第174話 夏休みの予定相談は、気の早い要望とともに
――7月19日、金曜日。
今日は待ちに待った終業式……明日からはついに夏休みだ。
まあ、だから浮かれてた、ってわけでもないけど……。
家を出て少ししてからサイフを忘れたことを思い出した俺は、ハイリアには先に行ってもらって、1本遅い電車で学校まで来たんだが……。
「およ? おはよう、赤みゃん! 今日はちょいと遅いな?」
昇降口でめずらしく、いつも俺よりずっと早いおキヌさんと出会った。
「ああ、おはよ。でも、それを言うならおキヌさんこそ」
「いやー、ついに夏休みかと思うと楽しみになって、何をしようかってアレコレとネットで調べものしまくっちゃってさ!
結局寝坊だぜ〜、豆腐屋の娘にあるまじき時間に起きちまった!」
にゃはは〜、と笑いながら、下駄箱の扉を開けるおキヌさん。
その瞬間――
――ドサドサドサっ。
「………………」
「………………」
なんか……手紙っぽいものが大量に、雪崩を打って落ちてきたんだが……。
――って、ちょ、ちょちょ、ちょっと待て――?
下駄箱から手紙って、これは……!
これは、まさか……っ!?
「あ、赤みゃん、頼むっ!」
「お、おうっ!」
俺たちはなぜか周囲の目をはばかるように、大急ぎで手紙の束を拾い集めると――そのまま階段裏、人気の無いスペースへと逃げ(?)込んだ。
「これは……やっぱり、請求書――ってわけじゃない、よな?」
「どんだけアタシ支払いから逃げ回ってるんだ! ンなだらしない女と違わい!
……って、そんな漫才やってる場合じゃないぞ……」
拾い集めた手紙――便せんの1つを手に取り、しげしげと眺めるおキヌさん。
これは……いかにも、『お手紙』だ。
まあ、ちょっと……何て言うか、目につくだけでも全体的に、便せんそのもののデザインや封をしてあるシールが、どれも可愛らしすぎるような気も……しないでもないが……。
「ついに――ついにアタシにも、このときが来たか……!
居合わせたのも何かの縁だ……赤みゃん、どうか見届けてくれ!」
「お、おう! 任せろ!」
「行くぞぉ…………うにゃー!」
気合いとともにおキヌさんは便せんの封を切ると、中の手紙を取り出し、真剣な表情で目を走らせ――
「…………!」
そして……徐々に、眉間のシワを深くする。
かと思ったら、すぐに次の便せんに取りかかり――。
それが終わったらまた次と、どんどんペースを上げて……都合10通ほどの手紙に目を通し。
「……なぁ〜ん〜だぁ〜よぉ〜……!」
――と、不満バクハツ盛大に、腕の中の便せんを宙に放り上げてしまった。
紙吹雪よろしく――というには少々重いが、バサバサと舞い落ちる便せんたち。
なんだとはなんだ……?
まさか、ホントに請求書ってわけでもあるまいに……。
俺はおキヌさんが放り出した便せんを1つ拾い上げ、中に目を通し――
「…………。
えーと……まさかコレ、全部?」
……と、そのまま視線を横滑りして、おキヌさんを見る。
腰に手を当てたおキヌさんは、大きなタメ息一つ。
「……まあ、まず間違いなかろーよ。
どれもこれも、ヤローが使うようなレターセットじゃないもんなー……」
「……マジか……これ全部が。
いや、まあ、さもありなん、か……」
俺は手紙をぱたむと閉じる。
これら『お手紙』は、女の子からおキヌさんへの、道ならぬ恋の告白――
……なんかではなく。
『来る文化祭の出し物は、男装した千紗サマが主役の演劇にして下さい!』
――という、鈴守千紗ファンクラブ(非公式)からの、要望書だったのである。
「……と、いうようなことが朝にあったわけだよ、諸君」
タメ息混じりにそう説明を終えて――。
おキヌさんはファミレスのテーブルに、カバンから出した便せんをドサドサと乗っけた。
――さて、放課後。
終業式も終え、晴れて夏休みとなった俺たちは……。
早速いつものメンツで、休み中の予定についてちょっと話し合おうと、近場の明治時代風ファミレス〈ガス灯〉に集まったわけだが。
ひとまず、ドリンクバーで各々飲み物を用意し、カンパイを済ませた後――。
適当に注文した大皿スナックが来るより先に、おキヌさんから一番に切り出された話題が、朝の大量お手紙事件だった。
――で。
「………………」
俺の向かいに座る鈴守の様子を見てみると……アイス抹茶ラテのグラスを持ったまま、完全に石化していた。
石化解除の魔法、ハイリアなら使えるだろうが……効果ないよな、コレ。
「あ〜……赤みゃん?
『嗚呼、可哀想なマイハニー』みたいな目で見てるけど……赤みゃんだって無関係じゃないかんな?」
「……へ?」
「一応、ゼンブに目を通してみたらだね、わりとあったんだよ……。
『なお赤宮裕真については、千紗サマの相手役として女装するのが望ましい』
……って、付記されてるのが」
「! ぶげっほがっほ!」
思わず口の中のもんを吹き出しそうになるのを必死に堪える……が、そもそも俺のドリンクはいつも通りのジンジャーエール、つまり炭酸なので、豪快に咳き込むのはどうしようもなかった。
……いやいや、そうじゃなくてだな……!
俺が女装とかさすがに話にならんだろ――って。
……あれ? なんか、鈴守の石化解けてない?
そして、抹茶ラテすする速度が妙に速くなってるぞ? おーい?
「……しかし、なんでまたこんな時期に文化祭の話が来ているのだ?
確か、2学期に入ってからの行事なのだろう?」
キャラメルバニララテという、単体でも甘ったるいものを2種類合成した、見た目も香りも究極的に甘ったるそうなドリンクを優雅な物腰ですすりながら――ハイリアが当然の疑問を口にする。
それに答えたのは、ケルピスソーダを涼やかに楽しむ沢口さんだ。
「文化祭って、2学期に入って結構早い段階で何をやるか決めて、徐々に準備に入って――って、わりと長丁場になるからね。
『夏休みの間、文化祭はこうすることを前提に準備してて下さい!』っていう、絶妙のタイミングの圧力だと思うよ、うん」
「でもよー、別にそれ聞いて演劇にしなきゃいけねーってわけでもねーだろ?
オレ、劇とかめんどくせーから、屋台とかの方がいいんだけど」
そう意見を挟むイタダキは、ムダに健康志向なので、当然のように果物&野菜のミックスジュースである。
しかし、ウム、コイツにしてはなかなか有益なことを言うじゃないか……。
「まあ実は、演劇以外の要望もあるんだけどな……執事喫茶とか。
――もちろん、女子が男装するカタチでのヤツ」
この暑いのにホットのイチゴラテを、ずずずーっとすすりつつ答えるおキヌさん。
……そう言や前に、おキヌさんに学食のイチゴ牛乳頼まれたイタダキが、フツーの牛乳買ってきて、おキヌさんにキレられてたことあったな〜……。
いわく、『イチゴ牛乳はデザート! 牛乳は健康食品! そんなことも分からんのか!』……とか何とか。
まあ、そのとき俺は鈴守とともに盛大にスルーしてたから良くは知らんけど。
で、その鈴守はというと……なんか、また石化していた。
「……まあでもさ、どっちにしろ、それだけ要望が来るのは、イコールで『需要』があるってことでしょ?
わざわざそれを蔑ろにするのも、もったいない気がするなあ……」
……なんて、俺と鈴守にとってはなかなかシビアな意見を吐いてくれやがる衛は、いつものようにコーラ……ではなく。
コーラと思って飲むと間違いなく混乱する、見た目一緒なのに謎のフルーツフレーバーにより表現しがたい味になっていることで有名な、〈ドクターベッター〉……通称〈毒べえ〉のグラスを手にしている。
「ンむ、マモルんの言う通りなんだよにゃ〜……。
せっかくの、大繁盛間違いナシのこの話題性をフイにする手はあるまい。
――しかも、男装おスズちゃんと女装赤みゃんの演劇となると、漫研とかとコラボもイケそうだしな……ぐふふ」
「……おキヌちゃ〜ん……?」
思いっ切り悪い笑いを浮かべているおキヌさんに、石化していた鈴守がギギギ……と音がしそうな動きで、頬を引きつらせながらデコピンをお見舞いしようとする――が。
「おっと、おスズちゃん……そこまでだ。
ド本気の赤みゃんの女装姿を、アタシのツテを利用して写真部に高解像度の写真に撮ってもらったり、美術部に肖像画にしてもらったり、漫研にマンガに起こしてもらったりしたくはないのかい……?」
「っ!……う、うぅ〜……」
え? あれ? 動き止まった……っていうか、手を下ろした!?
――ちょ、鈴守さんっ!? マジで!?
「……しっかし、そうは言っても……。
実質、アタシゃ委員でもなんでもないしなー。
出し物決めるのだって、最終的にはクラスみんなの意見聞かにゃならんし。
――つーわけで……。
そもそも要望書出すなら、委員長とかの方にしろって話なんだよなー」
一転、シブい顔で、ずずずーっとイチゴラテをすするおキヌさん。
……いや、体育祭の種目に手ェ加えたような人がなに言ってんだ……。
そりゃ、うちのクラスでの影響力考えりゃ、誰だってお前さんを選ぶだろーよ……。
「……なに? おキヌ。
大量のラブレターでついにモテ期到来だと思ったのに盛大な肩透かしだった――とか、根に持ってるの?」
「ち、違わいっ!
この絹漉あかね、そんな女々しかないやいっ!」
沢口さんの一言に、ぷんぷんと擬音が見えそうな勢いで反論するおキヌさんは……。
ちょうど店員さんが運んできたばかりの大皿フライドポテトと唐揚げを、鷲掴みに口へ放り込むのだった。
……頬袋を、木の実でいっぱいにしているリスみたいに。
「……みんなでファミレスでお喋りすんのって、久しぶりやったね……!」
――その帰り道。
時間もあるし、家に送っていくってことで……みんなと別れて、鈴守と2人になってしばらく。
のんびり住宅地を抜ける道を歩いていると、鈴守が大きく伸びをしながら、俺を振り返って――本当に楽しそうな笑顔でそう言った。
季節柄、この時間じゃまだ、夕日の中に――ってわけじゃないけど。
それでも、傾き始めた陽の光をまとったその笑顔は……とても可愛くて、まぶしかった。
それを見て、ああ、やっぱり好きだなあ――って。
胸が熱くなるのを感じながら、俺も相好を崩して、大きくうなずく。
――あれからファミレスでは、みんなして、アレコレ無駄話をしつつ、夏休みの予定を相談した。
ちなみに、『男装と女装』の話については……まああくまで要望が出たってだけだし、俺たちだけで何が決められるわけでもないから、保留になってるんだけど――。
……正直、悪い予感しかしない……。
いや、でもまあ、まだまだ先の話だし、しょせん予感だしな!
今から沈んでたって仕方ない、せっかくの夏休みなんだ、ひとまず忘れよう、うん!
――で、そう、夏休みの予定のことだ。
テーマパークとか、プールとか、動物園に水族館とか、カラオケとか、花火大会とか……色んなところに遊びに行く話が出た。
みんなで泊まりがけで旅行に行こうって案も出た。
鈴守は家業があるし、俺やハイリアも――〈世壊呪〉の問題があるから、なかなか遠出は難しいって話になって、さすがに旅行の計画は立ち消えになるかと思ったんだけど……。
それなら県内の山とかに行けばいいだろうと、色々とツテがあるおキヌさんに沢口さん、イタダキが、適当な宿泊施設やらを探してくれることになった。
……なんか、嬉しかった。
良い場所が見つからなかったり、今からだと予約が取れなかったりするかも知れないけど。
立ち消えになるかも知れないけど。
それでも……嬉しかった。
本当に……頑張って戦い抜いて、こっちの世界に帰ってきて良かったな、って思う瞬間だ。
……まあ、旅行はムリだとしても、夏休みに出来ることは他にもいっぱいあるはずだしな!
なにせ今年は、去年と違って――
俺は、ごく自然に隣に並んでくれる鈴守を見やる。
鈴守は柔らかく微笑んで、「どうしたん?」と小さく首を傾げた。
……そう。今年は――
こうして『彼女』になってくれた、鈴守がいるんだから……!
「……なあ、鈴守。手……繋いでいいか?」
「あ――う、うん……!」
俺が何気ない一言とともに差し出した手に、鈴守もそっと手を重ねてくれる。
世には、恋人繋ぎとかあるらしいけど――俺たちは、普通に手を取り合うだけ。
でも……それでいい。
俺たちはきっと、今はまだ……これでいい。
「……なあ、鈴守――」
俺は……家の手伝いだけじゃなく、〈世壊呪〉を巡る戦いがあるし。
鈴守だって、家業のことがあるから――夏休みになったからって、そうそう一緒に出かけたりは出来ないかも知れないけど。
でも――
「……また、こうやって……一緒に過ごそうな」
「――うんっ。一緒に……な?」
俺が、想いを込めて笑いかけると――。
きっと、それを察してくれた鈴守は。
俺の大好きな、穏やかな笑顔と一緒に……優しく、手を握り返してくれた。