意味のわからなかった悲しい知らせ、あの時の僕達にはその事実を理解するには幼かった。
5.悲しい知らせ
「児玉先生って、今年で何年になる?」
隼人は自分で聞いておきながら資料に付箋を貼っていた手を止めて指を折って数え始めた。
「11年だろ、俺たちが中学校に入学して、確か1年生の11月だったよ」
俺は考えることもなく答えた。
「よく覚えているな」
隼人は感心するように言った。
「・・・・・・その時の連絡網で回してくれたのが七海だったな・・・・・・」
「そうなんだ」
そこでも隼人は自分から児玉先生の話題を振っておいて、素っ気ない言い方だった。
「そうだな、あの時も“そうなんだ”って感じだったな」
「おい、そうなんだって、それはないだろう・・・・・・」
隼人が俺には突っ込みを入れてきたが、俺はその突っ込みにボケることはしなかった。
「七海がその時に言ったことがさ・・・・・・・“児玉先生は私たちのことが嫌いだったんだよ”って」
「はぁ?」
隼人は俺の言っていることがすぐには理解できていないようだった。
「6年生の3学期の最初の日の年賀状の話、覚えているか?」
俺の問いかけに隼人は少し考え込んだ。
「あー、思い出した、児玉先生はクラスの子全員に年賀状を送ったけど、返事がほとんどなかったって話だろ?もらってからも返事をしないのも失礼だし、そもそも目上の人には自分から挨拶をするものだって言われたんじゃなかったっけ?」
隼人は考え込んだわりにはしっかりと思い出していた。
「そう、自分達はそんな失礼な子どもだから先生は嫌って、クラスを放って行ってしまったんじゃないかって、七海が泣きながら話して・・・・・・俺、不安になったのを覚えてて」
俺は隼人の表情を伺うように見た。
「おい、それは違うだろう、確かにそのくらいから学校に来なくなったけど、児玉先生はその前から休みがちだったし、年賀状が原因ってそんなバカなことはないだろ?2月に先生が休職するってことになった時、校長先生が児玉先生は体調を悪くしたって、病気だって話してくれたじゃないか!」
隼人は七海の考えは全くのお門違いというような勢いで返してきた。
「そうだよ、俺もそう思うよ、年賀状は原因じゃない、すでに体調不良だった先生は不安定になっていたと思うし、社会的なマナーを教えてくれたに過ぎないと思っているよ、でも小学生だった七海は年賀状のことをもそうだし、もし俺たちの担任をしなかったらって考えたんじゃないかなぁ」
「俺たちの担任をしなかったら?」
隼人はそう言いながら俺をジッ見て言葉を続けた。
「担任でなかったら、先生は亡くなったりしなかったんじゃないかって?それは全く根拠のない仮説だ、あのクラスが特別な学級だったとは思わない、おまえだって先生を困らせてはいたけど、教師がそのたびに休んでいたら・・・・・・、それは教壇に立つ立場になってみてよく・・・・・・わかる・・・・・・」
隼人は何かに訴えるように俺に話した。
「そうだよ、そうだね、隼人の言う通りだと思うよ、でもあの時さ、連絡網で“ご家族の意向で、子ども達、保護者の代表の方なども含めて一切のご挨拶はご遠慮ください”って言われただろ、それも七海が自分達を嫌っていたからお別れも言わせてもらえなかったって、思ったんだと思うよ」
「マジかよ・・・・・・、庄野ってほんとに女子だよな、面倒くさい」
「七海は女子だよね・・・・・・」
「そういう意味じゃない!」
「わかってるよ・・・・・・、俺と違って隼人は児玉先生に気に入られていて、隼人も先生を困らせたことなんてなかったから、思いつかないかもしれないけど、七海は先生のことが好きだったと思うし・・・・・・」
「はぁ?意味がよくわからないけど」
「児玉先生ってあの頃いくつだったんだろう?」
「年齢ってこと?」
「そう」
「たぶん、30代くらいだったと思うけど、俺達よく年齢を聞いてたけど、児玉先生絶対に教えてくれなかったな、秘密だとかいって」
「だったな、でも当然だよな、女子に年齢と体重を聞くのはマナー違反だ」
俺と隼人は顔を見合わせて軽く笑った。
「児玉先生の年齢と庄野がなんで関係あるんだ?」
隼人は俺の言ったことの意味を改めて聞いてきた。
「児玉先生って俺の記憶だと結構美人だったと思うんだ、スラッとで細身で、なにしろオシャレだったよ、俺さ、児玉先生の着ていたジャージが欲しくて、同じモデルのメンズを親に買ってもらったことがあった」
「あっ!もしかして1年のスキー教室で着ていたジャージか?」
「そう」
「あれ、圭太にしてはずいぶん洒落たジャージだとおもったけど、そうだ、児玉先生が着ていたのと色違いだったんだ!」
「今頃?」
「そうだな、俺も児玉先生がオシャレなのは覚えてる、1年中洗いざらしのジャージの隣のクラスの高橋先生と比べると美女と野獣だったな」
「ははは・・・・・・そのジャージのブランドを教えてくれたのも七海だったし、俺にはまったくわかんなかったけど、着てくる洋服もいつもオシャレなブランドだって、なんとかっていうブランド名を教えてくれてた」
「おい、それって、小学生の庄野が児玉先生を意識してたってこと?」
隼人はばかばかしいとでも言うような言い方をした。
「うーん、いろんな意味でね、でも悪い意味ではなくおそらく好意的だったと思う、オシャレで仕事もしてって魅力的で憧れるよね、でも女子ってその気持ちをなんとなく正直に表現しないっていうか、うまく隠すっていうか、七海は児玉先生ともっと話したいことがあったっていう後悔をしたのかも」
「なるほどね、思春期の女子としては有りだな」
「それは中学校教師としての感想?」
「ほっとけ!」
隼人はひどく恥ずかしそうだったのが俺はおかしかった。
「俺も、あの時は児玉先生に嫌われたかも、って思ったしね」
「なんで?」
「俺、あの頃まともじゃないことばかりしてたから、児玉先生をすごく困らせてたからさ・・・・・・」
「そういや、そうだな圭太よく怒られてたし、光とセットの時もあったな」
俺は宿題や提出物の忘れ物の多い、つまりは手のかかる子どもだった。当時よく一緒にいた光も日常の宿題はもちろん、夏休みの宿題もやらずに登校する勇者だったが、俺は光とは違った意味で勇者だった。たぶん『忘れ物』とか『宿題』にとどまらず、日常生活に問題を抱えていた。宿題についていえば汚い字で適当に終わらせて登校することもあれば、すっかり忘れることもあり、児玉先生から
「連絡帳に書くようにいったでしょ」
とよく注意された。そんな時に俺は
「書こうと思ったけど、書こうとした時には先生が消していた」「僕は書かなくても覚えて帰るから」などなど、とてもまともな理由とはいえない言い分けをしていた。
同時に友達とのトラブルも多かった。自分のことを注意した友達に、“肌、ボコボコのおまえに言われたく”と侮辱的な言葉を返したり、授業中に児玉先生からお喋りや態度を注意されると、返事もせずにただただ先生を拒否することもあった。
国語の時間に作文を隣の子とノートを交換して作文を読み合おうということになった。しかし俺はなぜかそれを頑なに嫌がり、痺れを切らせた隣の女の子が、サッと俺からノートを取り上げた。俺は“返せよ”と取り返そうとしたが、その子はサッとそれをかわして読みはじめた。読み終わると「圭太、良くかけてるのに」と言って返してきた。その時、児玉先生もその女子の後ろで俺の作文を一読したようで、「そうね、良く書けてるよ」と言ってくれた。でも俺はその時、ノートを強引に取り上げて、
「余計ななことしやがって」
とその女子に向かって怒鳴り、取り返したそのノートをビリビリに裂いた。児玉先生はビックリして俺を呆然としてみていた。でも俺がもっと驚いたのは褒めてくれた隣の女の子がその俺を見て泣き出したことだった。児玉先生から“強引に取り上げた女子にも問題はあるが、だからといって暴言を吐いてノートを裂くのは許されない”と怒られた。もちろんそんなことを塩らしく聞くよう俺ではなく、
「なんで?俺のノートを取ったはあいつだ」
といっこうに話しを聞こうとせず、授業が中断してしまい、とうとう教室から廊下にだされた。
「教室に戻るためには圭太も謝りなさい」
児玉先生はノートを強引に取り上げたことを謝罪した女子に対して、“悪くない”と言い張る俺を諭してくれたが、俺の頑な態度は変わらず、児玉先生が真剣になればなるほど俺の態度が硬化していきかけた頃、隣のクラスの高橋先生がちょうど通りかかった。
高橋先生は小学校の先生とは思えないような強面の男の先生で、でも外見とは裏腹にとても面白い先生だったせいか生徒達には人気があった。俺も休み時間には高橋先生のクラスの子たちに混ざってボール遊びや縄跳びなんかに参加させてもらっていた。高橋先生は児玉先生と入れ替わって俺と話してくれた。隣のクラスは音楽で教室にはだれもいないため、俺は廊下ではなく、高橋先生のクラスの教室で話しをすることになった。
俺だって“謝って教室の戻りたい”と思う気持ちがあり、俺は頭の中では“謝りたい”と思っていた、でも今さら“謝りたくない”“謝れない、という気持ちが混在して、どうにもならなくなっていた。結局、その授業時間が終わってしまい、高橋先生のクラスも音楽室から戻ってきてしまう、でも謝れない俺を教室に戻すこともできず、児玉先生と高橋先生は俺を副校長先生に預けて指導してもらうことにしたようだ。
当時、こんなトラブルをよく起こしていた俺は、”教室で児玉先生から指導→廊下で他のクラスの先生から指導→副校長先生の指導“という指導のベルトコンベアーに乗るようになることは十分に承知していた。そして副校長先生の指導は職員室ではなく、社会科資料室が使われるので、俺はトラブルを起こすたびに社会科資料室に行くことになり、そこで副校長先生から指導され、それでも教室に戻れない時は児玉先生がキリの良い時間に迎えに来てくれるまでを資料室に過ごしていた。
おかげで俺は資料室に貼ってある歴史年表を穴が開くほど眺めて過ごしていたし、社会科資料室の備品はすべて覚えてしまった。社会科資料室のことは圭太に聞けばなんでもわかる、と言われるようになり、誰かが『社会科資料室は圭太の説教専用部屋』とまで言い始めた。俺は不本意とは思いながらも、事実、俺は社会科資料室の備品でわからない物はなかった。
もちろん、その日の出来事は連絡帳で俺の母親に知らされ、児玉先生は母親に電話をして状況を話したようだった。でも児玉先生も高橋先生も謝れない俺のことをよくわかってはくれていたので、「圭太君はわかっていると思うので、ノートのことは注意するぐらいしてあげてください、それより3・4時間目の出来事だったので、圭太君は給食を食べていないです。戻って食べるようにいったのですが・・・・・・」というトラブルよりも給食が欠食になってしまってお腹をすかせていると思うから、夕食をしっかり食べさせてやってほしい、という心配の連絡だったそうだ。
反抗期だったことに重なって、俺の生活に支障をきたしはじめた原因に“ゲーム”があった。ゲームに全く無関心という子どもも少数は存在すると思うが、俺は平均的な小学生のようにゲームには興味があった。でも母親の方針で俺はみんながゲーム機を買い始める小学校低学年のころからゲーム機を持たせてもらえなかった。不満に思わなくもなかったが、光や隼人と遊ぶ時に2人はゲームを一緒にやらせてくれたし、不自由は感じていなかったので、特に母親にねだることもなかった。
ところがそんな母親の思いにまったく無頓着だった父親は、自分がゲームを好きだったこともあり、“ゲーム機がないのはかわいそうだ”と5年生の俺の誕生日にプレゼントだといって俺にゲーム機を与えた。母親はそのことで父親ともめたようだが、結局父親が押し切る形でゲーム機は俺の手元にきた。最初は母親に遠慮をした使い方をしていたが、そのうちどんどんゲームをしている時間は長くなり、光と隼人と遊んでいる時も、帰ってからも、そしていったん始めるとゲームに“勝てるまでやめない”と言って夜中になってもゲームがやめられなくなっていった。反抗期に重なった時期だったかもしれないが、学校の生活が乱れはじめたのもその頃だった。母親は児玉先生に呼び出されて“睡眠不足が行動面の問題を助長することもあるので自宅での生活を見直して欲しい”と、厳しく言われたらしい。
6年生になって、母親はそんな俺を見かねて、何度もゲームをやめるように言ってきたが、そんな声はもう俺には全く聞こえるものではないほど俺の脳はゲームに占領されていた。夏休みに入る頃にはゲームをやめる、やめないで、大げんかをして、母親にゲーム機を投げつけたこともあった。夏休み中の水泳教室の日に寝坊をして参加できなった日もあり、起きられなかった自分を棚にあげて起こしてくれなかった母親をひどく責めた。
そして夏休み明けの9月にはとうとう学校に行く時間に起きられなくなってしまった。その日、母親は俺の寝坊に合わせて仕事を休むわけにもいかず、俺を布団からひっぱり出そうとしたが、結局は起きれないとわかっていたが俺を残して仕事に行った。それでも出勤したあとに仕事場から児玉先生に電話をして登校していないことを確認し、遅刻している理由を話ながら「このままでは学校に行けなくなるのではないか」と相談をしたようだ。
その電話を受けた児玉先生は俺の家を訪ねてきてくれた。俺はふて寝をしていたが、インターフォン越しにマンションのエントランスでいいから話をしないか、と言われると行くしかなかった。俺はパジャマ代わりのTシャツとハーフパンツのまま着替えることなく、サンダルでエントランスに降り、それから30分くらい児玉先生と『今の生活とゲーム』について話したと思う。
母親とはけんかをして、自宅にいた上の姉にも学校に行くように言われて腹が立ち、思わず姉の顔を叩いてしまった俺は気持ちが荒れきっていたが、児玉先生と話しているうちに気持ちが少しずつ落ち着いてくるのがわかった。11時頃、俺は児玉先生と一緒に学校に行くことにした。着替えとランドセルを取ってくるために家に戻った。児玉先生は上の姉に俺を学校につれていくことを話し、俺は児玉先生と3時間遅れの登校をした。その時に児玉先生は手をつないで学校まで俺を連れて行ってくれた。
「圭太君、先生たち大人でも夜更かしをしたり、休みの次の日って出かけるのが面倒くさくなる時があるのよ、でも頑張って行こうとするし、前の日は早く寝たり工夫するの」
児玉先生は歩きながら話してくれた。
「今は義務教育だから圭太君は学校に行かなければならないのよ、義務教育が終われば学校に行くか行かないは圭太君が選択するようになるけど、でもね、圭太君にやりたいことが見つかった時にやろうと思っても“学校に行ってなかった人にはできません”って言われたら残念だよね、あのね、お勉強をすることはきっと圭太君の可能性を広げてくれるから、学校は行くようにしよう」
俺はその言葉の意味がよくわからなかったが、その時の児玉先生の笑顔は忘れられない。
俺は変わりたかった。でもそれからもゲームへの執着や、母親との小競り合いは続き、俺へ自分への苛立ちを募らせていた。そうして6年生の夏の暑さがおさまった頃、いつものようにゲームのことで母親とけんかになった。いつものように口うるさくいう母親に、俺はまたいつものような親子げんかをして終わりだと、思っていたが、俺が母親を突き飛ばした拍子に“もう死にたい”と母親がつぶやいたのだ。そして俺の腕を握ると俺を引っ張り上げるようにして立ち上がった。俺はその時の母親の表情を見てこれまで感じたことのない背筋の寒さを感じた。
「嫌だー」
俺は必死にその手を払いのけた。でも母親は無言のまま俺にもう一度手を伸ばしてきた。俺はその瞬間に“もう母親とのけんかもゲームへの執着も終わりにしたい”と思った。
「こうしてやる!」
俺は無意識に口から出た言葉と共にゲーム機を床に投げつけて壊した。
母親は力が抜けたように床に座り込み、それから俺も母親も何をするでもなくジッと日が陰ってくるまでずっと黙って時間を過ごした。そして俺はゲーム機を壊したことでやっとゲームから離れられた。ゲーム機を与えた父親もさすがに母親から事情を聞かされると新たに買い与えることはしなかった。
ゲーム機がなくなったことで全てが解決したわけではないが、秋が深まるころには少しずつ生活が整ってきた。児玉先生は俺が問題を起こすたびに、あの手この手で俺を諭し、導いてくれようとしていた。時々友達とトラブルを起こしながらも運動会や、演芸会に取り組んでいくようになっていった。光も隼人もそんな俺をよく構ってくれた。といっても光は何かと俺に便乗して騒ぎを大きくすることもあり、児玉先生に俺と一緒に怒られることも多かったが、光は引き際を心得ているのか、児玉先生の顔色を伺ってうまく切り抜けていた気がする。児玉先生と相性の良い隼人の存在も俺にとって心強いものだった。
俺にとって頼れる大人の存在になっていた児玉先生が6年の冬休みあけに休職に入った。しばらくは副校長や数人の教師が日替わりでクラスを仕切っていたが、さすがに卒業式に担任なし、というわけにはいかないのだろう卒業式まであと1ヶ月という時期に新たに担任が決まった。20代の女性の木村先生だった。たった1ヶ月だったが、熱心にクラスをまとめてくれたと覚えている。卒業式には木村先生はたった1ヶ月間の担任だった俺たちのために袴を着てくれて、クラスの列を先導してくれた。
俺達が最後に児玉先生の姿をみたのは卒業式の前の日に教室に来てくれた時だった。もともと細かったが、さらに痩せたというのが子どもの目にもわかった。でも首元にフリルがあしらわれた白のブラウス、光沢のあるグレーのスーツ、派手ではなかったが、俺たちにはいつものオシャレな児玉先生にみえた。俺たちのために体調が悪いのに正装できてくれたのだろう。そしてなにより児玉先生は笑っていた。
「少しずつ体調は良くなっているけど、明日の卒業式には出られない、みんなが卒業する時の呼名をしたかったけど、できそうにない、本当にごめんない、でも早く元気になってみんなとまた会える日を楽しみにしているから、1日早いけど、卒業おめでとう」
児玉先生はそう言って俺達を卒業まで担任できなかったことを謝りながら、俺たちの卒業を祝ってくれた。その日、児玉先生を囲んでクラス写真を撮った。そしてその次の日、俺たちは小学校を卒業した。その写真は児玉先生が亡くなったという連絡を受けてからしばらくして木村先生から送られてきた。
「でもさ、圭太、よく考えてみろよ、児玉先生が亡くなった理由を小学生なり邪推していたけど、俺たちは児玉先生が亡くなったとは聞いたが、どうして亡くなったのかは聞いてない、よな?」
「そうだな、急に病気が悪くなって亡くなったって聞いたよな」
「そうだよ、若くても病気でなくなる人はたくさんいる」
俺は隼人が当時の俺たちにはどうすることもできない事だったのだと言ってくれた気がした。
「おっと、吉田先生、そろそろ今日は終わりにしましょう!」
隼人は時計を指さして俺にそういった。もう6時になっていた。もう10年以上経っている小学校の頃の話にずいぶん夢中になっていたのものだと、俺達は慌てて片付けはじめた。
職員室に戻るために俺達が廊下に出ると、バスケットボール部の部員が2人、楽しそうに話しながら歩いていた。部活が終わってこれから下校するのだろう。
「あ、先生、部活また来てよ、さようなら」
2人は俺たちをみると、手を振って挨拶をしてきた。
「ああ。明日は行けると思うよ、さようなら、気をつけて帰れよ」
俺も手を振り返した。実習にきた時にはあまり懐かしさはなかったが、少し時間が経ったせいか、中学生の姿をみると、俺も昔は・・・・・・と思うことも多くなった。
「じゃ、俺もさようなら、だな」
隼人は俺にむかってそう言うと、俺を置いてさっさと職員室に入っていった。




