第105話 何度、地に這いつくばろうとも
「5度……だと……?」
「……ああ、その通り。5度だ」
「――そうかよ」
エクサリオが、その事実を聞いた俺に期待していたのは、驚愕やら絶望やらって反応だったんだろうけど……。
その真逆に。
俺は思いっきり、エクサリオのその言葉を鼻で笑ってやった。
――5度っていうのは、確かに衝撃的だった。
サカン将軍が、メガリエントに縁があるって分かったときも驚きだったけど……今回はそれとは別種別格のものだった。
でも、同時に……俺は気に入らなかった。
俺の経験を超えているから?――もちろん違う、そんなことじゃない。
コイツが……その回数を誇ったことだ。
勇者なんてのは、世界が平和であれば、まったく必要のない存在だ。
いや、むしろ……必要とされない方がいい存在なんだ。
勇者が必要とされるってことは、その世界は決して良い状況じゃないんだから。
なのに……そんな世界を、幾度も守ったことを、ことさらに誇るのは。
自らの誉れのように語るのは――。
まるで、世界の動乱を……苦境を歓迎しているようで。
それを鎮めてきた自分に酔っているようで――。
俺は……気に入らなかった。
かつて、勇者という名に、その役割に固執し、『必要なことだから』と盲目的にアガシーに犠牲を強いてきた――。
誰かに言われるがまま、疑問も抱かずに〈魔王〉と魔族を追いやってきた――。
そんな、〈勇者〉なんて名前ばかりの、アルタメアの歴代の勇者たちを見ているようで……!
なるほど、会ったばかりだってのに、コイツに良い印象が持てないわけだ――。
「――で、だからどうした?
ことさらに回数を誇るようなことかよ?」
「当然だろう? わたしはそれだけの世界に必要とされ、事実、それだけの世界を求められた通りに正してあげてきた――ということなのだから」
「……正してあげてきた、だと――?」
その傲慢な物言いに、つい頭に血が上ってしまった俺は、反射的に――瞬速の正拳突きを繰り出していた。
エクサリオがさっき、いきなり一手目に俺に食らわせようとしたものと同じような技だ。
予備動作や予兆を切り捨てた、無拍子の一撃――。
さすがにエクサリオも反撃を合わせる余裕はなかったのか、凧型盾で、俺の拳を真っ正面から受け止める。
「ナメたこと抜かしてんじゃねえ……!
最終的に世界を正していくのは、そこに生きる人々の役目だ……!
だから勇者なんてのは、そのための切っ掛けでいいし、それだけの存在であるべきだろう……!
それを――!」
俺は拳を引かず、なおもありったけの力を込めていく。
「いかにも自分が――みたいなその言いざま……!
そういう野郎が、ちゃんと手を尽くせば避けられるハズの犠牲を、『仕方がない』ってキレイごとで見捨てるんだろうが……!」
しかし――エクサリオも、退こうとはしない。
「……なるほど、クローリヒト……大局を見られない男か、キミは。
わたしとて、あえて犠牲を強いるようなマネはしないとも。
だが、確実に世界を守るためなら――正すためなら、多少の犠牲が出てしまうこともあるだろう。
ならば、それを無下にすることなく活かすのもまた、〈勇者〉の役目なんじゃないのか?」
「てめえ……何サマのつもりだッ!!」
盾に押し付けていた拳を、ほんの一瞬だけ微かに引き――。
そのあるかないかも分からないような隙間を利用して、再度打撃を繰り出す。
それは、外から見れば小さな動きの中……しかし実際には体内で、究極の効率によって生み出した最大限の力を、闘気とともに、そのわずかな空間一点に集中させる――こちらの世界では『寸勁』とか呼ばれる、強力な打撃技だ。
それを――刹那のうちに、3連続で放つ!
その威力は、余波で、踏み込んだ俺の足が地面に沈み、ヒビを入れるほどだったが――。
カチ割るつもりで繰り出したこの技でも、ヤツの凧型盾はキズの一つもつかない。
けれど――さすがに衝撃を完全に殺せたわけじゃないらしく、エクサリオは身体ごと大きく弾かれ、たたらを踏んだ。
「――――っ!」
「初めっから、犠牲ありきで――」
俺は、後退するエクサリオにさらに追いすがる。
エクサリオは、そんな俺を追い払うように、とんでもない速さで剣を薙ぎ払うが――。
それを、察するよりも早く、腰を落としてかわしつつ、俺は――。
「エラそうに大義を語るんじゃねえっ!!」
身体を捻りながらの、右足は爪先から、左足はカカトからと、二連続の宙返り蹴りを食らわせてやる。
いや、正確には、単なる蹴りというより、空間ごと斬り裂くような大技だ。
ハデに吹き飛び、宙に浮き上がったエクサリオの姿に、これなら――とも思うが、盾があの強度なら、鎧の防御性能だってハンパなものじゃないだろう。
ここは容赦なく追い打ちをしかけ、一気に畳みかけるべきだと地面を蹴る。
しかし――。
「ふふ……はははっ!」
空中でくるりと一回転したエクサリオは、物理法則なんてまるで無視して……。
距離を詰める俺を一刀両断するとばかり、稲妻をまとった剣を振り下ろしながら急速落下してきた!
とっさに足を止めたおかげで、剣の直撃は避けたものの――着地と同時に弾けた強烈な雷撃に、身体を撃ち抜かれる。
「ぐっ……つっ……!」
ヒザが折れて……地面につきそうになるのを、必死に堪えた。
歯を食いしばって、構えを取り直す。
「――クローリヒト。
残念ながら、力の伴わない信念なんて何の意味もないのだよ」
こちらの攻撃なんてまるで効いてないと言わんばかりに、悠々と歩いてくるエクサリオ。
一方、こっちはかなりヤバい状況だ。
呪いの影響もあるし、相当にダメージも蓄積してきた。
だが――。
だからこそ、逆転の一手を打つなら……今だ!
「……ねじ曲がった信念が持つ力ほど、タチの悪いものもないけどな――!」
俺は、全神経を集中し……小さな呼吸一つで、全身にありったけすべての力を漲らせると――。
先の、瞬速の正拳突きを上回る――。
何者にも見切ることを許さない、神速の踏み込みで、エクサリオの懐を……そのスキを奪い取った。
そして――必殺の掌底打を繰り出す!
「食らいやがれっ!!」
かつて、シルキーベルに寸止めで食らわせた奥義――。
俺が受けたダメージを、そのまま上乗せする奥義を、今度こそ本気で直撃させた。
ただでさえ、防御を無効にするような、その極限にして渾身の一撃は――。
「――ぐっ――!?」
空を震わす凄まじい爆裂音とともに、エクサリオを打ち貫き――。
一瞬にして、大きく後方に吹き飛ばした。
――――が。
「……なるほど……大した奥の手じゃないか。さすがに効いたな……!」
エクサリオは、倒れることなく、踏み止まり……。
しかも、しっかりとした足取りで、また俺の方へと……歩き始める。
「――な……!? カンペキに入ったハズだぞ……!?」
「ああ、見事にもらったとも。かわしたわけじゃない。
――恐らく今のは、キミが追い詰められるほど、飛躍的に威力を増す技だったのだろうが……」
……エクサリオの口調に、ムリをしている感じはない。
信じられない話だが、つまり、コイツ自身の言う通り、あの奥義をまともに食らっておいて、これだけピンピンしてやがるわけで……。
「――わたしが元気なのが不思議か? 数字で言えばカンタンな話だ。
たとえばキミの体力が100だとして、追い詰められてそれをそのまま技の威力としてわたしにぶつけたとしても……。
わたしの体力がそもそも500なら、問題にするほどのダメージじゃないだろう?」
「ンな――っ……」
……その瞬間、俺はハッと気が付いた。
これまで5度、世界を救ったというコイツは――。
まさか、そのすべてで……チカラを『引き継いで』いやがったのか……!?
だとすれば、他世界の魔法や技の知識はあっても、実質的な勇者としてのチカラは、アルタメアから引き継いだものしかない俺に比べると……単純なチカラの差は歴然で……。
「……なるほど、道理でな……そりゃ強いわけだ……!」
改めて考えるほどにヒドい状況に、思わず笑いすらこぼれてしまう。
――しかし、それにしてもどうしたものか……。
なんとかこのピンチを切り抜ける方法がないかと、思案を始めたそのとき――。
「――ま、待って下さい!」
必死な声とともに、なんと、シルキーベルが……。
俺とエクサリオの間に割り込むように、身を乗り出してきた。
「おや、シルキーベル……キミは、その男をかばうのか?
その、穢れたチカラに身を委ねている男を?」
「そ、そういうわけじゃ……!
でも、もう勝負はついてるじゃないですか! これ以上は……!」
「…………フム」
一つ、小さくうなると……。
意外なことに――エクサリオは、あっさりと剣を下げた。
フリとかじゃなく、本当に戦意がなくなったことは――すぐにそれと分かる。
「先に言ったように、シルキーベル、その慈悲の心を向ける先を誤ってはいけないが……。
確かに、改心の機会すら与えないというのも問題だろう」
そうして……くるりと、無防備にきびすを返した。
「いいだろう。クローリヒト、シルキーベルに免じて、今回は見逃そう。
キミも、かつて世界を救った者なら……次に会うときまでに、考えを改めておくことだ」
「…………」
お前こそ、と、俺が負け惜しみじみたことを言い返すその前に――。
エクサリオの姿は……その黄金の輝きだけを余韻のように残して、消え去っていた。
――思わず、大きなタメ息が出る。
正直言って……助かった。
「また、とんでもない味方が出来たもんだな……シルキーベル」
そんな気はなかったのに……口を突いて出たのは、皮肉めいた言葉だった。
シルキーベルは……表情こそ窺えないが、困惑したように、小さく頭を振る。
「――わたしは……」
「……すまん、イヤな言い方をした。
ともかく、おかげで命拾いしたよ。それについては、素直に礼を言っておく」
「それは……その、わたしも、あなたに助けられたことがありますし……」
「――そうだったな。おあいこってわけだ」
笑い出しそうになるヒザに必死に力を込め、俺もその場に背を向けた。
……はっきり言って、いい加減体力も限界だ。
しかし、立ち去ろうと歩き出したら……背中に、シルキーベルが声を投げかけてきた。
「――クローリヒト……。
あの人が言っていたように、その……考えを変えるつもりは……ありませんか?
わたしの――いえ、あの人も含めてわたしたちの目的は、〈世壊呪〉です。
だから――」
「……正体を知る俺に、〈世壊呪〉を差し出せと?
守る――なんてのは間違いだった、世界のためにも滅ぼしてくれ――と?」
――大切な、たった一人の実の妹を。亜里奈を。
毎日を一生懸命に生きる、俺たちとなんら変わらない一つの命を――。
俺自身の信念とともに……差し出せと?
「悪いが……それだけはお断りだ。
俺は、この命を懸けて――絶対に守り抜く」
俺は……。
見えないのは承知で、肩越しに、シルキーベルに苦笑してみせた。
「……そう――何度、ブザマに地面に這いつくばろうともな」