第191話 勇者、避けては通れぬ道との遭遇
――7月24日、水曜日。
昨日は神楽で疲れたのもあって……ウチが目が覚めたんは、いつもよりも遅い時間やった。
それで、そのままちょっと、ベッドの上でぼんやりしてたら。
なんか……懐かしい匂いがするなあ――って……。
――って!
「……あ!」
あわててベッドから降りて、パジャマのままリビングに行く。
それで……。
「ん〜? なんやの、ちぃちゃん、女の子がそんなカッコのままバタバタして。
はしたない言うて怒られるで?」
キッチンでお味噌汁を作りながら、のんびりと笑うお母さんの姿に――ウチは。
「あ、あの……おはよう、お母さん」
「うん、おはようさん。
――ほな、顔洗てきぃな、ちいちゃん。ご飯にしよ?」
昨夜のことは、夢でも何でもなかったんや、って……実感した。
――お母さんが作ってくれたんは、ごく普通の日本の朝食。
おばあちゃんも作ってくれるし、ウチも作る、ごく普通の献立。
焼き鮭と、ほうれん草のおひたしと、豆腐とおあげのお味噌汁と、ご飯。
でもそれは……いつも以上に、懐かしい味がした。
ああ、こういうのをお母さんの味って言うんやなあ、って……今さら思った。
「……なんや、お箸止まっとるよ、ちぃちゃん? どないしたん?」
「あ、ううん、なんでもない……!
――そうや、おばあちゃんと……その、お父さん――は?」
「おばあちゃんやったら、もうジムの方に行ってはるよ。
トオさんも……まあ、お仕事やね。
こっちの大学の先生と、なんやお話がある言うて、早うに出かけはったわ」
「……そうなんや……」
……なんとなく、ウチはホッとする。
今は……ちょっと、お父さんと顔を合わせたくなかったから。
なんか、勢いでケンカになってしまいそうやったから。
そう――昨夜のことで。
――昨夜の……多分、11時ごろ。
赤宮くんに送ってもらって、一緒に家まで帰ってきたら――。
「……お父さん、お母さん――っ!」
関西におるはずのお父さんとお母さんが、そんな話ゼンゼン聞いてなかったのに、こっちに来てて。
――ううん、それ自体は、久しぶりに会えたんやし、嬉しかったんやけど……。
「おい、キミ……うちの娘に何をしている?」
お父さんが、いきなりケンカ腰で赤宮くんをニラみ付けて。
しかも――。
「え――あ、あの、初めまして!
俺、赤宮裕真って――」
「キミの名前なんて聞いていない。
――娘に何をしているのか、と聞いているんだ」
自己紹介しようとする赤宮くんの言葉に聞く耳持たんと。
しかも、ウチらの繋いでた手をムリヤリ引き剥がして、ウチを自分らの方に引っ張り込んだりしたから……。
「――お父さんっ!」
ウチはつい、大声を出してもうてた。
「赤宮くんは、ウチを家まで送ってくれただけやのっ!」
「……こんな時間にか? いくら何でも遅すぎると思わないか?」
「すいません。それは、俺の配慮が足りませんでした。
……少しでも早く送ろうと思えば、出来たはずなのに」
お父さんの非難に、赤宮くんは……素直に頭を下げて。
……そんなんええのに……!
赤宮くんが悪いん違うのに!
「そんなん、謝ること違うよ!
ウチら別に、どっかに寄り道とかしたん違うやんか!
早く送る――言うても、やから、大して時間なんて変わらへんし……!」
「ありがとう。でも……のんびりとしてたのは確かだよ。
もう遅い時間だってことは、俺ももっとよく考えておくべきだった」
ウチに向かって、赤宮くんははにかんでそう言うてから……。
もう1回、お父さんとお母さんに、小さく頭を下げた。
「ふむ、で……。
キミは、こんな時間まで娘をどこに連れ回していたんだ?」
「――おばあちゃんの用事!
ウチを送ってくれたんも、おばあちゃんに頼まれてやの!」
お父さんが、悪い人を見るような目で赤宮くんを見るんが堪えられへんくて……。
ウチは、思わず声を荒げてた。
「……母さんが?」
「――ハイこれ、トオさん。
お義母さんが、あなたに代わって、って」
絶妙のタイミングでお母さんが、苦笑混じりにスマホをお父さんに差し出す。
……どうも、先におばあちゃんに電話してたみたい。
「――ああ……母さんかっ? これはいったいどういう――!
………………。
――分かった。
ああ……詳しい話は、また後で」
短いやり取りのあと、「ありがとう」ってお母さんにスマホを返したお父さんは……。
改めて赤宮くんに向き直って、小さくタメ息をついた。
「……事情は分かった。
キミには一応、礼儀として名乗っておく必要があるか。
――私は鈴守杜織。千紗の父だ。
母が――千紗の祖母が迷惑をかけたこと、そして、私がキミの悪意を疑ったことは謝罪しよう。
それと、娘を送ってくれたことにも礼を言う」
「あ、いえ、そんな……俺は――」
「話はそれで終わりだ。
――もう遅い。キミも、親御さんが心配される前に帰りたまえ」
ぴしゃり、と。
赤宮くんにはもう何も言わせへん、ってばかりに、冷たく言い切るお父さん。
赤宮くんもそれを察したみたいで、お父さんとお母さんに、「失礼します」って丁寧に一礼して――。
「……赤宮くん! あの――!」
謝ろうとか、お礼を言おうとか……。
いろいろな考えでいっぱいになって、呼び止めときながら、何も言われへんウチに。
――分かってる、って、そう言うてるみたいな……優しい笑顔を一瞬、見せてくれて。
そのまま……あとは。
もう振り返ったりせんと、帰って行った。
* * *
「うーむ、なんとまあ……」
千紗さんの話を聞いたおキヌさんが、しかめっ面でそうつぶやいて……。
ストロベリーシェイクを、わざとらしく、ずぞぞーっと音を立てて吸い上げた。
――お昼過ぎ。
昨日の約束通り、あたしとアガシーは、千紗さんおキヌさんの2人と買い物するのに、前にもアガシーと来た、高稲のショッピングモールにやって来たんだけど……。
集まったときから、千紗さんの表情が冴えなかったからだろう、
「あっちーし、まずはのんびりお茶会としゃれこもーぜ!」
……っておキヌさんが宣言して、まずはフードコートで涼みつつ、千紗さんの話を聞くことになり――。
そうして明らかになったのが、昨夜の出来事――。
千紗さんのお父さんたちが来て、お兄と鉢合わせた……ってことだった。
「昨日の夜は、もう遅かったし、疲れてたから、あたしもアガシーもすぐに寝ちゃって……お兄とは顔を合わせなかったんですけど……」
あたしはアガシーと顔を見合わせる。
「ですね。
……でも、今朝はなんか、ゾンビみたいにフラフラしてましたねー」
……アガシーの言う通り、今朝のお兄はゾンビみたいだった。
気にはなったけど、朝は〈天の湯〉のお手伝い、昼からはこの約束があったから、その原因を詳しく聞く余裕はなくて――。
もし、お兄が千紗さん相手になにかやらかしてたんだとしたら、その度合いに応じて、帰ったらお仕置き&お説教のコンボ確定だ――って考えてたあたしとしては、どうもそういうことじゃないらしい、って分かったのは、まあ良かったけど……。
……まさか、千紗さんのお父さんお母さんとバッタリだったなんてね……。
それも、お父さんの方が、お兄のこと良く思ってないみたいだし……。
「これがアレですか……。
伝説に名高い『キサマなんぞに娘はやらん!』ってやつですか……」
「そうなん……かなあ。
お父さん、厳しいところもあるけど、公正やし……おばあちゃん譲りで案外、面倒見も良かったりするから……大学の生徒さんにも結構慕われてたりするんやけど……。
なんて言うか、普段がそうやからかも知らんけど、赤宮くん相手のあの物言いが意外で……昨日はウチも疲れてたから、つい、カチンときてもうて……。
そのあとはお父さんとマトモに話さんと、すぐにお風呂入って寝てもうたし……朝も会ってへんから、詳しいところは分からへんねんけど……」
アガシーの、ちょっとおバカな物言いに律儀に応えた千紗さんは……。
ふう、とタメ息をつきながら、バナナシェイクをぐるぐるかき混ぜる。
……あたしにも当然、千紗さんのお父さんの気持ちは分からないけど……。
うちのパパは、どうなんだろう。
パパは、お兄と千紗さんのことは、ママと同じで普通に喜んでた――けど、それは『お兄だから』なのかも知れないし。
これが『娘』だったら、また違うってことなのかな。
あたしのことだったら……やっぱり、相手にこんな態度を取っちゃうのかな。
あのパパが――って、まるで想像出来ないけど。
でも、それがまさに……今の千紗さんの心境なのかも。
ただ、それはともかく。
あたしとしては、千紗さんの話を聞いて――
「ちょーっと、ムカっとするなあ」
不満げにそうつぶやいたのは――おキヌさん。
それは、あたしの思ったことそのまんまで……思わずドキッとする。
「……おキヌちゃん?」
「だってそーだろ、アタシゃ赤みゃんって人間を高く買ってるし、だからこそおスズちゃんに相応しいって認めてるんだ。
それを……娘を奪られる男親の心境だか何だか知らんけどさ、会って早々に、そんな形で否定されるのはハッキリ言って気に入らん。
もちろん、おスズちゃんのパパさん自身をけなすつもりはないよ?
ないんだけど……でも、ご立派な大学の先生だか知らんが、アンタに赤みゃんのなにが分かるんだ、って文句言いたい気持ちもある」
「……おキヌちゃん……」
「わたしも、勇――裕真兄サマが頭ごなしに否定されるのは、なんとも……シット!……な気分ですね、ええ」
続けてアガシーも、マンゴーシェイクを泡立ちそうなぐらいかき混ぜながら頬を膨らませる。
言動は冗談めいてるけど……なんとなく分かる。
あのアガシーが、結構本気でムッとしてる……。
「……あたしも――」
だから、ってわけじゃないけど……。
気付けばあたしも、口を出していた。
「……そりゃあ、お兄はパッと見はそんなイケメンでもないし、しっかりしてる風でもないけど……。
でも、小さい頃からずっとあたしの面倒を見てくれた、あたしの正真正銘のお兄ちゃんです。
だから……そんな風に扱われると、やっぱりいい気はしません」
「アガシーちゃん、亜里奈ちゃん……。
うん……ゴメンな、ウチのお父さんが――」
「いやいや、そーじゃねーだろ、おスズちゃん!」
あたしたちの発言を受けて千紗さんが口にした謝罪を、おキヌさんがきっぱりと跳ね返した。
「赤みゃんを一番認めてるのも、否定されて一番腹立ててるのも、おスズちゃんじゃねーか。
だから、お前さんが謝る必要なんてナッシングなんだよ! こっち側なんだからさ!
そして――だ!
アタシらはみんなおスズちゃんたちの味方だから――!
アンタたち2人が付き合ってるのは、ゼッタイ間違いなんかじゃないんだから――だから、シケたツラしてねーで、胸張って堂々としてりゃーいいのさ!」
続けて、おキヌさんに視線を向けられて……あたしとアガシーは、強くうなずく。
「みんな……。
うん、ほんなら……ありがとう……!」
あたしたちの顔を一つ一つ、順に見て……。
ホッとしたような笑顔で、千紗さんは小さく頭を下げてくれた。
「おうよ、そうそう、それでいーんだ。
……まあでも、正直な話、よーっぽど頭から決めてかかるんじゃなきゃ……。
いかにおスズちゃんのパパさんがカタブツだろーと、いずれ、認めるしかなくなるだろうさ。
なんせ、そもそも赤みゃんってのは……そーゆーレベルの、とんでもないヤローだもんな?」
おキヌさんはそんな風に、あたしたちの気持ちを代弁してニヤリと笑った……かと思うと。
「……よーし、じゃ……それについては、これからも変わらずおスズちゃんたちを応援するってことで区切りとして――だ。
改めて、本来の目的の水着を買いに行くぞ!
ナイスな水着をゲットして、ヤローどもを悩殺するのだー!」
高々と拳を突き上げて――なんとも楽しそうに宣言するのだった。