立ち上がった。技術を餌に、都市の「通貨発行権」と「インフラ」を丸ごと乗っ取ろうとする信長の恐るべき意図に、ようやく気づいたのだ。
「ふざけるな、小僧! 舐めるのも大概にしろ! ここは私の街だ! おい、出合いえッ! このふざけた小僧の首を刎ね、その箱を奪い取れ!」
ゼノが叫ぶと、応接室の隠し扉が開き、重武装の私兵たちが……**出てこなかった**。
代わりに、隠し扉の奥からドサッ、ドサッと、何かが崩れ落ちる鈍い音が響いた。
「……な、なんだ?」
ゼノが顔を引きつらせて振り返ると、隠し扉の暗がりの中から、血に濡れた剣を持った一人の美少年が静かに歩み出てきた。森蘭丸である。その後ろには、ゼノが雇っていた凄腕の暗殺者や私兵たちが、ことごとく喉を裂かれて絶命していた。
「ゼノ商会私兵団、計四十八名。すべて『排除』いたしました、御館様」
蘭丸は剣の血糊を払い、信長の背後に控えた。
「ひぃッ……! き、貴様ら、サカイウスの評議会が黙っていないぞ! 私を殺せば、他の七大商会が尾張を経済封鎖する!」
腰を抜かし、後ずさるゼノ。しかし、信長は冷酷に宣告した。
「評議会だと? 安心しろ。貴様以外の六つの商会には、昨夜のうちに八咫烏が『挨拶』を済ませている」
信長は、先ほど蘭丸が用意した裏帳簿と、帝国との非合法取引の証拠書類をゼノの顔に叩きつけた。
「帝国に奴隷を横流ししていた証拠。裏帳簿。そして、他商会の暗殺計画書。これらが白日の下に晒されれば、貴様は絞首刑だ。他の六つの商会も、似たような弱みをすべて俺に握られ、すでに『永楽銭の導入』に賛同する誓約書にサインしたぞ」
「な、なんだと……たった一夜で……そんな……」
武力による威圧。魔導通信機というインフラ支配。独自通貨による経済掌握。そして、逃げ道をすべて塞ぐ完璧な情報戦。
ゼノは絶望に顔を歪め、ガクガクと震えながら床に這いつくばった。目の前にいる十五歳の少年は、人間ではない。底知れぬ知略と暴力で世界を喰い尽くす『魔王』だ。
「さあ、三つ目の条件だ、ゼノ。――俺の『財布』として、生涯尾張のために忠誠を誓い、働き続けろ」
「……は、はい。ゼノ商会は……サカイウスはすべて、尾張の、信長様の御心のままに……」
涙と鼻水を流しながら靴にキスをするゼノを見下ろし、信長はフッと笑った。
「大儀。今日からこの街は、尾張の直轄地『堺』と改める」
かくして、大陸一の富と流通網を誇る巨大都市は、たった一滴の血(表向きの戦争)も流すことなく、完全に織田信長の手中に落ちた。
圧倒的な経済力と、魔の森の資源。そして進化した近代魔法兵器。
すべての役者が揃い、信長の目は、自身を「異端」として危険視し始めた北の最大国家――『ルミナ神聖帝国』へと向けられていた。




