第176話 純喫茶〈常春〉、看板ネコとともに営業中
「ふう……今日は結構忙しかったんじゃない?」
――この〈常春〉も、なんだかんだで一応は飲食店。
お昼どきは、近所で働いてる人とかがやって来るから、ピークらしいものもあったりする。
……もちろん、駅近くにあるような定食屋さんとか、商業ビルの中の専門店とかに比べたら、ゼンゼン大したことないんだろうけど。
まあ、基本、昼間はわたしは学校で、お父さんが1人で切り盛りしてるわけだから、あんまり忙しくても回らなくなるだけで……それぐらいでいいとも思う。
一応、黒井くんなんかは料理も出来るし、手伝えるときは手伝ってくれるものの……あちらも身分は大学生、いつもいつもってわけにはいかないしね。
――でもって今日は、夏休みに入ったことだし、わたしも張り切って朝から店のお手伝いだった。
ようやく昼のお客さんもはけて、一息ついたわけだけど……予想よりも忙しかったなあ、とか思ってたら。
「……そうか? 今日はマシな方だったと思うぞ。
鳴、『向こう』に行ってる間に、なまったんじゃないか?」
お父さんは洗い物をしながら、苦笑混じりにそんなことを言う。
「げ……そうなのっ?
一応、向こうにいるときでも、カフェの女給さんとか、お店の店員さんとか、お屋敷のメイドさんとか……。
お仕事の感覚は忘れないように、多少はバイトもしてたんだけどなあ」
まあ……〈ティラティウム〉は魔法が当たり前の世界だったから、当然いろいろと勝手は違うんだけど……。
うーん……物心ついたときからこなしてきた、この〈常春〉のウェイトレスとしての腕がなまってるとしたら、ちょっとショックかも……。
「うむうむ、しかし勤労は良きこと、素晴らしきことではないかお嬢。
額に汗して働きまくるその姿に、ワガハイ、胸打たれまくり〜」
――店の奥、お客さんの邪魔にならない場所に設えられた台(先日、器用な黒井くんがブツブツ言いながら作ってくれた)の上で、アクビしながらそんなことを宣ってくれちゃうのは……キャリコだ。
……あ、どこで誰が聞いてるか分からないし、一応、普段使いの名前ぐらいは別に用意しておこうってことで……今はその名も『キャラメル』だけど。
この子は茶色い部分が多めな三毛猫だし、それがいかにもキャラメルっぽい色だから、わたしがそう名付けた。
そもそもの『キャリコ』も、単に『三毛猫』って意味で、通称みたいなものだしね。
ちなみに、キャリコの本当の名前、真名は――。
知っているのは誓約を結んだわたしだけで……そしてそんなわたしでも、滅多なことじゃ呼ぶわけにはいかなかったりする。
……それはさておき。
キャリコは、こちらの世界に来てまだ数日だって言うのに、早くもお店の中を我が物顔で闊歩するから、イヤがるお客さんがいたら立ち入り禁止にしてやろう、とか思ったものの……。
〈獣神の王〉としての、そのプライドはどこにやった――って呆れちゃうぐらい見事な、いかにもネコっぽい甘えっぷり&気まぐれっぷりを発揮して。
常連さんはもちろん、初めてのお客さんにもたちまち人気を博し……しっかりうちのマスコットとしての地位を確立してしまっていた。
……で――。
本人はきっと、ありがたーいお言葉――とか思ってるだろう、勤労を讃える一言を頂戴したわたしは。
ツカツカと、キャリコ――ならぬ看板ネコ『キャラメル』に近付くと、そのごリッパなおヒゲを、抜けない程度に左右にぐいぐい引っ張ってあげる。
「……そ。勤労は尊いんだよ〜、『キャラメル』ぅ?
だ・か・ら、次に戦うときはちゃーんとしっかり勤労してね〜……っ?」
「わ、ワガハイ、ちゃんと働きまくりっ!
…………推定給料分ぐらいは」
もちろん、この場合の給料っていうのは、ごはんやおやつのグレードのことだ。
「そんなこと言ってると、歩合制にするからね?
しかも、基本給ナシの」
「なんとぅっ!? 横暴でありまくるぞお嬢!
ろーどーしゃの権利を守りまくるよう、ワガハイ、声を上げまくりっ!」
「そーゆーキミがそもそも、有産階級のお貴族サマでしょー……がっ」
トドメに、鼻を軽く摘まみ――。
フガフゴと、もがくさまを堪能してから解放してあげた。
そんなわたしたちの様子に、控えめな笑い声を上げているのは……1人残ったお客(一応)、質草くんだ。
ちなみに、このお昼の忙しい時間にいつものテーブル席を占拠されると、さすがに迷惑が過ぎるので、今はカウンターの端っこ――黒井くんの指定席に移動してもらっている。
でも、注文は結局いつも通りの、ケチャップ多めのオムライスにコーヒーだけだ。
……だから、ケチャップ多めとか言うならもう一品ぐらい頼みなさいっての。
「……まったく、仲が良いですね」
「まあねー、質草くんと黒井くんぐらいにはね」
ちょっと皮肉っぽい答えを返しながらわたしは、これまで忙しいから放っておいた、質草くんのオムライスのお皿を片付ける。
で……そのとき気が付いた。
場所柄、いつものようにパソコンを使ってないのは分かるけど、その代わりに、なんか古そうな、ゴツめの本をヒザの上で開いてることに。
「質草くん、それは?」
「ん? ああ……今後の講義のために、まあ、予習的なことをしておこうと思いましてね。
ちょっと専門的な歴史書の類ですよ」
言って質草くんは、細かい字がびっしりと書かれたその本を、チラリとこちらに見せてくれた。
……うっわー……さすが専門書。
わたし別に活字嫌いでもないけど、これはちょっとキツいなー……。
そんな風に感じたところで……同時に、ふと思い出す。
「そう言えば……お父さんのところに〈世壊呪〉の話を持ち込んだのって……質草くん、だったよね」
……そう。
匿う魔獣たちが増えてきたから、地下の〈庭園〉を構成する魔術式への負担が大きくなってきてて――。
このままだと空間を維持するのも難しくて、新しい迷い子を迎え入れるのはもちろん、そもそも今年一年保たないかも……って、お父さんが悩んでたところに。
もっと強力で新しい魔術式の基盤に使えるんじゃないか――と。
〈世壊呪〉について記された古書を質草くんが持ち込んだのが、春先のこと。
――以来、お父さんを中心に、わたしたちは〈救国魔導団〉として活動しているわけだけど……。
「あのふっるーい本、確か〈うろおぼえ〉で見つけたんだよね?
もっと他にも……それこそ、ズバリ〈世壊呪〉の正体について書いてあるようなヤツ、あそこに置いてないのかな?」
〈うろおぼえ〉って言うのは、店自体が骨董品みたいに古い、こじんまりとした古書店の店名だ。
そこは、基本的には普通の古書店なんだけど……。
実はその裏で、魔術書とか、奇書とか呼ばれるような、そうそう世には出ない希少な本も扱ってるらしい。
で、お父さんは、そこの店主のお爺さんとは、前のお仕事の頃――。
西浦さんと一緒だった〈諸事対応課〉の関係で知り合って……それ以来、何かと親しくしているみたい。
「……それなら、もう三海さんに頼んであるんだよ」
わたしの質問に答えたのはお父さんだった。
……三海さんっていうのは、〈うろおぼえ〉店主のお爺さんだ。
「もし、他に〈世壊呪〉について書かれたものが見つかったら、教えてくれるように。
ただ……今のところ、まるで見つからないらしいがね。
――そもそも、質草くんが持ってきてくれた古書だって、本当に店にあったかどうかって、首を傾げるぐらい目立たないものだったらしいからなあ」
「……それ、ただ単に、店名通りに『うろおぼえ』ってだけじゃないの?」
あのお爺さん、微妙にとぼけたところがあるからなあ……。
わたしの発言に、「確かに」と、質草くんが笑う。
「まあ、だからと言うわけではないですが……。
さすがに三海さんお一人では大変でしょうし、僕やおやっさんもときどき、本を探すのを手伝いに行ってるんですよ?」
「え、そうなの?
――なんだ、言ってくれたらわたしも手伝うのに……」
「そのお気持ちは嬉しいですけど……。
お嬢、草書で書かれた古語とか、読めます?」
草書って……確か、英語でいうところの筆記体みたいな、すっごい崩して書いてある字体のことだっけ?
しかもその上……古語ぉ?
……質草くん……わたしの古典の点数、知ってる?
「あ〜……うん、それはムリだね……あきらめる」
「ええ、だから適材適所ということで。
お嬢は、それ以外のところで頑張って下さいね」
質草くんのその一言……。
フォローなのか、微妙にバカにしてくれちゃってるのか……むむむ。
――カランカラン。
……そんな風にわたしが唸っていると、入り口のベルが鳴った。
反射的に――いやもうホントに反射的に、笑顔で「いらっしゃいませ!」って振り返るけど……そこにいたのは。
「や! 来たよ〜、ラッキー」
にこやかに手を挙げる、パッと見はちょっとハデめでチャラい感じの女の子。
わたしの友達――塩花美汐だった。
――って言うか……!
「え、もうそんな時間っ?」
「ああ、まだだいじょーぶだよ。ちょっと早めに来たからさー」
「……ん? なんだ鳴、約束があったのか?」
お父さんが、美汐とわたしを見比べて聞いてくるのに、うなずいて答える。
「うん……ちょっとね。学校の先輩と」
――そう。
数日前から、約束があったんだ……絹漉センパイと。
ちょっとしたバイトをお願いしたいから、今日の昼過ぎ、指定した場所に来てくれって。
……で、なんなら友達も呼んでいいってことだったので、美汐を誘って……。
その美汐が、今、まさにこうして約束通り迎えに来てくれたってわけである。
「ッ! せせ、先輩って……鳴! まままさか、男の――」
「女の先輩だから。
……もう、美汐も一緒に行くのに、どーしてそうなるの」
「あ、ああうん、そうだな、そうだよな……はっはっは!」
「――あははっ!
もう、ラッキーのおじさんてば、可愛すぎ!」
取り繕うように笑うお父さん……の姿に、美汐も無邪気にからから笑う。
……ああもう、恥ずかしいなあ……。
「あ、じゃあ美汐、ちょっと用意してくるから、待っててくれる?」
「ゆっくりでいいよー。
アタシ、キャラメルと遊んでるからさー」
わたしに手を振って、美汐は早々に奥の台で寝転ぶキャリコのもとに向かう。
……美汐も、うちの看板ネコ(オスだけど)の振る舞いにしっかりダマされた人間の一人だ。
あ、でも、美汐は昔ネコを飼ってたことがあるらしく、ネコの扱いが上手いから……。
案外、文字通りに遊ばれているのは、キャリコの方なのかも知れないけど。
「塩花さん、アイスコーヒーとアイスティー、どっちがいいかな?」
「あ、ありがとうございまーす! じゃ、アイスティーで!」
お父さんと美汐のやり取りを横目に、わたしはエプロンを外しつつ店から出る。
――途端、昼下がりの日射しと熱気が、クーラーの冷気に代わってわたしを包み込んだ。
「うわー、やっぱり暑いなあ……」
わたしは、手をかざしつつ、恨みがましく太陽を見上げて。
『赤みゃんを諦めないなら、これをやらないテはないぞ後輩ちゃん!』
――って。
絹漉センパイが、そうまで言ってわたしを誘うバイトって何なんだろう……。
ほんの少し、そんなことを考えていた。