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残された時間を知ってしまった私達は  作者: 七瀬乃


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9/19

黒嶋琉生

 スマホのアラームが鳴っている。布団の中で手探りでスマホを探して、アラームを止めた。

 起きて学校に行く準備をしないといけないけれど、寒くて布団から出られない。もうこのまままた寝たいと思って目を瞑ると、スマホが鳴った。

 誰かからメッセージが届いた。愛生からだ。今日からまた学校に行く、と書いている。それを見て飛び起きた。さっきまで寒くて布団から出られなかったのに、一瞬で目が覚めた。



 朝、いつものようにエントランスで待っていると、愛生が小走りでやってきた。

「琉生くんおはよう」

「おはよう」

 彼女は少し微笑んで、乱れた髪を整えた。彼女が、ふぅ、と息を吐いて、行こっか、と言って歩き出す。

 愛生はお父さんが亡くなって、まだ日が浅いけれど、悲しみを見せることはない。

 お父さんのことを話題に出していいのかも分からず、俺は黙る。

 彼女も黙り込んで、何か考え事をずっとしているようだった。

 電車に乗ると、空いている席が無くて、ドア付近に二人で立つ。電車が動き出すと彼女が口を開いた。

「ねぇ、琉生くん。今日学校が終わって、色々話したいことがあるの」

「うん。分かった」

 それから彼女はまた黙った。俯くことなく、電車の外を見つめて、見慣れた景色を初めて見るかのようにじっと見ていた。目に焼き付けるかのように見ていた。

 俺も久しぶりに外を眺める。この前まで空き地だった所は工事が始まって、この前まで建物が建っていた所は空き地になっていて、久しぶりに見ると色んな所が変わっていた。

 つい最近まで変わらない景色だった気がするのに、どんどん変わっていて、時が経つのは早い。あっという間に、残された時間が無くなっていく。

 愛生と過ごせる時間はあと数ヶ月で、それもあっという間に時間が過ぎ去っていくのだろう。今日もこんな普通に学校に行っていいのか、学校に行く時間が勿体無いと思ってしまう。


「ねぇ、愛生。あのノート今持ってる?」

「hand numberノート? 持ってるよ」

「ちょっと見せてもらえないかな?」

「う、うん。ちょうど今日見てもらおうと思ってたの。結構書き足したから」

 彼女がカバンからノートを取り出して、俺に渡してくれた。

 ノートをめくって、やりたいことが書いてあるページを開いた。

 あった。前に見た時に、学校をさぼってみたい、と書いていたのを思い出して、消されていないのを確認した。まだ、これは叶えていないんだ。だったら、今日彼女のやりたいことを叶えてあげたい。

 ちょうど学校の最寄り駅に着いて、電車のドアが開いた。彼女が降りようとしていたので、腕を掴んで引き止めた。


「どうしたの? ドア閉まっちゃうよ」と彼女は慌てた様子で言った。

「学校さぼろう」

 電車のドアが閉まった。彼女は、何も言わずに空いた席に座った。何も言わない彼女を見て、焦った。怒らせたかもしれない。いきなり思いついて、いきなりさぼろうなんて言われたら普通嫌だよな、と後悔しながら、俺も彼女の横に座った。


「ふふふふ」

 横から笑い声が聞こえてきた。彼女を見ると、手で口を押さえて笑っている。

「びっくりしたぁ。いきなりさぼろうとか言うんだもん。私のやりたいこと叶えてくれようとしてるんだよね?」

「うん。ごめんいきなり。このまま学校に行くのは、なんか勿体無い気がして……。学校さぼって、どこかに行ったほうが楽しそうだったから……」

「ありがとう。琉生くんが言ってくれなかったら、私、学校さぼる勇気なかったかも。学校さぼるのドキドキするね!」

 彼女が嬉しそうに笑ってくれた。良かった。今日この選択をして本当に良かった。

「でも、学校には体調不良で休むって連絡いれないと、お母さんに連絡いっちゃう。とりあえず次の駅で降りない?」

「そうだね。俺は、母さんに連絡頼んでくる」

「お母さんに怒られないの?」

「あ……うん。母さん、俺の好きなようにさせてくれるから」

「そうなんだ……。いいなぁ」

「普通の親なら怒ると思うよ。うちは変わってるから……ははは」

 駅に着いて、俺達は電車を降りた。駅から出て、駅のアナウンスが聞こえない所まで移動した。

「私、あっちで学校に電話してくるね」と言って、愛生が少し離れた所で電話をかけている。

 俺も母さんに電話をかけた。

『もしもし? 琉生? こんな時間にどうしたの? 学校は?』

「あーそれが…… 今日学校休みたいんだけど、学校に連絡してくれない? 体調不良ってことにしておいて」

『分かった。何で休みたいの? 理由聞かせて』

「……行きたい所がある」

『どこに?』

「まだ決めてない」

『一人で?』

「いや。愛生と……」

『琉生。愛生ちゃん巻き込んじゃダメでしょう……』

「巻き込むというか、愛生のやりたいことを叶えてあげたいんだ……」

『愛生ちゃんのやりたいこと……。分かった。愛生ちゃんのためなんだね』

「うん」

『じゃあ、くれぐれも怪我、事故のないように。愛生ちゃんを危険な目に合わせないように。あと、行く所が決まったら必ず教えること。分かった?』

「分かった」

『じゃあ気をつけて』

「うん。ありがとう。じゃあ」

 愛生は先に電話が終わったみたいで、少し離れた所で待っていた。彼女が微笑みながら手招きしている。急いで彼女の所へ行くと、「大丈夫だった?」と訊かれた。

「うん。大丈夫だった。愛生は?」

「大丈夫だった。前に体調悪くて休んだ時も自分で電話したことがあったから、今回も大丈夫だった」

「お母さんにばれない?」

「うん。大丈夫だと思う。先生、お母さん仕事で電話できないの分かってるから、連絡しないって言ってたの」

「そっか、良かった」

「初めてこんなことするから心が痛いよ」

 そう言って彼女は胸に手を置いた。

「大丈夫。こうなったら楽しむしかないよ!」

「そうだね! 楽しもう!」

「ノートに書いてるやりたいこと何個か叶えようよ」

「うん! 何しようかな……」

 ノートを見ながら彼女が悩んでいる。

「あ! 私達さすがに制服のまま、うろつくのはダメだよね…… ちょうど私、服を買いに行きたかったんだ。私が普段選ばないような服を着てみたいなぁってずっと思ってて……」

「いいじゃん。服買いに行こう。俺も適当に買って着るわ」

 スマホで時間を見ると、まだ八時半で、服を売っているお店が開くまで時間を潰さないといけない。

「まださすがにお店開いてないね。十時からだって。それまでどうしよう」

 彼女もスマホでお店の時間を調べてくれたみたいだ。

「ねぇ、琉生くんも行きたい所ない? 琉生くんのやりたいこと私も一緒にやりたい!」

「えっ……でも……」

「お願い」

 愛生が大きな瞳で見つめてくる。そんな目で見つめられたら誰でも言うことを聞くと思う。俺は彼女から視線を外して、少し考えて答えた。

「海……。小さい頃によく行ってた海に行きたい。たしか、ここから二駅離れた所にあるんだ。近いし、そこで時間潰す?」

「うん! そこに行こう!」

 俺達は、また電車に乗って目的の駅まで行った。

 駅から出て少し歩くと、海が見えてきた。何隻もの船が並んで揺れている。

「海だぁ〜こんな所があったんだね」

 彼女が海を見ながら言った。

「うん。もう少し歩いたら、たしかベンチがあった気がする。そこに座ろう」

 岸壁沿いをしばらく歩いていると、ベンチが見えてきた。ここだ。よく海を見ながら散歩して、休憩するのにここに座っていた。

 ベンチの前の岸壁にフェンスが設置されていて、フェンスの向こうを覗くとすぐ下は海になっている。ここで釣りをする人を何度か見かけたことがある。

「そこのベンチに座ろうか。ここ人があんまり来なくて、ゆっくりできるんだ」

「そうなんだ。海見ながらゆっくりできるの最高だね」

「うん。でも、ごめん。風強くて寒いよね」

「大丈夫だよ」

 愛生が鼻を赤くして笑っている。ちょっと待ってて、と言って、俺は暖かい飲み物を買いに行った。

 戻ってくると、彼女は遠くの揺れ動く水面を見ているようだった。揺れ動く水面に惑わされることなく、彼女は微動だにせず、しっかりと前を見ている。何か覚悟ができたかのような、そんな真剣な表情だ。

 彼女は戻ってきた俺を見て微笑んだ。コーンポタージュとココアどっちがいいか訊くと、彼女はココアを選んで、「いつもありがとう。暖かい」と言って、飲み物を頬に当てた。

 俺もベンチに腰掛けて、海を眺めながらコーンポタージュを一口飲んだ。

 しばらく、俺達は何も話さず海を眺めていた。何も話さなくても気まずくなくて、むしろ安心できる。

 彼女のほうを見ると、目が合った。彼女は微笑んで、「琉生くん。今日話したいことがあったんだ。今から話してもいい?」と言った。

「うん。いいよ」

 彼女はカバンからノートを取り出して、ここ読んで、と渡してきた。


 お母さんにhand numberのことは伝えない、と書いていた。


 俺は彼女のほうを見た。彼女は悲しそうに微笑んで頷いた。

「何でお母さんに伝えないの?」と俺は訊いた。

 それから、彼女は教えてくれた。お父さんがhand numberをお母さんに言ったことで、家族がバラバラになってしまった。そして、お母さんの仕事のことも。

 それでも、お母さんには伝えたほうがいいんじゃないかと思ったけれど、彼女のほうがお母さんのことを分かっているし、お母さんのことを想って決めたことだから、俺は何も言えない。


 ノートには、手紙も残さない、と書いていた。


「手紙も残さないんだね……」

「うん。なんとなくなんだけど、手紙を残すとお母さんは何度も手紙を読んで、ずっと私のこと引きずりそうなんだよね。手紙があると、悲しむ材料があるというか、手紙を見てまた泣いてしまうことがあるかもしれないなぁって。お父さんもね、手紙を残してなかったんだ。お父さんの手紙がないから、頭の中で思い出すしかなくて、悲しむ材料が少なかった。だから手紙がないほうが立ち直りが早いのかなって勝手に思ってる。その変わり、私は人生楽しんだよって証拠を沢山写真に撮って残そうかなって思ってる」

 彼女がカバンの中からカメラを取り出した。

「昨日、撮った写真見返したら、お父さんと私の写真いっぱい撮ってくれてたんだね。すごく自然な笑顔で写ってた。お父さんと私の写真なんて少ないから、すごく嬉しかった。琉生くんありがとう」

「ううん。二人が良い笑顔だったから、つい撮りたくなって……」

「ありがとう。お父さんが亡くなってすごく悲しいんだけど、この写真のお父さんを見ると笑顔になれるんだよね不思議と……だから私も自分が楽しんでる写真を残して、お母さんにあげたいんだ」

「じゃあ、俺これからも愛生の笑顔、沢山撮るよ」

「私も、琉生くんいっぱい撮る!」

「俺はいいよ……」

「お願い! 琉生くんの写真撮らせて欲しいの! 琉生くんが私を支えてくれた大切な人なんだよって、お母さんに写真で伝えたい。伝わらないかもしれないけど。ただの自己満なんだけど、私にとって琉生くんは特別で大切な人だから、お母さんに知ってほしい」

「そっか……。分かった。恥ずかしいけど協力する」

「ありがとう!」

 彼女は俺にカメラを向けた。

「今撮るの!?」

「うん。いい顔してるから」

 恥ずかしいけれど、精一杯の笑顔をカメラに向けた。

「うん。いい顔してる! 次は二人で撮ろう」

 彼女が俺に近づいて、カメラを向ける。

「笑ってね! 三、二、一!」


 彼女が立ち上がって、海の写真を撮り始めた。愛生のほうが、今すごくいい顔をしている。

「ねぇ。俺にも撮らせて」

 いいよ、と彼女がカメラを渡してくれた。海、海を眺める愛生、カメラ目線の愛生、沢山の愛生の表情をカメラに収める。

「愛生。海を見ながら、お母さんとお父さんのことを思い浮かべてみて」

 彼女は海を眺めて、切ないような、でも幸せそうに微笑んでいた。その表情を逃さないようにシャッターを切った。


 衣料品を売っているお店が開く時間になったので、電車に乗って駅前のお店に向かった。

 メンズ服もレディース服もあるお店に入った。またあとで、と言って別行動で服を買った。

 トイレで着替えて、トイレの前で待っていた。

 俺はパーカーにレザーのジャケットを着て、下はデニムをはいた。

「琉生くん……」

 愛生の声が聞こえて、顔を上げて俺は固まった。

 彼女もパーカーとレザーのジャケットを着て、下は明るめのデニムスカートをはいていた。

 彼女が、あははは、と爆笑している。

 俺が、「えっ? これ偶然?」と言うと、彼女が笑いながら、「偶然だよ! もーびっくりしちゃった!」と言う。

 しばらく二人で腹を抱えて笑った。彼女は笑いすぎて泣いている。

「俺ら服の趣味似てる?」

「いや、似てないと思う。私、レザージャケットなんて初めて着たの。今まで着たことない服が着たくて選んだら……まさか琉生くんと全く同じだなんて……あはははは」

「ははは! そっか、そういえば言ってたね。愛生、その服似合ってるよ」

 愛生は俯いて小さな声で、「ありがとう」と言った。

 彼女が爆笑している姿も、恥ずかしそうに俯く姿も、微笑む姿も、どんな姿も忘れたくない。

 彼女を見るのをやめて、「次どこ行きたい?」と訊いた。

「おしゃれなカフェに行きたいし、本屋にも行きたいし、ゲーセンも行きたいなぁ、あとは写真を撮りたい」

「分かった。じゃあ、時間も限られてるし行こう!」

 それから俺達は、駅から近いカフェに行って、パスタを食べて、本屋に行って立ち読みしたり、ゲーセンに行って遊んだ。

 学校をさぼっているという罪悪感なんて全く感じなかった。俺達にはこの時間が必要だった。何もかも忘れて過ごす時間が。でも、時間は一瞬で過ぎ去ってしまう。また一日が終わっていく。

 もうすぐ帰らないといけない時間で、今日、最後に家の近くの公園に行った。

 お互いの写真を撮ったり、空の写真、花の写真、俺達が一緒に過ごした証を、彼女が生きている証を残していった。

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