第173話 純喫茶〈常春〉の、おかえりとただいまな夜
「そう言やよー、衛は夏休み、なんか予定とかあんのか?」
――夕食を作ってくれたおキヌさんを、駅まで送った後……。
まだ部屋に居座ってるイタダキと、格ゲーとかやってると……唐突にそんなことを聞かれた。
……おキヌさんにも、実家に帰るのか、って聞かれたな――って。
そのときの、ちょっと憂鬱な感情を思い出しながら……僕は首を振る。
「……ないよ、特には。実家にも帰らないし」
実家の話を振られる前にクギを刺したつもりだけど――感情に流されて、ちょっと言い方がキツくなったかな……。
そんな風に思いながら様子を窺うも、イタダキは僕の内心に気付いたような気付いてないような……どちらとも取れない素っ気ない様子で、「そっかー」とだけ。
「……で、イタダキは?」
「うちか? おう、そーなぁ……家族旅行、ぐらいは行くかもなー」
「やっぱり海外とか?」
「いんや、国内。
うちの親、『海外は自分で稼いだカネで行くものだ!』とか、ワケ分からん持論振りかざすからよー。ロクに行ったことねーんだよな、外国。
……まあ、いずれはバイトとかでカネ貯めて、世界を見に行ってやろうとは思うがな!
やはり頂点に立つオトコとしては!」
『頂点』っていう単語に悦に入るイタダキ。
――そのスキに僕は、キッチリと超必殺技まで絡めたコンボを叩き込んであげて、勝負を決める。
「ぬぐおおっ……!?
ま、衛ぅ、お前って結構エグいよな……」
「いや、明らかに動き止めてれば、そりゃあ狙うよ」
結構遊んだなー……とか思いつつ。
僕らはどちらからともなく、コントローラーを置いた。
「ふぃ〜、しかし、さっすがに親指がイテーなぁ……!」
画面に表示されてる対戦成績は、50戦やって五分五分ってところ。
まあ……わりとダラダラとやってたからね、お互い。
「……予定って言えば……」
ちょっと席を立ち、冷蔵庫に缶コーラを取りに行った僕は、その1つを投げ渡すついでに……。
「イタダキ、おキヌさんをデートに誘ったりしないの?」
さっき実家のことを――イヤなことをまた思い出させられた、その腹いせとばかりに、不意打ち気味にそんなことを聞いてみる。
「……はあ? なんでまたオレがおキヌをデートに誘うんだよ?」
うろたえたりするかな、と思いきや……。
意外にも、イタダキはさも当たり前のようにそう即答した。
「いや、だって……2人、何だかんだで結構仲良いからさ。
実はそういうところがあったりするのかなー、とか」
「……仲、良いかあ?
いやまあ、ガチに悪いってことはないだろーけどよ……。
――つーかさ、そもそもおキヌが好きなのって、裕真だぞ?」
さりげないイタダキの一言に、缶を開けようとしていた指が一瞬止まる。
「え……そうなの? いや、でも――」
「なんだお前、気付いてなかったのかよ?
……ああでも、好き『だった』――なのか。過去形だ。
――ほら、おキヌのヤツ、体育祭でハデに裕真と鈴守のこと煽りやがったろ?
あれ多分、自分で自分にケジメつけたんだと思うぜ。
当の裕真は、そんなのこれっぽっちも気付いてなかったけどなー。
まあ、頂点に立つ鋭いオレ様と違って? アイツはニブチンの小市民だし、しょーがねーのかも知れねえけどな!」
ガッハッハ、と笑いながらコーラをあおって……豪快にむせるイタダキ。
……好きだった相手と、自分の親友だから……盛大に応援して、ケジメにする、か。
なるほど、いかにもおキヌさんらしい。
「……と、言うわけで、だ。
さすがのおキヌも、他のヤツに惚れたのなんだのってのはまだ早えんじゃねえか?
いかに、この頂点たるオトコが魅力的だろうとな……」
うんうんうなずきながらコーラを飲んで……またむせるイタダキ。
……締まらないなあ。
「――って言うかだな、衛! お前はどーなんだよっ?」
「え、僕?」
「おうよ、お前。
あ〜、お前が気にしてそうな特に仲良い女子……女子は〜……っと。
ん〜……む〜……むむ……。
あ〜……くっそ〜!
お前、基本、誰とでも仲良いから難しいな……!」
まあ……だろうね。
そもそも、誰かを好きになるとか――覚えがないんだから。
「――よし、そうだな……こうなれば、オレ様が決めてやろう!」
「……はあ?」
またヘンなこと言い出したなあ……さすがイタダキ。
「――とか言ってると、早速ピーンと来た! 来たぞ!
そうだ、あの子! あの子だ!
ほれ、体育祭のとき、同じ紅組だったあのメガネの後輩の子!
スカンジナビアリレーで、お前の前の走者だった子だ!」
「ああ……白城さん?」
「そうそう、白城! お前にゃあの子がいいと見たぜ!」
「……なにそれ、どういう理屈?」
妙に自信持って断言するイタダキを見て、苦笑どころか、普通に笑ってしまう。
……まあ、カワイイ子だとは思うけど、接点がなさすぎるでしょ?
ホント思い付きだね……その自信も含めて、イタダキらしいけど。
「フッ……オレ様は頂点に立つオトコだぞ?
つまり、なんかこう、天のお告げ!……的なモンを受け取りやすいんだな!」
「髪の毛トガってるからって、アンテナじゃあるまいし。
ヘンな電波受信するのは、友達としてカンベンしてほしいんだけど」
僕の苦言も……イタダキはまるで聞いちゃいない。
「お、そう言やあの子の家、確か、ナポリタンがスゲえ美味いって評判の喫茶店やってるって聞いたよーな気がすんな……。
――ぃよし! 夏休みになったら行ってみっぞ、衛!
でもってお前は、オレ様のお告げに従ってあの子をデートに誘え!」
「イヤだよ、イタダキのお告げとか、どれだけ分が悪いギャンブルだよ……」
露骨に顔をしかめながら……でも、やっぱり笑ってしまう僕は。
まあ、評判のナポリタンは気になるし、お店に行くぐらいはいいかな……とか、思ってしまうのだった。
* * *
――ドアを開けると、カランカランって、懐かしいベルの音が響いた。
そう……ホントに懐かしい。
半年ぶり……くらいかな。
こっちだと、ほんの数日しか経ってないみたいだけど。
「あ、お帰りなさい、おやっさ――」
ベルに反応して、いつもの席にいた黒井くんと質草くんがこちらを見て――。
そして、ものの見事に絶句して……固まった。
……ま、まあ、ある程度は覚悟してたけど……なんか、恥ずかしいなあ……。
「えっと……た、ただいま、黒井くん、質草くん」
「…………おう。
思ったより、その……早かったじゃねえか、お嬢」
「――そりゃ、わたしは……黒井くんみたく時間にルーズじゃないもんね」
わたしの挨拶に――平静を装ってる感じに、ちょっとヒネた調子で応える黒井くん。
そんなだから、ついわたしも、いつも通りのツッコミを返してしまう。
一方質草くんは、その細い目を珍しく見開いてたものの……黒井くんがいつも通りなのと合わせるように、やがて、特に何を言うでもなく、穏やかな笑みをわたしに向ける。
なんだか、そんな『いかにも』な2人の反応に……わたしも。
帰ってきたんだなあ――って、そんな感慨で胸がいっぱいになった。
お父さんも、昔、異世界から帰ってきたときって……こんな感じだったのかな。
思わず立ち尽くすわたしの両肩に、後ろのお父さんが、ぽんと手を置く。
そして……改めて。
お父さんらしく簡素な、でも優しい言葉を……かけてくれた。
「……お帰り、鳴」
「うん――ただいま」
「とにかく……本当に。無事に帰ってきてくれて何よりだ」
もう何度目になるか分からないその台詞をまた繰り返しながら、お父さんはわたしたちのグラスに、おかわりのアイスコーヒーを注ぎ足していく。
わたしが、自分に起こったことを話すために……今はみんなで、テーブルを囲んでいた。
同じ『魔法』が発達した異世界でも、お父さんが行った〈メガリエント〉とはまた別の、印象としては、何て言うか、もっとファンシーな……〈魔法王国ティラティウム〉に招かれて、〈魔法王女ハルモニア〉になって……。
いろんな冒険を経て、戦って――何とか、危機にあったその世界を守り抜いたこと。
そして、そのときのチカラを持ったまま――こちらに帰ってきたこと。
――さすがに、あれもこれもと話し出すと、絶対に止まらなくなって……当然、時間はゼンゼン足りないと思ったから……。
ひとまず今は、要点だけをかいつまんでみんなに報告した。
「そういうわけで……これからは、わたしもいっしょに戦うから」
改めて、わたしがそう宣言すると……。
お父さん、黒井くん、質草くんの3人は、複雑そうな顔を見合わせる。
「――言っとくけど、止めてもムダだからね。
勝手に乱入して参戦するだけだよ?
だいたい、わたしは……ずっと、みんなの力になりたかったんだから!」
「鳴……」
「……まあ、いいんじゃないですか?」
真っ先にそう言ってわたしの味方をしてくれたのは、質草くんだった。
「そもそも、お嬢は1つの世界を救ってきたわけでしょう?
つまり、今やボクや黒井クンより強くてもおかしくないわけで……。
手伝ってもらわない手はないんじゃないですか?」
「質草君、だが……」
お父さんは、なおも難しい顔をしていたけど……。
わたしが、『ゼッタイ退かない!』って、目で、表情で、訴えかけてたら――。
ついに、「分かった」って折れてくれた。
「……質草君の言うことももっともだしな。
だが、鳴――くれぐれも、そのチカラに溺れたりしてはいけないぞ?
そうなれば、私たちの理念を歪めかねないし……何より、身の破滅に繋がる。
チカラを持った者として、当然の戒め――とても大事なことだ。分かるな?」
「うん、ありがとう、お父さん。
――分かるよ、もちろん。
わたしだって、そういう……邪悪で、でも弱い心と……戦ってきたんだから。
それに――。
わたしは、勇者だったお父さんをずっと見続けてきた、娘なんだから!」
わたしの答えに、お父さんは一瞬、困ったような恥ずかしいような……そんな表情を見せたけど――。
すぐにそれを引き締めて、力強くうなずいた。
「――よし、約束だぞ。
それで黒井君、キミの意見は――」
「おやっさんが認めるなら、オレから言うことなんてねーっすよ。
――でもお嬢、もし戦っててヤバそうだって思ったら、ソッコー、力づくでも戦場から追い出すからな?」
わざとらしく、ちょっと強面にそんな脅しをかけてくる黒井くん。
それに対して――
「……ありがとう、黒井くん。頼りにしてるよ」
わたしが、にしし、と笑って応えると――フン、とそっぽを向く。
……まったく、分かりやすいなあ、黒井くんは。
「……さて。では、一応話もまとまったことだ、今日はもう――」
時間も遅くなってきたし、お開きにしよう……と、お父さんが立ち上がった――その瞬間。
テーブルの上の空間が、急に歪んだと思うと――。
そこから何かが現れて……そのままべたんと、テーブルに落下した。
「な、なんだっ!?」
突然の事態に、お父さんたちが色めき立つ中――。
「あ〜……みんな、大丈夫だから」
ただ一人、わたしだけは。
思わず……タメ息混じりに顔を覆っていた。
「ぅお? おお? おっふぅ〜! やや、やっと! や〜っと〜っ!
ワガハイ、迷いまくって追い付きまくりぃ〜っ!」
ぴょいと跳ね起きた三毛猫の首根っこを……わたしは、すかさずむんずとつかまえる。
「おい、お嬢、ソレ……知り合い、か?」
「ああ、うん。この子が……わたしをティラティウムに導いてくれたの。名前はキャリコ。
今は、まあ……使い魔兼相棒、ってところかな。
一応、向こうじゃ〈獣神の王〉とも呼ばれる存在……なんだけど……」
なんだけど……。
とりあえず今は、首根っこつかまれてジタバタしてるタダのネコにしか見えない。
……いや、うん……『とりあえず』どころか、基本的にほぼ常にネコなんだけど。
「まーったく、ワガハイを見捨てまくるとか、ヒドくはないかお嬢っ!?
これはもう詫びとして、美味なる食事を……ワガハイ、要求しまくり! しまくりっ!」
「ふぅぅ〜〜〜ん……?」
わたしは、眉間にシワを寄せながら……。
目の前まで持ち上げたキャリコをニラみつける。
「先に見捨てたのは、どっちだったっけ〜……?
わたし戦ってる最中なのに、ノンキに鼻ちょうちん膨らませて寝てたよねぇ〜?」
「――お、おおぅ?
いやいや、いやいやいや、見捨てたとは人聞き悪いまくり……!
いいかなお嬢?
世の中には労働基準法というのがありまくってだね、それに照らしまくればワガハイは充分に頑張りまくっていたわけで……つまり、働き過ぎまくりになって、お嬢が動物虐待で訴えられまくっては困りまくり!――じゃないか?
だからだよ?
こう、働く者の当然の権利として、ワガハイ、自主的にちょーっとだけ、休みまくりの寝まくりまくりってだけでありまくってだね……」
前足をひょいと振り上げながら、なんか得意気に弁解するキャリコ。
わたしは、返事代わりにニッコリと笑いかけてあげると――キャリコを引っつかんだまま、店の出口の方へ向かう。
「――それじゃお父さん、わたし先に家に戻ってるから。
黒井くんと質草くんも、お休み」
「お、おう……でもお嬢、そのネコは……」
「ん? うん、大丈夫だよ――」
わたしは笑顔のまま、キャリコの首をガッチリとつかみ直した。
――逃げられないように。
何かを察したらしいキャリコの身体が、ビクゥッ!……と大きく跳ねるけど、気にしないで、わたしは――
「これから……この子をお風呂に入れて、念入りに洗ってあげるだけだから」
キャリコにとって死刑宣告にも等しいそれを、無慈悲に宣言しちゃうのだった。