第175話 人はそれを、図書館デートとか呼ぶかも知れない
――夏休み、初日。
かねてから、規模の大きい図書館で時間を使って調べものをしたいと思っていた余は……。
良い機会ゆえ、早速図書館への案内を請おうと、朝、勇者のもとを訪れたのだが。
……ヤツめは、ものの見事に惰眠を貪っていた。
叩き起こしてやっても良かったが、他を頼る方が早いと、聖霊のもとへ向かうも――。
……こちらもまた、だらしなく惰眠を貪っていた。
そうして、こうなればスマホのナビを使うか……と思い直していたところ。
「あ、じゃあ、あたしもいっしょに行きます!」
一人、しっかりと起きて洗濯をしていた亜里奈が、余の話を聞いて案内を買って出てくれたのだった。
――そうして、亜里奈と連れ立ってやって来たのが……外観からしてなかなかに立派な、〈広隅市立図書館〉だ。
亜里奈によれば、2年ほど前に改築されたばかりらしい。
なるほど、道理で小綺麗なわけだ。
「……しかし亜里奈、今さらだが、どうしてわざわざ同行してくれたのだ?」
図書館の周りも公園として整備されていてなかなかキレイ……とのことなので、せっかくだからと散策してみることにする。
今日も天気は良く、陽の光の中、緑に包まれた空間を歩くのは心地好い。
そして、そうしながら余が口にした問いに……亜里奈は、持ってきていた大きめのバッグを叩きつつ答える。
「社会の宿題で、地域の歴史について調べる……っていうのがあるんですよ。
だから、どうせならいっしょに行って済ませちゃおうかなー、って」
「ふむ。だが、まだ夏休みも始まったばかり……そう慌てることもなかろう?」
余が首を傾げると――。
立ち止まった亜里奈は、手を腰に当て、「なに言ってるんですか」と厳しく詰め寄ってくる。
「……そんなこと言って先送りにしてると、宿題なんてどんどんどんどん溜まっていって、後で大変なことになっちゃうんですよ?
宿題はちゃんと、早いうちにちゃっちゃと片付けちゃうに限ります!」
「ム……それはそうだな。すまなかった」
亜里奈に謝る余の脳裏には、勇者と聖霊の寝姿が思い浮かんでいた。
……彼奴ら、きっとギリギリになるまでロクに宿題をやらんのだろうな……。
「それにしても……。
やっぱりハイリアさんがいると、周りの人の視線がスゴいなあ……」
図書館本館を回り込むような形の遊歩道を歩いていると、周囲をキョロキョロとしながら、亜里奈はトーンを抑えた声でそんなことを言う。
――ふむ。まあ、確かに視線は感じるが……。
「外国人は珍しがられるものなのだろう?」
「今どき、外国の人ってだけじゃそんなに注目されません。
……ハイリアさん、すっごい美形だって自覚、あります?」
「余にとっては亜里奈、お前が見てどうなのか――が、すべてなのだが」
「もう……。まーた真顔でそーゆーコト言うんですから……!」
「仕方あるまい。魔王だからな?」
余がそう言って微笑すると……亜里奈も、一旦は尖らせていた口元に、愛らしい笑みを湛える。
そうして……ちょいちょいと、余の袖を引っ張った。
「まあ、これ――今日は特に、この服装のせいもあると思いますけどね」
「ふむ……そうなのか」
着て行くものを学校の制服にするか迷ったところ、今日はいわゆる『和服』で出てきたわけだが……やはり目立つものなのか。
――ちなみに、今日着てきたこれは、以前亜里奈が、余の部屋着にと買ってきてくれた作務衣……ではなく。
それをいたく気に入っている余を見たばば殿が、さらに、じじ殿が昔使っていたという着物を仕立て直して余に譲ってくれたものだ。
時代劇の町人のような着流しではなく、袴も着けたその格好は――亜里奈いわく、『大正時代の書生さんみたい』らしい。
「確かに、今のこの国では、こうした着物を着る人間の方が少ないようだしな。
……そこへさらに異国の人間ともなると……やはり、奇妙なものか?」
「……ハイリアさんの場合、多分逆です。
もう、似合いすぎなんですよ……どこの創作物から抜け出してきたんですか、ってぐらい。
うーん……今度、ダテ眼鏡も用意しようかなあ……」
――さて、その後。
改めて図書館内に立ち入った我らは、窓際の丸テーブルを1つ占拠する形で、各々目当ての調べものをすることになった。
……大きな書庫という意味で言えば、余が魔王となる前に住んでいた古城の方が、よほど巨大で、また蔵書数も多いのだが……。
そちらはカビ臭く、薄暗く――当時はこれが普通と気にしなかったものの、こちらの世界に来てみると、いかに陰気であったかが分かる。
もちろん、ああした厳かでもある空間も嫌いではないのだが……。
こちらの、明るく開放的で、親しみやすい環境というのもまた、いいものだ。
中でもこの市立図書館は、改築されたばかりだけあって、洒落た内装は清潔感にも溢れ、老若男女問わず、本好きならさぞ居心地が良いだろうと感じた。
ただ……だからといって、『知の宝庫』としての役割を充分にこなせているかと言えば……また別問題だ。
「……ふむ……」
数冊の本を開き、その合間で熱心にノートにメモを取る亜里奈の向かいで……。
その亜里奈の本の倍以上は厚みがあろうかという本を、視線より高く積み上げた余は、思わず声をもらしてしまう。
余が調べようと思っていたもの――。
それはもちろん、〈世壊呪〉についてのことだ。
もっとも、さすがにその名を直接目にすることはそうあるまいと、それぐらいは当然覚悟していたわけだが……。
なるべく古く専門的な郷土史などを手当たり次第探ってみても……〈世壊呪〉はおろか、〈呪疫〉も、さらにはこの地の〈霊脈〉の『流動的』という特異性についても一切、触れられてはいなかった。
ぼかしたような表現さえ見当たらない。
関係がありそうな伝承や説話なども……同様だ。
もちろん、そもそもそれらについて触れた書物があるのかどうかが分からないわけだが、やはり――と言えばいいのか。
市民が普通に調べものをしたり、読書を楽しんだりするようなこうした場所では……いわば『知識』の深度が『浅い』らしい。
いや、しかし……まだまだ、それらしい本は残っている。
まったく情報が無いと、結論付けるのも早いか……。
「あのー……ハイリアさん?」
気付けば、亜里奈が余を呼んでいた。
――まるで手応えがなかった余に比べ、亜里奈は大変有意義に時間を過ごすことが出来たようだ。
ノートはしっかりと埋められているし、表情も心なしか明るい。
「この後も、まだ調べもの、するんですよね?」
「ん? そうだな……正直、求めているようなものにはまるで出会えていないが……折角ここまで来たのだからな。
時間の許す限り、やれるだけやってみようとは思っている」
「……それなら――」
亜里奈は笑顔で、隣の空席に置いていたバッグを持ち上げる。
「ちょっと早いですけど、お昼にしましょう」
――そうして余と亜里奈は、また公園に戻り、適当な木陰のベンチで昼食を摂ることになった。
我ら2人の間に置かれたバスケットには、亜里奈手作りの小さめのサンドイッチが詰まっている。
……なるほど。
朝に図書館の話をしたとき、準備に少し時間をくれと言っていたのはこのためだったのか。
「あんまり時間なかったから、手間のかからない……ハムとレタス、チーズと海苔、あとは昨日の残り物を使ったポテサラサンド……だけ、なんですけど」
苦笑混じりに謙遜する亜里奈に、余は素直に礼を述べる。
「――いや、充分過ぎるほどに充分だ、ありがとう。
では、余はなにか飲み物でも買って――」
「む。何言ってるんですか、もったいないです。
……ちゃんとお茶もありますから」
席を立とうとした余を鋭く呼び止め、亜里奈はバッグから水筒も出した。
……何とも用意の良いことだ。
「……もう、ハイリアさんもヘンなところでお兄の影響受けてますよね……。
すぐにジュースとか買おうとするんですから。
――お小遣いには限りがあるんですよ?」
「ン、む――そうだな。……以後、気を付けよう」
冷たい麦茶が注がれた水筒のコップを受け取り、余は素直に……また謝罪することになった。
しかし、それが妙に心地好いような気もして……思わず、顔がほころぶ。
「……やはり亜里奈、お前はあのばば殿の孫だな。
大したしっかり者だ」
「それって、あたしが小学生らしくないってことですか?」
む、これは何と言ったか……そう、ジト目というやつだ。
それを向けてくる亜里奈に、余は微笑を返し――
「無論、良い意味でな。
――では、いただきます」
手を合わせてから、まずはチーズと海苔のサンドイッチを取り上げ――口に運んだ。
――昼食後。
用事があるらしく、亜里奈は先に帰ってしまったが……余は残って、そのまま調べものを続けた。
しかしやはり、これといった情報は見つからない。
〈呪疫〉が絡んでいるのでは、というような話ぐらいは見つかりはしたが……それぐらいならどこにでも転がっていそうで、決め手に欠ける。
――だが逆に、無い、ということが分かったとも言えるだろう。
つまり……〈世壊呪〉にまつわることは、一般人がおいそれと知り得るような類の情報ではない、というわけだ。
そして、〈救国魔導団〉にしろシルキーベルにしろ、〈世壊呪〉という名の共通認識を持っていたということは、『それ』が過去にも存在した、歴史を持つものであるのは間違いないだろう。
――であれば、口伝のみというのでなければ、よほど専門的な……加えてそう簡単に閲覧出来ないような古書などであれば、あるいは記述があるのかも知れん。
もっとも、どちらの陣営も、〈世壊呪〉の正体を把握出来ていないということは……我らの役に立ちそうな情報が記されているモノとなると、それらの中でもさらに希少か、そもそも存在しないのか……。
とにかく、なおも書物をあたるのであれば……さらに大きな図書館へ出向くか、もしくは、貴重な古書を専門に調査しているような人間や組織を頼るしかあるまい。
仮に正攻法では無理だったとしても、魔法を活用すれば、立ち入り禁止の書庫に忍び込むも、稀覯書を借り受けるも――さほど難しくはないだろうからな。
「……ふむ……」
そして、〈世壊呪〉と言えば……当の亜里奈のことだ。
昼食時にさりげなく聞いたところでも、どうやら体調におかしなところはなさそうで……それは、余や聖霊が日頃から見守って感じていることとも合致する。
つまり、あのグライファンの一件以来、亜里奈には異常らしい異常は無い、ということだ。
もちろん、それは喜ばしいことなのだが……。
それ以前と比べて、〈霊脈〉から亜里奈に流れ込んでいたチカラが、極端に減っているのが余には気にかかっていた。
グライファンは確かに亜里奈からチカラを吸い上げていたが、〈世壊呪〉としての本質まで奪い取ったわけではない。
ゆえに、亜里奈には未だにその呪縛はあるはずなのだ。
……ところが、亜里奈にチカラはほとんど流れ込んでいない。
その流れがまるで感じられない。
もちろんそれは、グライファンによって、一旦〈霊脈〉内の穢れが消費され尽くしたからだと――あくまで一時的なものだと、考えることも出来るが……。
――そうと決めつけて油断するのは愚の骨頂だろう。
これからも、事の推移とともに、慎重に状態を見守らねばなるまい――。
亜里奈がこの先も、平穏無事に日常を過ごすことが出来るように。
「………………」
積み上げていた本を元の場所に返却し、帰り支度を済ませる。
そうしてふと、視線が留まったのは――昼間、亜里奈が座り、熱心に宿題を進めていた席だ。
亜里奈という人間は――苦難にあってなお輝きを失わない、強く美しい魂を備えている。
それは、魔王たる余が魅入られるほどに。
だが同時に……ごく普通の、未だ幼い一人の少女でもあるのだ。
だからこそ――
「……お前の苦しむ姿など、もう見たくはないからな」
余は、己が心底を、思わず……口の中で小さくつぶやいていた。




