第192話 魔王的発破と、働く銭湯モード勇者
「……なるほどな、おスズの両親か……」
――昼メシのあと。
〈天の湯〉の手伝いを軽く済ませて部屋にやって来たハイリアに、俺はぐでーっとベッドに転がったまま、昨夜の出来事を話してやった。
「……で、キサマは……。
まさか、打ちひしがれてフテ寝をしている――というわけでもあるまい?」
「……ん~……。
なんかこう、納得っつーか……ちょっと理解出来ちまった気がしてさ」
俺は寝返りを打って、天井を見る。
「亜里奈を妻に――なんて言いやがるお前に、俺が反発しちまうのと……。
そりゃあもちろん、まったく同じってわけじゃないけど、根っこは似たようなものなのかも知れねーな……って」
「……ほう」
「そう考えると、鈴守の親父さんも……。
そりゃあ俺みたいなヤツとバッタリ出会ったら、腹も立つよなー……なんて」
……そうなんだ。
なまじ、似たような気分っていうか――そうした想いが、何となくでも分かっちまったから。
だから、親父さんに認めてもらおう――っていう単純な戦意……みたいなものが、なんか、微妙に盛り上がりにくい感じで……。
うーん……。
「……殊勝なことだな。
――では、キサマに亜里奈のことを認められない余のこの苦悩も、実体験として理解してもらえたというわけだ?」
「いやいや、だからって、『ハイ認めます』なんてならねーからなっ?
……だいたいお前、苦悩なんてしてねーだろーが!」
俺はガバッと身体を起こしてハイリアを見る。
――案の定、ヤツは不敵に笑っていた。
「フ……当然というものだ。
保護者の想いがどうであれ……それがいかに愛情、責任、誇りに裏打ちされた尊いものであれ、だ。
究極的には、所詮……『それはそれ』。
余はただ、ひたすらに余の想いを貫くのみ。
結局はそれしかなく――そしてそれこそが、最も誠実な対応であろう?」
「……っ……」
ああ……まったく……コイツは。
そう……そうなんだよな――結局。
親父さんが鈴守を大事に想うなら、その気持ちが分かるならなおさら、俺も――。
俺も、鈴守が好きで、大事なんだって……。
それを、ぶつけ続けるしかないんだよな――真っ正面から。
当たり前すぎるぐらい当たり前のことを諭された形になった俺は――
「……サンキューな」
ついバツが悪くって、ふてくされたように礼を言うが……。
対してハイリアはいつものように、小さく鼻を鳴らすだけだった。
「――さて、な。
余はあくまで、余のスタンスを明確にしただけに過ぎん。
それでも礼を言いたいのであれば……いっそさっさと、将来亜里奈を妻に迎えることを認めてはどうだ?」
「ぬかせ。『それはそれ』……だろ?
だいたい、まだ亜里奈の同意すら取り付けてねーだろーが」
少し気がラクになったせいもあって、つい軽口に軽口で応えていると――。
枕元のスマホが鳴った。
瞬間、鈴守からじゃ――って、期待と不安が胸の内で跳ねたけど……。
表示されている相手は――武尊だった。
なんか、ついこの間も同じようなことがあった気がすると思いつつ出てみると……。
用件は案の定っていうか、凛太郎と一緒に修行に行って良いか、だ。
ホントこいつ、『近所の兄ちゃんちに遊びに行く』ノリだな、これ。
肝心の修行については、なんだかんだマジメに向き合ってはいるんだけど。
……にしても、学校の友達だって多いだろうに……せっかくの夏休み、そっちと遊びに行ったりしなくていいのかと思わなくもないけど……。
まあ……アイツらのことだ、そんな心配はするまでもないか。
それに、家族とは違う年上の人間に相手をしてもらうのって、なんか特別な楽しさがある――って感覚なら、俺にも分かるしさ。
けど、それはさておき……。
そもそも俺はこの後、うちの手伝いなんだよなあ。
ついでに言えば、そうやって仕事で身体動かして……ちょっと頭をクリアにしたい気分でもあったりする。
無心で掃除したりするのって、結構良い気分転換になるしさ。
そんなわけで――
「――ハイリア」
俺が、視線を向けて一言名を呼ぶと……。
よかろう――と。
それだけで悟ったらしいハイリアは、口元に笑みを浮かべながら、小さくうなずいた。
――それから……。
「……おう裕真ァ、しっかり手伝いやってんなあ、感心感心!」
「よう、熊川のじっちゃん。
その様子じゃ足のケガは大丈夫そうだな、良かったじゃねーか」
「お、今日の掃除は裕坊か?
あの銀髪のにーちゃんだと、美人が混浴に来てくれたみてーで嬉しいんだがよ〜」
「分からんでもないけど、そっちの趣味に目覚めるなよ、中山さん!」
「そんで裕真よぉ、あのおかっぱの可愛らし〜い嬢ちゃんは、いつ嫁に来るんじゃい?」
「気が早えよ、田所のじいちゃん。俺たちまだ高校生だっての!」
「今日もご苦労さん、裕真君。
張り切りすぎて熱中症にならないようにな?」
「ありがとうございます、大船先生。
先生のお世話にならないように気をつけますよ」
などなどと……。
いつものように、常連のお客さんたちと何気ないやり取りをしながら……でも邪魔にならないように、浴場の掃除を一通りこなした俺は。
報告のために、勝手口から、今は番台にいる母さんのところに向かう。
「母さん、掃除、一通り終わったよ」
「お、ご苦労さん。
……はいこれ、ちゃんと水分補給しときなさい」
母さんは、番台の中にある小さな冷蔵庫から、ほどよく冷えたペットボトルを取り出して、俺に放ってくる。
中身は、自家製のスポーツドリンクだ。
――浴場の掃除はもちろん、風呂屋の裏方なんてのは基本、とにかく汗をかく仕事だからな。
ただの水よりこうしたものの方が、当然、水分その他の補給の効率が良いんだが……普通に買うと、粉でも高い。
……というわけで、我が家では節約のために自作しているのである。
別に難しいものでもないしな。
早速、受け取ったドリンクをぐいっとあおってみると……鼻に抜けるのはさわやかなレモンの香り。
ふむ……今日のやつを作ったのは母さんか。
亜里奈だと、だいたいもうちょっと甘めになるからな。
ちなみに俺だとリンゴ酢を使ったりするので、やや酸味が強めになったり。
「で……この後は?
じっちゃんと代わって、しばらく裏でボイラー見てようか?」
俺は首にかけたタオルで汗を拭いつつ、母さんに聞く。
どのみち、すでに汗まみれだからな……シャワーで流す前に、これまた汗だくになるボイラーの仕事もこなしておこうかって思ったんだけど……。
ちょうどそこで女湯の方からお客さんが出てきたんで、自然と俺たちの注意はそちらに向いた。
「は〜……ええお湯やったなあ……。
やーっぱり、おっきなお風呂はええですねえ、女将さん」
「どうも、ありがとうございますー!
……そう、『怒りと不満は水に、疲れとタメ息はお湯に流せ』――ってね」
母さんがニコニコと、うちでは定番のセリフを口にすると……。
「あらぁ。こらまた、えらい上手いこと言わはりますねえ」
ゆったりとしたラフな……でも落ち着きがあって品の良い服装のそのお客さんも、ころころと楽しそうに笑う。
………………。
いやいや、っていうか、このお客さんって――。
うん、間違いない……よな。
若々しいどころか、ちょっと幼げにも見える顔立ちとか。
小柄でほっそりしたところとか。
長さこそ違うけど、つややかでキレイな黒髪とか……。
そして、鈴守に通じるその外見に、この自然な関西弁――。
昨夜は暗かったし、何より親父さんの方に注意が向いてたから、しっかりとは見てられなかったけど……!
「あ、あのっ!
昨日は……その、失礼しましたっ!」
こういうときは自分から動くべきだと――。
そう信じて俺は、お客さんに勢いよく頭を下げた。
そうしておいて……。
『何が?』なんて冷たく返されると、色々ダメージデカいなあ……と、不安に思ってると。
「あれ。ウチのこと、覚えててくれはったん?」
恐れていた怒りやらは感じられない……気さくな感じの答えが返ってきた。
「あ、当たり前ですっ!」
「へえ……なんや、若い子にちゃんと覚えててもろて、おばちゃん嬉しいわあ……おおきにね。
……あ、それと……。
昨日はこっちこそ、トオさん――ああ、ちぃちゃんのお父さんが厳し〜い態度取ってしもて……堪忍な?」
「あ、いえ!
それは、その……当然だと、思いますし……」
どうやら……少なくとも。
この感じだと、こうしてうちに来たのは、今後一切娘に近付くな――とか、問答無用の最後通牒を突きつけるためってわけでもないらしい。
……ちょっと安心した……。
「ちょっと裕真、こちらのお客さん、知り合い?
――あ、いや、待てよ?
もしかしなくても……千紗ちゃんのお母さんっ!?」
会話のスキを見計らって割り込む母さん。
その言葉に、当のお客さんは……。
にっこりと、鈴守によく似た笑顔で……改めて、母さんに一礼した。
「どうも、挨拶が遅れて申し訳ありません、赤宮さん。
ウチは鈴守百枝て言います。
――お察しの通り、千紗の母親です」
「あらららっ、これはどうも、こちらこそ挨拶が遅れちゃって……!」
母さんは素早く、番台を出て回り込み……俺の隣で頭を下げた。
「赤宮真里子です。
お嬢さんには、この裕真はもちろん、娘の方も大変お世話になってまして……」
愛想良く挨拶しながら、母さんは軽やかに、パカンと俺の後頭部をはたく。
ちなみに……。
この界隈で昔から、名うてのお転婆として知られる母さんの一撃は……そんなでも、スナップが利いててわりと痛い。
……まあ、必殺のパチキ食らうよりは、はるかにマシだが。
「いえいえ、こちらこそ……。
なんや、チラッと聞いたとこやと、ちぃちゃんだけやのうて、お義母さんまで、ようこちらさんのお世話になってはるとか……。
ホンマに、いつもありがとうございますー」
「そんな、とんでもない!
わたし、現役時代のドクトルさんのファンでしたから、うちをご愛顧いただけるだけでもありがたいのに、子供たちにも良くしていただいて……それこそこちらこそ――ですよ!」
笑顔でぶんぶん両手を横に振る母さん――だったが。
一転してマジメな顔になると、チラリと一瞬、俺の方を見やってから……オフクロさんに尋ねる。
「それで、今日こちらにいらしたのは……。
もしかして、裕真が、なにか失礼をしたからでしょうか?」
「あ、いえいえ、そういうわけやないんですよ。
――昨夜ね、そちらの裕真くんが、ちぃちゃんをうちまで送ってくれはったんですけどね……。
実は、ウチら両親は、ちぃちゃんに彼氏がおった――いうんを、そのとき初めて知ったんです。
ほんでまあウチは、あの男の子はどんな子ぉなんやろ……て、興味わきまして。
で、偵察……言うたらなんや感じ悪いですけど……。
その子が、普段はどんな感じの子ぉなんか、ちょぉーっと様子窺ったり出来へんかなあ――思て、お義母さんからこちらのことを聞いて……。
ほんで、銭湯いうんも久しぶりで惹かれたもんですから、こうしてこちらに寄らせてもろた……っちゅうわけなんですー」
終始、穏やかな笑顔で……。
でもちょこちょこと可愛らしい身振り手振りを交えて、鈴守のオフクロさんは答える。
「そうでしたか……」
ふぅ、と小さなタメ息とともに、母さんが緊張を解く。
「……なんやすんません、却ってお気を遣わせるような形になってしもうて……」
「ああ、いえいえ。
大事なお嬢さんのことですもん、それは気になりますよねえ」
「ああ……そんな風に言うてもらえると、ホッとしますわぁ。
どうもおおきに、ありがとうございます」
そう言って、丁寧に母さんに一礼したオフクロさんは。
頭を上げると同時に、ぽむ、と手を打つと――。
「――あ、ほんで……ですね、赤宮さん。
この上さらにぶしつけなお願いで、えらい申し訳ないんですけど――」
なんか、楽しそうな笑顔を……俺の方に向けた。
「ちょっとだけ、息子さんと……お話させてもろても、構いませんやろか?」




