45.湖底の洞窟
半日待って、翌朝。
約束通り、ぺトゥールは魔道具を完成させて来た。
「水中で息ができるし、瘴気を通さない」
箱形からもう少し改良されて、首輪型になっていた。ただ、作れたのは2つだけだった。
もう少し作れないかという言葉は、ペトゥールの背後に並ぶ随行員の死人のような表情を見ると言えなくなった。
随分と無理をしたらしい。
「俺とアルロで行って来るから、留守を頼む」
随行員にそう言ってから、はい、とペトゥールはアルロに道具を渡した。
アルロはともかくぺトゥールが行くというのは少し意外だった。
ヒューケが不思議そうに尋ねる。
「王子は、戦闘の方は……」
「あ?なめんなよ」
ガチャガチャと魔道具の動作確認をしながらぺトゥールはぶっきらぼうに言った。
「俺は技術者なの。剣なんて持ったこともねえわ」
「……………」
「……………」
「は?」
「ついでに言えば魔力も人並み。でも、この中で古代魔法陣を知るのも、古代生物を知るのも俺だけだろ?俺が行くしかねえだろ」
「……………」
「で、俺はアルロにしか命を預けねえ」
「僕も、水の中で王子を守って戦う自信はないんですが……」
「心配すんな。攻撃はできないが、自分の身の守り方はわかってる」
「危険すぎませんか……。陛下が自ら——」
「そんな国じゃねえだろブラントネルは」
ぺトゥールは長いローブを脱ぎ捨てた。
確かに騎士のような筋肉はなく、ローブを脱ぐとかなり華奢な体つきに見える。
ただ、その体にはたくさんの魔道具が括りつけられている。
「ここはまだ赤ちゃんの国なんだから。国王ががんばらねえと」
「貴方に言われたくありませんね」
ヒューケがむっとしてしまう。
この二人は性格が合わないようで、度々険悪になる。アルロは先を促した。
「行きましょう」
「おう」
「——陛下……」
「無理はしません。約束します。いざとなれば、僕には『操作』がありますから」
結局のところ、おそらくはそれが最善だと言うしかない。不甲斐ない、とヒューケが呟く。
アルロもマントと上着を脱いで預けてから、装備の最終確認をした。薄着になった上に剣ベルトをしっかりと絞める。
「ところで——この瘴気も闇魔力と同じように、凶暴化や疫病を引き起こすのだとしたら、周辺の国民が心配なんですが」
「今のところそこまで広範囲になってないだろ。湖から離れりゃいいんだよ。そうだなあ、街の外に避難させればいいだろう」
「宰相。避難と、それから均等に支援が行き渡るように——留守をお願いします」
それだけ言えばヒューケは全部きっちりとしてくれる。
タイミングよくぺトゥールが来てくれて、本当に助かった。
こうなった以上、早く行って早くけりをつけてしまいたい。——ものすごく、心配をかけていると思うから。
「行ってきます」
アルロはぺトゥールと共に湖に潜った。
ペトゥールの魔道具は本当にすごい。
自然に息ができる。水は少し冷たかったが、すぐに気にならなくなる。泳げさえすれば、いつまでも潜っていられそうだ。
2人はどんどん水の底へと潜っていった。それほど泳がなくても、水の流れが2人を運んでくれる。
洞窟の前まで来てペトゥールが手を上げた。そこで一旦止まった。
不思議な水の色だった。
深く潜っていると思うのに、光が反射している。水面の上からもこの湖底都市が見えているし、下から見上げても湖の上が見通せる。透明度は高いのに青色が強くて、水中から見る地上の世界が、まるでそっちがおもちゃの世界のような不思議な感覚だった。
向こうとこちらは別世界。
ここが死後の世界で、自分がそこに入り込んだような感覚に陥る。
——ここで死んだ人達は、みな、何を思っただろう。
ふとそんな事を考えてしまった。
体を動かさなくても、ゆっくりとこの洞窟へ誘われて行く。呼吸ができるから、まるで誘われているように思えるが、もしこれが処刑され自由を奪われたのだとしたら。
大きな口を開けて待っているような洞窟が、とてつもなく恐ろしい場所なのに。
ここは静かで——美しすぎる。
ドン、と胸を叩かれてハッとする。
ペトゥールだ。自分の胸を叩いてから、洞窟を顎でさした。
——しっかりしろ。呑み込まれるな。
そう警告されているような気がする。
アルロはゆっくりと頷いた。
ペトゥールがたくさん括っていた魔道具のうちの一つを取り出す。水中でも使える灯りだ。
洞窟の中を照らせば、遠く奥の方まで続いている。水の流れもまだそのまま続いていた。
2人で頷き合って、ゆっくりと洞窟の中へ入って行った。
ひたすら洞窟の中同じ景色を、ずっと進む。
魔物の気配もないし、瘴気についても魔道具のせいでよくわからない。
幸い洞窟は入り組んでいるという事もなく、ただ延々と続く洞穴だった。水の流れも延々と続いて行く。
奥へ行くほど、水温は下がっていった。耐えられないほどではないが、冬の湖のようだ。
そうしてしばらく進んだ先に——いた。
洞窟の突き当たりのような少し小高い場所に、とぐろを巻いた、巨大な蛇のようなものが。今は眠っているのだろうか、ほとんど動いていない。
全貌は見えなかった。輪郭と、一部の胴体が見えるだけ。
瘴気が濃いのだろう、青かったはずの周囲はいつの間にか黒で覆われており、煙が充満しているように視界がひどく悪い。
ペトゥールがアルロの肩をたたいた。
どうなっているのか、水の中で書ける紙とペンを持っているらしく、さらさらとそれを滑らせる。
『ヒュドラー』
それは、アルロはほとんど聞いたことのない魔物の名前だった。古文書で読んだことがあったか、なかったか。
『巨大な多頭蛇』
ぺトゥールが説明を加えてくれた。今見る限りは巨大な蛇だが、頭がいくつもあるらしい。
『先手必勝。頸を斬り落とせ』
仕留めろ、ということだろうか。
アルロは頷いて、ゆっくりと剣を抜いた。
音を立てなかったつもりだし、動きも最小限。それが、剣を抜いた瞬間、巨大蛇の目が開いた。
獰猛な金の瞳が暗い水の中で光って見える。それも、10近くあった。
斬れるだろうか。
エイダンやライアスのように鍛え抜かれた体躯に恵まれているわけでもない。その上水の中では、力を掛けるのが難しい。
それでも——そう思って切りかかろうと思ったら、ぺトゥールがアルロの服を引っ張った。
何かに気づいたらしく、ヒュドラーの手前を指さす。
ヒュドラーに辿り着く手前に、巨大な穴が開いていた。
じりじりと、その穴が見えるところまで二人で近づく。
はじめアルロはそれを、ただの穴だ思った。水の流れに逆らって飛び越えられるだろうか、と。
その後、何か布か紐のようなものがある気がする。ゴミの吹き溜まりのように、それらは蠢いている。
ごぼぼ、と隣で音がした。
ペトゥールが慌てすぎて、息を吐き出した——いや、ぺトゥールは、吐いていた。
大丈夫か——そう思って手を伸ばそうとしたが、構うなと手で拒絶される。
ペトゥールは自分よりも早く、穴の中の正体に気付いたらしい。
アルロも同様に目を凝らし、やがてその蠢く何かの正体に気づいて——ぞっとした。
無数の白い紐と思ったものは、人の手足だった。
深い深い穴の底に、とんでもない数の人々が蠢いていた。すべてもう既に息のない、すっかりふやけてしまった青白い水死体だ。それはわかるのに、腐敗もしていなければ傷もついていない。
この暗い水の底で、永久に魔力の媒体となりながら肉体を使われているのだろうか。
不自然に体が揺れているのは、水のゆらめきか、魔力の吸い取りによるものか。
白い手足が目立つのは、皆黒い髪を揺らめかせているからだ。
人だと分かると、その顔も見えてくる。そのうちの一つの死んだ黒い目と、目が合った。
その時アルロは直感した。
——これは難しい……いや、できない。
この穴を飛び越え、跨ぐことが、だ。
この人たちは、僕だ。
人々から蔑まれ、無いものとされてきた、存在してはいけないもの。
そうして僕だけが助かってしまった。
その功労者はヘルムトだというのに、今こうして国を治めて生きている。
生きながらえている。闇のいなくなったブラントネルで、ただ一人、地上に残って。
ぼくもここにいないといけないのに!
ドガ———ン!!
ものすごい爆音と共に、目の前に閃光。目が開けられない。水の中なのに一体——そう思うと、ぐいっと手を引かれる。
ペトゥールが強くアルロの腕を握っている。
撤退、の合図を指でしている。
そういえば爆発の前、無数の蛇の頭がこちらに向かってきていなかったか。
ペトゥールが魔道具で爆発を起こさなかったら、アルロはすでに魔物の腹の中だっただろう。
——僕は一体、何を考えて……。
慌てて出口へ向かった。たくさんの人の手が伸びてくる。
それに一度でも捕まれば、あっという間に蛇の口に呑まれていくのだろう。
アルロは今度は躊躇せず、それを切り落として逃げた。




