43.急報、そして、決裂
複数人の騒々しい足音が聞こえる。
王家の中庭であるここを走るような不届き物は、普通いない。
嫌な予感がしてシンシアはアルロとマリーヴェルと目を見合わせた。
走って来たのはエイダンだった。騎士詰所から休みなく走って来たのだろうか。息を切らしている。
「どうしたの」
「ブラントネルから、急報」
アルロの顔にさっと緊張が走る。
「詳細は分からない。首都のあの湖底から、正体不明の魔物のようなものが出現したらしい」
「魔物……?」
「湖には、ペンシルニアからの調査団が行ってるんじゃ」
「調査団にも、随行の騎士にも複数の怪我人が出ている。まだ全貌は見えていないけど、恐ろしく大きくて長い何かだって。鋭い刃物のようなもので切り裂かれた者、激流に呑まれた者、魔力の濃さに立ち上がれない者も多い」
一気にしゃべって、はあ、とエイダンは緊張した息をついた。
「——これ、リヴァイアサンのようなのじゃ、ないよね」
アルロがブラントネルを発ってから7日。
アルロがここにいるのに、瘴気が満ちるようなことはないはずだ。アイラも何も言っていなかった。
瘴気を発するのは闇の力。闇の魔力はヘルムトの死後、ブラントネルでもアルロが唯一の闇の使い手のはずだ。
けれど、未知の事の多いブラントネルだから、何が起きるか分からない。
「奥様」
アルロが素早く反応した。シンシアも頷く。
「ええ、急ぎなさい」
アルロはマリーヴェルに向き直り、胸に手を当てた。
「姫様。行ってまいります」
ここまで固唾を飲んで聞いていたマリーヴェルが青い顔のまま手を握りしめた。
「危険、なんじゃ……」
でも、行かないといけない。言いたいほとんどの言葉を、ぐっと飲み込んだ。
「一番前で戦うなんてことないよね。アルロは国王なんだから」
アルロはふっと笑った。
「心配しないでください。ブラントネルの兵士はスタンレー将軍を筆頭に、とても強くなったんです。僕がいなくてもきっと大丈夫だと思います」
「じゃあ——」
「けれど……ブラントネルは、この数年、やっとの思いで復興したんです。国民は、まだ平和に慣れていない。やっと復興した街のすぐそばで魔物が出たら——きっと、とても不安になっているはずです。だから、心配はいらないと、言ってあげたいんです」
アルロは既に国王の顔に戻っていた。
不安な人々が、きっとこのアルロの姿を見るだけで安心するだろう。アルロもそれが分かっているから、何を置いてもすぐに駆け付けねばと言っている。
引き止められない。
マリーヴェルはたくさんの言葉を飲み込んだ。
「気を付けてね。少しの怪我もしないで」
「かすり傷でも負えば、帰ってきます」
何度も言われた台詞を言って、アルロは頭を下げた。
出立の準備に駆け出すアルロを、皆が黙って見送った。
急ぎ用意を整えてオルティメティらにも挨拶を済ませ、アルロは馬を待たせている場所に向かった。すぐに出られるように、城の出口付近に用意をしてくれている。
マリーヴェルは城門で見送ると言っていたから、ここには馬を曵いて来た者しかいない。
「ありがとう」
そっとお礼を言って手綱を受け取った時。
その横に、エイダンが立っていた。
「エイダン様?」
しかも、旅装だ。
「僕も行くよ」
「え……」
エイダンはにっと笑い、自分の愛馬の首筋を叩いた。
「僕は以前、リヴァイアサンを見たことがある。あれは、とても人の敵うものではなかった。あれと同じようなものだとしたら。ワイバーンの比じゃない。国が滅びるかもしれない」
瘴気だとかそういう事なら、アイラでないと手には負えない。必要とあれば万全を期してアイラがブラントネルへ来られるよう、手筈は整えてある。それまで保たせればいい。
報告を聞いた時の様子から、これがただ事ではないと察したのだろう。アルロの力だけでは心配で。
「でしたら尚更、エイダン様に来ていただくわけにはいきません」
「なんでだよ、僕を頼りなよ」
昔なら、許可されなかった。
だから革命の時も、何もすることができなかったんだ。あの時、どれほど側で一緒に戦いたかった事か。
でも今は違う。成人して、一人前になって、自分で判断が許される。
ついて行って助けることができる。
「さすがに急だったから、僕一人だけど。友軍としては、百人力だろ?」
「でも、エイダン様は、ペンシルニアの大切な後継です。おいそれと——」
「おいそれとじゃないだろ?アルロの一大事——アルロが大切にしている国の大事じゃないか」
アルロは首を振った。
「これ以上お世話になるわけにはいきません」
「大丈夫だって。僕が強いの知ってるでしょう」
聞く気が無いようで、エイダンは馬を引いて乗ろうとする。その手を、アルロは止めた。
「エイダン様。いけません」
その目が本気で止めようとしてるのを察して、エイダンは止まった。
「おっしゃる通り、本当に、危険かもしれません。ブラントネルには未知の場所が多いのです。これまで知られていなかった、魔力に関わる——」
マリーヴェルには言わなかったが、危険性が分からない。古代、魔力が発生した場所と言われている地だからこそ。
「だったら尚更、一人では難しいかもしれないじゃないか」
「一人ではありません」
「こう言っちゃなんだけど、僕、ブラントネル兵士百人分くらいの働きはできると思うんだけど」
「分かってます。エイダン様は僕より強い。けれど、リヴァイアサンの魔力の質は、通常の魔物とも桁違いだったんですよね」
世界が滅びる規模のものだった。欠伸一つで都市が一つ壊滅しそうな。——そう聞いている。
「アルロのその能力だって、古代の魔物に通じるかどうかも分からないだろう?」
「僕が確認して、必要であれば、その時は正式に支援を要請します」
それはきっと、国家の危機として。
エイダンはむっとした。
「それじゃ遅いだろう?」
「いいえ」
アルロは引かなかった。
明確な線引きをされている。エイダンも、少しは断られるかと思ったが、まさかここまで頑なに拒まれるとは思っていなかった。
「本気で?僕が、自分の意思で決めているのに」
「でしたら、僕も、ブラントネル国王としてお断りします」
「はあ?」
普段のエイダンからは、聞いたこともないような低い声だ。
「お気持ちだけ、ありがたく受け取ります」
ペンシルニアの人々の事を思うと。その人々の大切なエイダンを危険に晒すようなことは、アルロには絶対にできなかった。そんな、恩をあだで返すような真似は。
エイダンが明らかに怒りをたたえた表情に変わっていった。けれど、アルロは引かない。
「なんだよそれ。アルロにとって、僕は一体何なんだよ」
「エイダンさ——」
「アルロのそういうところ、僕は嫌いだ」
ガシャン!!——大きな音がした。
荷物が投げ捨てられている。馬が驚いて鼻を鳴らした。
「——勝手にしろよ。わかった。余計な事して悪かったね。僕はもう、知らないからな!」
「あ——」
ものすごい勢いで走り去ってしまった。
この短時間で支度を整え、調整をして——騎士団長としての職務を考えると相当大変だっただろう。それでもなんとかして、ついてくると言ってくれたのに。その思いを無下にしてしまった。
申し訳なさでいっぱいになったが、やはり、エイダンを危険に晒すわけにはいかない。
「すみません……」
もう姿も見えなくなったけれど、謝らずにはおれなかった。
エイダンからここまで剥き出しに怒られるのは初めての事だった。
馬に乗り、出立した後も、胸にぽっかりと穴が開いたような、後味の悪さがずっと残った。
はじめての喧嘩




