第103話 黒の勇者と黄金の勇者
――銭湯〈天の湯〉は、なんていうか、とっても雰囲気が良かった。
外見からして歴史があるのは分かったけど、それでただ古いってだけじゃなくて……。
ちゃんと新しくするところは新しくしつつ、古くて良いところは丁寧に手を入れて残しつつ、掃除も行き届いてて……とにかく、空間として居心地が良い。
お風呂屋さんって、お客さんは身体をキレイにするだけじゃなく、心もサッパリするために来るんだろうから、こうした雰囲気を作るのはとても大事なことだと思う。
うーん……まったく同じではないけど、家でお店をやってる身としては、いろいろと勉強になるなあ……。
「ふーん……。
アタシ、お風呂屋さんって実は初めてなんだけど……なんかいいね~!」
わたしと一緒に暖簾をくぐった友達の美汐は、脱いだ靴を靴箱にしまいつつ、あたりをキョロキョロと見回して言う。
「そうだね。わたしもかなり久しぶりだけど……やっぱりいいな」
「うんうん、そりゃそうでしょ……ラッキーにとっちゃ、愛しの勇者センパイの実家だしねえ」
「あのねえ、そういうわけ――いやまあ、ちょっとはあるかな」
わたしの答えに、ニシシ、とイタズラっぽく満足げに笑う美汐。
……今日こうして〈天の湯〉にやってきたのも、この美汐の発案によるものだ。
美汐いわく、わたしはセンパイとの接点が少なすぎる――とのこと。
彼女によれば、学校が一緒でも学年が違うんだから、こちらからもっともっと積極的に接触を図るべきらしい。
一応、クローリヒト調査の件もあって、ただの後輩よりは接点があると思うんだけど……そんなんじゃゼンゼン足りないみたい。
もちろん、ストーカーまで行ったらやり過ぎだけど、実家がお店をやっているなら、そこに顔を出すぐらいしておいて損はない――どころか、常連になるぐらいでなくてどうするか!……と、力説されてしまった。
……まあ、常連になるぐらい行きつけるってのもやり過ぎな気がするけど、確かに、まったく行ったことがないのも論外だと思って……。
赤宮センパイの実家に興味があったのも事実だし、こっちの方でも繋がりをもっておくのも悪くないかな――と、放課後に寄ってみようという美汐のお誘いに乗ったのだ。
「……あれ?」
――下駄箱から、もう一つ暖簾をくぐって、広い待合所の方にやって来ると――正面、番台が否応なく目に入る。
そこには、前情報によれば、体育祭で見かけたセンパイの妹ちゃんが座っているはず……だったんだけど――。
いたのは、ちょっと小柄で人の良さそうな、可愛らしいおばあさんだった。
「――あら、いらっしゃい。お若いお嬢さんお二人なんて珍しいわ。
それとも、その制服……もしかして、裕真にご用かしら?」
身なりからして、品の良い感じの――多分、センパイのお祖母さんだろうその人は、背筋はピシッと伸ばしつつ、でも穏やかに微笑みながら、柔らかくそう聞いてきてくれる。
「あ、そーなんです!
ゆうしゃ――じゃなかった、裕真センパイ、いますかっ?」
わたしが、どう答えようかと考えてる間に、美汐が愛想良く笑いながら、直球の答えを投げ返していた。
……わたしも、わりと押していく方だと自分では思ってたけど……この子には負けるなあ……。
「あら、やっぱり裕真にご用なのね。
あの子なら、今日はここの隣、自宅の方にいますよ。
……なんでも、お付き合いしているお嬢さんに、ご飯を作ってもらう――とかで」
あの子がねえ……と、おばあさんは口もとに手を当てて、ころころと笑う。
「ほっほう! そうなんすか〜……」
……美汐が目を輝かせた気がする。
これはあれだな、この子、早速おうちに突撃して乱入してやれ、とか言い出す気だな。
――でも……わたしはそこまでやる気はないよ。さすがに。
そりゃあね、鈴守センパイとはちゃんと付き合ってるんだから……こんなイベントだってあるでしょうよ。
初めから、わたしが圧倒的に不利なのは分かってたことだし……。
……そんなわけで、ここであんまり無茶したら、かえってイヤがられるだけだと思うんだよね。
「それじゃあ、センパイのお邪魔しちゃ悪いですね……」
わたしはしおらしく、愛想良く、そう応じる。
一瞬、美汐が「なに言ってんの!」みたいな顔でこっちを見たけど、気にしない。
ムダに強引なことをするぐらいなら、ここは『感じの良い後輩の子』を印象付けた方がきっと有益だ――って、まあ実際はそこまで計算高く考えたわけじゃないけど。
「……あら、ご用の方はいいの?」
「はい、別に急ぎでもありませんし。また改めて」
「そう……。
あ、それなら、お名前だけでも伺っておこうかしら?」
「はい、白城鳴といいます。来た、ってことだけお伝え下さい」
「白城さんね? ええ、確かに承りました。ちゃんと裕真には伝えておくわね。
……さて、それはさておき、白城さんに、そちらのお友達も――」
おばあさんは品の良い笑顔を浮かべたまま、『女湯』の暖簾を手で示す。
「……せっかくだし、お風呂、いかがかしら?」
* * *
――俺たちの前に現れた、エクサリオと名乗った黄金の〈勇者〉は……。
すいっと上げた長剣の切っ先を、俺に向ける。
……なるほど、〈勇者〉か――。
その名乗りは、冗談でも誇張でもないだろう。
見ただけで、身を包む全身鎧も、全面兜も、凧型盾も、単に魔力が宿っているって程度じゃなく……神の加護を受けたとか、そんなレベルの超一級品だと分かる。
装飾とかもご大層だし、漂わせているオーラめいたものがハンパないからな。
そして――あの剣。
あれもそうだ。聖剣とか神剣とか、それぐらいのシロモノなのは間違いない。
〈真の力〉を解放していたなら張り合えたかも知れないが……今のままのガヴァナードじゃ、真っ向勝負は厳しいかもしれない。
つまり、総じての結論が――。
そんな伝説級の装備を違和感なく身に着けてるコイツの実力は本物で……。
装備そのものも引っくるめて、〈勇者〉を名乗るにふさわしい、ってことだ。
「シルキーベル……〈世壊呪〉なる大災を祓い、世の平穏を守ろうと戦う者。わたしはキミの味方だ。
災いに与するこの男を倒すべく――力を貸そう」
男か女かもはっきりしない声で、エクサリオは言う。
そして――静かに、しかし明らかな敵意を俺に向けてきた。
「……ま、待って下さい!
確かにクローリヒトは敵ですけど、今は――!」
「慈悲の心は尊いものだが、それを向ける相手を間違ってはいけないな。
そして、キミの成すべきことも。
……世界を守るためには、邪悪なるチカラは断固たる意志で根絶しなければ」
共闘中だからか、さっきまで対話をしていたところだからか――。
ともかく、いきなりの険悪な空気をなんとかしようと思ってくれたらしく、シルキーベルが言い募るが……。
エクサリオは、それを一顧だにせず切って捨てた。
「……お前……」
……正直、カチンと頭にきた。
コイツの、その態度に――そして言ってることに。その意志に。
「……ったく……大した〈勇者〉サマだな……!」
ガヴァナードが使えないのは明らかに不利だが――仕方ない。
俺はわずかに腰を落とし、身構える。気を張る。
……はっきり言って、わりと本気だ。
こうしている間も、呪いで身体が蝕まれているが……だからって、それを気にして、早期決着を――なんて考えてたら、恐らく負ける。
対峙すればよく分かる――。
コイツは、ムカつくヤツだが……強い。
呼吸を一つ――。
余計な思考は捨てて、ただただ、この戦いだけに意識を集中させる。
――自分で言うのもなんだが、向こうだけじゃない、俺だってそれなりの実力者だ。
互いにすぐには動けず、しばらくは探り合いになるかと思ったら……。
「…………フ」
「――――ッ!」
エクサリオが笑いをもらした――と感じたその瞬間。
俺は半ば無意識に、反射的に、拳で自分の正中――胸から喉にかけてを打ち払う!
果たして――。
刹那、手の甲をはしる衝撃とともに……甲高い金属音が響き渡った。
「!!??」
まるで初めからそこにいたように……予兆も予備動作もなにもなく。
エクサリオは、俺の胸を狙った突進突きを繰り出していたのだ。
それを把握したわけでもなく、本能とか直感のレベルで拳を防御に回して、剣を払ったわけだけど――そうしなかったらと思うと、ゾッとする……。
「へぇ……これをかわすか。さすがだ」
「そいつはどうも……っ!」
余計なことを考えてるような場合じゃない。
俺は、突きを外に払ったことでガラ空きになった懐に、一気に密着しつつ肘打ちを打ち込もうとするが――。
「――ッ!?」
それを予見していたように、横合いから襲い来る盾の一撃で、思い切り殴り飛ばされる。
さらに、地面を転がりつつ受け身を取って、スキなく体勢を整えるも……すでにそこには、黄金の輝きとともに、風の唸りさえ置き去りにした刃が迫っていて――。
「……くっそ……!」
まさしく雨あられとばかり、とんでもない勢いで襲いかかる斬撃を、拳で必死に打ち払う状況に追いやられた。
しかも、とてもすべてはさばききれず……。
軌道を急所から逸らすので精一杯だったものが、徐々に俺を切り刻んでいく。
――だが、俺だってただ手をこまねいているわけじゃない。
防御に集中しながら、練り上げていた闘気を拳に乗せ――。
爆発させるような勢いで一撃、思い切り剣を打ち払ってやる。
「――ッ!」
これには、さすがのエクサリオも大きく体勢を崩された。
好機――と、そのまま間を詰め……。
「続けて同じ手を――食うかよッ!」
先ほどと同じ横合いからの盾の一撃を、背中を使った渾身の体当たりで弾き飛ばし――。
そして、今度こそ怒濤のラッシュを一気に叩き込む――!
……はずが。
「――――ッ!?」
いきなり四方八方から現れた光の杭が、次々に俺を串刺しにして――その場に縫い付けてしまった。
「ぐっ……魔法……!?」
力を込めて振り払うと、光の杭はすぐに消滅した。
……足止めを目的にした、一種の魔法によるワナだろう。
拘束時間もダメージも、そこまでじゃなかったのは幸いだけど……エクサリオが体勢を整えるには、充分過ぎるほどの猶予を与えてしまった。
「本当にさすがだ、クローリヒト。なかなかに楽しませてくれる」
「……そっちこそな。金ピカなのはダテじゃないらしい……!」
これ見よがしに、鼻を鳴らして憎まれ口を叩いてやる。
虚勢……っちゃ虚勢だが、これが案外大事だ。
虚勢さえ張れなくなったら、いよいよもってヤバいからな。
「しかし……どうしたって、キミはわたしに勝てない。
なぜなら――」
囁くような小声で――しかしどこか愉しげに、エクサリオは言葉を紡ぐ。
「キミも、1度ならず、2度は『世界』を救ったことがありそうだが――」
「――――っ!?」
思わずハッとなる俺に――。
エクサリオは、衝撃的な事実を告げた。
「……残念ながら、わたしは5度――だからな」