第106話 勇者の娘な後輩と、手負いの勇者な先輩と
「いやー、ホンット、さっぱりしたねえ~!」
――駅へ向かう帰り道。
美汐は本当に気持ちよさそうに、大きく手を伸ばしたりする。
……結局わたしたちは、あの後、赤宮センパイのおばあさんに勧められるまま、〈天の湯〉のお風呂を存分に堪能した。
お風呂屋さんは初めてっていう美汐が興味津々だったし、あそこで断るのもなんだか悪いと思ったから。
でも、結果として良かったと思う。
大きくて色んな種類があるお風呂はもちろん、貸してもらったタオルもフカフカでホントに気持ちよかったし……。
美汐が言うように、さっぱりすっきりとリラックス出来た感じ。
「あ〜……なんか、銭湯巡りとかにハマりそう」
「まあ、健康にはいいんじゃない?」
早速そんなことを言い出す美汐に苦笑しながら、わたしは……。
ふっと視線を向けた横道の方に――赤宮センパイがいるのに気が付いた。
……鈴守センパイを送った帰りとかなのか……一人だ。
けど、それだけじゃなくて……なんだろ、足取りが頼りない。
ちょっと背を丸めてる感じだし……ケガでもしたみたいな……。
「ん? どしたのラッキー……って、おお?」
いきなり足を止めたわたしの、その視線に気が付いて――。
美汐は、いかにも分かりやすい顔でニヤッと笑うと、わたしの背中を結構強めに叩いた。
「……なんだか分からんけど、センパイ、ちょっとケガとかしてるっぽいねえ。
よーし、いけいけチャンスだ行ってこい! 手当てとかしてあげろ!」
「ケガでチャンスってのはさすがに不謹慎でしょ……!」
手を振る美汐に苦言をもらしつつ、わたしは一人、センパイの方に走っていく。
……そう。
まあ、一種のチャンスって言えばそうなのかもだけど――そんなの関係なく、やっぱり放っておけなかったから。
* * *
「……センパイ!」
駆け寄ってくる足音と気配に、誰かと思って目を向ければ……白城だった。
「白城……? こんなトコにいるなんて珍しいな」
家へ向かう足は止めることなく、俺はつい、少しばかり厳しい口調で応じる。
「えっと……さっきまで、友達と、センパイのところのお風呂屋さんに行ってて――」
「……そっか」
「……って、そんなことより、どうしたんですか、そのケガ……!」
白城は、俺の脇腹を指差して、真剣な顔で見上げてくる。
……ふと気付けば、シャツのそのあたりには、はっきりと血の染みが出来ていた。
ああ……そうか。
エクサリオにやられたキズの出血は、変身を解いてから使った自然治癒力を高める魔法で、あらかた止まってるけど……それまでに流れた分か。
これは、さすがに『気のせい』じゃ済ませられないよな……。しょうがない。
「まあ……ちょっとケンカに巻き込まれたんだよ。
で、相手が予想以上に強かったから、わりとこっぴどくやられた……それだけだ。
もう血はほとんど止まってるし、お前が気にするほどのことじゃない」
「気にしますって、当たり前でしょう? 病院には……」
「大ゲサだな。そんな大したモンじゃないって」
「じゃあ、帰って手当てするんですね? 手伝います」
「――いいから、気にするなって言ってるだろう……!」
俺は思わず……。
白城の手を払いつつ、すごんでしまっていた。
そして――すぐにハッとなる。
なんだ……なにやってんだ俺は……!
エクサリオにこっぴどくやられてイラついてるからって、白城にあたるとか……!
一瞬でも俺が本気ですごんだとなると、さぞ怖がらせただろうと思い……改めて立ち止まって、謝ろうと白城を見ると――。
白城は、ビビるどころか……。
逆に、俺をニラみつけるように仁王立ちしていた。
「らしくないなあ……センパイ。
ケンカでやられてイラついてるだけでしょうけど……今の、鈴守センパイとか妹ちゃんが見てたら、どう言い訳するつもりですか?」
「……ごめん。悪かった」
……言い訳も何も無い。俺は素直に頭を下げた。
すると……白城は一転、メガネの奥で、穏やかな苦笑を見せる。
「まぁ……こうやって悔しさでイラつくとか……普段はなにかと達観してる感じのセンパイも、フツーに年頃の男子だってことですね。
鈴守センパイも知らないようなレアな姿を見られたし、良しとしますかー」
「……お前な……」
「さて、それじゃ改めまして。
……センパイのケガの手当て、手伝いますけどいいですよね?」
――と、いうわけで……。
まったく同じ日に、彼女に続いて別の女の子を家に上げるという――。
俺みたいな男に似合わないことこの上ない、イタダキなんかに知れようものなら何を言われるか分からない事態になってしまったわけだけど……。
「……白城、お前……包帯とか巻いたことないだろ?」
ほんのちょっと前に、鈴守とカレーを食べていた席に、シャツを脱いで座る俺。
その身体には、俺自身が思ったより、多くのキズがあった。
それらを消毒し、ガーゼを貼るまでは良かったんだけど……。
最後の段になって白城は、救急箱から取り出した包帯と俺を、交互に見比べるのみ。
いや、包帯を伸ばして、俺に向かって色んな角度からかざしたりしているものの、それ以上には踏み込まないのだ。
まあ、正直、治癒魔法の効果で、今は血が滲んでるキズも、すぐに塞がるだろうし……別に包帯なんてしなくていいんだけどな……。
「あ、ありますって、包帯巻いたことぐらい!
でも……」
「そうだな。まあ、結構大きめなキズもあるし、身体全体を使ってキレイに巻くのは慣れてないと難しいよな。
――分かったよ、じゃあ俺が指示する通りにやってくれ」
「あ、は、はい……」
ここに押しかけたときの勢いはどこへやら……ちゃんと最後まで自分だけで手伝えなかったことに落ち込んでるのか、しおらしく答えて、大人しく俺の指示に従う白城。
しかし……。
客観的に見ると、彼女もいる男が、上半身ハダカにして、後輩の女の子になかば密着状態で包帯巻かせてるわけで……。
――いいのかコレ? なんか、いろいろアウトじゃないのか?
白城の方も……。
彼氏がいるって話は聞かないが、好きな男子ぐらいいてもおかしくないだろうに、見過ごせなかったとはいえ、俺なんかの家まで来てキズの手当ての手伝いとか……。
うーん……さっきの八つ当たりの件もあるし、罪悪感が……。
「……そう言えばセンパイ、この脇腹のところ……これ、古傷?」
「ん? ああ、それか。そうだよ、だから今は気にしなくていい」
「事故とか……?」
「いや、事故っていうか……」
別に秘密にするようなことでもないので、俺は素直に、子供の頃、亜里奈と山に入ったときにイノシシに襲われてついたキズだって話した。
本当に、ただその事実だけを話したんだけど……。
「センパイのことだから、どうせ妹ちゃんをかばってムチャとかしたんでしょ?」
「いや、そんなムチャとかじゃ……って、まあ、あれはムチャかー……。
――ってか、なんで分かった?」
「そりゃ分かりますよ……身近に似たような人いるもんで。
――よし、っと。これでどうですセンパイ?」
俺から身を離し、手をパンパンとはたく白城。
俺は、改めて包帯の具合を……それが思ったよりちゃんと巻かれていることを確かめて、うなずいた。
「あ、ああ……大丈夫。
なるほど、やり方さえ分かってりゃ、さすがに器用だなー」
「どうもです。
……って言うか、センパイこそ、包帯巻くのすごい慣れてるんですね?」
「ああ、まあ……ちょっと、勉強する機会があったから」
異世界でさんざん実践した、なんてとても言えず、俺は適当に言葉を濁す。
そして、さすがにいつまでも女子の前で上半身ハダカでいるわけにもいかないから……先に部屋から持ってきていた別のTシャツをさっさと着込んだ。
すると――
「――ぷっ。なにセンパイ、そのTシャツ……!」
いきなり、白城が口もとに手を当てて笑い出す。
なんなんだと思って――すぐにその理由に行き着いた。
俺が着たのは……以前、亜里奈とアガシーが、俺用に、って買ってきて以来、完全部屋着として利用している、デカデカと『勇者』と書かれたネタTシャツだったからだ。
「ゆ、勇者センパイが、『勇者』って……! あ、アハハハっ!」
「わ、悪かったな……!
てか、笑いすぎだろお前……!」
「それ、まさか自分で買ったんですか?」
「ンなわけあるかっ! 妹のプレゼントだよ!……って、このネタっぷりをプレゼントって言っていいのかわからんけど……」
俺が恥ずかしがりながらそう話すと……。
白城は、笑い過ぎで目尻に浮いた涙を拭いながら、立ち上がった。
「センパイ、ちょっと手を洗うのに、キッチン借りていい?」
「え? ああ、もちろん。
……ゴメンな、せっかく風呂に入ったばっかりだったのに、消毒液やら何やらで手が汚れるようなことになって」
「いいですって、わたしがやるって言ったんだから」
そう返しながらキッチンに移動した白城は……けれどなぜか、すぐに手を洗おうとせず、何かを見つめるようにしばらく流しに立っていた。
そんなとこ、さっき鈴守とカレー食ったときの食器が漬けてあるぐらいなんだけど……。
……まさか、手伝いついでに洗い物もやるとか言い出さないだろうな?
いや、さすがにそれは俺も断るぞ? いくらなんでも甘え過ぎだからな。
「センパイ……鈴守センパイのカレー、おいしかった?」
やがて、手を洗う音とともに、白城はそんなことを聞いてきた。
「へ!? なんでお前がそんなこと……」
「見れば分かりますよ、食べたのがカレーってことぐらい。良い匂いも残ってるし」
「いやそうじゃなくて、なんで今日俺が――」
「ああ……番台してたおばあさんから聞きました」
「……ばっちゃ〜ん……!」
思わず俺は天を仰ぐ。
いや、別にやましいことしてるわけじゃないんだけどさ、プライバシーとかさ……!
「……で、どうだったんですか?」
「それは……うん、もちろんウマかったよ。ホッと安心する味っていうか……。
――って、恥ずかしいこと言わせるなよ……!」
「……そっか……さすがだなあ……」
ぽつりと、そんなことをつぶやきながら白城は……ハンカチで手を拭きつつ、また俺の前まで戻ってきた。
「ね、センパイ」
そして、俺の胸……というか、Tシャツを指差す。
「――そのTシャツ、やっぱりプレゼントでいいと思いますよ。
きっと妹ちゃんにとって、ネタだけの意味じゃないから。
それに、わたしも……。
わたしも、センパイは……ホントに、勇者な人だと思うから」
「……白城」
「――じゃ、そういうことで、わたし帰りますね。お大事に、センパイ」
恥ずかしそうに笑って、白城はきびすを返した。
なんだか意表を突かれた気分の俺は、あわててその後を追って玄関に出る。
「駅まで送っていくよ」
俺の申し出に、お構いなく、と返しながら、さっさと靴を履く白城。
「すぐそこですし、暗い道を行くわけでもないですし。
あと、誰かに見られたりして、センパイが女ったらしの汚名を着せられちゃうのも可哀想ですし?
それに――センパイ、そのTシャツで外に出るつもりですか〜?」
イタズラっぽく笑いながら、また俺のTシャツを指す。
「ぐ……分かった。じゃあ、ここで言うよ。
今日はありがとう。
それに……八つ当たりみたいなマネして、すまなかった」
「……いえいえ、どういたしまして。
それじゃ、またね――勇者な赤宮センパイ?」
「ああ……またな」
元気に手を振って、うちを後にする白城。
俺もそれに合わせて手を振っていたが……。
やがて気配が遠ざかると、自然とそれを拳と握り込んでいた。
「……勇者……か」
――エクサリオとの戦いのあと、シルキーベルに言った、何度地面に這いつくばっても……って言葉はウソじゃない。
だけど……つい関係のない白城に八つ当たりしちまうぐらいイラついてたってことは。
俺にも、俺が負けるわけが無い、って――1度シルキーベルに追い込まれて反省したハズなのに、まだまだそんな傲慢な思いがあったってことだ。
負けることだって、逃げることだって……今まで何度もあったのにな。
それで得るもの、学ぶものだってあるってことを……知ってたハズなのにな。
本当に大事なのは……絶対に退けないときにだけは退かないこと、なのにな――。
「まったく……あんな風にまっすぐ、勇者って呼ばれちまったら……。
俺も、やっぱりちゃんと勇者でいなきゃって、思い直しちまうじゃねーか……」
俺は……もう姿も気配もない白城に向かって、もう一度小さく頭を下げた。
「……ホント、まだまだ未熟でガキだよ、俺は。
気付かせてくれてありがとな――白城」




