第154話 甘え下手だからこそ、甘えたくなるときがある
――目が、覚めた。
視界に入ったのは、見慣れた自分の部屋の天井――。
……って、あれ?
「あたし……確か……」
「お? やっとお目覚めか」
あたしの声に反応して、ひょいっと視界に顔を覗かせたのは……お兄だ。
「……お兄……?
ここ、あたしの部屋? 確か、あたし――」
ベッドの中で、首だけ動かして周りを見る。
……間違いなく、あたしの部屋だ。
確かあたしは、先生のお手伝いのあと、熱が出て……第2応接室のソファに横になって、そのまま……多分、寝ちゃって……。
「ああ。お前、先生の手伝いの後、熱が出て寝込んだんだよ。
で、まあ、疲れが溜まってただけだったのか、熱はすぐに下がったみたいだけど……熟睡してるからって、そのまま先生がクルマでアガシーと一緒に送ってくれたってわけだ」
「……そう、なんだ……」
うん……寝てたのは間違いない、と思う。
なんだか、すごく苦しくて……本当に怖い夢を、見てたから。
それは――具体的にこう、って映像があるわけじゃないけど……。
でも、はっきり生々しく感じられた――まるで『闇』そのものに捕まって、命を少しずつ食べられていく、みたいな……最悪の夢。
「あの……なんかね、お兄……」
「ああ」
「すっごく苦しくて、怖い夢……見てた。
あたし、このまま死んじゃうのかな、って……そんなこと、思った――」
あたしが、何となくお布団から出した手を――。
お兄はそっと取って、大丈夫って言うみたいに、優しくポンポンってしてくれた。
――もっと小さかった頃、怖い夢を見て泣いたときみたいに。
そう、その頃みたいに……今のあたしも、それで、すごく安心出来た。
ああ、もう大丈夫なんだ、って……。
お兄の手の大きさと、あったかさに触れて。
「……心配すんな。相手が夢だろうが、バケモノだろうが……俺が絶対に助けてやるから。
なんてったって、お前の兄貴は――ホンモノの〈勇者〉、やってたんだぜ?」
あたしを安心させようと笑ってくれるお兄に釣られて……頬がゆるむ。
そう言えば……あれは、どうしようもないぐらい『悪夢』だったけど。
そんな中で、何度か……あたしを励ましてくれる声が……聞こえたっけ。
その励ましが――助けがなかったら。
あたしに力をくれた、その声がなかったら。
本当に、命を食べられてたんじゃないか、って――そんな風にも思える。
夢だって分かってるけど、現実に声を掛けてもらってたみたいな、あれは……。
確か……そう。
朝岡と、ハイリアさんの声だったような――。
――――って!
「〜〜〜っ!」
「……? なんだ、どうした?」
「な、なんでもない……っ!」
あたしは急に気恥ずかしくなって、ずぼっとお布団に顔を隠した。
……だ、だって……!
お兄とかアガシーが夢に出てくるのなら、まだ分かるけど……!
ハイリアさんに――あ、朝岡って……っ!
うう〜……!
あ、あたし、ハイリアさんに告白されたこと、思った以上に気になってたのかなあ……?
それに――それに、朝岡、だなんて……。
――あたし……。
そんなに朝岡のこと、気にしてたの……かな……。
…………って、ううん!?
夢! あれは夢、そうだよ、夢だからね!
だからそう、そういう、おかしなことだって起こるよね! うん!
「……おーい、窒息するぞー?」
「だだ、だいじょうぶ、なんでもないからっ!」
がばっ、とお布団から顔を出す。
「……顔、赤くなってないか? 熱がぶり返してきたか?」
「だだ、だいじょうぶ、うん、だいじょうぶ!
――うん、そんなんじゃ、ないから……」
「……ふ~む。
確かに、今の『大丈夫』は、大丈夫なときの『大丈夫』だな」
お兄はしたり顔でうなずく。
……もう。基本的にはニブいくせに……こういうときは鋭いんだから。
「うん、だから……体調は大丈夫。ちょっとだけ熱っぽいぐらい。
あ、でも――」
「……でも?」
「……お腹、空いた」
あたしが正直に言うと、お兄はくすりと笑った。
「……だろうな。晩メシなら、俺たちはさっき済ませたけど……どうする?
お前の分は残してあるけど……食べやすいやつの方がいいなら、またおかゆでも作ってきてやろうか?」
「ん――、と……」
……あたしは、ちょっと考える。
えーと……今朝まで冷蔵庫に残ってたものと、買い物の予定からすると……。
十中八九、今日の晩ご飯のメインはハンバーグだった……ハズ。
あとは、それに……。
お味噌はあんまり無いから、明日の朝ご飯のお味噌汁用に回して……。
で、代わりに、コンソメならまだ残ってたから、そろそろ使い切っちゃいたいベーコン入れてスープにするでしょ……。
他に……うん、サラダにするお野菜もあったはず……。
――うん。ママが作るならきっとこんな感じかな。
献立としては好きな部類だし、体調も、ちょっと熱っぽいぐらいだから、ゼンゼン平気に食べられそうだけど――。
でも、なんだか、今日は……。
「……お兄の作ったのが、いい」
つい、思ったことをそのままポロッと口に出して、甘えちゃって――。
それから、あっ、となってお兄を見るけど……。
そんなあたしを、茶化すでも心配するでもなく――驚きもしないで。
分かってる、って言わんばかりに。
あたしの頭を優しくなでて……うなずいてくれた。
「――リクエスト、あるか?」
「……ん……それじゃあ、アレ……お兄流の中華雑炊」
〇〇流、とかいうとなんだかご大層だけど……。
それは……和風のおダシの代わりに、中華スープの素を使ったってだけの雑炊。
……ちっちゃい頃、あたしがカゼのとき……。
ママたちが忙しいと、面倒を見てくれるのはお兄だった。
でもそのお兄もまだ子供だったから、料理のレパートリーなんてほとんどなくて……。
たまたま、お昼ご飯、2日続けてお兄が用意してくれることになって……連続で雑炊ってなったとき、「飽きた」ってあたしがワガママ言ったら……工夫して作ってくれたのが、お兄流の中華雑炊。
それは本当に、おダシを中華スープに換えただけ、ただそれだけだったけど――。
そのときのあたしにとっては、ビックリするぐらい、すっごくおいしかったってこと……夢中になって、作ってくれた分を全部食べちゃったことを覚えてる。
――それ以来、あたしはちょくちょく……お兄にリクエストしてきた。
あたしの……お兄が作ってくれる料理の、お気に入りの一つ。
「あんなのでいいのか?」
「……あんなのが、いい」
そう……『あんなの』が、いいんだ。
あくまで『夢』でも……本当に怖い思いをしたから。
……それで、今日は……お兄に甘えたくなったから。
千紗さんに悪いけど、今日は――。
お兄を、あたしのお兄として、独り占めしたくなったから。
だから……『あんなの』が、いいんだ。
「……分かった。
ん、思ったより元気そうだしな……具だくさんにしてやるよ」
「野菜多めがいい」
「へいへい。肉はトリとブタとどっちにする?」
「……トリさん」
「スタンダードな。了解。
――んじゃ、ちょっと待ってろよ」
* * *
――裕真が一人、妹の世話をしていたそのとき……。
亜里奈の部屋のドア脇にはそれぞれ、立ったままのハイリアと、座り込んだアガシーがいた。
「……そんなところに座り込んでどうした? キサマらしくもない」
「あなたこそ。立ちっぱなしでなにしてるんです」
「もちろん、亜里奈が心配だからな。少しでも側にいたかっただけだ」
「……わたしもですよ。
――っていうか、それなら中に入ればいいじゃないですか」
「キサマこそ」
ハイリアの返しに、アガシーは……。
立てたヒザに顔を埋めるようにして、モゴモゴと何事かをつぶやいた。
その様子を、ハイリアはさらりと微苦笑で流し――。
視線は前を向いたまま、口を開いた。
「……亜里奈は、しっかり者だが……やはりまだ子供だ。
そんな亜里奈にとって、今、何より必要なのは……心から信頼し、気の休まる、本当の兄だろう。
余の出る幕ではない――ゆえに、これで良いのだ」
「……ふん……殊勝じゃないですか」
「で、キサマの方はいいのか?」
「わたしだって……今はアリナには、子供らしく勇者様に甘えてほしいって……そう思ってるだけです」
「……そうか」
スネたような口調のアガシーとは対称的に……フ、とハイリアは穏やかに笑う。
「……まあ、目元が泣き腫らしたようになっている今のキサマでは、何事かと心配させるだろうしな?」
「何でもありません。超突発性の一日限定花粉症のせいです」
「ほう……。では差し詰め、アーサーは巨大な花粉と言ったところか。
接触したとなると、それはヒドい状態にもなるだろうな?」
「――ンなっ!? ど、どーしてそれを……!」
がば、と顔を上げたアガシーに……。
ハイリアは、ニヤリと笑ってみせた。
「……ほう、そうなのか?
かけてみるものだな、カマというのも」
「――っ! んぎぎぃ……! こンの――!」
「フッ……魔王だからな、余は。
……大方キサマ、アーサーが無事だったことに感極まって抱きついたはいいが、後になって恥ずかしくなってきたと――そんなところか?」
「わ、悪いですか……っ!」
ぷい、とそっぽを向くアガシー。
対して、ハイリアは――ゆるやかに首を横に振った。
「……いいや? むしろ、それは――。
そう、キサマがまた一歩『人間』に近付いたと……そういうことであろうよ」
「ふ、ふんっ……! 知ったふーなことをっ」
口を尖らせたまま……アガシーはまた、立てたヒザに顔を埋めた。
その様子に、ハイリアは苦笑をもらし――。
そうかと思うと、やおら壁から背を離して階段の方へ向かう。
「……さて。では、こちらはこちらで、『妹』を世話してやるとしようか。
――付き合え。コーヒーでも煎れよう」
「……ふんっ……」
これ見よがしに、一際大きく鼻を鳴らして――。
いそいそと立ち上がったアガシーは、ハイリアの後を追った。
「ミルクだばだば、お砂糖どさどさの、あまあま仕様ですからねっ?
ニガニガにしたらブッ飛ばしますからねっ?」
「……分かっている。『妹』殿の仰せのままに――な」