第158話 寝込む魔王と、それを取り巻く人々のアレコレ
「……具合はどうかしら? ハイリア」
――余にあてがわれた和室の、布団の中。
未だ尾を引く頭痛と、全身の強烈な倦怠感に、身を起こすにも苦労する余の枕元にやって来たのは……勇者と亜里奈の祖母、ばば殿だった。
昼食の際、わざわざ余のためにと、食べやすく優しい味わいの粥を作ってくれたのだが……その食器の回収ついでに様子を見に来てくれたらしい。
「無論、大丈夫……だ、ばば殿。
この程度、大したことでは……ない」
世話になっている居候の身で、軟弱なことをぬかすわけにはいかぬと、笑みを作ってみせるが……。
それはきっと不自然で、よほどおかしかったのだろう――。
ばば殿は、口元に手を当てて愉快そうに笑う。
……まあ、相手がばば殿では、もっとうまくやったところで、余のヤセ我慢など見透かされる気もするがな……。
「――あら。でも、おかゆはちゃんと全部食べてくれたのね。
ちょっと多かったかしら、とは思っていたのだけど」
「……当然だ。ばば殿が、余のためにと作ってくれたものを……残すわけにはいかぬ。
大層、美味でもあったし……な」
「あらあら。嬉しいことを言ってくれるわね。
作った甲斐があるというものだわ」
機嫌良さげに食器を片付けるばば殿。
その様子に……余はつい、今朝にも口にした謝罪を、今一度繰り返していた。
「……申し訳ない、ばば殿。
ただでさえ、我ら……兄妹――は、押しかけ同然にいきなりやって来て、迷惑をかけていると言うのに。
その上……このような失態で、さらなる手間を……」
「あら、気にすることじゃないって朝にも答えたはずだけれど?
――そもそも、我が家の人間が……誰か、迷惑だなんて言ったかしら?」
「いや……それは。しかし……」
「むしろ、私は嬉しいのよ? あなたたちが家族としてやって来てくれたことが。
それに……ハイリア、しっかりとして大人びたあなたが、大雨の中欲しいゲームを買いに行くなんて……いかにも子供らしい無茶をやらかしたことがね」
「……ばば殿」
「もちろん、危険なことや、間違ったことをしてはいけないし、反省はとても大事だけれど。
迷惑だなんだと、そんなものは大人になってから気にすればいいの。
……子供は子供らしく、大らかに自由になりなさい。
そうやって色々な経験を積んで、色々なものを見聞きして、可能性を広げなさい。
そこに失敗や、あなたの言う『迷惑』があったとして……それを補い助けるのが、私たち大人の役割であり、そして――その先にある子供の成長は、喜びなのだから」
……そうだな。
余ごとき、このばば殿にかかれば……まだまだ子供、か――。
ふと……気持ちの良い笑みが、自然と込み上げてきた。
「……そうか。そうして、かけられた愛情に感謝し……我らもまた、幼い者に同じくしてやれと、そういうことだな……。
では……ありがとう、ばば殿。改めて、感謝を」
「ふふ……ハイリア、あなたは本当に面白い子ね」
穏やかな笑顔とともに、ばば殿は立ち上がった。
そして――
「……そうそう、あなたたちのクラスのお友達が、お見舞いに来てくれたのよ。
先に裕真のところに寄っているみたいだから、もう少ししたら、こちらにも顔を出してくれるんじゃないかしら」
そう言い残し、食器が載った盆を手に、立ち去っていく。
その背に、もう一度口の中で小さく礼を告げ……。
まさか、〈魔王〉たる余が、人の見舞いを受けることになるとは……と、何やら愉快なような、面映ゆいような心持ちで、もう少しだけでも寝直そうとすると。
ものの10分足らずで……赤宮家の裏手にあたるこちら、英家の玄関の方が、にわかに賑やかになり始めていた。
「……おーし、寝込んでる魔王サマよー!
勇者抜きで倒すなら今だ、っつーことで、我ら、頂点に立つパーティーが居城まで討伐に来てやったぜー!」
ばば殿から、先んじて案内を受けていたのだろう――。
威勢の良いイタダキを先頭に、おキヌ、おスズ、ウタ、衛といういつもの5人が、まっすぐに余の部屋へとやって来た。
「……ふむ。とりあえず、イタダキよ……。
今のお前の発言はまさしく、映画でもゲームでも真っ先に退場確定の、やられキャラそのものだな」
せっかくの客人を、寝たまま迎えるわけにはいかぬからな……。
余は極力いつも通りになるよう、不敵に笑いながら、何とか上体を起こした。
「うん、まさに頂点……キングオブキングスだね、やられキャラの」
「おおっ? そうか――まあ、『頂点』なら、アリだな!」
衛の一言に、へへっ……と、得意そうにはにかむイタダキ。
……しっかし、此奴、まったくもって便利な脳をしているな……。
「……それで、ハイリアくん、体調はどうなん? 大丈夫?」
「ああ、心配ない。気を遣わせてすまなかった。
いや……ここは、礼を言う方が良いか?
――皆、わざわざありがとう」
余が小さく頭を下げるのに合わせ、5人は小気味良く笑い合いながら、畳の上に思い思いに座り込む。
「ま、いいってことさね。
……あ、お見舞いのコンビニスイーツは、赤みゃんとこにまとめて置いてきたから。
また後で、食べれらそうなときにでも食べなよ?」
「ああ。夜にでもありがたく頂戴しよう」
「……に、しても……だ。
この銀髪の超絶美形が、和室の布団で……しかもそれ、作務衣で寝起きしてるとか……いいねえ。実にイイ。
もしかして、玄関に置いてあった雪駄も、リャおーの?」
「ああ、余のものだ。
この部屋着ともども、亜里奈が選んでくれた」
「いやあ、妹ちゃん、イイ趣味してるねえ……。
しかも――しかも、だ。
うむう……病床にあって、心無し青ざめた顔が、またさらに色っぽく見えるこのリャおーの姿――たまらんね、さすが超絶美形。
写真に撮って売りに出せば、結構なもうけになりそうだなぁ〜……じゅるり」
「……おキヌちゃーん?」
おスズが、目だけは笑っていない笑顔とともに、そう冷めた声を向けると……おキヌは正座のままぴょんと跳ねる。
……器用だな。
「やや、ヤダなあ、おスズちゃん、冗談だってば冗談! はっはっはー」
「……ホンマにもう~……」
「しかしおスズ……お前も律儀だな?
特にお前は、わざわざ余のところにまで顔を出さずとも良かろうに」
「――え? あ、ゴメン……。
調子悪いんやし、あんまり人数、多ない方が良かった……?」
余の言葉に、申し訳なさそうに視線を落とすおスズ。
……まったくもって、すこぶる人の良い娘よな。
人間関係を気にして――などではなく。
真実、純粋に勇者ばかりか余の方の体調まで心配して見舞いに来たのは間違いあるまい。
「まさか。そうではない。余の心配をして来てくれたことは純粋に嬉しい。
だが……その気持ちだけでもう充分だ。
お前は早々に、勇者のところへ戻ってやれ」
改めて、余がおスズにそう告げると……ウタが、ふうん、とうなずく。
「……ハイリアくんてば、物言いとかは上から目線だけど、結構気遣いする人だよね」
その言葉に、余はニヤリと――おキヌの方を見やった。
「――なに、そんな大層なものではない。
単に余は、『何か』を邪魔したという理由で、馬に蹴られたくも、豆腐の角に頭をぶつけたくもないだけよ」
「ほほう、さすがリャおー、分かってるねえ……。
――って、アタシだって時と場所と、特に相手は選ぶっての!
人を、『おスズちゃんの恋路を邪魔するヤツは全殺しマシーン』みたいに言わんでおくれよ……。
まあ、ヤるけど」
「……って、おい!
オレの方見て、その豆腐型謎マスコット出しながら言うんじゃねーよ!」
……さて、そうやって――なんだかんだと、皆で改めておスズを勇者のもとに送り出した、その後。
こうして『風邪を引いた』理由になっている『バカな行動』についてからかわれたり、今日の学校での出来事を聞いたりと、他愛ない話をしているうちに時は過ぎ……。
小一時間も経った頃、4人は、「せっかくだからひとっ風呂浴びていこう」などと話しながら帰って行った。
……ちなみに……。
『帰りがけに裕真の部屋を覗いてみようぜ!』などとぬかしたイタダキには、キッチリとおキヌの制裁が加えられたことも述べておこう。
しかし、実に騒がしかったが……友に見舞いに来てもらうというのは、いいものだな。
無論、身体は休まらなかったものの――それ以上に、何とも良い心持ちだ。
「……さて……」
夕食までは、まだまだ時間がある。
それまでもう一眠りするか、と横になったところで――。
「…………?」
入り口の引き戸が、控えめにノックされるのが聞こえた。
誰かと思っていると……。
戸を少しだけ開けて、顔を覗かせたのは……亜里奈だ。
「あ、えっと……もしかして、寝るところ……でした?」
「いいや。騒がしい連中の相手で目が冴えて、どうしようかと思っていたところだ」
余が、小さくうなずき、入ってくるよう促すと――。
亜里奈は遠慮しているのか、おずおずと近付いて……枕元、というには少し遠い場所にちょこんと座る。
「……で、どうした?
お前が余の部屋にまでやって来るとは珍しい」
「あの、えっと……」
――ちなみに亜里奈は、余や勇者が寝込んでいるのが、風邪のせいではないということを知っている。
もっとも……。
亜里奈が〈世壊呪〉であることも、それを狙う存在がいたことも――。
ましてや、亜里奈の体調不良がそのせいであったことも、小学校が戦場になったことも――何一つ明かすわけにはいかないので、ただ、予想以上に強い相手との戦いで疲弊したから……としか、伝えられてはいないのだが。
「看病っていうか、お世話っていうか……。
なにか、あたしで役に立てることあるかな、って……」
「……ふむ。だが、そういうことなら余よりも勇者を――」
反射的に言いかけて、言葉を止める。
――自然と、微かな苦笑が浮かんだ。
「……そうだったな。今日はそうもいかぬ――か」
「えっと……はい、お兄は……千紗さんが看てくれてるから。
それに、ママもおばあちゃんも忙しそうだし……アガシーもお手伝いだし。
あと――」
そこまで言って、どうしようかと迷うように亜里奈は口籠もった。
余は、「構わん、言ってみるがいい」と先を促す。
「その……昨日、寝込んでるときに見た、イヤな夢の中で……。
あたし、ハイリアさんに、励ましてもらってたような……そんな気がするから。
だから、そのお返しに……なるかなあ、って……」
「ふむ……夢、か」
夢――と、余がはっきり言葉にしたことで、亜里奈は自分の発言がことさら気恥ずかしくなったらしい。
ほんのりとだが赤面しながら、両手を振る。
「ご、ごめんなさい……!
夢の中でとか、なに言ってるんだって感じですよね……っ」
「いや、構わぬとも。
しかし……所詮、夢は夢だ。
その中で余がしたことに、お前が恩を感じる必要などない」
「……そう……ですよね」
突き放すような余の言い方に、亜里奈は、表情こそ笑顔を作るが……。
多少なりと気落ちしているのは、明らかだった。
「だが――」
「……?」
「さっきも言ったように、騒がしい連中の相手をしたせいで、目が冴えてしまってな。
夕食の準備まで、まだ時間があるだろう?
――少しばかり、余の退屈しのぎに付き合ってもらえればありがたい」
言って、余が微笑みかけると。
さすが聡い娘だ、すぐに余の意図を察したらしく――。
「……もう、しょうがないですね」
今度はちゃんとした笑顔で……いたずらっぽく、そう言った。