胎動の刻―侵食の叫び『香月の苗⑤』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『香月の苗⑤』
部屋のレイアウトを終えた子苗達が、白帝城に群がる。まるで、親子か歳の離れた兄弟のようで…実に微笑ましい。
そのまま私達は宿舎を後にして、学び舎を見学へと向かった。
宿舎から学び舎までは、少し距離があるようで、先頭を歩く女性職員と志乃さんの後ろを、ゾロゾロと列を組んで歩く。
両脇に子苗達をぶら下げた白帝城を皆で眺めながら…ゆっくりとした歩調で、豊かな実りを約束されたような畑を横目に進む。
私を抱っこした魔剣は、最後尾だ。
穏やかな陽射し。柔らかな風。畑には緑が広がり…この作物は、ジャガイモだろうか?向こうの畑は、葉の形状からして…サツマイモっぽいな。
さっき志乃さんは、小麦の収穫時期だと話していた。なら…ここの芋もそろそろ収穫だろうか?
いや、収穫にはちょっと早いかな…。
そんな私のぽや〜んとしたのんびり思考に反するように、魔剣が纏う雰囲気は厳しい。
安全性は高い。いきなり襲撃される確率は限りなく低い…。それでも魔剣は警戒を絶やさない。
皆がリラックスしているのが分かるからこそ、魔剣はただ1人、厳しい眼差しで周囲を見回している。
魔剣のそういう所…本当に凄いと思う。誰が頼む訳でもなく、建物内から一歩外に出ると、スイッチが切り替わる。白帝城が結界を展開している訳では無いから…尚更に気が引き締まるのだろう。
私の探るような視線に気づいた魔剣が、少し困ったように眉尻を下げながら私に話しかけて来た。
「…九尾か、白夜に抱いてもらうか?」
いきなり何を言うのか…その意図が分からずに、私は首を傾げる。
「オレと一緒だと…気が休まらないだろう?」
ああ…そう言う事か。
魔剣は自分が警戒中だから、ピリピリした雰囲気を醸し出しているのを気にしているんだな。
私が、その雰囲気に当てられて…休まらないと心配してくれたんだ。
私は魔剣の腕の中で体勢を変えて、そのまま魔剣の肩へと移動した。
ガッチリとした硬い肩。首に巻きつくように、身体を伏せる。
「魔剣と一緒に居るよ。私も警戒する…ほら、私は耳が良いからさ。多少は役に立てると思うよ?」
魔剣の耳に囁くようにして返事を返すと、魔剣はクスッと笑った。
「…髭が、擽ったいぞ。」
私の髭が、サワサワと魔剣の耳に当たる。擽ったそうに肩を揺らし魔剣が笑いを堪えている。
魔剣の返答は無いが…まぁ、「一緒に居て良し」と捉えて、私はそのまま肩のり猫として…周囲の音に耳を欹てる事にした。
暫く歩くと学び舎らしき建物が見えてきた。私の耳に届く音は…子苗達と騒めきと、コッコッコ…という鶏の鳴き声。
…鶏を飼育しているんだな。あぁ…あの小さな小屋がそうかも。学び舎に隣接して、小さな小屋がある。あれ…良く見れば小屋が、もうひとつあるな?
鶏小屋が二つ?いや…何か違う音が聞こえる。何の音だろうか…聞いた事があるような…無いような。
シュッ、タタン。シュッ、タタン。
リズミカルに、繰り返し繰り返し聞こえてくる音に、私は興味をそそられる。
魔剣の肩から飛び降りて、小屋の中を覗きに行きたい衝動に駆られるが…ジッと我慢する。
多分、あの音は…危険な物では無い。何かの生活音だ。慌てて観に行く必要は無い。
自分に言い聞かせながら、近づく学び舎を眺めてると、前を歩く白夜が横に並ぶ天使に説明を始める声が聞こえてきた。
「あそこの小さな小屋なんですが…はた織りをしていますの。職教育の一端として、子苗達が学んでいるんですのよ。なかなか良い仕上がりで…私もよく買取しておりますの。」
嬉しそうに白夜が説明をすると、まってました!と言わんばかりに、白夜のすぐ後ろに控えていた銀朱が口を挟んでくる。
「練習ですから、色染めはしてないのですが…そりゃ、しっかりした生地で!カーテンや座布団カバーに最適ですよ。もし宜しければ、私が仕立てますので、ご購入されてみては如何ですか?ご希望があれば、色染めもしますよ。」
銀朱は満面の笑みで、生地の購入を勧めてくる。
そうか…あの音は、はた織りをしてる音だったんだ。
シュ、タタン。シュ、タタン。
シュッと縦糸に糸を通し、タタンと糸を押し整える。なるほど…通りで聞いた事があるような気がしたんだ。いや、実際に見た事はないけどね?
「銀朱さんが仕立ててくれるのですか?」
天使が不思議そうに尋ねると、銀朱は笑顔で頷いた。
「はいっ!申し付けて頂ければ、何でもお作りしますよ。私、裁縫が得意なんです!」
おぉ?それは凄いが…白夜配下の側近だよね。刀も携帯してて、時代劇でよく登場する御庭番みたいな感じなのに、裁縫が得意と。
いや、別に…銀朱の趣味をどうこう言うつもりは無いけどさ…何て言うか、イメージ的に不釣り合いなような?
「そう言えば…旅の間に使う為に用意したテーブルクロス…替えも含めて、全て他の用途で使ってしまったと…マリンが嘆いていましたね。」
そう言えば…真っ白なテーブルクロスは、教会潜入の為に白夜のローブに仕立ててしまった。替えのクロスは、確か魔剣が怪我をした時に…マリンが造った簡易テントの幕になっていたような…。
「じゃあ…テーブルクロス用に生地を購入しよう。」
雫が、手を繋ぐ天使の顔を見上げる。
「テーブルクロス用ですねっ!丁度此方の生地を使ったクロスの刺繍が、完成したばかりなんですよ。自信作です!はた織りをした子苗に渡す予定だったのですが…お嬢様、それを皆様に進呈しても宜しいでしょうか?」
「銀朱が作ったのだから…私の許可を得る必要はないのよ?好きにしなさいな。」
白夜が少し呆れたように銀朱に話すが、眼は笑っている。
そんな白夜の答えに、銀朱は嬉しそうに瞳を輝かせていた。
「では、後ほど…落ち着きましたらクロスをお持ちしますので、確認して下さい。お気に召したようなら、買取頂けたら…と思います。」
銀朱の言葉に、白夜がふと眉を寄せる。
「あら、プレゼントでは無いの?」
「そうしたいのは…重々御座いますが、生地の売り上げ金は、子苗達のお小遣いになりますから…。」
銀朱が少し申し訳なさそうに、答える。
なるほど…作った商品が売れた場合は、作成した子苗達の小遣いになるのか。それは、子苗達にしてみればかなり嬉しいだろうな。
頑張った甲斐もあるし、次を目指す意欲にもなる。
「そうだったわね…なら、良さそうな生地を見繕って何枚か購入しておいてね。その生地は銀朱の好きに使って構わないから。」
風に遊ばせるように、白夜は長い灰銀の髪を掻き上げながら銀朱へ微笑みかける。銀朱は、パッと顔に朱を差すと満面の笑みで答える。
「承知致しました。それでは、私は先に生地を買い求め、帰還致します。皆様が寛げるよう、準備をして参ります。」
立ち止まり、銀朱は白夜に首を下げる。
「そうね…では、私の庵に準備をお願い。屋敷に滞在…では、心から寛げないでしょう。母様、それで宜しいでしょうか?」
先に歩く志乃さんは、白夜の話しに振り返ると、笑顔を見せた。
志乃さんは、先頭を歩きながらも、白夜達の話しをしっかり聞いていたみたいだ。
「ええ…良いと思いますよ。邸内は人が行き交い、騒がしいですからね。白夜の庵ならば、お迎えする広さもありますし…何より、香月らしい趣きを感じてもらえるでしょう。旦那様には、私からお話をしておきましょう。」
志乃さんは白夜にそう返事をすると、またゆっくりと歩み始める。
「はいっ、有難う御座います。」
白夜が礼を述べると、志乃さんは僅かに首を下げて頷く仕草をした。
「では、銀朱。母様のご許可も頂けたので、庵に準備を…扇にも伝えておいてね。」
「承知致しました。庵にお客様をお迎えするとお話したら…きっと扇様、張り切っちゃいますねっ!」
銀朱はクスクスと笑いながら、天使達に頭を下げた。
「では、銀朱は先に戻らせて頂きます。後程…白夜お嬢様の庵でお待ちしております。」
そう挨拶を済ませると、駆け足ではた織り小屋へと向かっていった。
何だか銀朱がご機嫌に見えるのは、生地を大量に買えるから…だったりするのかな?好きに使って良いって、白夜も話していたし。
いや、まさかね。幾ら裁縫が趣味とはいえ…そこまでウキウキになるものではないだろう。
私達は、銀朱の後姿を眺めながら…志乃さんの後を追い、歩き出す。
「ところで、扇様…って、どなたなのですか?」
天使が歩きながら、小首を傾げて白夜に尋ねる。
「ああ、私の庵を管理してくれてる…婆やの名前ですわ。私は普段から庵で生活しておりますの。私が幼い頃から、ずっと面倒を見てくれている…メイドみたいな者ですわ。」
白夜の説明に、天使は納得して頷いた。
白夜専属メイドさんか。いや、雰囲気からして…メイドっていより侍女とか、女中って感じだよね。
香月らしい趣きがある庵かぁ〜。どんな感じなんだろ?
王都と違って、香月は純和風テイストだから期待しちゃうよね。見るだけで和むって言うか…私の世界で実際に見た訳でも無いのに、似たような物を見ると親近感を感じるっていうか…
ホッとしてしまう。
全く違う世界に召喚されて…猫になって。バタバタの毎日で、深く考えてこなかったけど…ずっと張り詰めているのかな…私は。だから元いた世界と似たような風景を見ると…安心するのかも知れない。
私は魔剣の肩の上で、ふぅ…と溜息を吐いた。
すると、息が掛かった魔剣が、ピクリと反応する。手を伸ばして、私の頭を撫でてくる。
「疲れたか?無理しなくていいぞ。警戒するのは、オレだけで大丈夫だ。」
肩に乗っているので、魔剣の表情は見えない。でも、優しい声音からは…私を気遣う気持ちが感じられる。
魔剣は、私がずっと耳を欹てて警戒していて、疲れたと思ったのだろう。
実は…警戒そっちのけで、白夜達の話しを夢中になって聞いていた。それで、何か無性に…自分は精神的に疲労しているのでは?と感じている。…とは、流石に申し訳なくて、話し難いな…。
でも、うん。どんなに疲労したとしても…常に気にして気遣ってくれる仲間が側にいるんだ。
私は頭をグリグリと魔剣の顔に擦り付ける。
「ちょ、なんだよ…どうした?」
魔剣の顔に髭が刺さる。擽ったそうにして…魔剣が笑う。
沈みかけた心が、一気に浮上してきた!
右も左も分からない…私が育ててきたハオルチアが、人の姿で生活してる異世界。その大切な株達が、こうして一緒に居てくれる。
はっきり言って、最高じゃないかっ!
嬉しついでに、ゴロゴロと喉を鳴らす。
「あら…どうしたの?」
魔剣の抑えた笑い声に、天使が気付いて振り返る。その優しい眼差しには、魔剣の肩に乗って、ご機嫌な私の姿が映り込む。
「知らん。なんか…いきなりご機嫌になってるな。」
魔剣の答えに、天使は笑う。
「輪ちゃん…何か、嬉しい事でもあったのかしら?」
天使の柔らかな手が、私の頭を優しく撫でる。
穏やかな風の中…微笑みあう魔剣と天使。お似合いの2株…やっぱり最高だな!
大きく息を吸いながら空を見上げる。そして、息を止めて…考える。
最高な世界だ。だから…皆と協力してこの世界を守らないと!
なんとしても…あの邪神を止めるんだ。
肺に溜まった息を、ゆっくりと吐き出しながら…私は決意を新たにした。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




