第131話 王たる星は、夜空にかつての〈星〉を見る
――今日は七夕、しかも日曜だったから、みんなで準備したイベントも盛況で……。
〈天の湯〉は、いつもより賑わって、忙しかった。
〈呪疫〉が出現したとかで、お兄とハイリアさん、アガシーは、しばらくお手伝いから離れてたけど……。
そんなに遅くならずに戻ってきてくれたから、ママたちに疑われたりってことも、こっちのお仕事に支障が出るようなこともなかった。
それから、いつも通り23時過ぎにはお店を閉めて……残った片付けの手伝いとかは、お兄とハイリアさんに任せたあたしとアガシーは(一応小学生だし)、一足早くお布団に潜り込んだんだけど……。
「うぅ~……」
……何だか、寝付けなかった。
いつもより忙しく働いたし、身体は疲れてるはずなのに……。
それとも逆に、だから……なのかな、妙に頭が冴えちゃって……。
ちょっとはウトウトしたんだけど、一回パッチリ目が開いちゃうと、ベッドの中でごろごろしてても、一向に眠くならない。
寝なきゃ――って思うほど、目が冴えてくる。
明日は月曜日で学校だし、あんまり夜更かしとかしてられないんだけど……。
――枕元のスマホで時間を確認すると、午前2時前。
床に敷いたお布団で寝てるアガシーも、いつも通りに(ヘンな寝言言いながら)爆睡中。
……っていうか、家の中は静まり返ってるから……。
お兄もパパもママも、みんな寝ちゃってると思う。
――ちょっとキッチンでお水だけ飲んできて、もう一回寝直してみよう――。
そんな風に考えて、ベッドを降りたあたしは……。
「…………?」
窓の向こう――月の青い光の中。
おじいちゃんとおばあちゃんのお家の屋根に、珍しい姿を見つけて――。
引き寄せられるように、玄関から外に出て、裏手へ……そっちの方へ、足を向けていた。
「……あ……」
そうして近付いてみれば。
星空を背景に、瓦屋根の上に腰掛けていたのは、やっぱり――。
意外と似合いそうだし、部屋着にちょうどいいかな……って、ママとあたしが選んで買ってきた作務衣に雪駄って組み合わせに、もとはお兄のものだった薄手のジャケットを羽織った……。
そんなアンバランスな格好なのに、それでもやっぱり目を見張るほど美人な――ハイリアさんだった。
「……どうした、亜里奈? こんな遅い時間に」
ずっと星空を見上げていたのに、あたしのことには気付いてたみたいで。
視線を下げてそう尋ねてくるハイリアさんに……あたしは正直に答える。
「……なんだか、寝付けなくって。
それで……部屋から、ハイリアさんが屋根の上にいるのが見えて……」
「――そうか」
答えるや否や、ハイリアさんは2階の屋根の上から――ひょい、とあたしの前に飛び降りてきた。
本当に軽々と……それこそ、階段のたった一段目から跳ぶぐらいに。
「ハイリアさんは……何をしてたんですか?」
「ああ……せっかくの七夕とやらの夜だ、天気も良いことだし、星を――と思ってな」
「……もう、日付変わっちゃってますけどね」
「まあ、そう言うな」
微苦笑混じりに言って、ハイリアさんはあたしに手を差し出してくる。
あたしが、どういうことだろうってその手と顔を見比べていると……。
「……眠れぬのだろう? お前もどうだ?」
「え? あ、はい……」
思わず反射的に、こくんとうなずくあたし。
「――うむ。では……抱えるが、いいか?」
「え? 抱える?」
「そうして屋根まで運んだ方が早いからな。
――触れられるのがイヤなら止めるが」
「えっと……いえ、別に大丈夫ですけど……」
「そうか。では――失礼する」
丁寧にお辞儀してくれた……と思うと、ハイリアさんはあっという間に、ひょいとあたしを抱え上げた。
「――ひゃっ!?」
……それは、体育祭のとき、お兄が千紗さんにしたみたいな……いわゆる、お姫さま抱っこってやつで……!
「あ、あの……っ!」
「イヤなら降ろすぞ。正直に言って構わん」
「え、えっと、ううん、イヤってわけじゃ……ないです」
あたしは正直に答える。
そう……驚いたり、ちょっと恥ずかしかったりってだけで、イヤってわけじゃなくて。
それどころか……。
なんだろ、妙な安心感……みたいなものがあった。
小さい頃、お兄におんぶとかしてもらったときみたいな――。
「――では、行くぞ?」
そう言ってハイリアさんは、その場で地面を蹴って、ふわりと――。
さっきいた屋根の上まで……文字通り、本当に……『飛び上がった』。
「うわわ……!」
……こういう芸当を見せられると……。
改めて、この人が異世界の元・魔王っていうのは本当なんだなあ……なんて思ってしまう。
「余がついている、足を滑らせても大丈夫だが……一応、気を付けるようにな」
そっとあたしを降ろしながらの気遣いに、はい、と素直にうなずく。
そうして、座ろうとしたら……ハイリアさんが自分のジャケットを脱いで、あたしのパジャマの上から羽織らせてくれた。
「……夜風は意外に冷たいものだからな」
「あ、ありがとうございます……でも、ハイリアさんは――」
「余なら問題ない。――魔王だからな?」
「もう……魔王でも、カゼには気を付けて下さいね?」
あたしは苦笑いしながら……好意には甘えて、ジャケットの襟元を握りながら座り込む。
続けて、ハイリアさんも隣に腰を下ろした。
そうして――あたしたちは揃って、星を見上げる。
七夕って、微妙に梅雨の時期に重なってるから、晴れない日が多いって聞いたことあったけど……。
今夜は――あ、まあ、日付はもう変わっちゃってるけど――本当に良く晴れてて、スゴいキレイに星が見えた。
「――それで亜里奈、織姫と彦星というのは、どれになる?」
「え? あ、ええっと……」
観察するときは東の方の空に見える――って教えられたけど、あれは夜の早い時間の話だから……。
星も太陽と同じで東から昇って西に沈むんだし……えーっと、って言うことは……今ぐらいの時間だと……。
あたしは北の方――ちょうどほぼ真っ正面の空に一番明るい星を探す。
それはすぐに見つかった。
――琴座のベガ、織姫だ。
あとは、そこから……星座は回転してるはずだから――。
「……あ、あった!
あれが琴座のベガ、織姫で……それであっちが鷲座のアルタイル、彦星です」
「ふむ……なるほど。
あれと…………こちらか」
あたしが空に向かって伸ばした指、その動きを追って……ハイリアさんも同じく指を差して確認しながら、大きくうなずく。
「……さて……。彼らは、1年に一度しか逢えぬと、不幸を嘆くか……。
それとも、1年に一度でも逢えると、幸福を喜ぶか……。
――どちらなのだろうな」
ハイリアさんのその言葉は、あたしへの問いかけなのかな……って一瞬思ったけど。
どうも、そういうわけじゃなかったみたい。
でも、独り言って感じでもなくて……。
空を見上げながら、誰かに語りかけてるみたいな……。
「……どうした?」
――なんとなく、あたしがぼーっと横顔を見ていたことに気付いたんだろう。
ふっと強く吹いた風に煽られた、すごくキレイな……それこそ天の川みたいな長い銀髪を手で押さえて、ハイリアさんはこちらを見る。
小さく首を傾げて……微笑みながら。
「あ、いいえ、なんでも……!」
本当に何となくだったから、答えに詰まって……。
漂った視線は、さらさらと宙に流れるハイリアさんの銀髪に止まる。
「その髪……束ねたりしないんですか?」
「ヘタをすると、聖霊と揃いになってしまうだろう?」
髪を手ですくいながら、ハイリアさんは意地悪そうに笑った。
「だが、ふむ……長く伸ばすことにこだわりがあるわけでなし。
見ていて鬱陶しいようなら、いっそバッサリといってみるのも――」
「そ、それはもったいないです!」
思わず、あたしは身を乗り出していた。
……いや、男の人にとっては大した問題じゃないのかもだけど……。
クセっ毛で、いまいち自分の髪が好きになれないあたしからしたら、こんなキレイな髪をバッサリとか、すごくもったいなく感じて……。
「あ、それじゃあ、三つ編みにしてあげます!
それならアガシーと被らないし、似合うと思うし……!」
「……ふむ。では、お願いしようか」
ハイリアさんの許可をもらったあたしは、後ろに回って……腰ぐらいまである、サラサラの髪を手に取った。
うーん……きっちり全部三つ編みにしちゃうより、ちょっと余裕を持たせて、肩の下あたりから編むぐらいの方がカッコイイかも……。
そんなことを考えながら、ときどき星空を見上げつつ、天の川みたいな髪を編み込んでいて、あたしは……。
ふっ――と、ハイリアさんが短冊に書いたことを思い出していた。
――『彼の星の願いが、永遠に遍く照らし続けるように』
あれは……どういう意味だったんだろう。
織姫や彦星のことなら、あんな文字で書く必要もないはずだし……。
「そう言えば、ハイリアさん……。
あの短冊に書いてたお願いって……?」
つい……聞いてしまった。
でも、金曜日に聞いたときははぐらかされたし、どうせ今回も同じだろうな……とか思ったら。
ふむ、と一言うなったハイリアさんは――
「……余の、ハイリアという名は、古い言葉で〈王たる星〉という意味がある。
そして……かつて、幼き頃より――。
余の近くには、もう一人……同じように〈星〉の名をもつ者がいたのだ」
星空を見上げたまま……話してくれた。
「魔法や技術の研究において、紛う方無き天才であった其奴は――長い間争うのが当然と考えられていた魔族と人族の、和解を願う……変わり者だった。
それこそが、双方にとって一番良い道だと信じて疑わなかった。
――そして、実際に……正しかった」
あたしは、ただ……黙って、三つ編みを続ける。
「だが、余がその真意に気付けたのは、魔王となり、勇者に敗れてからだった。
そのときになってようやく余は、その〈星〉の願い……真の輝きを知ったのだ。
ゆえに、あの短冊に書いたのは――。
その〈星〉の融和の光が……これからのアルタメアを永遠に照らし続けてくれるようにと、そういう願いだ」
「その〈星〉は――」
「…………ん?」
……今、どうしているんですか?
……女の人、なんですか?
そんなことを、つい口にしそうになって……あたしは何とか思い止まった。
ハイリアさんの態度とか、物言いとかで……なんとなく、分かっちゃったから。
「……いえ、なんでもないです」
そして、これ以上は――。
きっと、こっちから根掘り葉掘り聞くようなことじゃ……ないから。
「……そうか」
そんなあたしの心のうちを察してかどうかは知らないけど……。
それに、後ろにいるから見えないけど……。
そうつぶやいたハイリアさんは――。
優しく……とても優しく、笑っているような気がした。




