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つくづく付喪神 Re  作者: 桜鵺
二章:青天の霹靂
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8.古き筆と硯

柊会に所属することになってから、数日が経った。


 とはいえ、私の日常が大きく変わったわけではない。


 朝になれば学校へ行き、授業を受ける。放課後になれば柊雑貨店へ向かい、付喪神について教えてもらう。


 そんな毎日を過ごしていた。


「付喪神とは、長きに渡る時を経た物や場所に宿る自我……」


 柊雑貨店の奥にある机で、私は小梅から借りた資料をノートにまとめていた。


「物に宿る自我……か」


 言葉の意味は分かる。


 実際、私の腕には桔梗がいる。


 けれど、まだ実感が湧かない。


 私が知っている付喪神は、桔梗だけなのだから。


「難しく考えすぎなくてもいいと思いますよ」


 向かいで帳簿を整理していた小梅が、私のノートを覗き込む。


「付喪神といっても、特別な存在ばかりではありません。人間の暮らしのすぐそばにいる子たちも多いですから」


「人間の暮らしの、すぐそば……」


 その言葉を聞いた時だった。


「おーい!」


 店の入口から椿の声が響いた。


「小梅、ちょっと来てくれ!」


「どうしました?」


 私も席を立ち、二人のところへ向かう。


 店先には、見覚えのある男性が立っていた。


 昨日、付喪神について相談に来た商店街の店主だ。


「あの……昨日お話しした件なんですが」


 男性は困ったような顔をしている。


「やっぱり、もう一度相談してもいいでしょうか」


「もちろんです。何か変化がありましたか?」


「はい。昨夜も聞こえたんです」


 男性は声を潜めた。


「店の奥から……誰かの声が」


「どんな声でした?」


「……『捨てないで』と」


 その言葉に、私は自分の腕へ目を向けた。


 桔梗の宿るブレスレット。


 もし、この声も付喪神のものなら――。


「付喪神の可能性が高そうですね」


 小梅が言う。


「だったら、行ってみようぜ」


 椿がすぐに答えた。


「椿、まだ付喪神と決まったわけではありませんよ」


「違ったら違ったでいいだろ」


 そう言って、椿は私を見る。


「桜、お前も来るか?」


「私も?」


「ああ。昨日、柊会に入ったばっかだろ。実際の仕事を見た方が勉強になる」


「……行きたいです」


 私は頷いた。


「もっと付喪神のことを知りたいから」


「よし、決まりだな!」


「ただし」


 小梅が椿を見る。


「危険がある場合は、桜さんを最優先で退避させます」


「分かってるって」


 椿は笑いながら答えた。


 男性に案内されてやってきたのは、商店街の一角にある古い文具店だった。


 店内にはノートや筆記具、絵の具などが並んでいる。


 けれど、店の奥へ進むにつれて、置かれているものは少しずつ古くなっていった。


 木製の棚。


 年季の入った机。


 そして、書道道具の並んだ一角。


「声がしたのは、この辺りです」


 男性が店の奥を指差す。


「実は近いうちに、店を少し改装する予定でして」


「それで、古いものを?」


 小梅が尋ねる。


「ええ。棚や机、それから使っていない道具も処分しようと思っています」


 私は辺りを見回した。


 すると――。


「……捨てないで」


「え?」


 声がした。


 私は振り返る。


 誰もいない。


 椿も小梅も、何も言っていない。


 もう一度、声が聞こえた。


「……まだ、使える」


 私は声のする方へ歩いていく。


 棚の上。


 そこに一本の古い筆と、一つの硯が置かれていた。


「これ……?」


 男性が近づいてくる。


「ああ、それですか」


 男性は少し懐かしそうな顔をした。


「親父が昔使っていた筆と硯です」


「お父さんの?」


「ええ。私も子供の頃、これを使って字を習ったんですよ」


 男性は筆を手に取った。


「でも、もう何年も使っていません。今じゃ新しい道具がありますからね」


 筆を棚へ戻す。


「だから、これも処分しようと思っていたんです」


「……嫌だ」


 今度は、はっきり聞こえた。


 私は筆と硯を見つめる。


 不思議と怖くはなかった。


 むしろ、悲しそうだった。


「小梅」


「はい」


「この二つ……付喪神なんですよね?」


「おそらく」


 小梅が頷く。


「少し話してみましょうか」


 私は二つの道具の前にしゃがみ込んだ。


「こんにちは」


 返事はない。


「あなたたちは、このお店にずっといるの?」


 少し待つ。


 すると、かすかな声が返ってきた。


「……いる」


「ずっと……一緒」


「一緒?」


「筆と……硯」


 私は二つを見る。


「ずっと一緒だったんだね」


「うん」


「ずっと……字を書いてきた」


 その声は、どこか嬉しそうだった。


「仲良しなんだね」


「……うん」


「ずっと一緒」


 私は自然と笑っていた。


「じゃあ、どうして捨てられたくないの?」


 少しの沈黙。


「……まだ、書ける」


「まだ……役に立てる」


 その言葉に、胸が少しだけ痛くなった。


 捨てられることが嫌なのではない。


 自分たちが、もう必要ないと思われることが嫌なのだ。


「店主さん」


 私は男性を見る。


「一度だけ、この筆と硯を使ってみませんか?」


「え?」


「それで、どうするか決めてもいいと思います」


 男性は黙って二つの道具を見つめた。


 しばらくして、静かに手を伸ばす。


「……そうですね」


 男性は硯に水を入れ、墨をゆっくりと磨り始めた。


 静かな音が店の奥に響く。


 そして筆を手に取る。


 紙の上を、筆先が滑っていく。


 書かれたのは、この店の名前だった。


「……懐かしいな」


 男性が笑った。


「親父にも、こうやって字を教えてもらったんです」


 その瞬間。


 筆と硯から、柔らかな気配が広がった。


「……うれしい」


「……また、書けた」


「ありがとう」


 私は二つに笑いかける。


「よかったね」


 二つの付喪神から、嬉しそうな気配が伝わってくる。


 それを感じていると、私まで嬉しくなった。


 店を出て、商店街を歩く。


「どうだった?」


 椿が聞いてくる。


「……なんだか、すごく良かったです」


「何がだ?」


「付喪神って」


 私は自分の腕を見る。


「ずっと人のそばにいるんですね」


 小梅が微笑む。


「そういう付喪神も多いですよ」


「物なのに……」


 私は少し考える。


「人が使ってくれたことを覚えていて、大切にしてもらったことを覚えていて」


 今日出会った筆と硯を思い出す。


「なんだか、家族みたいでした」


「……家族、ねぇ」


 椿が空を見上げる。


「まあ、そういうもんかもしれねぇな」


 その言葉に、私は少し嬉しくなった。


 柊会に入る前は、付喪神というものがもっと恐ろしい存在だと思っていた。


 けれど、今日会った二人は違った。


 誰かと一緒にいたい。


 もう一度、自分たちを使ってほしい。


 そんな、人間と変わらない気持ちを持っていた。


「……桔梗は?」


 私は小さく呟く。


『なに?』


「桔梗も、誰かに使ってもらえて嬉しかったことってある?」


 少しだけ間があった。


『……どうかしらね』


「そっか」


 私はそれ以上聞かなかった。


 けれど、桔梗の声がいつもより少しだけ静かだったことは、なんとなく分かった。


 柊雑貨店へ戻ると、店の前に別の男性が立っていた。


「あの、柊会の方ですよね?」


「はい。どうされました?」


 小梅が尋ねる。


「実はうちの店でも、ちょっと困ったことが……」


「どんなことですか?」


「古い時計なんですが……夜になると、勝手に動くんです!」


 椿がニヤリと笑った。


「おっ、また仕事だな!」


「椿、まだ詳しい話を聞いただけですよ」


「いいじゃねぇか!」


 二人のやり取りに、私は思わず笑ってしまう。


 昨日まで、私は付喪神という存在を知らなかった。


 でも今は違う。


 この町のどこかには、今日出会った筆と硯のように、人間の暮らしの中で長い時間を過ごしている付喪神がいる。


 誰かと笑ったり。


 誰かに大切にされたり。


 誰かの役に立ったり。


 そんな時間を重ねながら、そこにいる。


 私は自分の腕にあるブレスレットをそっと撫でた。


「……桔梗も、ずっと誰かのそばにいたのかな」


『……さあね』


 返ってきた声は、いつものように曖昧だった。


 けれど私は、少しだけ笑った。


「そっか」


 そして私は、新しい相談者の話を聞くために、小梅たちの後を追った。


 次は、どんな付喪神に出会えるのだろう。


 そんなことを考えながら。

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