第166話 友情も温情も、黄金の信念に揺らぎなく
「あ、そーだマモルん、今晩予定ある?
――無い? おっけー、んじゃ、空けといてくれたまえ!」
……きっかけは、その日の朝、おキヌさんに言われたそんな一言だった。
「なに、夜にみんなでどこかに行くの?
……って言っても、さすがに夏祭りも花火大会もまだ先だと思うけど」
「んにゃ、そりゃまた夏休みに入ってからの話だな〜。
そーでなくてだね……。
――ほれ、ちょっと前に約束したろう? マモルんたちのメシの面倒見てやるって」
「え?……あぁ〜!」
ポン、と手を打つ僕。
……そうだ。
確か、裕真が鈴守さんに晩ご飯を作ってもらうって話を聞いて、イタダキと2人でうらやましがってたら、おキヌさんが「まとめて面倒見てやる!」って――。
「……でも、あれ本気だったの?」
僕の問いに、おキヌさんはフフン、と胸を反らした。
「この絹漉あかね、二言も他言もダゴンもないのだ!
……それとも、アタシの作るメシじゃあ不満かい?」
「いやいや全然、すっごく嬉しいです!」
僕は必死に、両手と首をぶんぶん横に振る。
「うむ、よろしい、良い返事だ!
……実は、ご近所から良いゴーヤとトマトをもらってさー。
昨日から塩豆腐も作ってあるし、ちょうどいいかなー、って思ったんでね」
「ああ、自家製の豆腐を使った、ウマいゴーヤチャンプルー作ってくれるって言ってたもんね。
――で、塩豆腐?」
聞き覚えのない名前に僕が首を傾げると、おキヌさんはイタズラっぽくニカッと笑う。
「お、知らんのかい? うむうむ、それじゃ楽しみにしていたまえ。
ちなみに、お分かりだと思うけど、メニューは豆腐尽くしだ。構わんよな?」
もちろん、と僕はうなずく。
……何せおキヌさん、豆腐を使った料理はプロ級だって話だからね。
「――まあ、そんなわけなんで、後でマテンローのアホと……そうだな、リャおーにも話を通しといておくれよ。頼んだぜ〜!」
……と、いうわけで。
〈天の湯〉の手伝いがあるっていうハイリアは残念ながら不参加になったものの……。
僕とイタダキは、僕の部屋で、おキヌさんの手料理を振る舞ってもらうことになって――。
「おお……やるじゃねえか、おキヌ……!」
「な、なるほど……これはスゴいね……!」
――そして、今。
簡易な折りたたみ式テーブルに広げられた、それとは不釣り合いに、ビックリするほどちゃんとした料理の数々に……僕らは、感嘆の声を漏らすのだった。
「ふっふ〜ん、そーだろ?
……一応、言った通りにちゃーんと豆腐尽くしなんだぞ?」
制服にエプロン姿のおキヌさんが、得意気に胸を張る。
メニューは、前に宣言してくれた通りのゴーヤチャンプルーの大皿に、豆腐ステーキ、豆腐のお味噌汁、それにこれは……。
スライスしたトマトとチーズを並べて、オリーブオイルをかけた……えっと、カプレーゼ――だっけ?
「それが塩豆腐だよ、マモルん」
僕の視線に気付いたおキヌさんが、エプロンをしたまま座りつつ、説明してくれる。
「カンタンに言うと、豆腐に塩振って、キッチンペーパーで包んで冷蔵庫にイン、1日かけて水抜きすると……あら不思議、そんな風にモッツァレラチーズみたいになるんだよ。
……で、こうしてカプレーゼとかにすると、美味しい、ヘルシー!……ってわけさ」
「え、じゃあこれ、チーズじゃなくて豆腐なの?」
「そだぞ〜。せっかくなんで、ちょっと変わった食べ方も楽しんでもらおうと思ってねー。
……ま、とにもかくにも召し上がれ、っと」
笑顔で言って、慣れた手つきで炊飯器からお茶碗にご飯をよそって、僕とイタダキに渡してくれるおキヌさん。
「……あれ、でもおキヌさんの分は?」
「ん? アタシの分は今から用意するよ。さすがにこのキッチンじゃ、いっぺんに3人分はムリだからなー。
――まずは、腹空かせた悪ガキども優先ってわけさ」
ニヤッと笑いながら言って、また立ち上がったおキヌさんは狭いキッチンに向かう。
……ああ、だからエプロンしたままだったのか。
「ありがとう、それじゃ、お先に遠慮無く……!」
「おうさー。
キサマら念願の美少女の手料理だ、存分に味わうがいいぜー」
「「 いただきまーす! 」」
さすがのイタダキも、この豪華な夕食を前にしては余計なツッコミも文句も言えないみたいで……。
僕たちは揃って手を合わせると、割りばしを割る間ももったいないとばかり、食欲のままに挑みかかるのだった。
――そして、15分後。
「うひー、食った食った〜……ごっつぉーさん!」
「同じく……ごちそうさま!」
割りばしを置いた僕とイタダキは、また揃って、パンッと手を合わせる。
「……う~むぅ、さっすが高校生男子ってトコかね……。
一応多めに作ったはずなのに、あっという間に平らげやがった……」
遅れて食べ始めたこともあって、まだ自分の分の豆腐ステーキが半分は残ってるおキヌさんが、感心したような呆れたような声を上げた。
「いや〜、もうホントに、スッゴく美味しかったからね!
夢中になっちゃったよ!」
「おう、そうだな……さすがにこれは認めざるを得ねえ……!
ゴーヤだって、苦いのはキライなオレでも気にせず食えたぐらいだ……!
――豆腐料理の頂点については、潔くお前に譲るぜ、おキヌ!」
僕らの惜しみない賛辞に……。
おキヌさんは珍しく、困ったようにはにかんでいた。
「マテンローの、標高低すぎる頂点なんざいらんけども……。
まあ、満足してくれたなら作った甲斐もあったってもんさね。
――お粗末様でした、って……まあ、デザートもあるんだけどさ?」
……そして。
用意してくれたその『デザート』……メープルシロップがけ豆腐プリンもまた、もう、どこかの有名店で買ってきたとしか思えない出来だった――なんてことは、言うまでもない。
「……まあ、あのプリンだってそんなに手がかかってるわけじゃないけどさ。
ホントにおいしい豆腐なら、黒みつとかかけるだけで充分スイーツになるんだぜー?」
――その後。
もうしばらく僕の部屋で遊んでいくっていうイタダキに、じゃあちょっとは働いてって後片付けを任せて……僕はおキヌさんを駅まで送るため、一緒に外に出てきていた。
日中はどんどん暑くなってきてるけど、それでもこうして日が落ちると大分過ごしやすくなる。
住宅地の脇を抜ける道は、わりと緑が残ってることもあって、時折抜ける風も涼やかで気持ち良くて……。
食後の散歩にはちょうどいい感じだ。
「ふうん、ホントにおいしい豆腐なら、か……。
それはつまり、絹漉豆腐店のお豆腐なら、ってことだよね?」
僕が優等生な答えを返すと、おキヌさんはニンマリと笑う。
「ふふふ、さすがマモルん、分かっとるねえ。
いかにもそういうこった!
……つーわけで、今日の料理で豆腐の万能性も知ったことだろうし、いつでもうちの豆腐を買い求めに来るがいい!
ちゃーんとサービスするし、簡単な豆腐料理のレシピぐらい伝授してやるぞ!」
……商魂たくましいなあ。
でも実際、今日の料理は豆腐自体も美味しかったし……ちょっと遠回りになるけど、今度学校帰りに寄っていくのもいいかな。
しょっちゅうご飯のお世話になってる叔母さんへのおみやげにも良さそうだし。
「でも、今日のおキヌさんの料理はホントにどれもすっごく美味しかったよ。
……これなら裕真に、負けじと自慢出来るなあ」
「うーむ……けど、おスズちゃんも十二分に料理上手いからねえ。
しかもあっちにゃ、宇宙最強のスパイス『愛情』が、これでもかってレベルで混入されてるからなあ」
「――え? さっきの、僕たちへの料理には、その最強スパイス入ってなかったの?」
僕がおどけて言うと、おキヌさんはいつもの調子で、ニッと白い歯を見せて子供っぽく笑う。
「ま、隣人愛的に30パーセントってとこだな!
これを50パー以上欲しいなら、もっとアタシに尽くしてもらわんとねー」
「うーん……じゃ、まあ、30あればいいや。
それで充分に美味しかったし」
「ぬう、さすがはマモルん……普通に上手いこといなしやがったな。
――あ、そういや、食べてるときの食レポも普通だったっけ」
「『普通』の連呼はやめてください……」
大ゲサに肩を落とす僕とは対照的に、愉快そうなおキヌさん。
「……ああ、そう言えばマモルんは……夏休みになったら実家帰ったりするの?」
「――え?」
何気なく……本当に何気なく聞いたんだろう、おキヌさんは。
でも、僕は――その問いに、ひどく虚を衝かれたような、そんな気分になった。
……祖父が……『あの人』がいる、実家。
そこは、『あの眼差し』と、否応なく向き合うことになる――
「……おい、マモルん? だいじょぶか?」
「……え? ああ、ゴメンゴメン、大丈夫。
ちょっとね、頭の中で予定を思い返してただけだよ――」
気付けば心配そうに僕の顔を見上げていたおキヌさんに、何でもないと笑い返す。
――そうだ。
今の僕には、ここでやることがある。求められている役割がある。
そうして――もっと強く。
誰にも、何も言わせないぐらいに強くなって――!
「とりあえず、僕は帰る予定はない……かな。
まあ、隣の県だし、その気になればいつでも帰れるしね」
「そっか、オッケー。
まあ、夏休み中、もしメシに困ったら連絡してきなよ。
……そーだなー……2回まではタダで助けてあげるから」
「それ、3回目以降はお金取るってこと?」
「そゆこと。
――だって、それぐらいしないと、甘えっちまうだろ?
アタシは舎弟の面倒はちゃんと見るが、甘やかしはしないのだ!」
にゃにゃにゃ、と笑うおキヌさん。
「舎弟か〜……そうだね、考えてみれば4月頭生まれのおキヌさんは、同学年の誰よりお姉さんってわけだ。
しかも僕は3月の終わりだから、実質ほぼ1歳年下になるんだよねー」
「そうそう、そうなのだ弟よ……みんなアタシより年下なんだ……。
だからみんな、アタシより小さくなければならないハズなんだ……。
……………………。
――だあ〜、コンチクショーっ!」
さっきまでの機嫌の良い笑顔も一転、キバを剥きながら、腹立ち紛れとばかりに路上の小石を蹴っ飛ばすおキヌさん。
それは、僕が瞬間的に読んだ軌道通りに――近くの電柱に当たって跳ね返り、おキヌさんの広くてキレイなおデコを直撃する……。
――ところを、寸前で障壁を張って、衝撃をやわらげてあげた。
……まあ、今日のお礼というには安いけれど……これぐらいはね。
正直言えば、手を伸ばして掴み取る方がよっぽどカンタンなんだけど……さすがにそれをやると、ちょっと『普通』じゃないし。
「ぶみゃっ!」
そんなにダメージは無いはずだけど、反射的なものだろう、奇妙な呻きを上げるおキヌさん。
「あ〜あ〜、八つ当たりなんてするから……大丈夫?」
「ふ、ふんっ、これは八つ当たりなどではなく、不条理な世界への正当な叛逆なのだ……!
それに、これぐらいなんてこたーないぜ……おスズちゃんのデコピンの方がよっぽどイタいっての……!」
ちょっと赤くなったおデコを擦りながら、鼻を鳴らす。
……そうこうしているうちに、僕らは駅の改札までやってきた。
もう一駅隣り、裕真のところの〈天の湯〉や商店街のある方が賑わっているから、ここは駅前でもわりと静かだ。
まあ、帰宅ラッシュも一段落ついただろうしね。
「んじゃ、送ってくれてサンキューな、マモルん!」
「うん、おキヌさんも気を付けて」
おキヌさんは、改札を抜け……そして、すぐに何かを思い出したように振り返る。
「――そうだマモルん、冷蔵庫に豆腐ステーキ1人前と、手鍋に1食分ぐらいの味噌汁残しておいたから。
あっため直して、明日の朝ご飯にするといいぞ!」
「え、ホントに?
うわ〜、助かるよ……何から何までありがとう、おキヌさん!」
「ふふん、デキる女は違うのだ!
……ってなわけで、じゃーなマモルん、また明日!」
シュッと手を挙げてホームの方へ向かうおキヌさんに、僕も「また明日」と手を振る。
そして、その小さな姿が見えなくなるまで見送ってから、きびすを返した。
……いやあ、それにしてもホントに助かるなあ……。
朝は面倒くさくて、基本、まともにご飯なんて食べないしね。
機嫌良く家路に就いた僕だけど……。
「…………」
さっき、途中で実家の話なんてしたからだろう。
ついまた、余計なコトを思い出し――それに付随するように、連想するように、いつかのクローリヒトの言葉がふっと脳裏を過ぎる。
『〈世壊呪〉には、意思がある。心がある。
そしてそれは、決して破壊的なものなんかじゃない。
ごく普通の、日々を懸命に生きる人々となんら変わりのないものだ――』
クローリヒトはそんなことを言っていた。
そしてそれが正しいなら、もしかしたら――。
――僕はついと、肩越しに駅の方を振り返る。
……もしかしたら、おキヌさんが――あるいはイタダキや裕真なんかが、『そう』だったりするかも知れないわけだ。
だったら……そのとき、僕はどうする?
「――なんて、ね……」
バカバカしい言葉遊びに、思わず自嘲してしまう。
そう――迷う余地なんてない。
僕は、守るべき人たちと世界を守り、そして――『その人自身』を救うために。
――僕自身が、〈勇者〉であるために。
真の強さを得るために。
そうするしかないなら、慈悲や情け、迷いなどという弱さは切り捨てて――。
……それが、たとえ友人であっても。
僕は必ず、この手にかけるだろう――。