第196話 かき氷でも冷めない乙女の熱意か、父の父たる矜持か
抹茶プリンを買いそびれたお客さん――。
スーツに中折れ帽って格好のそのおじさんを、お父さんって呼んだ千紗さんの声に……あたしは、思わず気を引き締めてしまう。
……この人が、お兄のことを……って。
おじさんは、いかにも品が良くて、キチッとしていて……普通に『おじさん』っていうよりも、『おじさま』の方が似合うような雰囲気だ。
千紗さんも、気安いけどそこはかとなく上品で、理知的な人だから……そのお父さんって事実が、いかにもしっくりくる。
確か、京阪大の先生なんだっけ……それもイメージからしてピッタリ。
もちろん、悪い人になんかゼンゼン見えないし、実際そうだろうけど……。
先に千紗さんから昨夜のことを聞いてしまっているから、あたしだけじゃなく、アガシーもおキヌさんも、どうしても、愛想良く笑顔でお迎え……とはいかなかった。
「千紗、友達とお茶していたのか?」
おじさんは……あたしたちの席の方へやって来ながら、小さく首を傾げた。
……まあ、そうしたくなっちゃう気持ちは分かる。
なんせ、いっしょにいるのが、明らかに小学生のあたしとアガシーに、そもそも小柄な千紗さんより、さらにちっさいおキヌさんだからね……。
「――ふむ。
隣のお嬢さんは同じ高校生のようだが……こちらのお嬢さん方は小学生――かな」
「むむっ……!?」
おキヌさんが小さくうめいた。
「アタシが高校生って、よく分かりましたね……おスズちゃんのパパさん」
「ん? ああ……。
人には体格とはまた別に、雰囲気とでも言うか、まとう空気があるからね。
……そしてキミのそれは、こちらの子たちに比べて、より大人だ」
「む、むむぅ……!」
おキヌさんが眉間にシワを寄せながら、さらにうめく。
……昨夜の話から、心情的におじさんをちょっと敬遠してるけど……一目でキッチリ高校生と認められたことは嬉しくてフクザツだ、ってところかな……。
「なんなん、お父さん。
……ウチが、小学生の子とお友達やったら、なんかおかしいん?」
千紗さんがあからさまに機嫌が悪そうに、友達まで否定するのか――って言わんばかりのトゲのある口調で、おじさんに尋ねる。
普段とにかく優しくて温厚な千紗さんだけに、それはあたしでも驚くぐらい迫力めいたものがあったんだけど……。
おじさんは――さすがにお父さんだからか、まるで動じる気配なんてない。
「もちろん、そんなことはないとも。
……関西にいた頃のお前からすれば、珍しいとは思ったがね。
――しかしお嬢さん方、せっかくの時間を邪魔して申し訳なかった。
これからも、どうか娘と仲良くしてもらいたい」
千紗さんじゃなく、あたしたちに向かって――。
映画とかで見るみたいに、ちゃんと中折れ帽を取って胸にあてながら、一礼してくれるおじさん。
さすが、千紗さんのお父さんだけあって……本当に、紳士で丁寧だ。
「……そうやね、ウチ……向こうにおったときは、そんなにお友達とお出かけとかせえへんかったし。
でも……もしかしたら、それよりもっとヒドくなってたかも知れへんねんで?」
千紗さんが絞り出すようにそう言うと、おじさんは、どういうことかって聞くみたいにわずかに首を傾げた。
「――ウチ、こっち来るとき、この関西弁が不安やった。
ただでさえ、どっちか言うたら内気やのに、この言葉遣いからかわれたりしたら、まともにこっちの人と話されへんの違うか、って……。
――ほんでな? 実際にからかわれたんよ?
でも……そのとき、ウチを助けてくれた人がおった。
そのとき、ウチに、そのままで大丈夫――って、言うてくれた人がおったんよ。
やから……その人のお陰で。
ウチはむしろ、向こうにおったときより明るくなれて……こうやって、お友達も出来るようになってん……!」
千紗さんの言葉を聞いたおじさんは――。
少し表情を険しくして、「なるほど」って小さくうなずく。
「……それが、昨夜の彼――ということか。
確かにその話からすれば、彼はお前の大きな助けになったのかも知れない。
だが――」
おじさんは、軽く首を横に振った。
「そうでもないのかも知れない。
――なぜなら千紗、私の知るお前は、そんな困難があっても自ら道を拓こうと努力するだろうし……。
そしてそうする姿は言葉遣いなどに関係なく、このお嬢さん方のような、友人となるべき人たちを惹きつけもしただろうからな」
「お父さん……っ!」
思わずって感じで腰を浮かせかけた千紗さん――を、おじさんは手を出して制して……今までより厳しい口調で告げる。
「ともかくその話は、私たちがこちらにやって来た理由も含めて、今夜改めてしよう。
こんなところで、声高にするものでもない」
「――なら……!
そのお話のためにも、今のうちに言いたいことがあります……!」
即座に、おじさんにそう言いつつ立ち上がったのは…………あたしだ。
「! おい、妹ちゃん!」
おキヌさんが、すごく珍しく、本気であわてた声を上げてあたしを止めようとする。
……うん、その理由は分かる。
場所が場所だし、おじさんも冷静に対応してるんだから、ヘタに騒ぎ立てておじさんの心象を悪くするよりも、今は落ち着いて様子を見よう――ってことだよね?
でも――ごめんなさい。
どうしても、あたし、一言言いたくなっちゃったんだ――。
「ん? キミは――」
「あたしは、赤宮。赤宮亜里奈です。
おじさんは、いちいち覚えてないでしょうけど――」
「いいや、覚えているとも。
つまりキミは、昨夜の彼――赤宮裕真くんの妹さん、ということかな」
おじさんは、すんなりと答えた。
どうせ、お兄が名乗っても、そんなの覚えてないと思ってたから……ちょっと意表を突かれる。
でも……だからって、このまま引っ込む気もない。
「――そうです。だからお願いします。
お兄――兄のことを、認めてあげて下さい」
あたしは、おじさんの顔を真っ直ぐに見上げる。
このツリ目のせいで、ニラんでるように見えるかも知れないし、失礼だって怒られるかも知れないけど……。
目を見て真っ直ぐ――そうじゃないと、きっと意味がないから。
「兄は、人を大事にする人です。
家族とか友達はもちろん、直接関係無いような人だって……みんなを、大事にする人です。
本当に、大事にしてしまう人なんです。
そんな兄が……好きになった人を、千紗さんを、大事にしないわけがありません。
不幸になんて、するわけがありません……!
だから……兄のことを認めてあげて下さいっ。
話も聞かずに、頭から否定したりしないで下さい……っ!」
……こんなところで、いきなり何を言うんだって思われるかも知れない。
でも、お兄は――!
お兄は、これまで3回も――それがこの地球じゃなくても、3回も、世界を救ってきたのに……!
幼い頃、あたしをイノシシから助けてくれたみたいに――命がけで、たくさんのものを守って、救ってきたのに……!
それどころか今も、誰も犠牲になんてならないように――って、戦ってるのに!
そんなお兄が……。
たった1人、この人だ――って好きになった人との仲を認められないなんて……!
そんなの、いくらなんでもあんまりだって、そう思ったら……!
本当のことは言えなくても――どうしても、これぐらいは……!
これぐらいは、言わずにいられなくて……っ!
「………………。
千紗、お前のハンカチを貸してくれ」
おじさんは、千紗さんに手を出して、水色のハンカチを受け取ると……。
あたしの前にヒザを突いて、穏やかな表情でそっとそれを差し出してきた。
「私の物だとイヤだろうが、これなら大丈夫だろう?」
「…………?」
「涙を拭きなさい。兄を想う、勇気あるキミに相応しく」
言われて初めて――あたしは、自分が涙を目に溜めていることに気が付いた。
多分、きっと……感極まっちゃって。
気恥ずかしくなったあたしは、小さくお礼を言っておじさんから千紗さんのハンカチを受け取ると……目元を拭き取る。
「さて……それじゃわたしも、おじさまに一言、いーですか?」
そこで、座ったままひょいと手を挙げたのは……アガシーだ。
「わたしは赤宮シオン、見た目外人さんなのは再従妹だからですが……。
でも、裕真兄サマはわたしにとっても実の兄みたいなモンです。
……なので、やはり妹として一言。
わたしたちが、法的にも姉サマと呼ぶに相応しいのは、チサ姉サマだけです。
――それ以外はありえませんし、認めませんので」
「やれやれ……まさか、妹ちゃんズがここまで気ィ強いとは思わなかったよ……」
そう言って苦笑いを浮かべたおキヌさんも、小さく手を挙げた。
「どうも、絹漉あかねです。おスズちゃんと、赤みゃん――ああ、赤宮裕真とは、高1の頃からの……まあ、親友やってます。
アタシは別に、パパさんにああしろこうしろって言うつもりはないです。
だって――」
そこで一拍間を置いて、おキヌさんは――おじさんに、ニッと笑いかける。
「どんな形であれ、いずれ必ず、パパさんは赤みゃんを認めてしまいますから。
――赤みゃんってのは、そーゆーヤツなので」
「……亜里奈ちゃん、アガシーちゃん、おキヌちゃん……」
千紗さんが、あたしたち3人に順に、気持ちのこもった視線を向けてくれる中……。
おじさんは、ふむ、とうなずき――あらためて、あたしの目を真っ直ぐに見る。
「亜里奈くん……先に断っておくが、私は別に、キミのお兄さんの人間性を否定しているわけではないんだ。
だがきっと、昨夜の対応でそう誤解させてしまったのだろうね……その点においては、私も素直に謝ろう。すまなかった。
……実際、実の妹のキミを始め、お嬢さん方にこれだけのことを言わせるのだから……赤宮くんは、一廉の人物ではあるらしい」
「……おじさん」
「だがね――」
おじさんは、ヒザを伸ばしてすっくと立ち上がった。
「だからこそなおのこと……。
私は千紗の父として、キミのお兄さんと千紗の仲のことを、冷静に、真剣に考えなければならないんだよ。
――どうするのが、2人にとって一番良いのかを……キミたちに恨まれるような選択肢を選ぶ可能性も含めて、ね」
「――ッ! そんなのっ!
一番良い道なんて、決まって――!」
「亜里奈ちゃんッ!」
いきなり、怒ったような強い調子で名前を呼ばれて――あたしは思わず、ビクッと言葉を止める。
呼んだのは――おキヌさんだった。
普段、『妹ちゃん』って呼ぶあたしを、名前で呼んだこと……。
そして、いつにない真剣な表情に――あたしは、その本気を察した。
「……今は、ここまでだ。
当事者がまだ話し合いもしてないのに、あくまで外野のアタシたちがこれ以上パパさんに詰め寄るのは――今でも失礼なのに、さすがに度が過ぎちまう。
パパさんはもちろんのこと……おスズちゃんと、赤みゃんにもね」
「……千紗さんと……お兄にも……?」
「そうだよ。
アタシたちが最後まで助けてやらないと、この2人は何にも出来ない――。
自分たちだけで、自分たちの仲を認めさせることも出来ない――ってね。
……2人を、信用してないってことになっちまう」
厳しい表情から一転、あたしに教え諭そうとするおキヌさんの優しい表情と声に……。
あたしはたちどころに、頭が冷えて……。
自分がバカなことをしようとしてたんだって、理解させられた。
だから……素直に。
悪いと思ったら、ちゃんと素直に謝れ――って、小さい頃、お兄に言われたことを思い出しながら……。
おキヌさんと千紗さんと――そしておじさんに、「ごめんなさい」と頭を下げた。
「……千紗もそうだが、私も一人っ子だったからね……」
そんなあたしに、おじさんは怒るどころか、柔らかく微笑みながら……。
「そうやって一生懸命になるほどに慕ってくれる、キミのような妹がいることは……素直にうらやましいよ」
そっと、大きな手で優しく――あたしの頭をなでてくれた。
――そうして……。
「では……改めて、私はこれで失礼しようか。
――千紗……良い友人にめぐり会えたな」
「――うん」
あたしたちに一礼して、帽子を被り直しながら颯爽と――立ち去っていく。
あたしは……。
自分は本当にまだまだ子供だったんだって、あらためて思い知りながら……。
お店を出て行くその大きな背中を、ただ、見送るしか出来なかった。
ちなみに、その後……そろそろお開きにしよう、ってなってから。
あたしたちは、自分たちのお会計を……おじさんが帰るとき、すでに支払ってくれていたことを知ったのだった。