第194話 純喫茶〈常春〉は色恋と不良の最前線?
「……おーやおや、まーたタメ息が出てるよ、ラッキー?」
――お昼のピークも過ぎて、お客さんもはけた〈常春〉店内。
ウェイトレスの手伝いを終えたわたしは、奥のテーブルで、ついさっきやって来た美汐と一緒に、勉強道具広げて宿題を進めてたんだけど……。
「……え、そんなに?」
「そんなに」
わたしが問い返すと、美汐はペンをくるくると指の上で回しながらキッパリうなずく。
「いかにも、物憂げ〜って感じでさ〜。
そのくせ、数学の問題集解いてる手はちゃーんと動いてるんだから……解き方で悩んでるんじゃない、ってのはメイハクだね」
「う……それは……」
――図星だ。
昨日の神楽のことを思い出すと……。
やっぱりどうしても、タメ息ぐらい出るっていうもの。
「ラッキーすんごい頑張ったしさ〜、センパイのウケも良かったっしょ?
そう悲観するほどでもないんじゃないの?」
「ちょ、美汐……!」
わたしのタメ息の原因を察した美汐が、それについてハッキリ喋ってしまう前に――。
わたしは唇に人差し指を当てて、『しーっ!』と制する。
――巫女さんのバイトをしたこと自体は、お父さんには報告してあるけど……。
それはあくまで、『女の』センパイに頼まれて、バイトとして参加した――っていう形になってる。
まさかその真意が、彼女持ちのセンパイへのアプローチの一環で、その『彼女』に対抗するためだった――なんて、お父さんに知られるわけにはいかないから。
しかも今日は、いつものカウンター席に黒井くんがいる。
お父さんに負けず劣らずわたしの恋愛話に敏感――っていうか、なんだか赤宮センパイが気に入らないっぽい黒井くんのことだ。
今日は、わたしたちみたいに大学の勉強をしてるから、一応注意はそっちに向いてるけど……なんせ耳もカンも良いから、ヘタするとすぐに気付かれちゃう。
でも……そんな注意は杞憂だった。
美汐はわたしの友達として、お父さんや黒井くんのそうした一面を知ってる上に、なんだかんだで結構頭の回転が速いから……わたしの危惧も、すぐに察して。
『分かってる』とばかりにニッと笑って、サムズアップとかしてみせる。
「――で、なんでタメ息?
センパイ、スゴいスゴい言ってたっしょ。
インパクトもあっただろーし、ありゃ結構点数稼げただろーに……。
結果は上々、ってやつだと思うんだけどねー」
一応声量は控えめにしつつ、どうとでも言い訳が出来そうな言い回しで聞いてくる美汐は……。
ついでに、窓際を器用に渡って近付いてきてたうちの看板三毛猫を、ひょいと取り上げて自分のヒザの上に置く。
……キャリコのヤツ……面白い話が聞けそう、とか思って来たな……。
この野次馬ならぬ野次ネコめ〜……まったくもう。
「まあね、確かにセンパイはすっごい褒めてくれて……それも、お世辞とかじゃなくて、ちゃんと舞いを見ててくれたことが分かって……。
うん、それは単純に嬉しかったんだけど……さ。
……何て言うか、そうやって認められるほど、鈴守センパイって壁の厚さを実感したというかさー……。
あの人も、やっぱりホントにスゴい人だなあ〜……って、思い知らされちゃった感じがね〜……」
そう……やっぱり、赤宮センパイが好きになるだけのことはある、っていうか。
一緒に神楽を舞って……改めて、鈴守センパイも大した人だと思ったんだ。
わたしは、あわよくば鈴守センパイを食ってやろう――ぐらいの気概で必死にやったのに。
鈴守センパイは、そんなわたしをさらに食らうみたいに、自分に磨きをかけてきた。
――そう、目障りだから邪魔をするとか、そんな情けないマネじゃなくて。
きっと、頑張るわたしがさらに引き立つように――そして自分も負けないように、って。
わたしが、赤宮センパイに気があって……この神楽で自分をアピールしようとしてることぐらい、さすがに、何となくでも気付いてただろうに――。
それでも、自分だけじゃなく、わたしも一緒になって高め合うような……そんな道を、きっと何の躊躇いもなく選択したんだ。
それはでも、自分は愛されてるから大丈夫……なんて、傲慢や怠慢じゃない。
むしろ、愛し愛されてるからこそ、それに見合う自分でいたい――っていう、気高いぐらいの向上心の表れだ。
……で、そんなの見せられたら……。
自分が逆の立場だったとき、同じように出来るのか――とか、やっぱりちょっと考えてしまって。
それで同時に、ライバルの強大さを再認識して……。
つい、タメ息も出ちゃうってものだよ……。
「まあ確かに、鈴守センパイは想像以上にスゴかったからね〜……。
しかも、いくら色恋にニブいとしても、さすがにこの神楽での、ラッキーの宣戦布告めいた態度にゃ気付いたでしょーに……。
なのにさ、ラッキーのこと邪険にするでも、余裕ぶるでもなかったもんね〜。
――でもさ、前にほら、ラッキーがセンパイのケガの手当てしたのを知ったとき……鈴守センパイ、反射的にヤキモチ妬いた感じだったっしょ?
てことはさ、トータルすると、鈴守センパイだって、ラッキーをライバルだって認めてるってことでしょーよ。
……つまりは、まあ何て言うか――。
タメ息ついて下を向くにはまだ早いぜ!……みたいな?」
「……なんなの、それ」
美汐の――この子らしい励ましに、わたしはつい吹き出してしまう。
まあ……うん。そうなんだよね。
初めから、ほとんど勝ち目の無い戦いだってことは分かってたんだし――ね。
これでヘコんでる場合じゃない……かあ。
「でも、まあ……ありがと」
「いーのいーの。
なんせこっちも、いっつもこーやって美味しいコーヒーご馳走になっちゃってるんだから、その代金分ぐらいはちゃーんとお仕事しないとねー。
……ね〜、キャラメル〜?」
ニコニコとそう言って美汐は、人前では『キャラメル』で通ってるキャリコを撫でながら……テーブルの端で汗をかいていたアイスコーヒーを、ストローで吸う。
それに合わせて、わたしも大ゲサにタメ息をついて――
「はあ、世知辛い友情だねー。
しかも案外安いね〜、わたしのお悩みー」
ヤケ飲みとばかり、自分のアイスコーヒーをぐびぐびとあおってやった。
――入り口のドアにかかるベルが、ガラガランって、けたたましい音を鳴らしたのはそんなときだ。
ヒドく乱暴にドアを開けるお客さんだと思いつつ、職業病というか、反射的にそちらに注意を向けたわたしの視界に入ったのは……。
まあ、いかにも不良だとかチンピラだとか言われそうなハデな風体の、おにーさんが2人。
……それにしても、普通のお店ならともかく――元・勇者のお父さんに、現・魔法少女のわたし……。
さらには、昔、そもそもそんな不良をまとめてた超武闘派の黒井くんがいる、この〈常春〉にやって来るなんて――。
調子に乗って横暴に振るまう気でいるなら、間違いなく来る店間違えたね……とか思ってたら。
おにーさんたちは、カウンター奥の黒井くんを見つけると――素早くその側に駆け寄っていた。
……あ〜……なるほど、黒井くんのお知り合いか〜。
まあ、そうだよね。
この柿ノ宮近辺で、いかにもこんな『不良やってます』な人たちが、黒井くんのこと知らないとも思えないし。
でも、黒井くんは、おにーさんたちが来てることには当然気付いてるだろうに……勉強する手を止めないどころか、そっちをチラッと見ただけで、後は無視だ。
「あ、あの――! ツキさん……っ!」
その風体には似つかわしくない、萎縮した様子のおにーさんたちは、このままじゃラチが明かないと思ったんだろう……意を決したように必死に黒井くんを呼ぶ。
「……あれ? 確か、黒井くん、でしょ? あのお兄さん。
なんで『ツキさん』?」
「ん? ああ、黒井くん、下の名前が睦月だから。
――黒井睦月。キレイな名前でしょ?
まあ、本人は女っぽいって、あんまり好きじゃないんだけどね」
こっそりと投げかけられた美汐のもっともな疑問に、わたしは答える。
「……それなら、カンタンに『クロさん』でいーんじゃないの?」
「昔、そう呼んだ不良さんを、『オレは犬ッコロじゃねえ!』ってブッ飛ばして以来、ああいう人たちの間じゃ、この呼び方が定着したみたいだよ。
――ホント、めんどくさいよねえ、黒井くんってば」
わたしはつい、頬杖を突きながら……やれやれとタメ息をついていた。
「……それで済ませられるラッキーのが、アタシゃおっそろしーわー……」
はー、と感嘆の息をもらす美汐。
……まあ、黒井くんは小さい頃からの知り合いだからねー……。
ヤンチャが過ぎるデキの悪い兄貴、って感じだしなあ。
何よりそもそも、悪人じゃないしね。
この辺、昔っから結構ガラの悪い人が多かったみたいだけど……。
黒井くんが中学高校時代に、腕っぷしにモノを言わせて、そのテの人たちをまとめ上げてニラみを利かせたことで、みんなずいぶんと大人しくなったって話だし。
ちなみに当時の黒井くんは、それこそ『狂犬』みたいだったけど、犬呼ばわりは極端に嫌うし、とんでもない強さだったってことで……。
その名も『餓狼』――なんて、ちょっと小っ恥ずかしいけど、〈人狼〉っていう彼の正体を知る人間からするとピッタリな二つ名で呼ばれたりもしていた。
――で、そんな黒井くんが不良さんに呼ばれてどうしたかというと……。
「……おい、テメーら……ここは喫茶店なんだよ。
ガタガタぬかす前になんか注文しろ、営業妨害する気か」
……と、アゴでカウンター席を示して2人を座らせていた。
おお……さすが黒井くん、ちょっと売り上げが増えた!
こういうところは質草くんと違ってデキるなあ。
「あ、あの……でもツキさん、オレ、今サイフ持ってなくて……」
「あァ!?……ったく、ガキ以下だなテメーは……!
――ああ、もういい!
すんませんけどおやっさん……コイツら2人のコーヒー代、まとめてオレの伝票につけといて下さい」
「……分かったよ」
穏やかな苦笑混じりに答えたお父さんが、口々に黒井くん――そしてお父さん自身にお礼を言うおにーさんたちに、アイスコーヒーを出す。
……これもまた黒井くんの美点ってやつだね。
案外面倒見が良いというか、何と言うか……。
まあ、ケンカが強いだけじゃなくそういうトコがあるから、不良さんをまとめたりも出来たんだろう。
「……それ飲んだらさっさと帰れ。
オレはテメーらに構ってられるほどヒマじゃねーんだよ」
つっけんどんに言って、黒井くんはヒラヒラと参考書っぽいのを見せる。
「あ! で、でも、ツキさん……!
実は最近のオグさんのことで――」
「……ああ? 尾形ぅ?
ンだよ、ハメ外したアイツが、オレにシメられるようなバカやらかすなんて、これまでだってあったろーが……。
そんな程度でいちいちオレんトコに来んな、テメーらで何とかしろ」
「え、ええ、はい、そうなンですけど……。
なんつーか、ここンところ……ちょっと様子が違うっていうか……。
――あ、それにちょっと前、オグさんとケンカになったヤツが、周りが止めなきゃ病院送りになったんじゃないかってぐらいやられちまって……」
「そうなんスよ……!
だいたいオグさん、ツキさんも知ってるように、そこまでケンカ強くなくて……この前、高校生ぐらいのカップルにケンカで負けたって話もあるぐらいなのに……その日は、なんかスゲーヤバくて……!」
素っ気ない態度を取る黒井くんに、おにーさんたちは必死に訴えかける。
その真剣さがさすがに気になったのか……。
黒井くんは、しょうがない、とばかりに大きく息を吐き出した。
「……チッ、しょーがねーな……。
じゃあアイツと連絡取れ、話つけてやっから」
「それが……あの人、連絡もつかなくなってて。
フラフラ動き回ってるみたいで、今、どこにいるのかも……」
「あァ?――ったく、わーったよ。
じゃあ、アイツが見つかったら、そンときまたオレに連絡してこい。
……オレはオレで気ィ付けといてやっから」
「「 あ、ありがとうございますっ!! 」」
おにーさんたちは席を立って、おっきな声でお礼を言いつつ、揃って深々と黒井くんに頭を下げる。
「うっせえ! 声がデケーんだよ、テメーら! 店に迷惑だろーが!
さっきも、バカみてーな勢いでドア開けやがって――おら、おやっさんとお嬢たちにちゃんと詫び入れろ!」
黒井くんの悪い目付きでニラまれて、おにーさんたちはあわてて、お父さんとわたしたちの方にも、口々に「すいません」とペコペコする。
そうしてから、もう1回黒井くんに、お願いしますと頭を下げて……。
来たときと違って今度は静かに、ドアのベルを鳴らして帰って行った。
「……黒井君」
「わーってます、大丈夫っすよ、おやっさん。
オレぁもうヤンチャからは足洗ったんだ、バカなことはやりませんって」
「それはもちろん信じているよ。
……ただ、何となく気になる話ではあるな。キミも気を付けなさい」
「そっすね……ええ、気ィつけます」
お父さんと言葉を交わした黒井くんは――やおら、こっちを向く。
「……ンなわけでよ、お嬢たちも。
くだらねえ悪さをするバカがイキがってやがるみてえだから、一応気ィつけてくれ。
もし万が一、外で絡まれるようなことがあったら、オレの名前出すか……なんなら、直接連絡してくれてもいい。
――お嬢、その子にオレの連絡先、教えといてやってくれよ」
「あ、うん、分かった」
「ったく……いなくならねえモンだな、バカやるヤツってのは。
……ホンっトに、めんどくせえ……」
わたしたちからも視線を外した黒井くんは、そのまま、ドアの方を見やって……。
本当に、面倒そうにつぶやいていた。