第193話 3度世界を救おうと、こんな事態は未体験
――〈天の湯〉の畳敷きの待合所、その隅っこ。
そもそも時間的にお客さんもそれほどいないから、ある意味じっくりと話をするには良い状況ってやつで……俺は、鈴守のオフクロさんと向かい合っていた。
――俺と話をしたいっていうオフクロさんの要望に、うちの母さんが「どうぞどうぞ」と笑顔で快諾したためである。
……いやまあ、仮に母さんが反対したところで、俺と話したい――って言ってくれてるのを、断るわけにはいかないんだけど。
だって、そりゃあ……やっぱり、義務みたいなモンだろ。
オフクロさんにとって、何より大切な一人娘と付き合ってるんだから。
逃げ隠れするわけにはいかないよな。
――なんて、一応、覚悟を決めちゃいるものの……。
うん、まあ、正直なところはやっぱり――いったい何を言われるんだって、内心おっかなびっくりだ。
異世界でさんざん、生きるか死ぬかの戦いは経験してきた――けど。
これはまた、まるで別種の緊張感だもんなあ……。
一方、オフクロさんはというと――。
「やーっぱり、お風呂屋さんのお風呂上がりは『みかん水』やねえ〜」
そんな俺の心境を知ってか知らずか……。
実にいい顔で、お風呂上がりのみかん水を堪能している。
――ちなみにみかん水ってのは、ぶっちゃけ……ほのかな甘みと酸味で味を付けただけの、クリアな黄色をした瓶詰めの『水』である。
みかんっぽい味をイメージして作られたってだけで、当然無果汁。
昔ながらの、いわゆるジャンクドリンクで……かつては駄菓子屋とかの定番アイテムだったらしい。
今となっては、生産しているのも大企業とかじゃなく、地元の小さな会社が細々と……な具合だったりするので、普通のお店に出回ることはまずなくて……。
もはや、うちみたいな昔っからある銭湯の、いわば『銭湯ドリンク』としてしか、なかなか目にする機会はないようなシロモノだ。
もちろん、ジャンクドリンクなので、いかにもなチープな味だが……。
それがまた、風呂上がりとかだとさっぱり飲みやすいというか……案外ウマい。
亜里奈なんかは、果汁100%のオレンジジュースより、こっちの方がよっぽど好きだったりする。
……さすが銭湯の看板娘――ってところか。どうでもいい話だけど。
「は〜〜……おいしかったなあ〜」
見かけによらず、結構豪快に瓶を空けたオフクロさんは……。
ニコニコと大層ご満悦な様子で、ほうっと息をついた。
「こういう、いかにもお風呂屋さん〜いう感じのドリンクがまだ残ってるん、懐かしゅうて嬉しいわあ。
普通のお店やと見かけへんような、色とりどりの瓶が冷蔵庫に並んでるのんって、見とってワクワクするんよねえ……!」
「あ、ありがとうございます」
その真意がどこにあるにせよ……だ。
こう、子供みたいな無邪気さで家業を褒められて、悪い気はしない。
反射的に、俺は素直に頭を下げる。
「……うん、ホンマにこの〈天の湯〉は……ええトコや。
なるほどなあ……。
――って、ほらほら裕真くんも! それ、飲まなアカンで?
なんちゅーか、この状況が『コワい先輩に体育館裏に呼び出されてもーた! どないしよ!』……みたいな感じで、緊張するんも分かるけど、ちゃーんと水分補給せなアカンねやから!」
「あ、す、すいません……それじゃ失礼して」
オフクロさんの勢いに圧倒されるように、俺は脇に置いていたペットボトルで喉を潤す。
うーん……これが、関西のおばちゃんのパワーってやつなんだろうか……。
いやでも、オフクロさんは、鈴守の歳の離れた姉――でも充分通用しそうなぐらいで、ハッキリ言っておばちゃんって感じじゃないんだけどな。
「……うん、良し。ほんなら――裕真くん?」
「あ――はいっ」
改まって名を呼ばれた俺は。
いよいよ本題か……と、気を引き締め、居住まいをただす。
「いきなり、単刀直入に聞くで?
裕真くんは、ちぃちゃんのこと……どう思てるん?」
「! それは――」
ホントに、いきなり単刀直入にきたな……と驚きつつも。
むしろ俺は――答えられる質問で良かった、とも思っていた。
これなら、ただまっすぐに――鈴守への想いを打ち明ければいいだけなんだから、と。
「鈴守は……ホントに、スゴい子です。真面目で、一生懸命で。
それも、あの子がやらなきゃって決めたこと――そう、こっちに来るきっかけになった『家業』のことですけど……。
それについて、俺は詳しく知らされてないんですけど――でも、俺には手伝えないみたいで。
だから鈴守……1人で頑張ってて。
――そうなんです、まだまだ自分じゃ力不足だから、って……。
ホントに、一生懸命に……頑張ってるのだけは分かって。
でも――それでつらそうにしたり、弱音を吐いたりなんてことは、ほとんどなくて。
一応、一度は悩みを打ち明けてもらったりもしましたけど……それぐらいで。
基本的にはいつも、俺や、友達……周りのみんなのことも考えて、穏やかに笑顔でいてくれる姿は、ホントに立派で。
きっとこの子は、そうやって自分を凜と律することで、俺たちみんなが和やかにいられる場を――そこにいる俺たちのことを、守ろうとしてくれてるんだなあ、って感じて。
……俺は、そんな――。
そんな、気高いぐらい優しくて、頑張り屋で――でもきっと弱いところもある鈴守の、その隣に立つのに相応しい人間になりたい、って……そう思ってます。
俺も……まだまだ未熟で、弱いところも情けないところもいっぱいあるから。
だから――彼女と、支え合い、助け合い、弱いところを補い合えるように。
こうして、彼女のことを尊敬するぐらい……彼女からも尊敬される人間になりたい、って。
そのために、俺ももっと頑張ろう――って。
そう、思ってるんです」
正直、上手く言えてる気はしないけど……。
でも、真剣に、まっすぐに――俺自身の言葉で想いを伝えて。
そうして、改めて俺は……。
じっと静かに、一切の口を挟まなかったオフクロさんを見る。
「………………」
オフクロさんは……なんと言うか……。
意表を突かれたような、呆けたような顔をしていた。
……もしかして、俺の言い方がヘタ過ぎて、うまく伝わらなかったのかな――なんて、不安に思ったその瞬間。
一転して、さもおかしそうに……くすくすと笑い始める。
「まさか――なあ?
『どう思てる』て聞いて、『好き』って単語が1つも出てけえへん答えが返ってくるやなんて、思わへんかったわあ〜……。
『こういうところが可愛くて好き』とか『優しいところが好き』とか、そんな話になると思てたんやけどねえ……」
「――――っ!
あ、あの、それは!
すす、すいません、俺にとって、鈴守のことが好きなのは、もう当たり前すぎちゃってって言うか……!」
し――しまったああッ!!!
鈴守を好きなのが、あまりにも当然すぎて――!
勝手にそれを大前提にした上で、その先ばっかり語っちまったああっ!?
これはヤバい、なんとか挽回を――!
……なんて必死に頭を働かせながら、対面の様子を窺うと……。
オフクロさんは、怒るでも呆れるでもなく――。
優しいものになった笑顔のまま……静かに、うなずいていた。
「ホンマに――大した子ぉやわ」
「…………へ?」
「――そら、あのお義母さんが認めるわけやなあ。
ちぃちゃんもまあ、エラい子ぉを選びィの選ばれェのしたもんやで……ホンマに」
……ど、どうやら、俺のトンチンカンな答えで怒らせたとか失望させたとか、そういうんじゃなさそうだけど……。
でもこれって、単純に、褒められたとか認められたとか、そう受け取ってもいいのか……どうなんだ? どっちなんだ?
「……実はなぁ、裕真くん。
ウチは……まだちぃちゃんにも、お義母さん――そう、ドクトルさんにも、裕真くんのこと、ほとんどなんも聞いてへんねん」
「……え? あ、はい……」
「なんでか……言うたらな?
前もっての先入観ナシに、『赤宮裕真』くん――て男の子を見てみたかったからやの。
……でも、言うても、そないに詳しく知れるなんて思てへんかったよ?
この〈天の湯〉で、どんな環境で育ったんかに触れて……。
ほんで、もしお手伝いとかしとったら、遠目に、普段どんな感じなんか見れたらええかな〜、ぐらいの気持ちやったんよ。
あ、けど、もしウチに気付いてくれたら、こうやってちょっとお話してみよ――とも、ちょびっと思てたけどな?」
穏やかな調子でそう言いながら、オフクロさんはゆったりと周囲に――。
〈天の湯〉そのものを見ようとするように、視線を巡らせる。
「でもなあ……これがまた、思てた以上に情報が入ってくるんやわ。
お風呂に入ってたら、男湯の方から、お客さんと裕真くんの親しげなやり取りが聞こえてくるし……。
それ聞いて、ちょっと近くの常連っぽいおばあちゃんに話しかけたら、その方だけやなくて、他の常連さんも混ざってきて、まあアレコレと色々教えてくれはるし。
――皆さん言いはるんよ?
妹さんはまだ小学生やのにすっごいしっかり者やけど、お兄ちゃんは冴えへんなあ……みたいなことを。
――ホンマに、ええ笑顔で……そらもう楽しそうにねえ」
「…………え?」
「……皆さん、自分の子供とか孫を、悪態混じりに自慢してはるみたいやったわ。
そういうところに触れて、『ああ、あの子は周りに愛されてるんやなあ』って理解したし……。
この〈天の湯〉の、暖こうて居心地のええ雰囲気にも……ああ、経営してる赤宮家の人柄がそのまま出てるんやなあ、って実感出来たし……。
それでな、少なくともあの子は、ちぃちゃん誑かそうとするような悪党どころか、ちゃんとしたええ子なんやなあ、言うんは……確信出来たんよ。
でも……なあ?」
そこでいったん言葉を区切って……オフクロさんは、まっすぐに俺を見た。
そして――ニヤリと、イタズラっぽく笑う。
「まさか、狙ったわけやなくて素ぅで、あないな答え返されるやなんて、思いもせえへんかったわあ。
しかも、ちぃちゃんと同い年の……まだ高校生の男の子にねえ。
……それに――や。
お母さんの真里子さんも……大したお人やなあ」
俺たち2人の様子を窺うでもなく、番台で、いつもどおりに仕事をしている母さんの方を……チラッと見やるオフクロさん。
「さっきな、ウチが、裕真くんとお話させてもらえますか〜、言うてお願いしたとき……何の躊躇もなく、二つ返事でオッケー出しはったんはなんでやと思う?
――真里子さんはな、確信してはったんよ。
裕真くんと話せば、それで、ウチが知りたがってるようなことはすべて分かる――て。
自分が何か言うよりも、それが一番手っ取り早い――て。
裕真くんの人間性をちゃーんと信頼してはる、いうことやねえ。
……それはある意味、親としては当然のことやけど……。
でも、ここまでキッパリ行動で表せる人やなんて……そうそうおるもん違うからなあ。
――ここだけの話……。
真里子さん、実は学生時分とか、男の子はもちろん女の子にも、よおモテはったんと違うっ?」
いきなり茶目っ気たっぷりに、顔を寄せてヒソヒソと尋ねてくるオフクロさんに、俺は……戸惑いつつ、コクコクとうなずき返すばかり。
「あの……父さんによると、母さんはむしろ女子にこそ人気だった――とか」
「あ、やっぱり?
……そうやんなあ、うんうん、そうやと思たわぁ〜」
なんかすごく楽しそうに何度もうなずきながら……。
そうかと思うと、オフクロさんはいきなり、すっくと立ち上がった。
「――え? あ、えっと……もういいんです――か?」
その予想外の行動に、思わず、間の抜けた声が口を突いて出る。
結局、俺は……鈴守の相手に相応しいって認めてもらえたのか?
まるでダメだと突き放されたのか?
いや、やり取りからして、まるでダメ――ってほどのことはないと思うけど、でも、明確に良しとも言われてないわけで……。
どうしたもんかと思う俺に……オフクロさんは、ニコニコと答える。
「もともと、ちょっとだけ、いう約束やったもんね?
うん――思てた以上に、裕真くんのこともよう分かったし」
そうして――番台の母さんのところへ行って、挨拶すると。
そのままスタスタと、玄関口の方へ歩いて行くので……俺はあわてて、見送りに外まで後を追った。
「ひゃぁ〜、さすがにこの時間はあっついなあ〜……」
ギラギラとした昼下がりの日射しに顔をしかめながら、オフクロさんは日傘を開く。
「あの……今日は、ありがとうございました!
〈天の湯〉を利用してもらったこともですけど、その……俺と、話をしてくれて」
結果として、オフクロさんの俺への評価がどうなったにせよ――だ。
俺という人間をハナっから否定するわけじゃなく、コミュニケーションを取ろうとしてくれたんだから……そこは感謝するべきだと思って、頭を下げる。
「ウチの方こそ、お手伝いで疲れてたやろうに、ちゃーんと相手してくれて……おおきにね。
直にお話出来て、ホンマに良かったわあ」
「いえっ、俺の方こそ、その――」
……思わず俺は口籠もる。
いや、っていうか……オフクロさんのこと、なんて呼べばいいんだ?
おかあさん――は、いくらなんでも早過ぎるって怒られそうだし……。
おばさん――は、なんか、そんなイメージじゃないし……。
このまま、口に出してオフクロさん――は、さすがに失礼な気もするし……。
「――百枝さん、て呼んでくらはったらええよ?」
「……へ?」
俺の迷いを察したらしく――。
オフクロさんはころころと笑いながら、そう言った。
「――あ、でも、略して『モモさん』言うんはアカンで?
うん、ウチは別に構へんねんけどな……トオさんのウチの呼び方がそれやから。
トオさんがヤキモチ妬いて、エラいことになるかも知らへんからね?」
「うぇっ!? き、気を付けます!
今日は俺も、お話出来て良かったです! その、えっ――と……百枝さんっ!」
「……うん、それでええよ。
――まァ……おかあさん、言うんも悪ぅないけど――ね」
「……え? 今、なんて――」
オフクロさん――百枝さんが言葉の途中でくるりときびすを返したので、傘越しになってよく聞こえなかった部分を尋ね返すも。
百枝さんもそれが聞こえなかったのか、あるいは聞き流したのか――。
「ほんならねぇ、裕真くん。
――また、いずれ……な?」
傘の陰から覗き見るように俺を一度振り返り、上品に手を振って、そんな挨拶だけを残し――。
炎天下の中を、背筋を伸ばしたキレイな歩き方で立ち去っていった。