第164話 古き霊獣はその聖剣に何を見たか
――火曜日の昼休み。
鈴守が作ってきてくれた弁当を、一緒に堪能したその後。
女子は5時限目の体育がプールだそうで、準備があるから、という鈴守を見送った俺は1人、パックのカフェオレを手に中庭のベンチにいた。
少し、考え事をしたかったからだ。
……いやいや、プールって聞いて鈴守の水着姿を想像してるとか、そーゆーのじゃないぞ?
そりゃ、見たいか見たくないかって聞かれれば、当然見たいけども……。
そーじゃなくてだな!
「……なにを1人で鼻息を荒げている」
聞き慣れた声が降ってきたと思ったら……俺の隣に腰を下ろすヤツがいた。
――ハイリアだ。
手には……おしるこ缶を握っている。
……そう、おしるこ缶。
うちの学校は何をトチ狂ったか、自販機のレパートリーにおしるこ缶(熱い)が入っているのである。季節に関係無く。
「……お前こそ、夏休みも目前のこのクソ暑い時期に、なにゆえそれを選んでやがる」
「ふむ? 食後のデザートに、しるこが欲しかったからだが」
涼しげに答えるばかりか、汗の一つもかかず、さも美味そうにおしるこ缶をすするハイリア。
その様子を前にしては、「あんこが欲しけりゃあんパン食っときゃいいだろ!」というツッコミさえ入れようがない。
……しかし、こうして炎天下でおしるこ缶などという珍妙なマネをしていても――。
そしてそもそも、転校初日から小学生に求婚したことをカミングアウトという、とんでもないマネをしていたにもかかわらず――。
さすが魔性の美形というべきか、コイツの人気はなお高い。
なんせ、人当たりもいいっつうか……基本、対応が紳士だし。
今も、遠巻きに様子を窺っている女子が何人もいるぐらいだ。
いっそ、そんな女子の誰かがコイツのお眼鏡に適ってくれりゃーなー。
亜里奈のことも心配せずに済むんだけどなー……。
「しかし、相変わらずスゲー人気だよな、お前は。
この中にお妃候補とかいらっしゃらないのかよ?」
「知れたこと。余が心を捧げるのは、ただ一人だけだ」
……歯の浮くようなことをサラリと言いやがって。
それが亜里奈だってのが問題なんだよ……まったく。
「……罪作りなヤツめ」
「おや、キサマがそれを言うか?
アルタメアでキサマに想いを寄せていたのは……1人や2人ではあるまい?」
「? いねーよ、そんなの。
――ああ、女魔に誘惑されたことぐらいはあったけど……。
どっちにしても、鈴守がいるのに他に誰を選ぶってんだ」
「………………。
キサマのような輩を『ニブチン』というのだったな。
……いや、ドがつくドニブチン、略して『どどちん』といったところか……」
心底呆れた、と言わんばかりに大きなタメ息をつくハイリア。
……なんか、スゲー言われようだな、俺……。
「しかし校内での女子人気と言えば、キサマも捨てたものではあるまい?
……遠巻きにキサマの様子を窺う娘を、たびたび目にするが?」
「そりゃ監視ってやつだよ……」
なんせ、鈴守千紗ファンクラブ(非公式)にとって俺は、明確な敵だからなあ。
おキヌさんの仕切りによって、体育祭終わってすぐの頃ほど騒がれないし、一応、何よりも鈴守本人の意思が一番大事ってことで、彼氏の俺を意味無く非難するのはFC内では御法度になってるらしいけど……。
それは、俺という存在を無条件に許してるわけじゃなく……『彼氏にふさわしくないマネをしようものなら即、糾弾!』って感じなんだよな、きっと。
まあ、今のところ何かを言われたわけでもないし、基準は良く分からんのだけど。
「……で、結局どうして鼻息を荒げていた?」
「おう、プールと聞いて、鈴守の水着姿をつい――じゃなくて!」
俺はあわてて周囲に意識を飛ばすが……とりあえず、監視の目はなかったようだ。
……一安心。
一方、分かっていてやったんだろう、ハイリアはひとしきり笑ってから……質問を改める。
「考えていたのは……昨日のことか?」
「……まあ、な」
うなずいて返しながら……俺は。
早くもぬるくなりかけているカフェオレを吸い上げた。
《……やはり『後付け』じゃな》
――昨日、武尊との手合わせの後。
揃って縁側に座り、冷えた麦茶で一服していたところへ……。
唐突に、インコモードになってる〈霊獣〉のテンテンが発したのが、そんな一言だった。
何のことかといぶかしんでいると、テンテンは武尊の頭に乗っかり、隣のアガシーに向き直る。
《……儂がアルタメアにいた頃……勇者よ、おぬしの使うその剣――ガヴァナードに、チカラを司る聖霊など存在せんかったのよ》
「――はあ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてアガシーを見る俺。
なにをバカげたことを……と思わないでもなかったが、テンテンの声色は真剣そのものだ。
それに、確かテンテンはアガシーが存在を知らなかった霊獣――。
つまり、アガシーが生まれるより前の時代を生き、こちらの世界に飛ばされてきたわけで……。
事実としてその頃のことを知っていてもおかしくはないってことだ。
ちなみに、驚いたのは俺だけじゃない。
ハイリアも……そして、アガシー自身もそうだった。
「でも……アガシーは、ずっと昔から続いてきた、〈剣の聖霊〉としての役割を引き継いだだけ――じゃないのか?」
アガシーは、眉間にシワを寄せ……珍しく難しい顔をしながら答える。
「……そうだと……わたしも、思ってました。
でも――そもそもわたしは、初代の勇者にこの〈アガシオーヌ〉という名を与えられるまで、意思らしい意思を持っていなかった……と、思うんです。
だから――」
「……ふむ。意識の芽生えとともにそこに聖剣があり、それを司る役割を与えられていたからこそ、当然のようにそう信じていただけで……。
それ以前については窺い知る由もない、ということか」
……で、テンテンの知る『それ以前』にそんな存在はいなかったから、『後付け』というわけか……。
だけど……。
「単純に、聖剣のチカラを引き出す必要性が出来たから、改めてアガシーが聖霊として抜擢された――ってだけじゃないのか?
現に、その初代勇者から続くクソったれな伝統を、長い間コイツはずっと守り続けてきたわけだし……」
……そう。
アガシーが聖剣の〈真の力〉を引き出すその方法は、コイツ自身が聖剣に完全に同化して、数百年という長い時間、眠りにつくことだった。
そうして目覚めたら、コイツは次の勇者のために聖剣に同化し……また眠る。
意思の芽生えで、自由に生きたいって欲求はあったはずなのに……歴代の勇者と世界のために、コイツはずっと千年以上も、文字通り自分を殺して、犠牲になり続けてきたんだ。
そんなバカバカしいサイクルがあまりに腹立たしくて……だから俺は聖剣の真の力など使わず、アガシーを連れ出して今に至るわけだけど……。
少なくとも、後付けだろうと、アガシーが聖剣を司っていた事実は確かで――。
つまり、そのこと自体におかしいところがあるとも思えないんだけどな。
《……うむ。聖霊よ、儂もおぬしを否定したりとか、そういうことをしたいわけではないんじゃよ。
じゃがスマン、どうしても少し気になってな。
――そもそも、その剣が『聖剣』と呼ばれることも違和感があってのう。
儂がおった時代には……〈創世の剣〉――であったからな》
「確かに……ガヴァナードには、世界創世に関わったという伝説が残っていたはずだが」
ハイリアの一言に、俺もアガシーもうなずく。
「……でも、だから、それだけのチカラを制御し、引き出すために、アガシーに役割が与えられた――ってことだろう?
それで、勇者が代々使い続けてきたから、自然と『聖剣』って呼ばれるようになったってだけじゃないのか?」
《………………》
俺の見解に、テンテンは押し黙る。
聞いてなかった、と言うより、何かを考えているようにも見えるが……。
「おい、テンテン? なんだ、他に気になることがあるのか?」
《む……いや、大丈夫じゃ。
そうじゃな、改めて考えればそういうことであろうな。
――すまぬ聖霊、つまらぬことを言うて混乱させてしまったな》
「いえ……大丈夫です。
言われてみれば確かに、わたしはわたし以前のことを知らないんだなー、とは思いましたけど……」
《とにかく……ヘンな話になってしまったが、勇者よ、儂が言いたかったのはじゃな。
ガヴァナードはもともとは聖霊が付いていたわけではないのだから、聖霊を介さずとも使えるはず――ということなんじゃよ。
まあ……扱いが難しくなるのは間違いないじゃろうがな》
「ああ……なるほど」
俺はガヴァナードを実体化させ、座ったまま掴んで一振りしてみる。
アガシーを介しているときに比べると、明らかに『チカラ』と呼べるほどのものは感じないが……まったく無い、というわけじゃない。
そしてそれが、俺次第で大きく引き出せるとするなら――だ。
そう出来るようになれば――。
これまであったように、アガシーを喚び出すことで、亜里奈を守る手が薄くなる――なんて事態もなくなるし……。
なにより、アガシー自身を――
今度こそ、本当の意味で、完全に自由にしてやれるってわけだな……!
「……あのあと……」
俺は、カフェオレを吸うでもなく……なんとなくストローを噛む。
「アガシーのヤツ、『これでようやく子守から解放されるってわけですね!』とかいつもの調子で言ってたけどさ……。
今から思えば、そうなると〈剣の聖霊〉ってアイデンティティも無くなるわけで……やっぱしちょっと複雑な気持ちなのかな、とか……思っちまってさ」
心のうちをこぼした俺は、なんかさっきより暑くなった気がして、だらしなくネクタイをゆるめ、襟元をパタパタする。
対して、ハイリアはネクタイもキッチリしているのに、おしるこを飲みつつ涼しい顔だ。
まったく、どうなってんだコイツ……。
「まあ、ヤツはヤツなりに、多少は思うところもあるだろうが。
そこまで深刻になることもなかろうよ。……今のヤツなら、な」
「ん…………まあ、な」
……確かに、こっちの世界に来たばかりのときと比べて……。
今、アガシーの周りには、俺たちや亜里奈だけでなく――。
武尊たち小学校の友達や、うちの父さん母さん、じっちゃんにばっちゃん、銭湯の常連さんに商店街のおっちゃんおばちゃんたちと……たくさんの人がいる。
そう……『剣の聖霊アガシオーヌ』ではなく、『赤宮シオン』と繋がる人たちが。
だから……ああ、きっと大丈夫だろう。
「……それに、まずは勇者よ、お前が単独でガヴァナードのチカラを引き出せるようになるのが先であろう?
聖霊の心配をするのはそれからというものだ」
「わ、わーってるよ……!」
それが上手く出来るようになれば、普段以上のチカラが出せるかも知れないしな。
この先、エクサリオなんかを相手にすることを考えると……決してムダにはならないハズだ。
……まったく。
武尊の修行に付き合いがてら、俺自身も改めて修行せにゃならんってわけか……。
「ああ、そう言えば……余も一つ、気になることがあってな」
「…………?」
ハイリアはおしるこの残りをグッと一気にあおった。
「前々から、不思議に思ってはいたのだ。
ゆえに、しばらく様子を見ていて……ここのところの戦いで、やはりと結論づけたのだが」
空になったおしるこ缶を、軽く指で弾きつつ……それで俺の身体を指し示す。
「……キサマが使っている〈クローリヒト変身セット〉。
もとは、アルタメアで幾度もお前に立ちはだかった魔剣士の装備……ということだが。
――そもそも、そんな輩は余の部下には存在しないのだ」
「……へ? そうなのかっ!?
じゃ、じゃあ、アイツはいったい……」
「――さてな。余は直接会ったことがないからな。
とりあえず、余がキサマの様子を見ていて分かったことは……。
あの装備、確かに強い呪気を備えているが、たとえばあのグライファンを構成していたような『悪意』とは、また少し毛色が違う、ということだな。
初めから『チカラへの渇望』『破壊への欲求』が基だったグライファンのそれに比べて、あの装備のものは……。
そう……悲哀、絶望、後悔、羨望――そうした想いが呪詛となって凝り固まっているように感じるのだ。
――つまり、だ。
それらはもとからの悪意ではなく、希望の裏返しとして生まれるようなもの。
ゆえに、あるいは……持ち主たるキサマに、それだけの『希望』を見たならば――」
「見たならば……?」
「その呪気が祓われることも……ある、かも知れんな?」
「……かも、かよ! 疑問形かよ!」
俺が口を尖らせると、ハイリアは愉快そうに笑いながら立ち上がった。
そして――
「まあ、ガヴァナードのことを改めて意識せねばならなくなったのだ。
ついでに、そちらの方にも気を向けてみるのもムダではないと思うがな?」
そう言い残し、おしるこ缶をもてあそびながら立ち去る――かと思いきや。
「ああ……そうだ。
5時限目をサボって女子のプールを覗くというのなら、先生には上手く言い訳をしておいてやっても構わんが?」
「覗かねーよ! さっさと行け!
――俺もどーせすぐ行くけどっ!」
とんでもないことをサラリとぬかしやがるのを、シッシッと追い払い――。
「…………ったく…………」
ズル〜っとベンチにだらしなく背を預けながら。
俺は、ぬるいどころかあったかくなってきた、カフェオレの残りをすするのだった。