第165話 聖霊にとって、ホントに大事な『それ』はこれ
「……こーゆーとき……天国と地獄ってのはまさしく表裏一体であるのだなあ、と、つくづくしみじみ感じてしまいますねえ……」
「たそがれながらそれっぽいこと言ってないで、覚悟決めてさっさと来なさい」
わたしの何とも哲学的な問いを秒の早さで一蹴し、アリナはわたしに手招き(ちょっと怖い)します。
嗚呼……!
こうしてその姿だけを見ていられるなら、幸福この上ないというのに……ッ!
――そうなのです!
今、アリナがいるのは、陽光を照り返して煌めく水の中で……!
そしてその姿は、いわゆるスクール水着なる、魅惑的この上ない布っきれを纏――!
「アぁ〜ガぁ〜シぃ〜……?」
「わわ、分かってますよう。
も、もうちょっと、もうちょっとだけ覚悟の時間を下さいよう……」
アリナの、炎天下でありながら一瞬で魂まで凍り付きそうな零下の視線を受けて、ガックリうなだれるわたし。
――そう、今日の午後の体育はプールになったのです。
それも、今学期の授業内容は消化したからとのことで、半ば自由時間。
何せちょうど今日はお日様ギラギラ、いかにも夏って暑さなモンですから、ほとんどみんな大喜び。
特に男子どもなんて、具体的に何をやってるのかすら分からん、水中追いかけっこなのか、競泳なのか、格闘技なのか、じゃれ合ってるだけなのか……そんな感じのナゾの遊びに興じてまして。
もう、水をバシャバシャしてりゃそれだけでいいんじゃないかってレベルのはしゃぎっぷり。
ついでに言えばなっつん先生も、適度に水に浸かりながらのんびりしてて……。
――と、まあ、どいつもこいつもこの時間を満喫してやがるわけですが。
そしてわたしも――。
出来るなら、アリナを初めとする、うら若き乙女たちの愛らしい姿を存分に堪能したいわけですが!
――――がっ!
……そもそもが、生まれてこの方、千年以上、聖霊として宙に浮いて(いや、あくまで物理的にですよ、浮ついてるとかじゃなく)生きてきたわたしは、これまでの人生(?)で、水に入る必要なんて一切なかったわけでして……。
結果、未だにまったく泳げないため、余裕ぶっこいてスク水鑑賞会とかやらかす前に、まず泳ぎの特訓という地獄の時間が待ち構えていたのです……がっでむ……。
「……アガシぃ〜……?」
「――っ!……でーい、コンチクショー! シ〜ット!」
いい加減グズグズしてるとアリナに引きずり込まれそうだったので、意を決したわたしは一気にプールにダイブ!
「あ、コラ! 飛び込んじゃダメだってば!」
――バッシャン! ぶくぶくぶく……。
……しっかし、不思議な話ですよねえ。
知ってます? 人間って、実は浮くらしいんですよ?
――ぶくぶくぶく……。
「……って、浮かねーじゃねーか!
むしろ沈んでるじゃねーか!」
わたしはざばんと勢いよく足を付けて立って、世の不条理に向かって果敢にキレてやります。
……何度も試してるのに、一向に浮かないんですけど、わたし!
「もう……だから、ヘタに身体に力入れちゃダメだって言ったでしょ?
それにあたしたちみたいなのは、そもそも浮きにくいみたいだし」
泳ぎを教えてくれているアリナが、呆れた感じにそんなことを言います。
ふむ……『あたしたちみたいなの』、ですか……。
「つまり……おキヌ姐さんとか、チサねーさまもそうだってことですか?」
「………………」
わたしが確認すると、アリナは無言で、わたしの肩に両手を置きます。
そして、首をゆるゆると左右に。
「アガシー……今のは聞かなかったことにしてあげるから、忘れなさい」
「ええ、そうですね……わたしも言ってから、これがいわゆる対人指向性地雷であることに気付きました……」
……なぜか、うっすら微妙に水温が下がったようにも感じますが……。
さすがに気のせいでしょう、どっかから呪詛が飛んできてる――なんてハズもありません。うん。
「どお〜? アガシーちゃん、ちょっとは慣れてきた〜?」
ぽやんとした声とともに、ビート板に上半身を乗せるような形でパチャパチャバタ足しつつ近付いてきたのは……もちろんミハルです。
ちなみに、こうしてプール授業をするようになって初めて知りましたが、どうもミハルはアリナなんかと比べると少々『発育が良い』ようです。
……つまり、浮きやすそうです。
しかしそれを口にすると、アリナに『ビート板地獄突き』とかのエグい技を食らいそうなので黙ってましょう。
「慣れる……?
いえいえ、可憐な乙女たちの水着姿は、いくら見ようと見慣れるものではありませんね。
そう、いつまででも見ていられ――がぼんっ!」
大マジメなわたしの発言は、アリナの『ビート板カブト割り』によって阻止されました。
……ぶくぶくぶく。
「……なんだよ軍曹、まだ浮きもしねーのか?」
わたしがアリナに沈められた顔を上げると、今度は男子2人も近付いてきました。
1人は、頭の上にインコ(っぽいの)乗っけてるんですぐに誰か分かりますが……。
もう1人は、『誰だ? こんな中性的な美少年いたか?』って感じで――。
ええ、初めて見たときはビックリしたモンです。
そのときは、首を傾げてるわたしに、美少年は両手の指で作った輪っかを「……ん」と、自分の目にあてて――。
「おお、キサマは真殿凛太郎! そうか、マリーンだったのか!
キャップ被ってメガネ外すと、パッと見マジで誰だか分からんな!」
「……ん」
無表情にコクコクとうなずくマリーン。
……とまあ、こんな感じのやり取りをしたことを思い出します。
「なに? 朝岡に真殿くんまで、アガシーの練習見に来たの?」
「おう! 泳げるように手伝ってやるって言ったしな!
それにもうすぐ夏休みなんだし、ちょっとでも早く泳げるようになった方がいいだろ?」
「……それ、デートに誘――」
「ち、ちげーよ!
学校のプール開放とか、みんなで遊びに行くとか、そういうのあるだろってこと!」
マリーンが何か言おうとしたのを遮って、やかましく騒ぐアーサー。
「アガシーちゃん運動神経良いし〜、すぐ泳げそうだけどねぇ〜」
「うん、あたしもそう思うんだけど……そもそもがこの子、水の中ってのに慣れてないからなあ……」
「水、キライ。濡れる」
「でも、お風呂は喜んで入るじゃない」
「お風呂、スキ。ホカホカ」
「……なんでいきなりカタコトなの……」
「でもよー、本っ当に水がダメなヤツだと、顔を付けたりもマトモに出来ねーんだし……。
そう考えたら、軍曹はやってみるだけマシだろ。
慣れてコツ掴んだらすぐだって」
……むう。アーサーの分際でナマイキに知った口を……。
しかしコイツ、確かにすいすい泳ぎやがりますからねえ……。
「とりあえずよー、泳ごうとか浮こうとかムリに考えずにさ。
水ン中で両ヒザ抱えて、ひたすらボーッとしてみろよ。
苦しくなったら立っていいから」
「……ひたすらボーッと、って、なんなんですかそれ……」
アーサーらしいいかにもアホな指示――と思いつつ、しかしヤツが先達であることは事実なので、それに従って……。
大きく息を吸い込むと、とぷんと水に浸かり……ただ、両ヒザを抱えて丸くなって。
泳ぐとか浮くとかは考えず、ボーッと……。
………………。
ぷくり……と、口の端から出た空気の泡が、水面の方へ上がっていきます。
そしてまた1つ、小さく、ぷくり……。
………………。
なんか……水中だから、騒がしい音も遠くなって……落ち着きますね、これ。
そう言えば……命は海から生まれたから、こうして水に包まれているとその頃に帰るような気になるとか……なんかそんな話を目にしたような……。
こぽん……。
水面へとゆらゆら上がっていく泡が、また1つ。
……生まれた頃……か。
ふっと、昨日のテンテンの話が――わたしの脳裏を過ぎりました。
「…………」
わたしの昔の記憶なんて……思えばホントに曖昧です。
それもそのはず、初代勇者から名を与えられたことで、初めてわたしは『自己』を意識して――人格を得たんですから。
その前、正確にいつ生まれたかなんて、それこそ芽生えたばかりの人格に分かるはずもありゃしません。
さらにその後も、ガヴァナードと同化して、眠りについてる時間の方が長かったわけで……。
結局、細かいコトなんて、ろくすっぽ覚えてません。
だから……そう、あのエクサリオってヤツ。
アイツが、アルタメアで勇者としてわたしといっしょに戦ってたにしても、全然ピンと来ないんですよねー……。
まあ、顔を見れば、ちょっとは思いつくのかも知れませんけど。
ただ……見当がまったくつかない、ってわけでもなくて。
ガヴァナードの、いわば『本体』は、茎(柄の中に収まっている部分)まで含めた刀身で……柄を初めとするその他の部分は、後付けの装飾なんですよね。
で、そもそもが古い剣なので、あるとき一度、装飾をまるまる作り直して、見た目から新しくしたことがあって……。
つまり、エクサリオが、今のガヴァナードを見て何の反応もなかったってことは、彼は勇者をしていたとしても、『それ以前』と見て間違いない――となります。
もし、ガヴァナードに気付いていて隠したかったのなら、あのとき、勇者様の前でわざわざアルタメアの剣技を使うはずもありませんしね。
そして、『作り直し以前』となれば、該当する勇者は数人となるわけですが……その中の誰か、となると……むむむぅ……。
……………………。
……そう……それだけ長い間、わたしはガヴァナードの〈剣の聖霊〉だったのに。
ガヴァナードとともにあって然るべき存在、と思ってたのに。
まさか、『実はいなくてもなんとかなる』だとは……ねー……。
こぽぽ……。
漏れ出た泡が上がっていくのを、何となく目で追います。
……でも、分からない話でもないんですよね……。
これまでの勇者の中でも、ガヴァナードの適性には差がありましたからね。
すべてを司るのがわたしなら、それもまたわたしの管理下にあるはずなのに――。
わたしではいかんともしがたい、確かな『差』が。
つまり――。
歴代最高レベルで、その適性が抜きん出て高い勇者様なんかは。
むしろ、わたしよりも――聖剣でなく〈創世の剣〉たるガヴァナードに、正真正銘、認められてるってわけで……。
こぽぽ……。
なんか……なんでしょう……。
うん…………どう言ったらいいのか……。
…………あ〜…………静か、だなあ…………。
こぽぽ……。
《……しかし、おぬしはおぬしじゃ。
そうじゃろう? 聖霊よ》
? これは……んん?
テンテン、ですか……?
なんか……夢心地というか……んん……?
《今のおぬしは……ただお役目を果たすだけの存在、ではあるまい?
ある意味鎖でもあるその役目を、完全に断ち切った先にある未来。
おぬしが、おぬしとして生きる、おぬしだけの道。
あの勇者が、そしておぬし自身が望む答えは……。
――ほれ……『それ』ではないのか?》
…………それ?
『それ』、って、『どれ』…………。
「――――ぃ……! ぉぃ……おい!!!
軍曹! 大丈夫か!!??」
「……ふえ……?」
……なんか……騒がしいアーサーの声に、パチリと目を開けるわたし。
そうして視界に入り込むのは、ぐるっと円になった――。
アリナ、アーサー、マリーン、ミハルを始めに、他のクラスメイトと、なっつん先生。
それと――青い、空。
ボケーッとしたまま、彼らの話を聞くと――。
どうやらわたしは、水に浮いたまま、いつの間にか眠っていたようで。
溺れたとカン違いしたアーサーたちが、あわててみんなでわたしを引き上げ、こうしてプールサイドに寝かせてくれたみたいです。
……まあ、ぶっちゃけ、泳げはしなくても、だからってそうカンタンに溺れるってこともないんですけどね、わたしの身体。
でも――。
「もう……ホントに心配したんだからねっ?」
みんなの代表みたいなアリナの言葉に、わたしは――
思わず、にへら、とだらしなく笑ってしまいました。
「えへへ……ゴメンナサイ」
――そのとき青い空に、『ほらな?』と言わんばかりに浮き上がる、小鳥の影。
ええ……ホントですね――。
「ああ、でも、アリナが人工呼吸してくれるまで待つべきでしたか……」
「おバカ」
ぴん、と軽く弾かれるわたしのおデコ。
わたしはそこを大ゲサに手でおさえながら……集まってくれたみんなの顔を見ます。
――そう。
役目だなんだじゃなく、わたしを本当に『わたし』にしてくれるのは――
……もう、『これ』なんですよね。




