東の端の街
これはメイブル王国、東の端から始まる物語。
冬の寒さもだいぶやわらいだ季節。今日も下町食堂のがやがや亭は繁盛している。
おかみのマーサの作る大雑把料理は大味ながらとても美味いと評判だ。
ここ、東の端の街の人はよく働く。よく働くから腹が減る。必然的にマーサの作る量が多くて濃い味の料理が好まれるというわけだ。
がやがや亭の名物は大雑把料理だけではない。
「マーサ、ルリアは今日はいないのかい?」
いつも月曜と木曜の昼より少し遅い時間にやってくるカラクリ職人のジモンが、注文のついでにマーサに聞いてくる。
「あぁ、ルリアはいつものアレだよ!じきに戻るさね」
マーサは卵の数を数えながら答えた。
今日はやたら卵料理の注文が多い。
「あぁ、今日は騎士団様の巡回の日か。」
ジモンはマーサがもう自分の話を聞いていないと理解して一人で呟いて会話を終わらせた。
がやがや亭から少し離れた場所。
大広場にある時計塔の下でルリアは騎士団が通りかかるのを待っていた。
小脇に小さな紙の束を挟み、瞳はじっと広場の入口を捉えている。
この街では珍しい、アメジストのように澄んだ紫の瞳。
そして、一見するとただの黒髪でありながら、柔らかな日の光を浴びると深い緑とも神秘的な青ともつかない絶妙な色彩を放つルリアの髪は、明るい髪色が多いこの国では少し異質だったが本人は全く気にもしていない。
そうこうしていると、女たちの熱い視線の先に騎士団が現れた。
瞬間、ルリアの瞳は騎士団の中でも一際目を引く美丈夫を捉える。
視線を釘付けにしたまま用意していた紙へと鉛筆を走らせる。
数枚書き終え満足したルリアは、その美丈夫から視線を少しだけずらすと、そこには美しい金色のたてがみの馬と、馬上には美しい刺繍をあしらった布マスクの人物がいた。目より下は布で覆われているので顔に傷でもあるのだろうか。
(線が細いな。まだ私と同じ年ぐらいか?顔は見えないが、一応描いておくか。ん?あの刺繍は獣だろうか。首から頭にかけての毛が妙にゴワゴワしてそうだ。……趣味が良いとは言えないけど……。馬は綺麗だ。体躯は足元まで金色で……)
少し気になる点があったが考えても仕方のない事は考えないに限る。
ルリアは騎士団に恋心や憧れを抱いているわけではない。
これは特技を合わせた趣味。いや率直にいうと小遣い稼ぎのための労働だ。
ある秘密のコミニティーで騎士団の姿絵はとても好評なのである。
ルリアの特技は瞬間を記憶できる事だ。脳裏に映像で残るので、スケッチは補足みたいなものだが、やはりあった方がいい。記憶は永遠に残るわけではないし、記憶の奥底へ消えるのも割と早い。
時計塔の影が先ほどよりも伸びてきて、針は夕刻より少し前の時刻を告げている。
「まずい!早く戻らなくちゃ!マーサがカリカリしだしたら大変だ」
マーサはルリアの小遣い稼ぎを黙認はしているが、応援しているわけでもない。いわゆる放任主義なだけなのだ。
ルリアはポケットにスケッチした紙束をつっこみ、
気持ちだけは颯爽と軽やかに走り出した。
運動能力が自分の思い描く通りになるならどれほど素晴らしい事だろうか。
全力疾走をしたわりに、がやがや亭に到着したのはマーサがカリカリする一歩手前だった。
「お待たせー、いつもの大盛りね。テオ、夜の巡回もお疲れさまぁ! 」
ルリアが青年の顔を覗き込むように首を傾けながら皿を置くと、カウンター席の青年――テオは耳の裏を左の指で弄りながら、あどけなさの残る笑顔で右手を上げた。
この少し暇そうにも見える若者のテオは、これでもこの街の警備兵のひとりだ。
この東の端の街は、少し前まで治安が今ほどは良くなかった。だが、最近になって上層部の人間が入れ替わったらしく、驚くほど急速に街が平和になっている。熱心な騎士団の巡回もその一環らしい。
「それにしても、テオたちが来てから本当に街が静かになったよね。おかげで夜も安心して歩けるよ」
「……別に、俺が何かしたわけじゃないよ。上が勝手に細かく命令してくるんだよ」
と、テオは面倒くさいと主張するようにスプーンを片手にぷらぷらとさせてから、湯気が立ちのぼるスープを熱そうに啜っている。
そんな姿を見ながらルリアは思う。
(こんなやる気もなさそうな男が、街の警備兵なんて務まるのだろうか。いいかげんそうに見えてるけど、運動神経だけは良さそうだ。うん。きっとそこを買われているんだろう。騎士団という花形には所属できない……きっとそんなところだろう)
そんな失礼な事を考えていたら、ポケットからハミ出していた紙束を、テオにサッと抜き取られた。
「あ、ダメ!それ売り物……っ! の下書きの下が…き」
テオは、ルリアのポケットからひらりと掠め取った紙束を眺め、一瞬だけ目を見開いた。だがすぐにいつもの無害を絵にしたような顔に戻った。だけど口もとだけは意地悪く右の唇を上げてルリアに詰めよってくる。
「おいおい。……なんだよこの布面。騎士団の隊長クラスじゃないのか?こんな偉そうなやつの姿絵なんか売ったら、おまえ罰せられるぞ」
アメジストの瞳が揺れはしないか観察するようにテオはルリアをじっと見つめる。
そんなテオを真っ直ぐに見つめ返したルリア。
「え、どんな罰? 」
……「さぁ? むち打ちとか、一生冷たい牢獄に監禁とかか? 」
ルリアは鼻で笑いながらも、ふと、昼間に自分の足が遅いせいで、がやがや亭に遅れそうになったことを思い出し、テオの碧色の瞳を今度は覗き込むように見つめた。
「ねえテオ、それならさ、私を特訓してよ」
「……は? 」
「私、運動神経が最悪でしょ。テオはいっつもここに来る。テオはきっと暇な時間がたっぷりある! 」
そこまで言い、一呼吸をついてルリアは続ける。
「ね!私にできる簡単な訓練メニュー教えてよ。お願い!もしもの時は颯爽と逃げるから! 」
(人を暇人あつかいしておいて……特訓だと!? )
一瞬、唖然としたテオだが、頭の奥の方でピキリと緊張が走り思考が巡る。
(こいつの観察眼……機密に動いている俺の正体までもあっさり突き止めてる……よな?さらに武力まで手に入れようとしてるのか? )
「あ、あとね、やっぱり食事も大事だよね! 卵! 卵を食べると力が付くって聞いたの。さっきも店でやたらと卵料理の注文が多かったし、これを毎日食べまくれば、逞しい体が手に入るかな? 」
テオの脳内に、凄まじい衝撃が駆け抜けた。
(卵……! そうか、今日この店でやたらと卵料理が注文されていたと聞いたが、ルリアが『自身の肉体を効率よく強化するための栄養配分』を客を使って実験していたからだったのか……! )
テオは歪んだ笑みを仮面のように張り付かせ、押し殺した声で言った。
「……いいぜ。これ(紙束)は俺の特訓メニューをこなす事ができたら返してやるよ」
テオの目的はこの紙束をルリアから取り上げる事だ。その手段としてルリアの願いを聞き入れたはずなのに……
「……へーえ、なに偉そうに言ってんのよ。そんなことよりテオ、早くそれ返して! 」
(この下書きたちをもとに秘密のコミュニティーで売る絵を創作するんだから! )
ルリアはじとりとテオに視線を流しながら紙束を奪い返すと、パタパタと厨房へ戻っていった。
(は?特訓とやらは……いいのか? )
残された男――メイブル王国第3王子は、冷や汗を拭いながら紙束を抜き取られた手を見つめる。
(……あいつ、なんで俺が昼間、面で顔を隠して巡回していたって気づいたんだ……!? )
◇◇◇
テオは知らない。
ルリアがただの小遣い稼ぎとして、たまたま目に入った綺麗な馬と、美しい刺繍がほどこされた面の男をスケッチしただけだということを。
テオは完全に誤解していた。
(あの完璧な素描画……。刺繍の紋様までしっかりと描かれていた。もしやルリアは、俺の正体を知っているのに、わざとがやがや亭で平然と接しているのか……?しかも王国騎士団の技も盗もうとしている……!? )
アメジストの観察眼を持つ下町娘に、警備兵のふりをしている第3王子は本気で混乱していた。
厨房の奥からは、カチャカチャと呑気な皿洗いの音だけが響いている。




