第115話 広隅市地域振興課のお仕事
「ああ……そろそろお昼ですね。
キリもいいし、いったんここで区切りましょうか。
――どうも西浦さん、お疲れさまでした」
私の向かいのデスクで資料整理をしていた赤宮さんが、穏やかな笑顔でそう言うと、ぐっと背を伸ばす。
――私より1つ年上のはずだが、大学を卒業したての新任にすら見える、童顔ですこぶる人当たりの良い彼が……。
私が出向してきたこの、広隅市地域振興課における世話役というか――直接の上司の、赤宮裕秋氏だ。
ちなみに私の立場は……存在すら正式でない、〈諸事対応課〉なるアヤしい国の機関からやって来た――などとは当然公言出来るはずもないため、擬装してある。
都内の同じような地域振興を目的とした部署から、勉強と交流のために出向してきた――という体だ。
「……ああ、はい、お疲れさまです」
私も同じように、書類仕事の手を止め、軽く首や肩をほぐす。
「それにしても西浦さん、手際が良いですね~……。
最近、ちょっと書類仕事が溜まり気味だったので、本当に助かります」
そんな言葉とともに、メガネの奥で屈託なく笑う赤宮さん。
「僕ももっとテキパキと仕事をこなせればいいのですが……。
いかんせん、おっとりというか……妻や娘には、しょっちゅう『ノンビリしすぎ!』と怒られるぐらいでして」
「それはまた……奥さんとお嬢さんは手厳しいですね」
私は素直に笑い返す。
――実際に、彼は決して仕事が早い方ではないが……その分、丁寧にやるタイプだ。
加えて、的確かつ公明正大である。
しかしそれは、決してお役所仕事として融通が利かないわけではなく……。
本当に、関わる者、全員を納得させる『的確』な処理をするのだ。
そして、何より特筆に値するのが、その人柄というか――『人徳』だ。
私がともに仕事をするようになって、まだ数日だが……それでも、市役所を訪れる市民の、彼への接し方を見ているとよく分かる。
彼がここで働くようになってから、地域振興課のみならず、市役所そのものと仕事全般にかかわる市民からの苦情が、目に見えて減少した――という話も、満更ウソではないだろう。
聞くところによると、彼の対応に触発された市民が、彼の手を患わせるどころか助けになるようにと、自分たちで対応出来る些少な問題は、相互扶助でなんとかしていこうとする……そんな動きすら自然と持ち上がっているらしい。
一見頼りなさそうだが、真摯に一生懸命で行動的、かつ懐が深い――。
本人は意識していないだろうが、器の大きい、結構な大人物だ。
……正直、市役所の一職員にしておくにはもったいない。
国政にでも進出すれば、さぞかし有益な仕事をしてくれるはずだが……。
いかんせん、この手の人物はそうした野望が欠落しているのが惜しいところである。
あるいは、だからこそのこの人徳かも知れないが……。
そんなことを考えつつ視線を壁にやれば、彼が、地域振興課の仕事の一環として、企画するどころかデザインまで関わったという、市のゆるキャラ……それを使ったポスターが貼られている。
広隅の昔話に名を残す忠犬をモチーフにしたらしい……変身ヒーローのような格好の柴犬っぽいキャラクター。
世界の隅っこから平和を見守るという、その名も『隅っこヒーロー・スミノフ』――。
思えばなるほど、彼らしいと言えば彼らしいキャラクターだ。
……さて、それはさておき。
私としても、上司の彼が付き合いやすい好人物であるのは大いに助かっているところだ。
本来の『仕事』もある以上、人間関係は円滑であるに越したことはないからな……。
この点については、彼を選定してくれた課長に感謝、といったところか。
いやいっそ、どうせなら同じ上司ということで、彼と課長をすげ替えたい気もするぐらいだ。
まあ、もっとも……。
課長が彼を選定した理由は、その人柄だけではないのだが。
「……ところで西浦さん、昼食はどうされます?」
そう私に尋ねながら、赤宮さんはカバンから弁当箱の包みを取り出す。
……私たちの年代の男が持つには少しばかり可愛らし過ぎるような、チェック柄の。
「ああ……そうですね。
私は今日は、せっかくなんで、近所をぶらついて良さそうな店を物色してみようかと」
「そうですか……それもいいですね。
このあたりは良い店が多いですから、なかなかに楽しいと思いますよ」
にこやかにそう言いながら、赤宮さんは手近なメモにさらさらと何かを走り書きし……私に手渡してくる。
簡易な地図と、店の名前だ。
見たところ……市役所近くの定食屋らしい。
「もし決めかねたら、そこへ行かれるといいと思います。
オススメってやつです」
「これはどうも、ご丁寧に。助かります。
――ところで、赤宮さんのそのお弁当……今日は、娘さんが?」
「……分かりますか?」
「先日の愛妻弁当に比べると、包みがより可愛らしいので……もしかしたら、と」
私が指摘すると、赤宮さんは素直にはにかむ。
「ええ、そうなんです。
うちは妻も銭湯の仕事で割と忙しくしているもので……こうして、ときどきは娘が。
まったく、ありがたいことですよ――まあ、しっかり仕事してこいと、ハッパをかけられてる感じでもありますけど」
……そう言えば、彼の家は銭湯を経営しているという話だったな。
彼自身も、仕事上がりや休日には手伝っているらしいが……なるほど、そうしたところからも、彼という存在は地域と深く繋がっているのかも知れない。
「お嬢さんは、確か……小学生という話でしたね。
……つまり、自分は給食で弁当が必要ないのに、こうしてわざわざご家族の分を用意しているということですか?
いやはや、まったく良く出来た娘さんじゃないですか」
「ええ、ありがたいことに、真っ直ぐに良い子に育ってくれました。
――もっとも……これからがまた、反抗期やらで大変になるのかも知れませんけど」
苦笑する赤宮さん。
……とは言え、彼の感じからすれば……それを憂鬱と言うより、娘の成長として歓迎する節があるが。
「ああ、そう言えば……赤宮さん。
聞くところによると、この一ヶ月ほどの間に、海外で暮らすご親戚のお子さんを二人も預かることになったとか……」
「ええ、そうなんですよ。放蕩気味の従兄弟の子供たちなんですが。
初めは妹の方だけだったのが、先日兄の方もやって来て……結局は兄妹まとめて」
「それは……さぞかし大変でしょう?」
「ええ、それはもちろん、大変な面もありますけどね。
どちらも個性的で楽しい良い子たちですから、賑やかになっていいですよ。
……まあ、苦労もあったりするでしょうが……それもまた楽しいと言いますか」
確か、その兄妹は押しかけ気味にやって来たという話だが……。
それを、イヤな顔一つしないどころか、こうして諸手を挙げて受け入れるのだから――彼や彼の家族の、懐の広さが窺えるというものだ。
まあ、それはさておき――。
「……そうだ、ご家族で大変と言えば――」
話がちょうど良い方に流れたと思った私は……。
今まさに思いついたと言わんばかりに、一つ手を打ってそう切り出す。
これが、課長が彼を選定した理由。
そして、私が彼に聞きたかった――調べていかねばならない事柄だ。
「少し前にあったという銀行強盗事件に、ご子息が巻き込まれたと伺ったのですが……」
彼、赤宮裕秋の長男――赤宮裕真。
5月に起こった銀行強盗の際の、人質の一人にして――。
かの魔剣士〈クローリヒト〉の疑いがある少年。
「何事もなかったようで、本当に良かったですね――」
――そう。
父親の側から、改めて彼を調べ直すこと――。
それが、こうして広隅にやって来た私の……『仕事』の一つだった。