第116話 さりげなく充実した魔王の一日
――余が寝起きするために間借りしているのは、勇者の母方の祖父母の住居……英家の一室だ。
勇者たちの赤宮家に比べれば、さすがに年数を経た日本式家屋で、決して広くはないのだが……。
しかし、余は大変気に入っている。
ベッドではなく、畳の上に敷いた布団で眠る――というのも、実に新鮮で良い。
ちなみに、ばば殿とじじ殿は、余は身体が大きいからと、わざわざ広めの部屋をあてがってくれていた。
押しかけ同然にやってきた余を邪険にすることもなく、当然のように――だ。
それがまた、ありがたく気持ちの良いことだった。
無論、余は恩知らずではないし、年長者への敬意は弁えているつもりだ。
……なので、ばば殿とじじ殿には、もし余で手伝えるようなことがあれば、いつでも何なりと申しつけてほしいと頼んでおいた。
いや、実際には、もっと自主的に手を貸そうともしたのだが……。
「……あなたのその気持ちはとても嬉しいわ、ハイリア。
だけど、歳を取ったからこそ、出来ることは自分でやらないとますます老いてしまうのよ。
だから、本当に必要なときだけお願いするわね」
……と、ばば殿に、なるほどと納得してしまうことを言われたのである。
――さておき……。
朝の準備を済ませ、高校の制服に着替えた余は、その足でまずはすぐそこの赤宮家に向かう。
平日の朝食、そして夕食は、なるべく若者で一緒の方がいいだろう――という、これもばば殿とじじ殿の気遣いだ。
「ああ、おはようハイリア。今日も早いね」
玄関口で、ちょうど出勤する養父上と会うのも、この数日で見慣れた景色だ。
「おはよう、養父上。
……なに、これから仕事の貴方や、食事を用意してくれる養母上や亜里奈に比べれば、まったく大したことではない」
養父上と挨拶を交わし、そのままリビングへ。
……そう言えば……。
養父上と養母上を初めてそう呼んだとき、なぜか勇者と聖霊の方が噛み付いてきたな。
――まだ早い! 認めてない!……みたいなことを言って、だ。
「……だが、二人とも、今の余の養父母であることは間違いないのだぞ?
それに、まず妹の方が『パパさん、ママさん』などと呼んでいるではないか?」
そう反論してやると、二人して頭を抱えて悶絶していたが。
――で、亜里奈はそんな二人を見て「なにやってるんだか……」とタメ息をついていたな。
面白そうなので、いっそ勇者を『義兄上』などと呼んでやろうかとも思ったが……。
さすがにそれは面倒なことになりそうなのでやめた――というのは、秘密だ。
――リビングに入ると、その日キッチンに立っていたのは亜里奈だった。
「……あ、おはようございます、ハイリアさん!」
「ああ、おはよう亜里奈。
――しかし本当に大したものだな、お前は。
朝食に弁当の準備と……大変だろう?」
「そうでもないですよ?
たまに早起きすると気持ち良いし、朝ご飯もお弁当も、料理って言うほど大したことでもないし……別に嫌いじゃないですし」
小学校の制服(堅隅高校のそれの色違いという感じだ)にエプロン姿の亜里奈は、そう答えて、テーブルについた余の前に、チェック柄の包みを置く。
「その……可愛い柄の包みでごめんなさい。
今度またママとお買い物に行ったとき、もうちょっと大きめで似合うやつ買ってきますね」
「……これは……?」
「もちろん、ハイリアさんの分のお弁当です。
この数日は学食でお願いしてましたけど、いくら安いって言ってもやっぱりもったいないですから、お金」
「……いいのか? 余の分まで」
「2つも3つも同じですから。
……あ、持っていくの忘れちゃダメですよ?」
「すまないな……では、ありがたく。
――それと、そこ! ドアの陰で様子を窺っているキサマら!」
余が、ドアの方へ声と視線を飛ばすと……。
おずおずと、勇者と聖霊が顔を覗かせた。
「他者の目があろうがなかろうが、余は亜里奈に何もせぬと言うに……まったく。
――ともかく、せっかく亜里奈が用意してくれた朝食だ、ばば殿が勧めてくれたように、皆で揃っていただくぞ! さっさと席につけ!」
――朝食を終えた後は、養母上(この日は〈天の湯〉の方にいた)に挨拶し、小学校へ向かう亜里奈や聖霊と別れ……勇者とともに高校へ。
駅へと向かう途中の商店街では、早くも余の顔は住民に覚えられてしまったらしく……あちらこちらから愛想良くかけられる声に、都度、挨拶を返していく。
こうした対応は、まあ……一応『王』だったわけだからな。
自分で言うのも何だが、慣れたものだ。
――電車に乗り、最寄りの堅隅駅に降り立てば、そこから学校までの通学路で当然のごとく、上級生下級生他クラスを含めた、多くの生徒と会う。
もちろん、そのほとんどが面識の無い相手だが……挨拶をしてくる者もしない者も、我らが、ウワサの『2-Aの勇者と魔王』であることは承知しているようだ。
「……しっかし、まさか揃って、こっちでも勇者に魔王とはなあ……」
「構うまい。互いに慣れているのだから、逆に気負わずに済む」
「まあ、そうなんだけどさ……」
「しかし、この光景をアルタメアの者どもが見れば……なかなか愉快な反応をしそうではないか?」
余が喉の奥で笑いながらそう言うと、勇者も合わせて相好を崩した。
「ははっ、まぁなあ。
俺の仲間だったヤツらはともかく、頭のおカタい国のお偉いさんとかは絶句しそうだよなー。
……でも、出来れば……。
向こうも同じく、人とか魔とか関係ない――こういう光景こそが、当たり前になっててほしいもんだよ」
「――もっともだ」
――2-Aの教室に着けば、今度はまた級友から歓迎を受ける。
さすがに、数日経って『転入生』に対する熱はやや冷めた感じだが、もともとが気さくな連中であるらしく、やたらと友好的だ。
魔王という呼び名自体は慣れているものの、込められている感情が畏怖などでなく、むしろ親愛となると、これまたなかなかに新鮮で面白い。
「……おーっす、赤みゃん、リャおー!」
中でも特に元気に声をかけてくるのは、特に小さい女生徒――おキヌだ。
その体躯に見合わず、彼女の統率力・影響力は相当なものだ――というか、気付けば余が級友をどう呼ぶかも、彼女に影響された節があるしな……。
そもそも、余を〈リャおー〉などと呼んだのは、古今東西、さらに世界を隔てて後にも先にも彼女一人だろう。
……ちなみに、由来を聞けば……。
ハイリアのリアと、魔王の王を組み合わせ……そのままだとまんま『リア王』になるので、より呼びやすく崩した、とのこと。
まったく、大した度胸だ。
アルタメアで余の補佐を務めた魔将軍などが聞いたら、卒倒しかねんだろう。
……実に愉快だ。
その後、穏やかな笑顔とともに挨拶してきた鈴守千紗――おスズに、勇者を押し付けて。
余は余で、イタダキやら衛といった男子どもと談笑する。
イタダキも衛も、さすがあの勇者が友として(イタダキについては互いに全力で否定するだろうが)認めているだけあって、面白い人間だ。
――それから、授業。
別世界の学問というのは、それだけで興味深く、楽しいものだ。
もっとも……まだ高校生というレベルだからか、教材を一読すれば理解出来ることを、改めて事細かに繰り返す程度なので、やや退屈な面もあることは否定しない。
しかし、運動の授業もあるというのはまた面白い。
ちなみに、今日はプールで水泳であった。
季節が夏に近付いているらしく、ちょうど暑くもなってきていたので、なかなかに心地好く、良い時間だったが……。
ちょうど勇者と競走する形になり、興が乗ったので少し力を出したら、後で水泳部とやらに勧誘を受けるハメになった。
――やはり、あまり調子に乗るものではないな。
悪目立ちせぬようにも、ほどほどが良いようだ。
それから、プール外に、観客のように多くの女子生徒が集まっていたのだが……水泳の授業とはそういうものなのかと聞くと、
「「「 ……いや、そりゃお前のせいだろ! 」」」
などと、皆に揃って返された。
――ふむ……やはりまだ、余が珍しいということであろうか。
――その後、亜里奈の弁当に舌鼓を打つ昼を挟み……午後の授業も終え、放課後。
部活動やらバイトがあるやらで、早々に席を立つ級友に、挨拶を送りつつ、勇者とともに帰り支度をしていると……。
そろそろ毎度馴染みというか、イタダキと衛が近付いてきた。
「……そう言やハイリア、お前こんな時期に転校してきて、テスト大丈夫なわけ?」
そんな質問をしてきたのはイタダキだ。
ふむ……そう言えば、あと一週間ほどで試験期間とやらに入るのだったな。
「うん、大変じゃない?
フランスとは色々と違うだろうしさ」
「ふむ……確かに、こちらのテストというのは初めてだが……。
要は、授業の内容を理解出来ているか、確かめるだけであろう?
――ならば、問題ないな。
そもそも、テスト範囲も何も、教科書とやらの中身は一読してすべて頭に入っている」
「「「 え 」」」
余の言葉に、イタダキと衛は絶句している。
いや……よくよく見れば勇者もだな。
なぜキサマまで驚くのだ……余を阿呆だとでも思っていたのか?
「すべて頭に、って……マジ? 一回読んで?」
「む? 教科書とは、そういうものではないのか?」
「――うぉい!
超絶美形で運動も出来るくせに、さらに当たり前のように天才ってなんだ!
もはやバグだろコレ!!」
「なんだイタダキ、小さいことを……。
キサマは、頂点に立つ男――なのだろう? ん?」
「うぐあぁっ!?
やめろハイリア、お前に言われるとなんかすげーイタいッ!!」
「うーわー……ハイリアってば、残酷だねー……」
「魔王だからな」
残酷などと言いつつ、悶絶するイタダキを見て笑っているお前もなかなかだがな、衛。
「……おう、そうだ!」
悶絶していたと思ったら、あっという間に復活するイタダキ。
……驚くべき再生速度だな。スライムか。
「衛の家で、鍋パーティーやろうって話があったろ?
一緒に、ハイリアの歓迎会と勉強会もやっちまおうぜ!」
「……その発想自体がすでに闇鍋だけどな……。
――ってか、そんなモン、ゼッタイ勉強会になるハズないだろ!」
「僕はいいけどね。楽しそうだし!
それに、一日ぐらい勉強しなくても、まあ大丈夫だし」
「余も衛に同じく、だ。
が……余が参加しても構わぬのか?」
余が改めて尋ねると、他の3人は……。
何を言ってるのか、とばかりに顔を見合わせる。
「……ったく、魔王サマってのは、さすがにズレてやがんなー。
言ったろ、お前の歓迎会もまとめて、つって!
お前が来なきゃ意味ねーだろーがよ!」
――などと、強引ながら、なかなかに面白そうな約束を交わし、帰宅。
働かざる者食うべからずの言に従い、〈天の湯〉の仕事を手伝って(今日は勇者とともに浴場の掃除をした)のち、夕食。
ばば殿からは、食事は赤宮家の方で皆で摂るよう言われているが……今日はじじ殿ばば殿と食卓を囲ませてもらうことにする。
ときにはゆったりと静かに、人生の先達と夕食をともにするのも良いだろう。
その旨を正直に述べると、
「ハイリア、あなたは面白い子ねえ……」
――と、困ったように笑いながら……しかしばば殿はしっかり、余の分の夕食も用意してくれた。
恐らく、純和風――という表現がぴったりな食事を、ときにマナーについてばば殿にお叱りを受けつつ、頂戴する。
――その後は、改めて赤宮家の方で、勇者や亜里奈も交えてゲームなどして遊んだり、聖霊のヤツがどうしても見たいと駄々をこねる戦争映画に、揃って付き合ってやったり……。
そんなこんなで夜も更けたところで、風呂で身を清め、英家の自室に戻る。
そうして、ばば殿が日中に干してくれていたらしい、心地好い布団を自分で敷き直し、潜り込んで……。
今日もまた余は、充実した一日を終えるのだった。