第188話 こぼれないラムネ、こぼれる想い
「……まったく、どこに行ったのかと思ったら」
社務所の中に戻った沢口唄音は……。
みんなの荷物が置いてある畳敷きの部屋で1人、ぐで〜っと大の字になっている小さな巫女――絹漉あかねを発見した。
「そんなダラダラしてて大丈夫なの、おキヌ?」
「だーって、あっちーんだもんさ~。
アタシゃ一番の年長者なんだし、これぐらい大目に見ておくれよ~」
だらしなく、力無く、団扇でパタパタと自らをあおぐおキヌ。
その隣に、沢口唄音――ウタもまた、すとんと腰を下ろした。
「ドクトルさんもいるってのに、年長者とはねえ」
「あの人はサイボーグに違いないから、ノーカンだー」
「……まあ、その気持ちは分からなくもないけど」
うなずきながら、自分の荷物から小さな保冷式の水筒を取り出して、くいと呷るウタ。
「――あ! なにそれ、ウマそうだな!
ウタちゃん、ひとくち!」
「……ただの凍らせた麦茶だよ?」
ガバ、と跳ね起きたおキヌに、苦笑混じりに水筒を手渡す。
受け取ったおキヌは、両手で捧げるように傾けながら……さもウマそうに、冷えた麦茶でぐびりと喉を鳴らした。
「ぷっはー、五臓六腑に染み渡るぜぃ……! さんきゅーな!」
「ちょっとアンタ、それは一口じゃなくてイッキでしょーが……」
明確に軽くなった水筒を返してもらいながら、ウタはタメ息をつく。
一方おキヌは、いかにも満足げに、またごろりと寝転がった。
「――にしてもおキヌ……アンタも結構エグいマネするよね」
「んー? お茶の件なら今度ジュースおごるから、それでチャラにしとくれよー」
「そーじゃなくて……いやまあ、聞いた以上はおごってもらうけど。
――そーじゃなくて、白城さんのこと。
あの子をこの神楽に誘ったの、おキヌでしょ?」
言って、おキヌの様子を窺いながら……ウタは水筒の麦茶で唇を濡らす。
「……あの子、赤宮くんのこと好きなんじゃないの?
なのにまあ、こんな風に、文字通りにおスズと同じ舞台に上げるとか、真っ向から競い合うような役柄を回すとか……。
あの子にキッパリと諦めさせるためかも知れないけど、結構キツくない?
どれだけ頑張っても、あの赤宮くんが、おスズ以外の子を一番に見るわけもないのに……」
「………………。
それでも、なんだよ。ウタちゃん」
ウタの、厳しささえ感じる問いかけに――。
おキヌは、天井を見上げたままハッキリと言い切った。
「それでも、そうせざるを得ないんだ。
――あの子はさ、どうせムダだから、傷つくからって……そんな生ぬるい温情で戦いから外されたら、それこそ納得したりしないよ。
そもそも、そんな程度ならとっくに諦めてるさ。
だって……本気で赤みゃんに惚れちゃってるんだもんな、あの子。
だからむしろ、あの子のためを思うなら……。
こうやって正々堂々と、トコトンまで戦り合えるようにしてあげるのが一番なのさ。
――どっちみち、傷つくんなら……。
悔いの残らないよう、精一杯に前のめりな方が――きっと、いいよ」
「…………そう。
ん――なるほどね、分かった。そういうことなら」
ウタは、水筒を持ったまま……すっくと立ち上がる。
「ホント、アンタも大概……苦労性って言うか、お節介って言うか」
「ふふん、惚れ直したろ?
なんなら、その胸にぶら下げてるムダに重そうな脂肪、ちょーっとぐらい譲ろうって気になってもいいんだぜー?」
不敵に笑うおキヌに、笑い返しながら……。
その腹の上に、ポイとウタは水筒を放り投げた。
「代わりに、そのお茶あげるわよ。
ぽよぽよはお腹だけでガマンしなさいな」
* * *
「…………ふむ…………」
――幸いなことに、余の知識と〈解読〉の魔法の相互効果により、古書を読み解くことは問題なさそうだった。
しかし、あまり長い間姿が見えないと、友人たちが余を探し始めるやも知れん……。
長居は禁物だ、じっくりと読み込むのは後回しにするべきだろう。
内容を目で流すように追いつつ、スマホで写真を撮りつつ……ページをめくっていく。
さて……肝心の内容について、だが。
どうやらこれは、〈世壊呪〉について専門的に書かれたもの――ではなく、一種の日記のようだ。
そして、これはその数冊に渡る日記のうちの一冊に過ぎないようで、著者の名などはそもそも書かれていない。
ただ、学校の授業で学んだことなどから推測するに、著したのはサムライや武士といった人種で、恐らくは男……というぐらいは分かる。
まあ、『土佐日記』の逆で、女性がそう装っただけの可能性もあるが……そこは恐らく重要ではあるまい。
加えて、文中の元号からすれば……恐らく書かれたのは4〜500年前、といったところか。
しかし元号というもの自体が余にとっては馴染みの薄いものでもあるからな、そのあたりは改めて資料と突き合わせて確認する必要があるだろうが……。
「にしても……やはり、火災にでも遭ったか……」
まるまる火に巻かれたわけではなさそうだが、舞い散る火の粉にでもさらされたのだろう、古書は中身も、虫食いのように、ところどころが焼け焦げて失われている。
そんな中、かろうじて読み取れる箇所を拾っていけば――
この日記は、著者が〈聖鈴の一族〉の〈巫女〉なる者の護衛として、諸国を巡っている旅路の記録であるらしい。
そして、その〈巫女〉とは、〈呪〉を祓う役を担っており――
「それは、聖鈴の響きをもたらす杖をもって――か」
余の脳裏に真っ先に浮かんだのは……あのシルキーベルの姿だった。
* * *
――もうしばらくしたら、2回目の神楽が始まるっていう時間……。
裕真たちと一緒に、女子のみんなを労った後……僕は1人、輪を離れて露店の方を回ってきていた。
……別に、明確な理由があったわけじゃない。
ただ、なんとなく……その場に居づらかったからだ。
神楽は確かに素晴らしかった――それは間違いない。
だけど、女子たちを労ってるうちに、なんだか自分が場違いなような気がしてきたっていうか……。
いや、あるいは――
『物事に対しての見切りが早いし……愛想の良さも、自分なりの距離を慎重に計ってる感じがする。
良く言えば冷静、悪く言えば……微妙に冷めてる――ってところか?』
「この間裕真に、そんな風に言われたんだっけ……」
……なるほど確かに、僕は冷めてるのかもね――。
そんなことを苦笑混じりに思いながら、鳥居近くの露店で冷えたラムネを買い、そのままみんなのところへ戻ろうとして……。
末社――って言うのかな、本殿から離れた別の小さなお社の陰に、ぽつんと1人座り込む巫女さんを見つけた。
そして、何でだろう……つい、そちらに足を向けてしまう。
「こんなところで……1人でどうしたの?」
まるで自分のことを言ってるみたいだ――って、少し可笑しささえ感じながら問いかけると。
立てたヒザにアゴを乗っけて、うつむき加減に地面を見ていたメガネの巫女さん――白城さんは、弾かれたように僕を見上げた。
「あ……国東センパイ……?
え、えっと、まあ、ちょっと1人になりたくって……。
――って、そういう……センパイは? やっぱり1人みたいですけど……」
「ん、まあ……僕も似たようなものだよ」
「そう、なんですか……。
――あ、ま、まあ、そんな気分にもなりますよね!
えっと……ほら! みんなと一緒にいたら、赤宮センパイと鈴守センパイ、あのおアツい2人にあてられちゃって、余計暑いっていうか……!」
「ああ……うん、そういう面もある……かな」
実際には……あの2人のことだ、こんなところでそうそうイチャついてもいないと思う。
少なくとも、僕が場を離れるまではそうだった。
まあ……それでも、雰囲気的にアツいって言えばそうなんだろうけど。
気にするほどかって言うと……。
………………。
今のは……単なる冗談? 適当に口にしただけ?
……いや、それにしては……。
そう言えば――。
鈴守さんと対になる主役の舞い手には、白城さん自身が立候補したって話だったっけ。
どう見たって白城さんは目立ちたがりってタイプでもないし、つまりは――。
つまりは、そういうこと…………なのかな。
「……なるほど、白城さんは相当に暑がりってわけだ」
頭にふと浮かんだ予想を、でも口には出さず……その代わりに。
僕は、すっと買ったばかりのラムネを差し出した。
「じゃあ、これどうぞ。
――さっき買ったところだから、まだキンキンに冷えてるよ」
「え? あ、ありがとうございます……って、ホントにいいんですか?」
改めて確認する白城さんに、いいよ、と繰り返してあげると。
ちょっと考えた後、白城さんは……「じゃあ遠慮なく」と、はにかみながらラムネの栓を開ける。
……あ、上手い。こぼれてない。
「よく知ってたね、ラムネがこぼれない開け方」
「えへへ……小さい頃、お父さんに教えてもらったんです」
明るくそう言って……。
白城さんは、ビー玉を落としたキャップからようやく手を放す。
……そう、ラムネがこぼれないように開けるには、ビー玉を落とした後、そのまましばらく抑え続けることが大事なんだ。
「そう……お父さんに。
僕は――――祖父に、かな」
……遠い遠い、過去の話だ。
教えてもらったことはこうして覚えてる、なのに――。
なのに、それ以外は……思い出せない。
――あの人が、そのとき……どんな顔でいたのか。
「……センパイ、おじいさん……苦手なんですか?」
「え?」
「だって、なんだか……良い思い出っぽいのに、そういう顔じゃなかったから」
白城さんに指摘されて僕は、なんとなくぺたぺたと自分の顔に手をやる。
そうしていると……つい、苦笑がもれた。
「さあ、どうかな……。
でも――強い人だよ。とても敵わないぐらいに」
「でも……負けたくない?」
「――――!」
気付けば……白城さんは。
メガネの向こうから真っ直ぐな目で、僕を見上げていた。
僕は……なぜだろう。
それを、真っ正面から受け止めきれないような気がして――。
つい、ごく自然な動きで……すっと視線を逸らしていた。
「……かも――知れないね」
一方白城さんは、そんな僕の心中に気付いたのかどうか――。
苦笑混じりに、大きくうなずいていた。
「――ですよね。
わたしも……とても強くて、とても敵わないような相手だからって。
負けたくない――けど……なあ……」
そんな風に、想いを噛みしめるように語る白城さんは。
僕の言葉に、同意しただけ――そのはずなのに。
なのに、僕とは……まるで違う、そんな気がして――。
「……白城さん、キミは――」
その正体を見つけたくて、問いを重ねようとするけど。
「――あ! いた、メガネのねーちゃん!」
そこに、元気な声とともに……勢いよく武尊が、文字通りに割って入ってきた。
「そろそろ次の舞台だから集合だってさ! あとはねーちゃんだけだぜ!」
「――あ、え、もうそんな時間!?
ゴメンね、探してくれてありがと!」
武尊の言葉にあわてて立ち上がった白城さんは、ハッと、手の中の開けただけのラムネを見、僕を見て……。
僕が笑いながらうなずいてあげると、それを武尊に差し出した。
「じゃあ武尊くん、これお礼ね。
さっき開けたばっかりで、わたし、一口も飲んでないから!」
「え、いいの? やった、ありがとねーちゃん!
――あ、そうだ、あとリアニキも探してるんだけど……見てない?」
「あ、魔王センパイなら……ちょっと前に、あっちの方に行くのを見たよ。
――っと、それじゃセンパイ、武尊くん、また後で!」
神社の奥まった方を指差すと、白城さんは手を振りつつ駆け出していく。
僕と武尊は、それに「がんばって」という声援で答えて……見送った。
「よし、んじゃ衛兄ちゃん、リアニキも探しに行こーぜ!」
「……いや、どっちに行ったかは分かったんだし、ハイリアは僕が探してくるよ。
武尊は先にみんなのところに戻って、僕らもすぐに行くからって伝えておいて」
「ん、おっけー! じゃ、任せたから!」
武尊はもらったラムネを一口飲んでから、元気に走り去る。
「……さて、と」
それを確認してから、僕も――
多分、神社の裏手へ通じるだろう、白城さんが教えてくれた方へと足を向けた。