44.
ブラントネルの城に近づくにつれて、重苦しい空気に息が苦しくなっていく。
魔力が満ちていた。
純度の高い魔力だ。
高すぎる魔力は、それだけで毒にもなるのか。息苦しく、全身の毛が総毛立つような、ピリピリとしたり感覚。
それが覚えのある瘴気なら、さっさと取り込んでしまおうと思っていたのに。これまで感じた瘴気とは、少し違うような気がした。得体が知れないから、その手を止めた。
——それもそのはずだ。ブラントネルに、闇の能力者がいるはずがない……。
馬も嫌がるのを、宥めてなんとか街に入った。
湖畔の方へ行くと近づくと非常線が張られ、軍が取り囲んでいた。アルロの黒馬を見てさっと入り口が開く。
スタンレーとヒューケが揃って出迎えてくれた。
「留守にしてすみませんでした」
アルロはそう言って馬から飛び降りた。
不安な顔が広がっていた。アルロの顔を見て兵士らはほっとしたような顔をしているが、そのまま、こちらを固唾を飲んで見守っている。
「よくお戻りくださいました」
ヒューケが声を落として言った。
「姿も見えず、今は静かです」
その言葉通り、湖の水面には波風一つない。静かすぎるほどの湖面が、かえって不気味に映る。
「——静かだからこそ、不安と緊張が高まっています」
アルロはざっと辺りを見渡した。
「王旗を掲げてください」
ブラントネルの旗を掲げれば、そこに国王がいると示す。最前線に国王が来たと知れるだけで、安心する者もいる。
ヒューケが頷き、旗が掲げられた。それを見た兵士らよって、あちこちで歓声が上がる。
黒い旗は、革命時代も常に革命軍と共にあった。今はそれが王家の力そのものの象徴になっている。
歓声が落ち着くのを確認してから、ヒューケは幕舎の中へとアルロを誘った。
一部屋に相当する程度の広さのテントの中。中央に机が置かれ、城とその周辺の地図、調査団からの報告書、湖底遺跡の未完の地図。それらが雑多に机の上におかれている。
「まずは、被害状況は」
「死者はいません。——まだ」
時間の問題だと言うようにヒューケが説明した。
「重症者は多数おります。治療所への護送が完了したばかりです。一般人を遠ざけ、今は湖は静まり返っています。私もスタンレーも、それを見たわけではないので、まだご報告するほどの事が整理できていないのですが……」
「わかっていることを教えてください」
スタンレーが引き継いだ。
「姿を見たものはほとんどいない。船より大きい、城ほどの大きさの黒く長い影が、水面から急に浮かび上がったかと思ったら、またすぐに沈んでいった、と」
「城——湖のどこにそんな巨体が」
あまりにも恐ろしくて見誤ったのか、それとも、この湖はそれ程深く広がっているのか。
「湖底都市の方へ消えていったと言うものがいる。こっちが湖底都市の地図だ」
大小の輪郭が少しある程度で、地図と言えるのかも疑問だが。首都と同程度に広がっているのは間違いなさそうだ。
「この遺跡については、外観ですら、全貌をつかめてない。ただ、この建物の中はかなり広い洞窟のようになってて、ここが一番怪しいと」
スタンレーが指すところには、一番大きな建物と、巨大な洞窟の入口ような穴。
「水は、塩水だって言ってましたよね。水流は」
いつかの報告にそうあった。湖の塩分濃度は海水より濃く、だから冬でも凍らない湖なのだと。普通の湖と違って、少し青みがかった不思議な色をしている。
多くの人が処刑された曰くつきのこの湖で漁をするような者はいないが、魚も見かけない。湖なのに流れがあって、死体が上がらない。
ヒューケがペンを出してきて、城の一点からすっとその穴へ向かって線を引いた。
「ここから、こちらへ。湖の中の水はこの穴に向かって流れているようです」
「この洞窟を調べましょう」
「言うと思いました。危険すぎます」
「穴に入ったら、数百年分の死体がわんさかあるかもしれねえぞ」
スタンレーがこわごわ、という様子で巨体を揺らす。
この湖は処刑場であり、埋葬所でもあった。王家へ叛意を持った者だけではなく、黒持ちというだけで生きたまま流された者も多いと聞く。シャーン国の長い虐殺の歴史で、一体どれ程の数の犠牲が出たのかも分からない。
「でも、このままここで待っている訳にもいきませんよね」
瘴気と呼ぶのかどうか。重苦しい空気は広がっている。その魔物か何かが出てくるのを待っていて、ここが守れるとは思えなかった。
「怪我人の状況は」
「その魔物にやられたかもしれないのは、5名。うち2名は危険な状態だ。傷が深い。水に呑み込まれた者は10数名。湖畔にいた調査団のほとんどは波に攫われた」
「ファンドラグからの人達に被害が……?」
「半々、だな。うちの奴らも沢山湖畔にはいたから」
「半々……」
今は、無事を祈るしかない。
「調査団から何か聞けてないんですか」
「今回は、湖底都市の、例の洞窟を調査する予定でした。——中に入ったのは昨日からと聞いています。後は……ほとんどが、意識がないので、肝心の何にやられたのかを見た者がおらず」
「………………」
思っていた以上に深刻な状況だ。
状況が分からない上に、他国の調査団に被害があるだなんて。
「できる限り速やかに、湖の調査を」
「あー、その、言ってなかったかな。俺……泳げねえんだ」
スタンレーが参った、というように頭を掻く。ヒューケも深刻な顔を崩さなかった。
「我が国は海が少ないですからね……。水の魔力持ちはすべて、治療に当たらせています」
つまり、そもそもどうやって潜るのかという問題がある。
ブラントネルには魔力持ちが非常に少ない。
アルロが手を挙げた。
「僕、泳げます」
「は?」
「——それに、ゲノム王国からの魔道具に、水中の呼吸を助けるものがあるので」
「待っ——待ってください、陛下。調査をするにしても、陛下じゃないでしょう!」
ヒューケの台詞に、スタンレーも大きく頷く。
「僕が行った方がいいと思います」
「いや、まったく思わねえが?」
アルロがでも、と言う前にスタンレーが前のめりになる。
「強さなら、陛下より俺の方が強えからな!」
「でも将軍は泳げないんですよね」
「やっ……そ、そりゃ、息さえできれば……」
「難しいと思います。水の中での動きは」
歩くのと泳ぐのでは大きく異なる。剣を抜くとなると余計に危険だ。アルロだってペンシルニアで水中訓練を経験した時、勝手を掴んだ程度だ。
スタンレーがぐっと不満げに押し黙った。
「それでも、陛下が行く理由にはなりません」
「そうでしょうか……」
そもそもこの地に満ちている瘴気のことを考えれば、アルロが行くのが一番いいように思うのだが。
そんなアルロの考えが分かったのだろう、ヒューケがじろりとアルロを見た。
「身軽にファンドラグへと行かれるからと言って、他へも身軽に出られては困ります。——とりあえず、せっかくですからゲノムの王子に話をしてみましょう」
「王子……もう来ているんですか」
ブラントネルの西、ゲノム魔術王国からの賓客だ。定期的に訪問し、魔道具を共同開発している。
「はい。予定ではまだ数日後の予定だったんですが——」
「早く出来上がったから見せたくてさ!」
タイミングを計ったかのようにばさりと天幕を上げて入って来る。ヒューケが長い溜息をついた。
「——王子。もう少し礼法を」
「俺とアルロの間にそんなのねえだろ。な?」
「あ——どうも」
ゲノム王国の王子、ペトゥール——だと思う。
人懐っこい声は聞き覚えがあるし、ゲノムの魔導士が身につけている道着を身につけている。ただ……顔が不気味な箱のようなものに覆われていて、この上なく怪しい。
「——すごい格好ですね」
「こうでもしねえと息もできない。——お前ら、よく耐えられるな」
「私には魔力がないので、何も感じませんね」
「俺は重苦しくてそわそわ——ぞわぞわ?するくらいだ。鳥肌はずっとたってるが、耐えられねえほどじゃねえ」
ヒューケもスタンレーも耐えられないほどではないらしい。アルロはというと、重い空気は感じるが、闇魔力のお蔭だろうか、それほど不快感はない。
一方、ゲノム王国の国民は皆、魔力の親和性が強い。
魔力が多いわけではないが、魔力の探知能力が高い。魔力も探知能力もないブラントネルの国民だからこそ、この程度で済むのだろう。
「シャーン——いや、ブラントネルのこの湖には何かあると思ってたんだよ。まさかこんなとんでもねえもんがあるなんてな」
ゲノムはシャーン国時代、沈黙を守っていた。属国のような扱いではあったが、ほとんど鎖国状態で国交もない小国。それが、アルロが王位について半年ほどしてから、ゲノムの方から交流を持ちかけてきた。
特にこの王子はアルロと同年で、かなり親しくしてくれている。
魔力探知能力の高さを活かして、魔道具の開発に長けた国だ。アルロ達の知らないことを何か知っているのかもしれない。
「何かわかるんですか」
「これは、古代の遺物だ」
「古代の……というと、城の地下の隠し部屋にあったような?」
「ナマモノだけどな」
アルロが閉口してしまったから、ぺトゥールは補足した。
「古代生物が目を覚ましたんだよ。この瘴気で」
「この、瘴気は——」
「湖には闇の死体がいつも封じられていたんだろ?その死体を媒体にして、一つの魔法陣が出来上がってしまった。今回ファンドラグの調査団が、その封印の一部を切り取っちまったのさ」
ぺトゥールは地図の上で、水の流れの元、湖底の街の洞窟をとん、と指した。
「——魔王の復活、だな」
ヒューケとスタンレーがアルロを見た。
「魔王……」
闇魔力が暴走すると瘴気を生み出し、それが膨大な量になると獣を暴走させ、魔物を生み出す。初めの報告で言われていたリヴァイアサンかもしれないというのは、間違いではなかったようだ。
「古代生物が何かは、俺も見てないから分からないけど。高純度の魔力を感じる。その穴から」
アルロはしばらくその地図を眺めていた。
自分さえしっかりしていれば、闇魔力に関しては心配がいらないと思っていた。長年の迫害によりおそらくこの国に闇魔力の保持者は途絶えている。だから、瘴気に関しても特に気にすることはないと思ってまだ対策も取っていない。
それなのに。
一人一人の力は弱くとも、数百年の歴史で殺され続けてきた闇魔力者の怨嗟が、すべてこの一点に溜められているのだとしたら。
「——この、充満する瘴気を抑えれば」
アルロが伸ばそうとした手を、ぺトゥールが抑える。
「やめとけ。純粋な瘴気とは少しちがう」
「確かに、僕が作り出すものとは異質なような……」
ヘルムトの血を使って作り上げた瘴気とも違う。ただ、取り込めないことはなさそうだ。この瘴気を消しさえすれば、状況が好転するなら。
「時間が経ちすぎて、腐敗したものを体に取り込めばどうなると思う?」
「腐敗……」
「そう、こりゃ腐った魔力だ。ヘドロみたいなもんだ。だから俺もこんなマスクしないと歩けねえんだよ」
「それマスクだったんだ」
箱だと思っていた。
「改良中なんだよ」
ぺトゥールが悔しそうに言う。
「半日待ってくれ。これに水中で呼吸ができるやつ、つけるから」
ぺトゥールは王子であると同時に、ゲノムで最も優秀な技術者でもある。
その彼が全面的に協力してくれるというのだから、百人力だ。
「まあ、行くのはアルロが行った方がいいだろうな。魔力持ちでないと厳しい」
「そんな……!」
「心配すんなって。俺も行くから」
ぺトゥールは作業すると言って急いで城に戻って行った。
更新ペースが落ちて申し訳ありません
コミカライズの方が素敵に更新中ですので、見ていただければと存じます。
https://comic-earthstar.com/episode/12207421983405894932




