第123話 夏に向けて、夏を迎えるために
「……ああ、帰って早々に悪いんだけど、千紗。
ちょっと、お茶の用意をしてもらっていいかい?」
――7月4日の木曜日。
一学期の期末テストも明日で終わり……っていうその日。
昼過ぎに帰ってきたウチに、いつもやったらトレーナーとしてジムの方におるはずのおばあちゃんが……珍しくちゃんとしたスーツ姿で、そんな頼み事をしてきた。
「ええけど……お客さんでも来るん?」
「そうなんだよ。まあ、ちょっとした打ち合わせをね」
リビングのテーブルについたおばあちゃんは、改めてその打ち合わせの確認をするのか、ノートパソコンを開く。
「ふーん……格闘技の試合とかの?」
何気なく尋ねながら、キッチンに入って、お客さん用のお茶を用意していくウチ。
……うーん……お茶出すだけでも、お客さんの前に出るんやったら、ヘタに部屋着に着替えたりせんと、このまま制服でおった方がええかなあ……。
「いや、そうじゃない。
……8月の夏祭りの準備の件でね」
「……夏祭り?」
「ああ。……ほら、だいたいどこでも、地区で夏祭りとかやるだろう?
この辺りも例外じゃなくて、毎年やってるわけだ。
まあ、こっちに来てまだ1年のアンタには、馴染みが薄いだろうけど……」
「あ――うん、地区の夏祭りは分かるよ。
でも……なんでおばあちゃんが?」
「ああ……そのことなんだが。
これまで祭りの設営やら何やらを取り纏めていた、工務店の棟梁が、先日、もういい歳だから――って現役を引退されてね。
後任として、アタシが指名されたってわけなんだ。
……うちには若くて体力のある連中が揃ってるから、人手も確保出来るしねぇ」
「……練習生の人たちも巻き込むん?」
「巻き込むとは人聞きの悪い。
基本的にはボランティアみたいなモンだし、もちろん強制はしないさ。
ただ、日々のトレーニングも、それで鍛えられる筋肉も、人のために使ってこそだ。
いざってときに人の役に立たない筋肉なんざ、タダのタンパク質でしかないよ。
――そして、うちの連中に、それが分からないバカはいないハズだ」
「もう……ホンマに、強制はしたらアカンからね?」
棚から出したお茶菓子を器に並べながら、ウチはおばあちゃんに一応クギを刺す。
……そう、一応。
なんで『一応』かって言うたら、おばあちゃんの言うように、うちに来る練習生の人らは、みんな気の良い人らやし、おばあちゃんのことをホンマに尊敬してくれてるから。
この話を聞いたら多分、みんな自分から、楽しそうに、手伝うって言い出すと思う。
うん……むしろクギを刺さなあかんのは、練習生の人らの方かも。
ちゃんと、自分の仕事とか用事の方を優先して下さいね、って……。
――そんなことを考えながらお湯が沸くのを待ってたら……チャイムが鳴った。
ちらっと時計を確認して、立ち上がるおばあちゃん。
「ふむ……約束した時間ピッタリだ。キッチリしてるね。
――千紗、お茶は地下の会議室の方に頼むよ。
先方が2人だから、アタシを入れて3人分な」
「うん、分かった」
ノートパソコンを手に、玄関に向かうおばあちゃんを見送って――。
お茶を淹れたウチは、お茶菓子も載せたお盆を持って、ジムの地下に降りる。
――中間テストのとき、赤宮くんとかおキヌちゃんらとの勉強会で使った会議室……。
ウチが、ノックしてからそこへ入ると……。
ちょうどスーツ姿の男の人2人とおばあちゃんが、挨拶を交わしてるところやった。
お客さんたちは、お茶を運んできたウチにも、愛想良く挨拶してくれる。
ウチも、こんにちはって挨拶を返して――。
…………?
なんか……メガネをかけてる若い方の人……見覚えがあるような――?
「鈴守さん、こちらのお嬢さんは……お孫さんの?」
そのメガネの人も――なんやろ、ウチのことを確認するみたいに、落ち着いた声でおばあちゃんに尋ねてた。
――で、当のおばあちゃんはというと――。
なんか面白そうに、いつもの調子でオトコ前に笑いながら何度かうなずく。
「ええ、そう。この子が、孫娘の千紗です――『赤宮さん』」
イタズラっぽい目で、ウチをチラッと見て……ことさら名前を強調して答えるおばあちゃん。
……っていうか――。
え、ちょっと待って? 今、『赤宮さん』って言うた……?
そう、そういえば、誰に似てるって言うたら――!
「どうも初めまして、千紗さん」
「え、あ、え、あ、あの……ッ!?」
とっさに答えが出なくて、頭が真っ白になるウチに――。
『赤宮さん』は、優しく笑いかけてくれる。
「――赤宮裕真の父です。
いつも、息子がお世話になっています」
「! す、すす、鈴守千紗です……ッ!」
上擦った声で、なんとか名前だけでも言うて、あわてて……でもお茶をひっくり返さへんように頭を下げるウチ。
その視界の端っこで……。
おばあちゃんはまだ、イタズラっ子みたいに楽しそうに笑ってた。
* * *
「ほう……タナバタ、か」
――木曜日、午後。
テスト最終日に向けて追い込みをするべく、部屋に戻った勇者を除き――。
亜里奈が淹れてくれた茶をすすりながら、聖霊も交えて、リビングでゆったりとしていたところ……。
亜里奈がおもむろに切り出したのは、週末に〈天の湯〉で催されるという、イベントについての話だった。
……7月7日の七夕という行事に合わせて、〈天の湯〉では2日前の金曜夜から、入り口脇のスペースを使ってイベントを行うらしい。
「……で、『棚ボタ』ってことは、なにかタダでもらえるんですか!」
鼻息荒く、ベタなボケをナチュラルに繰り出す聖霊に、亜里奈はタメ息まじりにツッコミを入れる。
「――た・な・ば・た!
だいたい、主催するのはうちなんだから、仮になにかをプレゼントするようなイベントだったとしても、もらえるわけないでしょ?」
「……ちぇー。
『お菓子をくれなきゃ強奪するぞ!』みたいなのじゃないんですかー」
「そもそも、ハロウィンだってそんな山賊イベントじゃないから」
「……では、亜里奈。
改めて聞くが、タナバタ――とは、どういうものなのだ?」
それこそこの現代日本では、スマホなりパソコンなり使えば簡単に調べられる(ただし勇者除く)わけだが、そればかりでは味気ないというものだ。
伝統行事という響きも手伝って興味をそそられた余は、素直に亜里奈に尋ねることにする。
「あ、えーっと……ですね……」
……そうして、亜里奈がざっと説明してくれたところによれば……。
織姫と彦星という恋人でもある離ればなれの星が、再会の願い叶い、天の川を渡って1年に1度だけ会える日で……。
それを記念して、笹を飾り、そこに願い事を書いて吊したりする行事らしい。
ふむ……一種の星祭り、ということか。
星祭り――――。
「なるほど……。
こちらの世界は夜なお明るく、わざわざ星を見上げることなどせぬかと思ったが……。
やはり、そうした祭は残っているものなのだな」
「うっわ~……なんっですか、そのジジくさいセリフー。
ヒきますねー」
「うむ、すまんな――『年長者』」
「うっきぃーーーっ!」
ポニーテールを振り回し、物理攻撃に切り換えてくる聖霊をいなしながら……熱いほうじ茶をすする。
……うむ、やはり亜里奈の淹れてくれた茶は美味い……。
「……では亜里奈。
明日の夜から、〈天の湯〉でも笹を飾る……ということか?」
「はい。それに合わせて短冊も置いて、お客さんに願い事を書いてもらったり……。
あと、基本的には七夕って芸事のお願いをするものらしいから、プロアマ問わず、広隅に住んでる色んなアーティストの人たちの作品を展示したりもします」
「ほう……それはなかなか面白そうだな。実に興味深い」
「――う、薄い本もありますかねッ!?」
「ない」
亜里奈にキッパリと断じられて、聖霊はべたんとテーブルに突っ伏した。
「がっで〜む……」
「……えーと……それでですね、ハイリアさん。
笹とか短冊なんかは業者さんにお願いしてるんですけど、他の細々とした物はうちで揃えることになってて……。
ママから買い物メモを預かってるんで、この後、お買い物に付き合ってもらっていいですか?
一応荷物持つのに人手が欲しいんですけど、お兄は……アレだし……」
言って、亜里奈は2階を見上げる。
まあ……勇者のことだ、亜里奈が頼めば断るまいが、そうするとテストの点は確実に下がるであろうしな……。
そして、それは亜里奈にとっても望むものではあるまい。
もっとも――
「うむ、無論構わぬとも。
世話になっている身だ、いくらでも使ってくれ」
……こういうときのために余がいるのだ、何の問題もないがな。
「ちょちょちょ、ちょっと待ったぁ!
――い、行きます行きます、わたしも行きますよ!
こんなケダモノとアリナを二人きりになんて出来ますかってんだ!」
途端に跳ね起き、余を睨みながら、歯を剥き、うなり声をあげる聖霊。
「獣じみているのはキサマだがな、聖霊」
「うっさい! がるる!」
再び長い尻尾をブンブンと振り回してくるのを、軽くいなしながら茶をすする。
……星祭り……。
「――ああもう、分かってるから!
アガシー、あなたももちろんいっしょ!
ちゃんと荷物持ってもらうから!」
「……あ、それは遠慮します。
荷物なんて、全部この魔王に押し付けりゃいーじゃないですか」
「……おい、軍曹……。
甘ったれたコト抜かしてると、営倉送るぞ……?」
「いい、イエシュ、マムっ!」
……聖霊と亜里奈のやり取りが――どこか、遠く聞こえた。
…………そうか。
星祭り――か…………。
『……ハイリア、偉大な星……わたしの、星――』
「……そこまで昔でもないはずが……。
妙に懐かしく感じる、な」
「?……ハイリアさん? どうかしました?」
ふっ、と――。
つい、かつての記憶に想いを馳せてしまっていたらしい。
首を傾げて顔を覗き込んできた亜里奈に、なんでもないと答えて――余は席を立った。
……自然に生まれ出た、笑顔とともに。
「……よし、では早速行くとしようか。
夕食の準備もあるのだろう?
やるべきことは、迅速にこなさなければな」