第113話 ようやくな魔王と、初対面な勇者の妹と
――場面は1日遡り、火曜日の放課後――。
晩ご飯の準備をママに頼まれていたあたしは、その日は見晴ちゃんたちと遊ぶのはやめて、学校からまっすぐ家に帰った。
で、さすがにそのまますぐキッチンに立つには時間として早いから、小一時間ほど宿題でもやってようと思って――。
「……アリナ……アリナ〜……?」
「? アガ……シー……? え――あれ……?」
アガシーの呼び声に、思わずガバッと身を起こすと……。
宿題をやろうと部屋に戻ったはずのあたしは、いつの間にか、ベッドにいた。
「え? あ、もしかしてあたし、寝ちゃってた……?」
「はい。宿題やらなきゃ〜……とか言いながらベッドに転がって……そのまま。
――ところで……体調は大丈夫ですか?
しんどい〜とか、ダルい〜とか、ないですか?」
「体調? う、うーん……?」
なんか、アガシーが妙に真剣な顔で聞いてくるから、反射的な『大丈夫』じゃなく……ちょっとじっくり、自分の身体と向き合ってみるけれど。
熱っぽいとか、どっかが痛いとか……そんないかにもな体調不良はまるでなかった。
けれど……。
「んー……なんだろ。
別に体調が悪いってわけじゃないんだけど……なんて言うかな。
なにかが足りない、みたいな違和感っていうか……さっきまであったのがなくなってる、みたいな……?」
「おお? それはもしかして、余計なものがどっかいって、身体が軽くなって、気分も良くなった!……みたいなことですか!」
なんか急に嬉しそうになって、そんなことを聞いてくるアガシー。
でも……。
「あ、ううん。そんな、憑き物が落ちた――みたいなのじゃなくて。
その逆……かな。
あるべきものが――あってほしいものがない、みたいな。
だからなんか……なんだろ、ちょっと心細いような、さびしいような感じがする」
「そーーーです、かーーー…………」
今度は一転して、あからさまに残念そうに、ガックリ肩を落とした。
その普通じゃない様子に、あたしはついついジトーッと見返してしまう。
「……なにアガシー、またあたしになんか魔法とかかけたわけ?」
「! いえいえ、めっそーもございません!
ただ、ベッドに転がってすぐ寝落ちするとか、アリナらしくないなーって思いまして、ハイ!
疲れてるのかなー、とか! ええ!」
「ふーーーん…………?」
なんかちょっと挙動不審だけど……まあいいか。
改めて時計を見ると、寝てたのは1時間ちょっとぐらいで……晩ご飯の準備を寝過ごしちゃった、とか、致命的なことにはなってないみたいだし。
ここは素直に、寝坊する前に起こしてくれたことを感謝して……とか、思ったら。
「それで、ですね……アリナ。
非常に……ひっじょぉぉ~~~に不本意ではあるのですが、あなたに会わせなければならない人物がいまして。
いっしょに来ていただけますか?」
あたしは、言葉の通り……本っっっ当に不本意そうな顔をしたアガシーに、お兄の部屋へと連れて行かれたのだった。
「お……来たな、亜里奈。調子はどうだ、大丈夫か?」
「なに? もう、お兄まで。
あたしは大丈夫だけど――」
部屋に入った途端、いつもの場所に座ったお兄がアガシーと同じことを聞いてきたから、思わず苦笑をもらしたあたしは――。
部屋にもう一人、知らない人がいるのに気が付いた。
テーブルを挟んでお兄の斜め前に座っていたその人は、お兄の高校の男子の制服を着ていて――。
でも、一瞬、男の人か女の人か分からなくて――あたしを振り返ったその顔は、男女どちらでも『美人』で通用する、息を呑むぐらいの本物の美形だった。
少なくとも、こんな人は知り合いにいない。
初対面だ……それは間違いない。
番台のお手伝いで、人の顔を覚えるのは得意になったし……そもそもこんなとんでもない美人さん、忘れるハズなんてない。
なのに……あたしは。
なんだか、この知らない人を……よく知っているような、そんな気がしていた。
なんだろう、ずっと側にいたような……。
――いてくれた、ような…………?
「――こうして、顔を合わせるのは初めて……だな」
美人さんはそう言うと、あたしに向き直り、足を組み直して、まるでひざまずくような格好をする。
もともとの背が相当高いみたいだから、それでも、立ったままのあたしより、少し目線が低いぐらいだ。
そうして――美人さんは。
穏やかな顔で、あたしに小さく一礼する。
「――余は、ハイリア=サインという。
以後、見知りおきを――亜里奈」
「え、えっと……はい、赤宮亜里奈……です」
「……亜里奈。そのハイリアが――〈魔王〉だ。
アルタメアで俺と戦って、和解して、封印具に入っていたってヤツだよ――」
……あたしが、どういうこと、って視線を向けながら、いつもの場所に座ると――お兄が順を追って説明してくれた。
この美人さんは、ハイリアっていう、お兄と戦ったアルタメアの魔王で……。
今日ようやく、アガシーと同じ〈人造生命〉の身体が出来上がったから、封印具から出てきたってこと。
社会的には、アガシーのお兄さんって形になるよう根回ししたこと。
お兄の学校に、明日から転入生として通うこと。
そして……。
さすがにうちは手狭になってきたから、住むのは〈天の湯〉裏手の、おじいちゃんとおばあちゃんの家の方らしいけど……。
これからこの魔王さんも、赤宮家の一員として生活するってことを――。
「……そうした方が何かと便利なんで、仕方なく……本っっっ当に仕方なく、わたしと兄妹って設定にしてやりましたが……。
ホントにもう、嫌々で仕方なくなんですからね! がるる!」
「うむ。安心しろ、余もこんな品性に欠ける妹をもった覚えはない」
「ああん!? 書類やら何やら、根回ししてやったのは誰だと思ってンですか!」
「ふむ、優秀な妹をもつと助かるな」
「もった覚えはないって言ったばっかでしょーが!」
「ないとも。しかし、当の妹がそういう『設定』にしてしまった以上、仕方あるまい?
――なあ、妹よ?」
「ぐおああーっ! やっぱやめときゃ良かったー!
なんなんです、この手玉に取られてる感! ムカつくぅー!!」
「魔王だからな」
余裕たっぷりな魔王さんに対し、ゴロゴロと床を転がってくやしがるアガシー。
あ〜……なんなんだろ、やっぱり立場上というか、相性悪いのかなあ……この二人。
――そのわりにはでも、言葉のやり取り、意外に息が合ってたような。
まあでも、とりあえず……。
いくらお兄と和解したっていっても、やっぱり魔王とか言うぐらいだから、もし悪いことしそうな感じだったらどうしようって、ちょっと警戒してたけど……。
この感じだと、大丈夫そうかな……。
けど……そうだね、当たり前だよね。
あのお兄が――認めた相手なんだから。
「……しっかし……さっき亜里奈の前にひざまずくような格好したときは、マジで焦ったぞ……。
コイツまさか、手の甲に口づけとか、キザすぎることやるんじゃないか、って……」
お兄がちょっと困ったような顔をしてそう言うと……。
魔王さんは「まさか」と微かに笑う。
「余とて、こちらの常識はわきまえているつもりだ。
許可も得ず、無闇に婦女子に触れるような愚かな真似はせぬよ。
それとも――そうした方が良かったか?」
魔王さんは最後の一言を、あたしの顔を見ながら聞いてきた。
当然、あたしの答えは――。
「――困ります」
そりゃ、魔王さんはアイドルなんて目じゃないぐらいの美人さんだけど……。
だからって、好きな人でもないのに、いきなりそんなことされたって困るだけだ。
ほかの子だったらまた別なのかも知れないけど……少なくとも、あたしはそう。
もしかしたら、反射的に蹴りとか入れちゃうかも知れない。
……で、あたしの答えを聞いた魔王さんの反応はと言えば……。
なんか、満足そうにうなずいてた。
「ま、たとえアリナが許しても、このわたしがそんな暴挙は許しませんがね! がるる!」
「安心しろ。
そのような、亜里奈に害を為す不埒な輩……そもそも余が許しはせぬ」
――いや、あなたがその不埒をやるやらないって話だったと思いますけど……。
魔王さんの発言に、そんな風にツッコみそうになって――。
あたしは、ふっと……こんな感じの言葉を、以前、聞いたことがあるような気がした。
『何人であろうとも――お前を傷付けさせはせぬ』
そう……そんなことを言われたことがあるような……そんな気がするんだけど……。
でも、そんな記憶はなくて……う〜ん……?
「……どうした?」
「え? あ、いえ……。
あの、魔王さん。聞いていいですか?」
「ハイリアで良い」
「じゃあ……ハイリアさん」
「お前ならば、さん、も不要だが……」
「それはダメです。
年長者にはちゃんと敬意を払いなさいって、おばあちゃんが」
あたしが真面目に答えると、魔王――ハイリアさんは、口もとで微笑む。
「ならば仕方あるまい」
――と、そこで、横合いからアガシーが割り込んできた。
「え、あれ――ちょっと待って下さい?
この中で一番の年長者、わたしなんですけど?」
「「「 ……………… 」」」
あたし、お兄、ハイリアさんの視線が、いっせいにアガシーに突き刺さる。
そして…………ちょっとの間を置いて、また、いっせいに逸れた。
「――がっでむ!」
再び、頭を抱えてゴロゴロと床を転がるアガシー。
まあ、しょーがないよ、あなたはねー……。
「で……亜里奈、余に聞きたいこととは?」
「あ! あの、えっと……もしかして、ですけど……。
あたしが知らない間に、あたしを助けてくれたりしたこと……あったりしますか?」
自分で言ってて、まったくヘンな質問だと思うけど……。
そうとしか言えないあたしに……でも、ハイリアさんはおかしな顔をするでもなく、小さく首を横に振って答えてくれた。
「さて……記憶にないな。
そもそも余は、見返りもなく人助けをするようなお人好しではない」
「そうですか……。
あ、いえ、ごめんなさい、ヘンなこと聞い――」
「――だが」
謝るあたしに、いきなり……ハイリアさんが、力強い言葉を被せてきた。
「これより――そして、お前は別だ。先ほど言ったな?
――余は、亜里奈……お前に害を為す輩は許しはせぬと」
「……え?」
う、うん、確かにそんなことを言ってくれたけど……。
でも……考えてみたら、どうしてそんなこと?
「……どうしてそんなことを言うか、分からぬか?
では改めて、ハッキリと告げよう。余は――」
「「 ! おいハイリア、お前――! 」」
慌てた様子で口を挟もうとするお兄とアガシーを、力強く手を伸ばして――その動きだけで制して。
ハイリアさんは、改めてあたしを見つめる。
そして……一言。
「余は、亜里奈――お前に、心を奪われたのだ」




