どこかで聞いたフレーズだけど、受験者の数だけドラマがある。本当にその通りだ。
7.受験談義
俺も控え室に戻るために職員室に入ると、先に職員室に戻っていた隼人は1組の大石先生と控え室前の空いた机で向き合って難しそうな顔をして話し込んでいた。俺は控え室に張るために2人の横を通り過ぎた。
「それでも・・・・・・、実際に・・・・・・生徒から・・・・・・説明をしてほしい・・・・・・」
断片的にそんな言葉が俺に耳に入ってきた。保護者から何か教師や学校への苦情が入ったのかもしれない。実際に生徒の下校時間を少し過ぎた夕方の6時から7時くらいは苦情の電話が最も多い“魔の時間帯”だという。最もそれは学校内でのネーミングで対外的には“学校がより良くなるための意見を頂ける時間帯”と考えなければいけないらしい。でも結局文句の電話には違いない。
俺は帰り支度を整えたが、今出て行くとまた隼人の後ろを通らなければならないことに気が重くなり、少し時間をずらすため実習記録を仕上げてから帰ることにした。本田先生も荷物はあったが、職員室にいないということは部活から戻っていないのだろう。書き上げて机に出して帰えれば家に帰ってから時間的にも楽だ。俺は改めて机に座って記録を書き始めた。
1時間くらいかけて記録を仕上げ、“もういいかな”と記録を持ってリュックを担いで控え室を出た。職員室に入ると大石先生の姿はなかったが、隼人はまだ自分の机に戻って何やらパソコンの打ち込みをしていた。職員室には若手の先生が4・5人残っていた。同じような若手教師だけのせいか、それとも金曜日ということもあってか、残っている先生達の空気はなんとなくのんびりとしていた。俺は実習記録を渡そうと本田先生に声をかけようとしたが、そこに小島先生がタッチの差で先に本田先生に話しかけてきた。仕方なく俺は少し手持ちぶさたのまま少し離れたところで立って待つことにした。チラッと隼人をみたが、隼人はこっちに全く気がつくこともなくパソコンとにらめっこを続けていた。
「じゃあ、8時くらいで、予約しとくから」
そう言って小島先生が本田先生の机から離れたタイミングで俺は本田先生に声をかけた。
「本田先生、記録を書きましたので、提出して帰って良いでしょうか?」
「あ、いいよ、出してって、僕のコメントは来週になるけど」
本田先生は笑いながら実習記録を受け取り、俺は帰ろうとした。
「あっ、そうだ、吉田先生、これから何か用事ある?」
「・・・・・・特にありませんが・・・・・・」
本田先生が俺を引き留めるように聞いてきた。
「じゃあ、これからみんなで飲みに行くんだけど吉田先生も行かない?」
「えっ?」
「突然で悪いね“、まぁ週末なのに寂しい男子の会”だから突然に決まることもしょっちゅうなんだよ、ね、小島先生!」
本田先生は小島先生の机がある島に向かって話しかけた。
「いや、僕は皆さんを人助けのつもりで誘っていますけど!」
小島先生が少し口をとがらせて返してきた。どうやら週末に若手の先生たちは都合があえば誘いあって飲みに繰り出すらしい。それで申し合わせたように若手が残っていたのかと俺は納得した。
「吉田先生には申し訳ないけど、僕たちのような寂しい男子に愛の手を、と思って付き合ってよ」
3年生の担任で理科を担当している山本先生も参加者らしく、俺に声をかけてくれた。
「是非、お願いします!」
俺も寂しい男子には違いないので、参加資格はあると思ったし、実習先の先生たちと学校を離れたところで話しができるのは滅多にない機会だと考えた。
「鵜飼先生も行こうよ」
小島先生が隼人に声をかけた。
「えーっと、この打ち込みが遅れていて・・・・・・」
隼人は困ったような表情で小島先生の方を振り返った。
「あ、生徒総会の資料作り?」
本田先生が立ち上がって隼人のパソコンの画面をのぞき込んだ。
「そうなんです、少しずつまとめないと、他にも仕事があるので、貯めると・・・・・・」
「確かにね、でも鵜飼先生、最近少し根を詰めすぎている感があるよ、別に僕たちに付き合う必要はないけど、今日はもう帰っていいんじゃないかな」
本田先生の言葉に険しい表情だった隼人もpcから手を離した。
「そうですね・・・・・・」
「うん、そうすると良いよ」
本田先生は隼人に優しく笑いかけていた。
「僕も参加させてもらっていいですか?」
俺は帰ると思っていた隼人が突然に参加を決めたことに驚いたが
「よし、じゃあサッさと片付けて出ましょうか!」
小島先生が号令をかけると、一斉に机を片付け始めアッという間に職員室は真っ暗になった。
学校近辺だと生徒や保護者に会うらしく、区域としては離れた場所の居酒屋に俺達は案内された。
「来週の2年の職場体験が終わると、期末テスト、三者面談、3年生は受験に向かって一直線だなあ、憂鬱な時期だ」
山本先生と同じく3年生担任で英語担当の森先生が話してきた。
「受験は子どもだけの問題じゃないからな、自分で決めるのが一番といっても中学生が決める進路だから親が無関係とはいえないし、親の意向が強すぎるとやっかいだし・・・・・・」
山本先生も森先生に全く同感だと言うような大きく頷く。
「山本先生は3年の担任は何回目?」
小島先生が山本先生に聞いた。
「僕、ここでは2回目、前任校で1回、最初はとにかく必死だったから何があってもこんなものかなぁって思えたけど、何回かやると、親子でも感覚の違いってあるんだなぁって、成績の良い悪いよりも、親との意見の相違ってのが多かったり、上を目指したい生徒、余裕で受けさせたい親、余裕で受けたい生徒、上を目指させたい親。勝負感っていうのかな」
山本先生は少しばかり面倒くさそうな言い方をした。
「まぁ、確かに勝負だよなぁ、どっちの高校にするか、って親子で決めかねていると教師も何ができるのか考え始めるよ」
小島先生は山本先生より少しばかり経験がある分、余裕な表情で話しをしていた。
「勝負って、教育的ではない言い方ではあるけど、受験は人生の思い出ではなくて節目になるから、どの子どもも真剣になることを覚える時だと思うかな」
本田先生はビールを飲みながら呟いた。
「勝負でしょ、受験は、1点でも高い点を取ったものが勝つ」
本田先生の呟きに被せるように山本先生は言い、本田先生はなぜか少し微笑んだ気がした。俺はそんな会話を聞きながら、以外に美味しい料理の味に夢中になり、飲むよりの食べる方を楽しんでいた。隣に座った隼人は、料理にはあまり手を出さず、ビールを飲んでいるせいか、顔が赤くなってきていた。そういえば隼人は好き嫌いがあって、給食の時に何かしら残していたような記憶がある。
「鵜飼先生と吉田先生はどうだった?」
森先生が俺たちに話を振ってきた。
「・・・・・・」
俺と隼人はお互い困った顔で見合ってしまった。
「僕は・・・・・・」
受験を勝負に例えるなら俺は、間違いなく敗者だったから・・・。
「僕は、模試の結果を友達と見比べて、自分が希望校に受かる確率を皮算用していましたね」
隼人が少し俺の方を伺いながら森先生に答えていた。
「鵜飼先生は希望校に合格した勝者だよね」
山本先生というキャラは本当に言いにくいことでもアッサリと言える潔さがある。
「ええ、厳しいかなぁ、って言われていましたけど」
隼人は酔っているのだろうけど自慢に聞こえた。そして俺はそれを聞きながら中2の2学期が終わろうとしている教室を思い出していた。
俺は小学校の時から勉強では友達に勝てるはずがないと思っていたし、実際に勝ったことがない。いつも隼人や大輝がお互いの点数を見せ合って“勝った、負けた”と言い合っているのをどこ吹く風で聞いているだけだった。親もお勉強の期待はしていなかったと思う。でもさすがに2年生になり周囲が塾に通うようになると親も”少しでも成績が上がるなら“と俺に塾を薦めてきた。学力コンプレックスの俺が塾で勉強したい、と思っていたわけではないが、そこは“人と同じ”でありたい中学生だったのだろう、皆が通っているし、というノリで塾通いを了承したと思う。
でも稲部学習会に入って稲部先生の指導の上手さもあって、俺は少しばかり勉強をしてみた。すると2学期の期末テストで俺は理科で92点を取った。クラスでも2番目の点数だった。しかも平均は56点、内容が簡単だったわけではなく、俺の点数が異常に高かったのだ。テストの返却時に大垣先生から高得点者として名前を呼ばれて、クラスの皆が驚愕したのをよく覚えている。得意の社会も安定の90点。おかげで、俺は中学に入って以来最も高得点で2学期の期末試験を終えた。それでも5科目で365点だから、周囲と相対的にみれば決して高得点ではないが、平均下位が通常の俺にとっては大事件だった。後日、試験結果がデータとしてまとめられた学習の記録が配られ、俺がそれを眺めてニヤニヤしていると隼人が近づいてきた。
「俺は380だったけど、嬉しくないよ、親からはもっと頑張れっていわれるだろうし、圭太はそれで褒めてもらえるのは羨ましいよ」
もちろん隼人は俺をバカにしたつもりはなく、親から400点を期待されている隼人にとってはけっして褒められる点ではないという単純な言い分だったのだろう。
「なんだよ、それ、俺だってこれで良いとは思ってないよ、稲部先生ももっとやれるからってがんばれって言ってくれたし」
「僕は圭太すごくがんばったと思う、十分すごいと思うよ」
隣の机の大輝が話かけてきた。
「大輝はどうだったんだよ?」
隼人が大輝の学習の記録をのぞき込んできた。
「僕は415」
「へ~」
俺と隼人は声が同時に出た。
「ぼくだってそんなに満足してるわけではないよ、まだまだ頑張りたいよ」
俺は大輝のこの点数でなにが不満なのか理解ができない、でも大輝はまだ上を目指しているらしい。
「大輝こそ、すごいよな」
隼人は羨ましさを満載という感じで大輝を褒めた。
「俺も400点目指そうかな・・・」
俺は漠然と心で思っていたことが口に出てしまった。“しまった”と思った時にはもう隼人の目がこっちに向いていた。
「おいおい、400って結構なハードルだと思うけど、圭太は今回でも十分上がったのにまだ上をめざすのかよ」
おそらく隼人にとって俺は“勉強ができない子が頑張った”ということになっていて、このレベルで十分満足だろう、と思っているのが本音だろう。
「俺が400めざしたらダメなのかよ」
「そうは言ってないよ、でも前回まで平均だったのを400までって、しかも3学期は期末テストしかないぞ、年間で一番範囲が広い試験になる!」
「あ~、なるほど、そうかぁ」
隼人は俺が400点を目標にすることの無謀さを説明すると、大輝が納得したように答えた。
「じゃあ、いいよ、もし俺が400点オーバーできなかったら隼人と大輝にモルトのアイスを奢るよ、でも逆に俺が400点オーバーをしたら2人それぞれ俺にモルトのアイスを奢ってよ!」
モルトのアイスとは、とても日常のお菓子で食べることはない高級アイスだ1個が300円はする。
俺は自信があったわけではなかったが、隼人が自分は上を目指す生徒で、俺は現状が相応の生徒と無意識に思っていることが不愉快で、腹立たしさに紛れて妙な提案をしてしまった。
「・・・・・・・」
2人はまじまじと俺の顔を眺めていた。
「いいよ!」
大輝が笑顔で返事をしてくれた。
「はぁ?」
隼人はその大輝の返事にさらに驚いたようだった。
「でも圭太が400点を超えるだけの条件だと、この勝負で僕たちはディフェンスする手段がないような気もするから・・・・・・えーと」
大輝は少し目をキョロキョロさせながら考えるような仕草をした。
「そうだ! 3人で点数勝負しようよ!一番点数の低かった人がアイスをごちそうするってのはどう?」
さすがに日頃からの成績の良い大輝らしい誰もがお得になる提案をしてきた。400点オーバーが通常の大輝にとってはより上の点数を目指して頑張る目標ができるし、隼人は目標とする400を目指すきっかけができる、俺は俺を見下している隼人に勝つ目標ができる、つまり誰もが自分の目標を設定して勝負に挑むことができるのだ。
「それいいね!」
さすが大輝、早々にその提案を受け入れた。
「めんどくさ!」
隼人はあまり乗り気ではないような口ぶりだ。
「隼人はやりたくないの?」
大輝が聞くと
「別に、そんなことはないけど・・・・・・」
隼人も大輝には穏やかだ。
「自信ないの?」
俺の軽口に隼人が俺をにらんできた。
「わかったよ!いいよ、俺のアイスは抹茶だ」
隼人はそう言って提案を受け入れた。
「うーん、僕はバニラかな」
「大輝がバニラで隼人が抹茶かぁ」
「おい、圭太、しっかりこずかい貯めとけよ、俺と大輝2人分だと600円は必要だからな!」
隼人はやはり大輝ではなく、俺にごちそうしてもらうつもり満々の言い方だった。このなんでもないような教室での会話が、これからの俺たちの長い人生に常につきまとう瞬間になるとは思っていなかった。
そして俺は3年になる直前に2人からモルトのアイスをごちそうしてもらった。
「吉田先生の受験の思い出って何かあるの?」
やはり山本先生は切れ味が鋭いことを躊躇なく聞いてくる。
「そうですね、都立がだめだったことですかね」
俺はあっさりと話したつもりだった。でも自分では棘がうずくような感覚を感じながら答えていた。
「実は僕も私立組!」
山本先生は俺に笑いかけながら親指を立てて自分を指さした。
「進路に悩んでいる生徒をみると、長い人生の中では一瞬のことだからって言いたくなることもある」
山本先生は何事にも大らかなのだろう、こんな担任も悪くはないと思う。でも長い人生というスパンを想像できない中学生にはこの気楽をどう感じるのだろうかとも考えた。
「中学3年って、はじめて自分の進路を考える時間だからね、真剣であればあるほど執着するのは当然だね、僕は一生忘れられないほど執着もして欲しいと思っているかな」
本田先生も枝豆を口に頬張りながら話してきた。俺もなんとなく手持ちぶさたで枝豆の皿に手を伸ばして食べた。
「そうかぁ?確かに3年生にとって大切なことだけどそれからの長い人生で高校がどこかってそんなの重要かなぁ?」
少し呂律の回りが悪い森先生は話ながらもかなり早いピッチでビールを飲んでいる。
「そうだね、高校を振りかざして人間は生きるわけではないから、進学した高校にこだわるのは愚かだと思うけど、僕はその人生の節目に悩みぬいたその時間はその先の人生を支えるとは思うんだ」
俺はおもわず本田先生を眺めてしまっていた。
「さすが、都立トップ校卒業、勝者の余裕だね」
山本先生は笑いながら直球で答えた。
「ハハハ、褒め言葉だと思って受け取っておくよ」
俺にすれば山本先生の言い方はずいぶんなものだと思ったが、2人のこの空気からするといつものことなのか、誰も気にとめることなく2人の会話を聞いている。
「そういえば、さっき、何か苦情でもあったの?」
小島先生が隼人に聞いた。
「あー夕方の電話の件ですか?」
「そうそう」
「実は、中間テストの点数で親から質問があって・・・」
隼人は少し周囲を気にしながら小声で小島先生に話しかけた。
「質問?点数の?」
「はい」
「記載間違いとか?」
「いえ、テスト後に見直しの日は必ず試験問題を持ってくるように伝えたのに、忘れた生徒がいて、数学科では統一して試験問題を忘れた場合は点数から1点減点をすることになっていたので、中間の学習の記録を返却するときに付箋に-1点になっていることを書いて渡したら・・・」
「それはおかしい!って苦情がきたってことか」
「そうなんです」
「だれ?」
隼人は鞄からペンを取り出しての掌に“黒沼君”と書いた。学校内であったことや個人氏名を学校以外の場で口にすることは職務違反となるのだ。
「あー、そうなんだ、部活では特に何も言ってなかったな」
その“黒沼君”は山本先生が顧問をしているバレー部に所属しているのだ。山本先生はなるほどね、という感じだ。
「そうですか・・・・・・」
隼人はどこか納得のいかない様子で話を続けた。
「親御さんから、“学力テストの結果を生活態度で調整するのはおかしい、それは学力テストとしての体をなしていない、先生達にとっては授業態度も点数に含まれるかもしれないけど、子ども達は進学時にその1点で評価されて合否を振り分けられる!1点ならお灸程度にいいだろう、は学力試験の意義を否定している”って」
「理屈としては有りだな」
森先生が頷きながら答えた。
「僕も言われれば・・・・・・とは思いますけど」
「それで、大石先生と相談してどうすることにするの?」
「副校長から説明してもらって、今後については検討しようって」
「大石先生らしいな」
森先生は隼人にビールを注ぎながら、奥歯に物が挟まったような言い方をした。
「試験で減点か、態度意欲で減点かの違いで、どの領域で減点するかの違いだけで、評価点は各領域の総合ではじき出すから、あまり関係ない気がするけど」
山本先生は当然のように言う。
「そうだなぁ、その親御さんにすると学力試験の点数が正当に評価されなかったってことだろうね、どこを受験するにしても1点にこだわる意欲は必要だしね」
そう言う本田先生は頷きながらも考え込んでいた。
学校としては生活の中で生徒が不利益を被ることはないよう配慮しているが、指導にはペナルティを伴うことがある、そしてそれは子ども将来の成長につながるような指導方法と思ってやっている。でもどうしても高校進学というステージが控えていると親も生徒も目先の点数にこだわってしまうのだろう。俺も隼人も1点の差に挑む勝負を始めた中学生だったのだから、その親子を安易に否定することは到底できない。
俺は2年生の冬、2学期を終え、俺は部活だの、塾だのと慌ただしい冬休みを迎えた。俺の2学期の通信簿はこれまでと変わりなくオール3ベースで社会4の、英語は・・・・・・、とても出来映えが良いとは言えない通信簿だ。理科も期末だけ頑張っても、トータルするとまぁそう簡単には成績をあげてはもらえないらしい。俺もそれはわかっていた。ただ社会に関していえば試験だけについていえば“5”でもいいのではと思っていたので“5”でない理由を聞いてみたことがある。その時に担当の先生から
「授業中のお喋りとか、姿勢とか自分で、わからない?提出プリントの記載もいい加減に書いたりしてないか?」
自分に覚えがあるだろう、と自分自身への認識力が不足していることを嫌みのように言われて終わった。お喋りをやめて、姿勢を正せば高校は入れてくれるのか、と言いたくなったが、社会性も成績に反映するのが中学校の成績の持つ意味だとも言われた。その時はこの先生が言った事を理解しながらも真剣にその指摘を改めようという意識は今から思うと希薄だった気がする。やはりその時もそれが自分に大きな結果をもたらすとは考えていなかったのだろう。
冬休みも稲部学習会は12月の31日と1月1日以外は玄関を開けている。もちろん年末年始の授業は受験間近の3年生が受ける最低限の授業にとどまるが、自習したい生徒はいつでもウェルカム状態になっている。そしてまもなく3年になろうとしている俺たちはこの休みを利用して、親が稲部先生と進路について話す面談があるらしい。俺はまだ具体的に進路を考えてはいなかった。でも親が“やっぱり都立よね”と言うのを聞かされると、都立高校に行くために受験をするんだ、くらいの認識はあった。でも自分の成績でどこの都立に行けるのか、行きたいのか、まだまだ受験に対しての認識は浅かった。
「圭太のところ面談いつになった?」
稲部の実習室で俊希が話しかけてきた。実習室は基本は私語は禁止だが、クリスマスの午前中のせいか、俺と俊希の2人しかいなかった。
「たしか、27日だったかな、俊希は?」
「俺のところは昨日だった」
「へー、どんなこと言われたりするの?塾の面談って俺達は来なくていいんだろ?」
「そう、親と稲部先生で話すらしい」
「やっぱり成績のこと?」
「まぁ塾だから、そうだね、進学先の予定とか聞かれたらしい」
「ふーん」
「俺はおそらく私立優遇だよ」
「おそらくって自分のことだろ?」
俊希が人ごとのように自分の進路のことを言うのがおかしかった。
「俺、上の姉貴も兄貴も都立だったから俺くらいは私立でもいいかなって親は思っているらしく、バトミントンも続けたいから、金城とかかな」
「すんげー、金城って部活もだけど、進学校じゃん」
「だから、優遇でないと、併願とか一般だと厳しいからなぁ」
「俊希でも?」
「あたりまえだろ、俺、言うほど成績よくないからな、頑張ってるっていえば圭太のほうがよっぽど成績良くなってて、羨ましいよ、圭太になりたいよ俺は」
「俊希が俺になりたいって・・・・・・、俺的にはえらいうれしい褒め言葉だけど、俺でいいのか?」
俺は素直に嬉しかった。でもなぜ俊希がそう思ったのかわからない、というような顔をしていると
「ああ、圭太は自分の意志を思いっきりぶつけられる、なにより正直だ」
「自分の意志?」
「うん」
「それなら俊希こそ、俊希はいつだって正直だ」
「いや、俺は圭太みたいには担任を困らせぬいたことはない!」
「はぁ、それ全然褒められてないよ」
俺こそ俊希が羨ましかった。俊希は無理もしないが、決して手も抜かない。
「ごめん、ごめん、でも圭太は親とケンカするだろ?」
なぜ俊希がそんなこと聞いてくるのかすぐには理解できなかった。
「うん、よくするよ、特に小学校の時はひどかったし」
「ハハハぁ、そうだろうね、親とケンカできるって楽しそうだ」
「はぁ?」
「ほら、俺って母親以外の家族は他人だからさ、ケンカをするとケンカでは済まなくなる」
「それって無理してるってこと?」
「うーん、無理ね・・・・・・・したくないなぁ」
俊希の家の事情は何となくしていたが、あまり気にしたことがなかった。
「・・・・・・経済的にも都立かなって思ってたし、もっと自分の進路に悩みたかったのかもしれないけど、金城ならいいかなって・・・・・・」
「ふーん」
俺は俊希の言いたいことがよくわからなかったが、受験はやはり自分の進路であっても親の意向、希望は大きい、無視できるものではない。成績の良い俊希に悩みはないだろうと思っていたので、俺とはベクトルが違うにしても、進路の悩みを抱えていたことに少しホッとした。
「あーやっぱりいた!」
俺たちしかいなかった自習室に塔野が入ってきた。
「ねぇ、勉強に飽きてるなら、少し走りに行かない?」
俺たちは午前中からここにいるから多少飽きてきているが、塔野はいま来たばかりでなぜ気分転換が必要なのかわからないが、俺たちをランニングに誘ってきた。
「いいね~、行こうか」
俊希はあっさりと塔野の誘いに乗った。俺も気分転換はしたかったので思ってその誘いに乗った。俺たちは自習室で勉強に飽きると、自習室にいる仲間を誘い合って外に出ることがよくあった。バトミントン部のやつらが道具を持っていれば近くの公園でバトミントンをしたり、何もなければ隣の駅までランニングをすることが多かった。
学習道具を片づけて外に出てみるとクリスマスの賑やかさが街中には漂っていたが、俺たちはそれに関心を持とうとせず、手足のストレッチを済ませると、稲部先生に断って走り出して行った。風が身にしみる寒い12月でも数分も走ると体が温まり、それと同時に息も苦しくなってくる。そしてその息苦しさに慣れてくるとその後はそのペースを維持していけばいい、マラソンが得意な俊希は、俺や塔野と走るくらいであれば全く表情を変えないが、俺は俊希について行くペースを維持するためには結構必死にならないとついていけなかった。今から思えば、俺が稲部学習会で過ごした時間は“ザ・中学生生活”という時だった、そして俺の中学・高校生活を支えてくれたのもこの場所だったかもしれない。
俺は本田先生に誘われてきたものの、さすがに友人との飲み会ではないと、少し気が張っていたが、以外に会話が弾んで、ビールも進んでいた。
「鵜飼先生、試験の準備してる?」
「期末ですか?」
「違う、違う、教採の」
森先生は隼人に聞いた。
「あぁ、一応・・・・・・」
「現場で実際に教えながら、一方で学生と同じように採用試験の準備をするのは結構きついよね」
「そうですね」
「でも僕は3年目で採用だったから、大丈夫!」
森先生は隼人を励ましているのだろうけど、隼人はいまひとつな顔をしている。
「試験も自治体ごとに違うから、どこの自治体を受けるかも考えるよね、相性ってやつもあるから、場所と試験の相性のどちらを優先するか・・・・・・も合格の鍵だな」
そこに小島先生がドヤ顔で言ってくる。
「そういう小島先生は何回チャレンジ?」
森先生も笑いながら聞きにくいことをあっさりと聞く。
「2年目で採用、しかも3年間の会社勤めをしてからの2年目試験だったから、皆さんより年寄りですよ」
小島先生は自分の頭を撫でながらおどけたように答えた。
「ははっは、全く年上って感じはしないなぁ~」
森先生も小島先生の真似をして頭を撫でながら陽気に話す。
「山本先生と本田先生は確か現役合格ですよね~、2人とも優秀だから当然でしょうけどね~」
小島先生は納得といわんばかりにビールを飲み干した。
当の本田先生と山本先生は何か言いたいような顔はしながら2人とも笑い合っているだけだった。




