すれ違う封書(最終話)
unintended misdelivery 6
「おう、新井。おはよう」
月曜日、社内の廊下。
蒼は朝一で、森田に声を掛けられた。
「先週はLIME、ありがとうな。とりあえず言われたとおりにした。土曜の朝、急いで大きい郵便局に行ってさ、レターパックを出した。そしたら昨日の夜、弟からメッセージあって。礼、言われた」
「そうでしたか……無事、届いたんですね。よかった」
「でもさ、なんで? なんでわざわざ前の住所に? しかも、なんで弟宛て?」
*
「って。今日、森田さんに訊かれたんですけど……オレ、答えられなかったんですよ、イオさん」
蒼は「ソアラ綜合事務所」のソファーから、身を乗り出すようにして、部屋の奥の机のところに座るイオへと話しかける。
「結局、真相はどういうことだったんですか」
蒼が詰め寄った。
「うーん、『真相』…っていうか、本当に本当のことは、森田さんの弟さんにね、きちんと話を聞かないと分からないと思うんだけどさ」
イオがちいさく困った笑顔を浮かべた。
――たぶん、こういうことなんじゃないかなと、僕は思うんだよ。
そんな前置きをして、イオは話し始める。
「弟さんは、森田さんと年が離れてるって、蒼くん言ってたよね」
「ハイ」
「いろいろあって家を飛び出すみたいな形で、森田さんの前の住居に『転がりこんできた』とも言ったね」
「はい」
「そこから、僕が気づいたのはさ。森田さんは、横浜に『引っ越す前』から弟さんと住み始めたってコト。そして、森田さんがいなくなったにもかかわらず、そのままそこに住んでいるってコト。そうするとね……森田さん、きっとその古い部屋を正式には『引き払ってない』んじゃないのかなって」
「……えっと」
「弟さんはまだ、かなり若い……学生さんとかそんな感じかな? 自分で一から賃貸住居を借りるのは、お金も手続きも大変だ。保護者の助けがないとね。でも『家を飛び出した』ってコトは、きっと親御さんたちとは、なにかトラブルがあったってことだろう? きっと頼るに頼れないよね」
確かに――
蒼が「ふうむ」と、顎先に指をあてた。
そのしぐさを見て少し微笑んで、イオは立ち上がってキッチンへと歩き出す。
音と空気の感じから、イオがコーヒーを淹れ始めたのだと、蒼は気がついた。
「あ、どうぞ、おかまいなく」とか。
そんなことを口にしそうになって、蒼はふと思い出す。
――蒼くんはさ、「気使い屋」さんだね。
そう言って笑ったイオの顔を。
もうすこし、自分のままで、のんびりしていてもいいと思うよ――
そんなイオの言葉を。
フワリ、香ばしいコーヒーの香りが、蒼に近づいてきた。
「よかったら、どうぞ」
イオが蒼の前にカップを置いた。
そして、ソファーの向いの席に座る。
礼を言って、蒼はいそいそカップに口をつける。
イオが、自身のカップを手にするよりも「先」に。
とてつもなくいい香りが、鼻の奥に抜けていく。
思わず漏れる溜息。
「すっごく……おいしいです、イオさん」
蒼の口もとが、きゅっと引き上がった。
「えっと、それでイオさんは、森田さんが弟さんのために、前の賃貸を引き払わずにいるって、そう思ってるんですね」
「うん、そう。もちろん家賃なんかは、弟さんが頑張って自分で払ってるのかもしれないよ? でも『賃借人の名義を変える』となると、弟さんが一から契約を結び直しになるだろう? 敷金礼金、不動産屋の事務手数料と、手間もお金も必要だ。森田さんだって、実は同じことだよ。解約しなければ、退去手続やハウスクリーニング、部屋の現状確認とか、敷金礼金の清算なんかの面倒な手間を省けるよね。ただでさえ、転勤前で仕事も大変だっただろうし」
そう言ってしまってから、イオがちょっとくちびるを噛む。そして、
「まあ、ホントはダメなんだよ、そんなのは」と言い添えた。
蒼は曖昧な笑顔を浮かべ、ひとつ頷いてみせる。
「えっと。賃貸の名義を森田さんのままにしておくことで、弟さんだけでなく森田さんにもメリットがあった、と。そういうことなんですよね、イオさん」
「うん、そうなんだ、蒼くん。それでね……これは『もしも』の話だけどさ。弟さんが、ご実家とはちょっと疎遠なんだとする。そしたら、もし誰かと、その部屋で同居を始めたとして……気軽にそれを報告したりできるかな」
あ。それでイオさん。金曜日の夜、あんなこと、オレに訊いたんだ。
「お兄さんの部屋に『転がりこめた』のなら、きっとそこって『ふたり暮らし』ができなくもない部屋なんだろうし。弟さんの恋人? 友達? ともかく『その同居人』が、もし病気かケガをしたとしたら」
「……保険証!」
すかさず口にして、蒼がコーヒーに少し咽せ込んだ。
イオがゆっくり、睫毛で頷く。
「その同居人も、若いひとなのかもしれないね。そしたら無保険で病院にかかるのは大変だ。お金がうんとかかるだろう? それで、味方になってくれそうな家族を頼った……おそらくお母さんかな。差出人の筆跡や名前から、なんとなくそう思っただけなんだけど」
「それでお母さんが保険証を送ってくれたんだ。群馬から、ちゃんと届くように『書留』で」
蒼が思わず声を張る。
だが――
「え、でも……待って、イオさん。じゃあなんで、それが『森田さん宛て』に送られてくるの? 弟の恋人だか友達だか、『その人宛て』に送ればいいのに?」
「それはね、蒼くん」
イオが、すこしだけ蒼の方へ身を乗り出した。
「『ちゃんと届けたかった』からだと思うよ」
「え?」
「差出人は……お母さんはさ。保険証なんて大事なものだから、ホントは軽々しく送ったりしたくなかったはずだ。しかもお父さんに内緒でね。でも困ってる我が子のコトを考えれば、そうせずにはいられないよね」
「……ハイ」
「きっと『同居人さん』はさ。弟さんの事情もよく知ってたんだよ。この部屋は『弟さんが借りてる』ものじゃなく、その『お兄さん』が借りているものだって。だから、そういうことを『きちんとしないといけない』って思っちゃったんじゃないかな……それか弟さんの方もね、名義を変えずにいることを後ろめたく思っていたのかもしれない。だから自分の名前は、あまり表に出したらいけないような気がしてたんじゃないかな」
――じゃあ、それで?
「そう、だからね。『送り主』はちゃんと『意図して』、森田さん宛てで、森田さんの昔の住所に書留を送ったんだ」
「だから……イオさん。鍋の時に送り先は『間違ってなかった』って。『宛名』も」
「たぶんね。もう少し後になれば……いずれは、この行き違いの真相は判明したんだと思う。だから森田さんが送り主に保険証を返送していたとしても、別に悪くはなかったんだ。でもね、蒼くん」
「ハイ。イオさん言ってましたよね。もうすぐ『月末』だからって……」
保険証忘れで、お金を後払いにしてくれるような病院はずいぶん減ってしまったけど――ともかく、その月の月末までに持ってくれば、全額負担にはしないでくれるところは、まだまだある。
「うん、蒼くんの想像どおりだ。急いであげた方がいいと思ってね。森田さんが、どうせどこかへ送り返すなら、今、必要な人のところに、すぐに送ってあげてほしかったんだよ」
*
それなりに忙しい一週間が終わって、また土曜がやってくる。
早朝、蒼は臨海パークに来ていた。
タオルと水、そして、着替えのシャツを入れたバックパックを背負って、マンションから走って来たのだ。
「ゴールが海辺の遊歩道」というランニングは、いい感じに高揚感があった。
さすがに、真夏は早朝でも暑そうだけどさ。
週末がうまく梅雨の晴れ間になりそうなら、定期的に走ってもいいかな――
沖合の風力発電の白い羽根を眺めながら、蒼はそんなことを考えたりする。
実は今朝、蒼は出がけに、イオを誘ってみた。
「一緒に走りませんか?」の声がけに対しては、「やめておくよ」と笑顔で断られた。
けど――
「先に行って待ってるよ」と。
楽器のケースを手に、イオは地下鉄の駅へ降りて行った。
その言葉どおり、臨海パークを走り抜けて遊歩道に出ると、風に乗って空をめぐるような、やわらかい旋律が蒼を迎えてくれた。
汗に濡れたシャツを着替えて、タオルを首にひっかけ、水を飲みながら、蒼はイオの隣に座る。
「あのね、イオさん。森田さん、『弟を叱っておいた』って」
蒼の話は、ごく唐突だった。
けれどイオは、凪いだ佇まいを微塵も乱さぬまま、静かに楽器を奏で続けている。
「そんな大事なコト、『ひとりで』何とかしようとするなって。相手の子に抱えさせるなって。ちゃんと相談しろって言ったんだって。あと『アドバイスありがとう』って、森田さんに言われました」
「だったら、無駄じゃなかったんだね……『意図せぬ誤配』も」
イオが静かに応じた。
「森田さんの弟さん、彼女さんと暮らしてるんだそうです。名古屋で知り合った群馬出身の子」
波の輝きに目を細めながら、蒼が話を続けた。
「弟さんは、まだ十八歳だとかで、名古屋にある楽器製作の専門学校に通いたかったんだそうです……ギターを作りたいとかで。でも『そんなの食べていけない』って、お父さんに反対されて、家を飛び出したんだって。森田さんが教えてくれました」
蒼がひとくち、水を飲む。
「で、彼女さんの方も、やっぱり、色々あって群馬を飛び出してきた子らしくて。ちょっと前、バイト帰りに自転車で転んで怪我しちゃったんだそうです。結構、ひどかったらしくて、それでどうしても、保険証が必要で。でも、弟さんとこっそり同居してるのは、あまり『よくないことだ』っていうのは分かってたみたい。その上、住んでいるトコロも『正式に弟さんが借りているワケじゃない』って知って。色々、いっぱい気を回しちゃったみたいで……『恋人のお兄さんに迷惑かけちゃいけない』って」
ふと、イオが楽器を弾く指をとめる。そして、ゆっくり蒼を見つめた。
なんとなく、イオを振り返ることができないまま、蒼は海を見つめて、また水を飲む。
「だから、部屋の『正式な借主であるお兄さん』を宛先にして送ってほしいって。お母さんに頼んじゃったみたい。お母さんは詳しい事情を知らないし、言われたとおりにしたんだろうなって」
イオが静かに頷いた。そして、
「でもさ、蒼くん。その同僚の森田さんってひと……ちょっと可笑しいね。名義を変えないまま弟さんを住まわせるなんて、おおざっぱなことをするひとなのに。よりにもよって『転居届』だけは律儀に、郵便局に出していったなんてさ」
と言って、いたずらっぽく「ふふふ」と笑う。
「なんだかんだ、引っ越しの時に『転居届』までは思いつかないひとって多いと思うんだけど……でもそのせいで、本来、名古屋に届けばいいはずの書留がわざわざ……」
「……横浜まで、転送されちゃったんですね」
絶妙なタイミングで、蒼が話を引き取った。
イオと蒼は、同時に噴き出す。
そうやってひとしきり笑ってから、蒼が――
「ひとを思う気持ちって、ときに複雑なねじれ方をするんですね」と漏らした。
ねじれて、すれ違って。
それでも最後に、想いは届いた。
「蒼くんのおかげだね、今回も」
「え? 別にオレは……」
蒼がイオに向き直る。
正面から受け止めてくれる、イオのやさしいまなざしが、そこにはあった。
「オレは別に……謎を解いたのはイオさんだし」
――そうかな? と、イオが指先を顎に当てた。
「ただの『手違い』。森田さんもそうやって済ませてしまうところだった。なのに『何かあるんじゃないか』って気づいたのは、蒼くんの勘のよさだと思うよ」
「勘っていうか……気になっただけです」
「『気になった』っていうのが、もう立派な勘だよ」
そんな風に真面目に言われて、蒼は思わず笑ってしまう。
「それが誰かの助けになる。大げさだと思うかもしれないけど、ちいさな助けの手は、そうやって繋がっていくものだと、僕は思うよ」
「じゃあ、これからも……気になったら、イオさんに相談します」
「ぜひ。僕も気になることがあれば、蒼くんを頼るからね」
そしてその時、ウミネコが空の高みで、ひと声、鳴いた。
(すれ違う封書 了)




