第190話 涼やかだけど、おアツい帰り道に
「ん〜……今夜は風が気持ちええなあ……」
「ああ。のんびり歩いて帰るには、ちょうどいいよな」
――夜の10時過ぎ。
俺と鈴守は、ゆったりと、鈴守の家に向かって静かな夜道を歩いている。
夏らしいノースリーブのブラウスに、ちょっとゆるめの細いネクタイ、丈は長めだけどふわっと涼しげなスカート……って格好の鈴守は、当然、お出かけスタイルの洋装。
これを見れば、昨夜、亜里奈のやつが俺に『浴衣は着なくていい』って言った理由がよく分かる。
確かに、逆ならともかく、俺だけが浴衣だったらヘンに浮いてたよなー……。
つまり、我が妹はこうなることまで予想してたってわけだ――どれだけ気が利くんだよ、まったく。
…………。
帰りに、アイツの好きそうなコンビニスイーツでも買ってってやるかー……。
――さて……まさしく巫女さん祭りだった今日。
3度の神楽を女子たちが無事に舞い終えたあと……ドクトルさんは打ち上げと称して、俺たち男子まで含めた全員を、駅前の大きな焼き肉屋に連れて行ってくれた。
どうやら、そこの店長さんはドクトルさんの知り合いだったみたいだけど……。
それで多少はサービスしてくれるとしたって……ドクトルさんを除いても、男女合わせて、食べ盛りの飢えた獣が都合14人。
そんな俺たちに、ドクトルさんが言い放ったのは――
「遠慮なんてするな、好きなだけ食え!」……である。
いやもう、さすがの豪気さ。
これがオトコ前でなくてなんだというのか!
――と言うわけで、俺たちはもちろん遠慮無く、腹いっぱいに焼き肉を堪能させていただいた。
俺も、いわゆる『焼き肉』なんて、アルタメアでキャンプ中、狩りで仕留めた獲物を焼いて食った以来だ。
こっちの世界でなんて、それこそ、何ヶ月ぶりになるか……。
しっかし、血抜きやら何やら、自分で前処理をしなくていい焼き肉(しかも和牛)が、こんなに楽チンでウマいなんてな……!
……ついそんな感動に浸って、育てていた肉を根こそぎアガシーにかっさらわれた瞬間には、思わず箸をへし折りそうになったりもしたが。
――で、その後……。
そりゃあもうみんなして、動くのもツラいってぐらい食べまくったし、それなりに遅い時間にもなったので……。
男子どもは普通に帰るとして、女子と小学生はドクトルさんが大型バンで送っていくことになったわけだけど。
「人数がいっぱいだからな」――と、お茶目に笑うドクトルさんに、鈴守だけは俺が家まで送っていくよう頼まれて……今に至る。
「それにしても……お腹いっぱいになったねえ」
「鈴守、ホントおいしそうに食べてたよなー」
鈴守は食べ方がキレイだし、ゼンゼンがっついてはいないんだけど……。
その体格のわりに、意外とよく食べる方だ。しかも結構早い。
気付けばペロリ、という感じに。
そして何より……おいしそうに食べるから、見ていて気持ちいい。
ゆえに、そんなカワイイところが見たくて……俺はつい、育てた肉を鈴守に譲ったりしていた。
そのたびに「ありがとう」って嬉しそうに笑ってくれるから、ついつい、さらにどんどん肉を回しそうになって……。
結果、亜里奈に「やりすぎ」って氷点下の眼差しでニラまれたりもした。
「もしかして……ちょっとはしたなかったりした、かな……?
今日はもう、ホンマにお腹空いてたから……」
「いや、ゼンゼン。見てて気持ちよかったよ。
大体、神楽舞い、あれだけ頑張ったんだから、しっかり食べないとさ。
――いやあ、でも……。
ホント今日は、ドクトルさんに感謝だよなあ」
「……ご飯のこと? そんなん気にせんでも――」
「それももちろんだけど……それだけじゃなくてさ。
――そうだ、神楽のことで、バイト代も出してくれただろ?
小学生の亜里奈とアガシーにも」
「それは……この数日間、ずっと頑張ってくれたんやから、当然のことやと思うし。
おばあちゃんも、親御さんの方針とかも考えるとあんまり高額にするのもなんやから――って、ある程度遠慮したみたいやけど……。
頑張りからすればもっと高くてもいいぐらい、って言うてたよ」
「いやいや、あれで充分だって」
……なんせ亜里奈、もらった封筒覗いて、数秒間石化したもんな……。
そのあと、壊れたロボットみたいな動きでわざわざ俺に見せて、「こんなにもらっていいのかなあ……?」って。
――ちなみに、中身は4万円だった。
単純に考えて、練習も合わせて4日間だから、日給1万円ってところか。
小学生にすればかなり大きいだろうけど、毎日、ほぼ丸一日を練習に本番に……って費やしてたわけだから、常識外れって額でもない。
しかも、この4日間、母さんが亜里奈のことをなにも言わなかったってことは、きっと話は通ってるんだろう。
だから、遠慮しないでもらっとけ、って言っといた。
実際、鈴守も言ったように、本当に頑張ってたんだしな……。
あ、余談ながら、アガシーと見晴ちゃんはまったく気にする様子も無く、封筒を手に小躍りしていた。
何と言うか……さもありなん。
「――で、さ。あと、ドクトルさんに感謝ってのは……。
うん、おかげさまで……。
その、鈴守の――
いつもとはまた違った、可愛くて凜々しい姿を見られたこと、かな」
「あ――う、うん……っ!
あ、赤宮くんにそう見えたんやったら……うん!
――ウチも、良かった……!」
なんだ……今日はもう、何度か同じようなこと言ったはずなのに……。
なんか、特別恥ずかしいぞ。
2人っきりだからか、それとも――。
こう、祭りの熱みたいなものが、ちょっと冷めたからなのか……。
鈴守も……これまでよりずっと、恥ずかしそうで。
でも……嬉しそうにしてくれて。
うん……そんなところが、また……最っ高に可愛い……。
――っと、そうだ!
「……なあ、鈴守」
「赤宮くん、その……」
俺たちはほぼ同時に、お互いを呼びながら手を持ち上げていた。
それで、同じことを考えたってすぐに分かって。
なんだか嬉しくて……可笑しくて。
笑い合いながら、互いに、差し出した手を取る。
あたたかいけれど……暑いとは思わなかった。
さっきより近付いたのに……むしろ心は、落ち着いた。
きっと、鈴守のこのあたたかさに――俺は、ホッとするんだ。
「でも、ホントに……今日の鈴守、すごかったよなあ。
やっぱり、『家業』の祭事をちゃんとこなすために――って、普段から努力してるからなんだろうな……」
「――ありがとう。
でも、そう見てもらえたんは、ウチの力だけ違うよ?
みんな、一生懸命、精一杯頑張ったから……」
「うん……そうだな。やっぱりそれも大きいよな。
――中でも特に……白城が、本当に頑張ってたと思う」
「そうやね……白城さん、ホンマにすごかった。
対になるウチに負けへんように、って――気迫が感じられるぐらいやった。
やから、ウチも……負けてられへん、って思えてん。
……そう……ウチも。
甘えてたらあかん――って。
相応しくいられるように、自分を磨かなあかん――って」
ついと、視線を夜空に向ける鈴守の表情は……。
静かに、今また自分の気を引き締め直しているような……凜と涼やかなものだった。
「そうか……うん。
そうやって切磋琢磨するぐらいだったから、あの神楽も、より素晴らしいものになったってことだよな。
改めてそう考えると、まったくの初心者だったってのに、鈴守をそんな気持ちにさせるぐらいなんだから……白城もホント、大したヤツだよなあ……!」
鈴守と白城の、対になっての演武のような舞いを、その見事さを思い出し――。
俺は、白城もこれだけスゴかったと、興奮気味にまくし立てる。
そうして――途中、ふと冷静になって…………一気に青ざめた。
いや――いやいや! いやいやいや!?
おい俺、ちょっと待て、なにをやってる!?
彼女と2人きりのときに、他の女の子のことを褒めまくるとか……!
これ……ゼッタイにやっちゃダメなやつじゃないのか!?
以前、おキヌさんとか亜里奈に、ボロクソに怒られたやつじゃないのか――!?
そ、そう言えば……!
さっきから、鈴守が無言になってる気が――っ!
「ごご、ゴメン鈴守ッ! いやもうゴメン、ホントにゴメン!!
俺、こういうところでいっつも怒られてるのに、またやっちまった……っ!」
俺は繋いでいた手を放すと、パンッと目の前で思い切り両手を合わせて――勢いよく、鈴守に頭を下げる。
「それは、なんのゴメンなん?」
頭を下げてるから、顔は見えないけど……。
鈴守は、仁王立ちするみたいに、腰に両手を当ててる……。
それに声の調子も、いつもと違って抑揚が無いって言うか……!
「え、えっと、その、鈴守と二人なのに、白城のことばっかり話して……!」
「それは……なんで?」
「それは……白城の一生懸命な頑張りも純粋にスゴいなって、感動したからで――って!
……あああ、また俺は〜っ!」
バカ正直に迂闊な発言を重ねちまって、さらに深く頭を下げる俺。
「……ホンマに――」
――さすがの鈴守でも、これは……! と、息を呑んだ瞬間。
合わせていた両手が、やわらかい手で解かれたと思うと……。
ふわりと、さっきまでと同じように……優しく、繋ぎ直される。
反射的に、顔を上げると……。
繋いだ手の向こう、そこにあったのは。
予想に反して、穏やかな――鈴守の苦笑だった。
「ホンマに、しゃあないなあ……ウチ。
……だって、ウチが好きになったんは……そんな男の子やねんから。
一生懸命な人を、その頑張りを、素直に認めて褒め称えられる……そんな、赤宮くんやねんから。
そんなところが……好きやねんから」
「……鈴守……」
「……やから、怒ってへんよ。
ウチのことを考えてくれるんは、もちろん嬉しいけど……。
それで赤宮くんの、赤宮くんらしい良いところを抑えこんでまうのも、なんかイヤやし……。
――って、ウチも大概ワガママ言うてるね」
………………。
ああ……俺、本当に――。
「……赤宮くん……?」
「ああ、ゴメン、何て言うか……感動してた。
俺も――そんな鈴守に出会えて、良かった。
好きになって、良かった……って」
俺の、ちょっと大ゲサかも知れない物言いに、でも鈴守は……。
一瞬、目を丸くした後、嬉しそうに笑いながらうなずいてくれた。
――それから、俺たちは……。
帰り道の中で、改めて、夏休みをどう過ごそうかって話し合ったりした。
みんなと……あるいは、俺たち2人で。
一緒に行ったら楽しそうな場所の話とかで、盛り上がった。
ただ残念なことに、明日早速どこかへ……とも思ったけど、どうやら鈴守はすでに、おキヌさんとうちの妹たちとで、買い物に行く約束をしているらしい。
一瞬、荷物持ちで付いていこうかとも考えたものの、そもそも女子ばっかりの買い物だ……男の俺はヘタに混ざらない方がいいか、と思い直していたら。
「お、おキヌちゃんが、今日のバイト代で早速水着買いに行こう、って……!」
――ということらしいので、キッパリ止めておくことにした。
やっぱり、男がそういう場にいるのはイヤだろうし……。
まあ……なんて言うか。
今度プールとかに行くことになったとき、どんな水着にしたんだろう……って、わくわくも出来るしな! うん!
……って、いや、力説することじゃないかもだけどさ……。
――そんなこんなで、気付けば……。
俺たちはもう、〈ドクトル・ラボ〉の裏手――鈴守家の門前へとやって来ていた。
名残惜しいけど……ここまでだ。
「……じゃあ……鈴守、今日は――」
ホントにお疲れさま、と言おうとしたところで……。
通りの方から、白い車がここ、裏手へとゆっくり入ってきた。
しかもその車は、迷いなく……鈴守家の門の脇に停車する。
――ってことは、もしかしたらドクトルさんのお客さんかも知れない。
邪魔になったら悪いな……と思って。
さっさと帰ろうとした俺だったけど――。
鈴守が、目を丸くして立ち尽くしているのに気付いて……つい、足を止める。
――そうして数秒。
車から降り立った一組の男女は……。
鈴守家の門じゃなく、俺たちの方へと近付いてきた。
俺と同じぐらいの背丈で、スーツの似合う細身の……いかにも紳士って感じのおじさんと。
その奥さんらしい、小柄な、やわらかい笑みを浮かべた女の人。
……初めて会う人のはずだけど、妙な既視感を感じるなあ……とか思ったら。
鈴守があげた大きな声が――その答えのすべてを、明らかにした。
「……お父さん、お母さん――っ!」




