第120話 メガネなしのメガネの後輩と、小っさい先輩と
――メガネとお風呂っていうのは、実に相性が悪い。
そもそも熱はあんまりメガネに良くないし、落としたり割れたりしたときの問題もあるしで、基本的には脱衣所に置いていくことになる。
まあ、家のお風呂ならそれでもまったく問題ないわけだけど……。
外のお風呂となると話は別だ。
家とは違うからっていろいろ興味を持っても、裸眼じゃろくすっぽ見えないし……あえてメガネを持ち込んだところで、結局、湯気で真っ白になるか、水滴に覆われるかのどちらか。
一応洗ったり拭ったりすれば使えはするけど、何かと手間だし、普段ほどには見えないし、当然裸眼ほど自由じゃない。
……と、いうわけで。
先週、美汐と来たときから、ひさびさの銭湯だし、じっくり見て回りたいと思ってはいたものの……やっぱり公共の場所ってことで、今日もメガネは脱衣所で留守番。
ちなみに、わたしの裸眼の視力は相当に悪い。ド近眼だ。
……なので、先週は、美汐と間違えて他の女の人に声をかけたりしてしまった。
ただまあ、それがどうも結構な美人さんだったみたいで、美汐は……
「ま、あれなら間違えてもしょーがないよねー!」
――と、むしろ上機嫌だったけど。
けど、まあ……今日は大丈夫だね。
はっきり言うと怒られるだろうけど、絹漉センパイは、ド近眼にも優しい、ハッキリとした外見的特徴をしてるからなあ……。
「――あ、センパイ、遅れてごめんなさい。
メガネ持って入るかでちょっと悩んじゃって……」
「……? おねーちゃん、だれー?」
「――ぅおいテメー! やってくれたなお約束!!」
…………ちゃぷん。
「えーっと……さ、さっきはすいませんでしたー……」
洗い場でさっと身体を洗ったわたしは、今度こそ間違えないようにと目を細めながら……。
ぬるま湯にのんびり浸かってる絹漉センパイの隣に、そっと腰を下ろした。
「まさかなー、ド近眼のお約束とは言えなー、いくら何でも、低学年の子と間違えられンのはなー……」
絹漉センパイは口を尖らせてる……っぽい。
「んぐ……っ! す、すいません……!」
「フルーツ牛乳」
「……はい!」
「2本」
「何本でも!」
「……ぃよし、しゃーねー、許そう!
しかしさすが後輩ちゃん、物分かりがいいな!」
「あ、ありがとうございます……!」
「あ、ちなみに今のは冗談だぜ?
この絹漉あかね、いかにガタイは小っさくとも、年下にたかるような恥知らずなマネはしないのだ!」
お湯をばちゃんと叩きながら力説するセンパイ。
……さっき、思いっ切り、小学生のアガシーちゃん相手に中人料金通そうとしてたような気もするけど……アレはアリなんだろうか……。
「しかし……あれだな、後輩ちゃんよ」
「なんですか?」
「メガネっ子がメガネ外すと美少女、ってのもまたお約束だが……。
お前さんの場合、ちょっと特殊だな」
「特殊……ですか?」
「メガネかけると可愛い系、メガネ外すと美人系――って感じだ。
つまりどっちでもイケる! お得だな!」
「あ、ありがとうございます……」
……わたしだってもちろん、社交辞令って言葉ぐらいは知ってる。
一応、ウェイトレスで愛想振りまいてたら、まあ、いわゆる『鬼も十八番茶も出花』ってやつか――可愛いとは、ちょくちょくはお客さんから言ってもらえることだし。
でも、わたしは、眉が太めだし、顔立ちもまあ、わりと地味目の普通顔――って自分では思ってて……。
しかも、仕事と関係なく、面と向かって容姿を褒められたことなんてゼンゼン無いから。
あらためて、そんな風に言われると……。
同じ社交辞令でも、ちょっと気恥ずかしかった。
「む。ちなみに社交辞令じゃないぞ?
アタシは、大ゲサ、紛らわしいは言っても、ウソはつかんのだ!」
……あ、もしかして顔に出てたのかな。
メガネが無くて周りがぼやけてるから、ついつい自分の表情にも気が回らなくなってるかも。
「……とりあえず、公共広告な機構からすると、それってかなりグレーですよね」
「ふふん。疑わしきを罰することは出来んのだ!」
小さな身体でいっぱいに胸を張るセンパイ。
可愛いと言えば、この人も……色んな意味で可愛いと思う。
特に、年下好き(あえてそう言おう)な男子からは、絶大な支持を得そうだけど……しゃべるとアネゴっぽさ全開だからなあ。
……まあ、その辺も魅力のような気がするけど。
「それにまあ、服脱いでみりゃ、またイイ身体しやがって……。
けしからんな……じゅるり」
「じゅるりって口で言う人初めて見ました。
……って、わたし、平均っていうか……普通ぐらいですよ?」
わたしは視線を湯船に落とす。
……これは本当だ。
体付きは、まさに全国平均まっしぐらといったところ。
ただそれゆえに、バランスだけはいい……と言えるかも知れない。
「うん、アタシも実は身長とかもろもろ全国平均値なんだよ。
…………11歳女児の」
「………………」
「………………」
「――なんか、ゴメンナサイ」
「いや、まあ、いいさ……いいんだよ……。
あんましお風呂ン中でギャーギャー言ってもメーワクだし、のぼせるしな……」
センパイは、フッと遠い目をして笑った……ような気がするけど、よく見えないから真相は不明だ。
「でもセンパイ、その分、肌年齢とか若くっていいんじゃないですか?
――ほら」
わたしは手を伸ばし、センパイのもちもちしたほっぺたやら二の腕やらをツンツンと突っついたりしてみる。
――ハッキリ言って、ぷにぷにのスベスベだ。
これは…………ひっじょ~に気持ち良い…………!
そして――。
くすぐったいのか、センパイが「にゃにゃにゃ!」とか言ってるのがまた可愛い。
「……いいい、いーかげんにしろ後輩ちゃん!
ンなことしてっと、こっちも揉むぞ! 揉みしだくぞ!」
「あ、ゴメンナサイ、つい気持ちよくって……」
「……ったく。
だいたい、若いっつったってな、世の中上には上がいるんだぞ?
――さっき、待合スペースで亜里奈ちゃんと話してた女の人、見たか?」
「えーっと……ああハイ、モデルみたいな、スラッとしてキレイな……」
わたしは記憶を辿りながら答える。
……そう、確か亜里奈ちゃんと、なんか熱く語り合ってた――。
「あの人、おスズちゃんのおばあちゃんなんだぜ?
つまり、実年齢はほぼ60」
「おば――――っえええええぇぇ〜ッッ!!??」
思わず、ざばんと立ち上がってしまうわたし。
そして、しまったとすぐさま座り直す。
一瞬、羞恥心やら何やらをすっかり忘れ去るぐらい、それは衝撃的だった。
「ま……マジですか?
どう見たって30前後でしたよ?」
「それがマジなんだよ……スゲーだろ?」
なぜかヒソヒソ声になるわたしたち。
……にしても、あれで60って……。
黒井くんとかみたいに、異世界から迷い込んできた亜人種とかじゃないの……?
「まー、そんなわけでさ、アタシなんざまだまだなんだよ。
……ただまあ、実際、気にはなってる……なんせアタシの誕生日、4月2日だからな」
「4月2日……ですか。
――ん? それって……」
「そーなんだよ。3月生まれのヤツと比べたら、同学年でもほぼ1歳年上ってこった。
……つまり、今の高校2年生の中で一番年上なんだよアタシは! これでも!」
ざばん、と立ち上がるセンパイ。
……あああ、さっきやらかしたわたしが言うのも何だけど、そうするといろいろ見えちゃいますからセンパイ! どうどう……。
「ま、まあ、そういうこともありますって……!
ほかに、4月生まれの人とかいないんですか?」
センパイをお湯の中に引き戻し、わたしはそんなことを尋ねてみる。
「――いるよ。おスズちゃん」
鈴守センパイか……。
言っちゃなんだけど、こっちもまた……その……小柄だなあ。
「あとは……赤みゃんもだね。
――っていうか、実はあの二人、誕生日まったく一緒なんだよ。
しかも……赤みゃんが告白して付き合い始めたのもまさにその日だってンだから、どこの少女マンガだよ、って感じだよねえ」
センパイは、やれやれとか言いながら、湯船の縁にもたれて思いっ切り背筋を伸ばしたりする。
「……それも、狙ったわけじゃないんだ。
ヘタレの赤みゃんはおスズちゃんの誕生日なんて知らなかったし、ゴールデンウィークに入る前に告白しようってことで頭がいっぱいで、自分の誕生日なんてすっかり吹っ飛んでた。
――偶然、たまたまでそれなんだよ。かなわんね」
「へえ……そうなんですね……」
……ここで、絹漉センパイに、わたしが赤宮センパイが好きだとか知れたら、いろいろとややこしくなりそうだから……。
わたしは、努めて冷静に、普通に、相づちを打つ。
ずっと接客業やって来てるんだから、表情を作るのは得意だし、自信もある。
だから、そう簡単に気付かれないはず――。
……だったんだけど。
「……なあ、後輩ちゃん――」
心にするりと入り込むような口調で、タイミングで、そう言って――。
センパイは、わたしの方を見る。
ぼやけてはいるけど……。
その目が、まっすぐにわたしに向けられているのは……分かった。
すべてお見通しだと言わんばかりなのが……分かった。
だから――
「後輩ちゃん……赤みゃんのこと、好きだろ?
それも、わりとマジに」
わたしに、センパイが振ってきたその問いを否定する余裕は――なかった。